動き出す思惑
ポツン……ポツン……
洞窟の天井から染み出た湧き水が岩の地面に落ちる音が、静かに響いている。
「ソヘイルが裏切った!!この民族から逃げようとしているぞ!!」
洞窟の民族の占い師が、水晶玉を見て叫んだ。周りに集まった人々は不安げな顔で顔を見合わせあう。ザワザワ、ヒソヒソと洞窟内がざわめきに満ちた。
「占い師様、本当ですか?!しかし……ソヘイルは昔からいるだけで皆不安がっていましたし、消えるのなら好都合では……」
「馬鹿め、そしたら娘はどうするんだ!」
占い師の言葉は、この民族にとって絶大な威力だった。古くよりこの占い師の家系のお告げを聞き、何百年とその風習を受け継いできた。この洞窟内の人々の顔が皆似通っているのは、洞窟内での近親婚を繰り返して血が濃くなっているせいだ。
外の世界では近親婚は虚弱な者が生まれるからと避けられているが、情報の少ないこの民族では、外に出ていく人間が居らず、凝り固まっている。
体が虚弱だからこそ彼らは病気や災いを極度に恐れ、怖がっている。占い師の言葉一つで彼らは何でも言うことを聞くだろう。占いが当たっていようがいまいが、彼らは必ずそれを信じずにいられないのだ。
「我々が行けば良いだろう。夜、一人になるところを狙えばよい。もとより貴族の娘を連れてくるなどソヘイルの役立たずには出来やしなかっただろう」
「占い師様、他の娘ではならぬのでしょうか……?」
「だめじゃ!!山の神はあの娘を欲している、他の者など捧げようものなら我らに不幸が襲い掛かるであろう!!」
「そ、そうだ!急がなくては……早く、娘をささげなければ!!」
大慌てで彼らは新しくアシュレイを攫いに行く企てを立て直し、5人が選ばれた。彼らは黒い布を被って外に出て、大急ぎでアズライト帝国王都に向かった。
そんなことは知りもしないで、久々の劇場で演劇にいそしんでいるアシュレイを生贄に捧げるために。
舞台でアンコールを済ませ、客から精一杯の歓声を浴びたアシュレイは、満足そうな笑顔で楽屋に戻ってきた。光る汗すら爽やかだ。脚本家のライリーが、舞台照明の場所から走って楽屋にやってくる。そして、息を切らして興奮した様子でアシュレイに言った。
「アッシュ!!久しぶりなのに、全然衰えてないな!客の顔見たか?俺の脚本で大泣きしてたぞ!あっはっは!!」
さっそく舞台化粧を落としながら、アシュレイが返事する。
「それにしても、まさかもうソヘイルを起用するなんて思わなかったよ。私が入団してからデビューするまでより早かったんじゃないか?何か月かは下働きかと思ったのに」
「まあ、セリフは無かったがな」
ソヘイルが困ったように言う。ソヘイルはそもそも、演劇なんてここにきて初めて見たのだ。演劇の存在すら知らなかった。
「当たり前でしょう、新人のくせに!」
「まあ怒るなよ、嫉妬はカッコ悪いぞアッシュ」
「別に怒っちゃいませんよ」
化粧を落とし終わってアシュレイが振り向くと、客席からアルドヘルムが戻ってきていた。
「アシュレイ」
「おお、アルドヘルム。今日も私は格好良かったでしょう?」
「はい。私の前の席のご婦人が大泣きしていましたよ。隣の席の青年も、久しぶりに劇場に来たら当分居なかったアッシュが出てきて、人生の運を使い果たしたと話しかけてきました」
「アハハ、他の客の感想なんてどうでもいいですよ。あなたはどう思ったんです?」
他の客の感想なんてどうでもいいという発言でアシュレイは後頭部を軽く団長に叩かれたが、まあ、ここで言うどうでもいいは「その人本人から聞かなきゃ意味ない」くらいの意味合いなのである。アシュレイは間接的な情報に興味がないだけで、ファン個人が直接感想を伝えにきたら当たり前のように喜ぶのだ。
「そりゃもちろん……素晴らしい演技でしたよ。私はあなたにチケットを確保してもらってかなり良い席でしたし、幸せ者です。」
アルドヘルムの言葉に、アシュレイが満足そうに笑う。頑張ったことを褒められるのが、アシュレイは好きなのだろう。いや、誰でもそうかもしれないが。
「……よし!マイリ、ライリー、ソヘイル!今からソヘイルの初舞台記念の打ち上げに行きましょう!いいですよねアルドヘルム」
「私は構いませんよ。ついて行きますが」
「やった~!アッシュのおごり?!」
「馬鹿言わないでよ、割り勘だ割り勘」
「打ち上げって……なんだ?」
「そこから?!」
ちなみにソヘイルは当然、割り勘なんて制度もわからない。
五人で裏口から出て、10分ほど歩いた場所にある行きつけの居酒屋に入る。皆が席につくと、アシュレイが早速酒を注文する。
「私はビールで」
公爵令嬢らしくなさすぎる、とアルドヘルムはその横で苦い顔をした。とはいえ楽しそうなアシュレイの気持ちに水を差す気は無いので特に文句は言わないぞ、こうなったら自分もビールだ。そんな気持ちである。
「じゃあ私もビールで」
アルドヘルムもそんなわけで注文する。
「じゃあ私、オレンジジュース!」
と、マイリ。子供らしいチョイス、模範的な15、6歳の少年少女の飲むべき飲み物である。
「俺は適当につまみとウイスキー、で、ソヘイルは……肉だな。脂身の多い肉を!こいつに!」
「ライリーまで俺を太らせようとしてるんだな……」
「当たり前だろ!それに体力つけないとな、せっかく背が高いんだからよ」
注文すると、驚くほどすぐに料理が運ばれてきた。いつも週末の劇場を閉めた後はこの店に来るので、店主が先んじてある程度料理を用意していたのかもしれない。
この時間は混みあっているが劇団員たちは常連客で、店主とも顔見知りなので心なしか料理が多く盛られていてサービスも愛想がいい気がする。……ちなみにここの店の女将もアッシュのファンである。
しばらくは近況なんかを話しながら飲み食いしていたが、アシュレイと、酒を飲まないマイリ以外はほろ酔いムードだ。ライリーなんかは顔が真っ赤である。
「やっぱ客の歓声浴びるのって最高ですわ、このために生きてるって感じで」
「ならもっと劇場来てくれよアッシュ~」
「でも最近勉強も楽しいんですよね。学校って行事もあって楽しいし」
「俺はよー、お前のファンだけどよー、お前を主人公にした脚本書くのがすきだけどよ~、お前が楽しいのが一番なんだかんな、友達だからさー……学校も、たのしーなら、がんばれよ~あっしゅ~」
「ライリー、相変わらず酒に弱いですね~よしよし」
酔ってダル絡みしてくるライリーの頭をなでるアシュレイの前には、飲み切ったビールのジョッキが8個ほど並んでいる。これだけ飲んで顔色一つ変えないアシュレイにアルドヘルムは呆れ顔だが、張り合って何杯か飲んでしまったため、顔が少しだけ赤くなっている。
16歳にしてこれだけの大酒飲みだと今後が思いやられるな……とアルドヘルムは思う。ソヘイルも、慣れない酒をちまちま飲みながら、出された料理を大人しく食べていた。
「大丈夫ですか、アルドヘルム?」
「……はい……」
「ほら、肩貸しますよ。背が高いから肩を貸しにくいですね、あなたは」
「あんなに飲んだのに、何ともないんですか……」
「昔から酔わない体質なんですよね」
情けなくもアルドヘルムはアシュレイに支えられて帰宅する羽目になり、ライリーのことはマイリとソヘイルが送っていった。アシュレイはアルドヘルムのかっこ悪い姿を見て新鮮だ……とお得感に浸っていた。
家に着くころには日が暮れていたが、アルドヘルムの醜態をさらさないように、アシュレイはコソコソとアルドヘルムを部屋に送り届けた。ベッドに座らせてやると、アルドヘルムが突然アシュレイの腕をつかむ。
「?!……アルドヘルム?」
「アシュレイ、私と結婚してくださいよ……」
「うーん、考えておきます」
「考えないくせに……」
「……」
アシュレイは困った顔をしたが、アルドヘルムも正気ではないので、特に何も言わずにおいた。ベッドに座ってうなだれているアルドヘルムを押して寝かせると、アシュレイは掴まれた腕が離れないので、すぐ横に椅子を引きずってきて、アルドヘルムの寝たベッドに横に座る。
すぐに寝てしまったアルドヘルムの寝顔を眺めながら、そういえばアルドヘルムの部屋をまじまじ見るのははじめてかもな
……なんてアシュレイは思っていたが、実のところアルドヘルムは半分は酔ったふりであった。戦おうと思えばすぐ戦える程度には飲酒量を抑えていたのだ。
狸寝入りを決め込んでいたアルドヘルムがゆっくり手を緩めると、アシュレイはそれに気づいて掴まれていた手をすっと抜き、静かに立ち上がった。
そのままアシュレイが部屋から出て行く音を聞くと、アルドヘルムはベッドから起き上がる。
「……少し、酔ったか」
自分の謎の甘えたいという欲求は、きっと酔いからきたのだろう。
窓の外の月を見て、そういえば久々にすっきりと晴れて星もよく見えるなとぼんやり思う。
そしてもう一度、ベッドに背中からゆっくり倒れこんだ。
アシュレイに出会うまで、アシュレイがあの居酒屋に何度行き、どれだけ他の人と話をしたのだろう。そんなことを考えてしまうのもきっと、酒が回ってしまったせいだろうか。
アルドヘルムは目を閉じて、そのまま翌朝まで着替えもせずに眠った。




