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お嬢様は神様です!  作者: 明日葉充
神来襲編
47/135

劇団へようこそ


故あって行く当てもない俺は、このアシュレイ=エインズワースという人物に大人しくついてきてしまったわけだが、ともかくこのアシュレイは顔に似合わず恐ろしくガサツな女だった。


まず、アシュレイは自分の住んでいた家だという木造の小さな戸建ての小屋に俺を案内した。確かに彼女が事前に言ったようにボロい小屋ではあるのだが、俺の閉じ込められていた牢屋なんかよりは何倍も良い家のように思った。


これからここに住むのか、と思うとなんとなく心臓のあたりがドキドキした。それはなんとも不思議な感覚で、慣れない。


つい数日前まで暮らしていた牢屋とはまるで違った風情だ。いつも日に2度誰かが食事を運んでくる以外に人に会うこともなく、牢屋の中には岩の壁と床以外に何もなかったので、生活感のある使い古された木の机や椅子なんかにも、なんだか人間の温かみを感じられて妙に安心する。


「壁に穴が開いてたりなんかしますが、そこはそこ。住んでみれば案外悪くない落ち着く家ですよ。でも板と釘があるので今塞いじゃいましょうか。」


「そ、そういうこともやったことがない……」


「なに、簡単ですよ。劇団の小道具なんかやってたら嫌でもできるようになりますから」


言ってすぐにカンカンとその場で元自宅の補修工事をはじめたアシュレイの横で、俺はそれを興味深げに観察する。


俺はきっと、世間一般のどんな人物が想像するよりずっと無知である。家族らしき人たちに何度か読まれた本、教わった日常会話。生活に必要なほんの基礎的な言葉やものしか知らない。


貴族に対するイメージも、以前一度娘をさらってくるように言われて街に出た時に町民から聞いた「貴族は偉ぶってて感じ悪い、平民とは違う」という印象しかなかった。貴族というものが何か、ということすらおぼろげにしか知らない。金持ちというくらいしか。


それと、その横暴な貴族は多くの民に恐れられているという印象と。以前連れていかれた場所はこの国ではなかったので、同行した洞窟の民の中の一人の通訳越しに聞いただけだったが。


実際はどうなのだろう。このアシュレイは元平民と言っていたから珍しいお人好しな性格なだけで、他の貴族はやはり酷い人間たちなのか。それともアシュレイが言っていた話に含まれるが、洞窟の民族たちが無知なためにそう思いこんでいるだけなのか。


俺がぼんやりとそんなことを考えていると、アシュレイが釘を加えたままドアの向こうを指さして言った。


「家の中見て回ったらどうですか、小さいんであんまり見るとこも無いでしょうが。荷物置き場とかそこらへんでどうでしょう。」


釘を加えて喋りながら部屋の説明をして、もう片手では道具をガチャガチャと探っている。器用なものだ、と俺は素直に感心した。見た目と第一印象も相まって全く女には見えないが、面倒見の良い男の子としてみれば悪いヤツとは全然思わない。最初は戸惑ったが、こんな親切な人間は洞窟の民にはいなかった。


もっとも、荷物置き場なんかに置くほど俺の持ち物は無いのだが。


「アシュレイ、よそ見しながら釘を打つと危ないですから」


「ああ、はい……」


このやたらアシュレイに過保護な執事も、初めは腕力が強いしものすごい目で睨みつけてくるしで悪印象しかなかった。が、このアシュレイの護衛なんかしているのかと思うとなんとなく納得というか、過保護になってしまうのもうなずける気がする。


なんといってもこの女、本当にめちゃくちゃだ。道端で信じられない大声を出すわ、子供を助けに馬車の前に転がり込むわ、俺みたいなやつに興味を持って家なんか提供してしまうわ。


貴族のお嬢様と聞いていたからもっとお淑やかで小綺麗な少女かと思っていた。


「アッシュー!!来るなら言ってよ、危うく出かけるとこだったじゃない!」


そう、丁度家に飛び込んできたこの少女のような……


「マイリ……!なんでここに」


「この家にアッシュとアルドヘルムが入って行ったって通りがかりのファンに言われて~」


そのかわいらしい少女は、真っ先にアシュレイに抱き着くと甘えた様子でそんなことを言った。なんだ?と俺は困惑する。この少女はアシュレイが女だと知らないのか、それとも知っているから抱き着いているのか?


「マイリ、丁度良かった。この人、ソヘイルさんっていうんだけど……世にも珍しい可愛い獣耳が生えてて、そうだな、多分もう少し太るとカッコいいと思うんだ。背も高いし劇団に入れないかな?下働きでもなんでもいいんだけど」


「え?すごーい!!この耳、ホントに神経通ってるの?!人間の耳ないもんね?!かわいい!!」


「?!」


マイリと呼ばれた少女が俺のほうに近づいて来てそう言った。かわいい……耳がか?俺は困惑した。それにしても、このマイリという少女やたらとまっすぐに見つめてきて居心地が悪い。もともと女は苦手なのだ。民族内でも化け物扱いだったから恐れられて、接する機会がほぼなかったし。


「マイリ、社交的な人じゃないからソフトな態度で」


ナイスフォローだアシュレイ。俺はあまり近づかれるのは苦手なのだ。


「ああそうなの?でもちょうどこの前団員が二人結婚して抜けたからちょうどいいよね、団長に聞いてみる!行こっ綺麗なおにーさん!」


「ちょっ……」


急に手を握られて引っ張られ、心臓がバクバクと高鳴る。こういうのには本当になれない。それにこの少女、遠慮がない。大胆すぎる。


「ああマイリ。これ、金あげるから帰りに飯でも食ってきなよ。ソヘイルさん、家の補修はしときますからその子と劇団で面接を済ませて飯食ってきてください。あんたはもう少し太ったほうがいいんで」


うるさい。お前も痩せてるだろ、と言いたいところだが……確かに俺はやせ細っているだろう。日に二度、カビたパンと水を渡されるだけだったから仕方ない。ところでマイリという少女が出てきてからアシュレイが急に俺をソヘイルさんと呼び始めたがなんなのか。


「あっアッシュ~そういうのセクハラだよ?」


「はいはい」


「じゃあ、行ってくる」


「はい。ああ、それとソヘイルさん。マイリは可愛いですが男なので。手を出さないでくださいよ」


「?!」


「あ、やっぱ気づいて無かったよね?私完璧に女の子だもん、しょーがないよね!」


マイリが得意げに笑う。いや、それはそれでアシュレイに抱き着いていたのは問題なんじゃないのかと思うが。それに、女なら手を出していたみたいな言い方はやめてほしい。俺はそんなにアクティブな人間ではないのだ。


それにしても、こんなかわいらしい少女が男で、アシュレイのような見るからに男が少女だなんて。まるであべこべだ。俺はこの日一日、色々な場所に連れていかれて、食べたことの無いようなうまい飯を食って、色々なことを教えてもらってから、劇団員たちと劇場の片づけをした。


団長はマイリが俺を紹介すると、笑いながら俺の背中をバシッと叩いた。そして、アシュレイの紹介だし、喜んで雇うと言われた。アシュレイがアッシュという名で男役者をやっていたのを聞いて驚いたが、だからか……となんとなく納得する。


それに、アシュレイが言っていた通り、話を考える仕事……脚本家、のライリーは俺を見るなり目を輝かせて耳を触らせてくれとか足を見せてくれと言ってきた。本当に大喜びと言った様子で、新しい脚本が考え付いたと言って急いでまた個室に戻って行ったが。


挨拶も食事も終わってマイリと別れ、自分の住むことになる小屋へと一人で歩いていると、なぜだか物悲しい気持ちになってくる。


日も暮れて俺が小屋に戻るとなぜかアルドヘルムは居なくて、中ではアシュレイが椅子に座って本を読んでいた。結構時間がたったからか、壁に開いていた隙間はすべてアシュレイに手直しされていた。ご丁寧にカーテンや布団も新調してある。アシュレイはドアを開けた俺に気づくとにっこりと笑った。


「浮かない顔ですね、おじさん」


「誰がおじさんだ!」


そう返しては居ながらも、俺はアシュレイに心を見抜かれているようでぎくっとする。


「ではソヘイル。浮かない顔ですね。何か悩みでも?」


俺のありそうな悩みなんて想像するだけでもいくらでもありそうなものだが、アシュレイは本に目を戻しながら冗談交じりに聞いた。俺は少し考えたが、自分のこの不安な気持ちを整理すれば、自然と答えは出てきた。


「……俺が以前、儀式のために騙して連れてきた娘のことを思い出していたんだ。」


それは嘘ではなかった。


「娘を洞窟に届けるとすぐにまた俺は牢屋に入れられたが……遠くから娘が助けを求める悲鳴が聞こえてきて、その苦痛の表情が頭に浮かぶようだった。……お前は、俺がそういうことをしようとお前を探していたのを知っているのにな……」


アシュレイは本から顔を上げて俺を見た。もうヘラヘラとした笑顔ではなかった。


「後悔してるんですか?」


「いや……その時は結局、そうするしかなかったのかもしれないとも思う。だが、俺が今こんな風に、幸せになってもいいのかと……許されることなのかと、考えてしまうんだ」


何人もが死を望まずに死んでいったのに、それを助けもせず殺すことに手まで貸していたのに、俺だけ何もなかったように幸せになっていいものなのだろうか?


俺は何も知らなかったし、どうすればいいかもわからなかったから、こうすべきだと言われたらそのままそれに従ってきた。でも、悲鳴を聞いて罪悪感を感じていた時点で俺はそれが悪であると気がついていたわけで。


「そりゃ許されるかは娘さん次第しだいでしょうが……あなたみたいな怪しい男について行ってしまうようなお人よしですから……何十年か悩み苦しめば許してもらえるかもしれませんよ、案外。……まあ、私がその娘の立場なら死んでも許しませんが。やったもんはやっちまったんですし……」


はあ、はっきり言うなあと俺はうつむく。そうだよな、簡単に許されることじゃないし、いいや、当事者が死んでるんだから「許し」などそこには存在しえないのかもしれない。もしほかの誰かに許すと言われても、それは自分が真に許されるということではない。


「……そう思うのに、俺の洞窟抜けを手伝うのか?」


「私はまだ何もされてませんから。他人事ってことですね……あなたにその話を聞かされても、私は優しくないからあなたの重荷を背負ってあげることはできませんし……悩めばいいんじゃないですか?人間は悩む生き物ですからね。私も色々悩んでいますし……まあ世の中、悩んだって無駄っていうようなことばかりなんですけどね、あっはっは!」


「あっはっはって……笑うところか……」


優しくない、と言うが。俺にはアシュレイは、いままで出会った人間の中で一番優しい人間のように思えた。良い人間か悪い人間かは置いておいて。俺がアシュレイを好きか嫌いかは関係なくて。


それは彼女の言葉に迷いがないからだろうか。「きっと彼女も許してくれている」とか、「幸せになっちゃいけない人間なんてこの世にいるものか」とか、そんなことを言われていても多分ちっとも、俺の心は救われなかっただろう。いや、アシュレイの言葉にだって救いなんかないけど。


でも、そういう優しい言葉をかけることよりも、優しくないことや厳しいことを言う方が、ずっとずっと難しいことなのだから。アシュレイはそんなことを他人である俺に言って、なんの得もないのだから。


「……死ぬとはどんなことなんでしょうね。自分が殺したかもしれない人間のことを思い出すことは、想像を絶する怖さなのかもしれませんが……きっと、それを抱えて生きていくほかあなたはないんです。それが生きてる間の責任てもんなんじゃないですか」


そうなのだろう。きっとアシュレイは正しい。そしてきっと今アシュレイは、本当に心で思ったことを言っている。なんの解決にもならない言葉だが、俺にはそれがしっかり響いた。


「……そうだな。死ぬのは怖いと思うか?」


「……さあ。イメージがわかなくて。いつ死んでも良いように悔いなく生きてますから。けれども、人間は……人間だけでなく、全ての生き物は生まれた時から死に向かって歩いている。結末は皆同じです」


そうやって死ぬことなんて大したことじゃない、みたいに言うくせに、子供が馬車に轢かれて死ぬのを必死で止めていたじゃないか。アシュレイ=エインズワースという人物は、そうした矛盾の中に生きていた。


彼女はたしかに死について深く考えてはいないのに、他人の生き死にには執着する。変な人間だ。きっと彼女は、轢かれそうなのが俺でも助けたのに違いない。


そんな人の言葉だから、めちゃくちゃなのに、素直に頭に入ってくる。


「お前は若いくせにさとったようなことを言うな」


「社会人経験は私が先輩ですよ。ではまあ、私はこれで。また時間が空いたら様子見に来させてもらいますね」


「ああ……」


本を置いて立ち上がったアシュレイに、俺は小さく返事する。


「アシュレイ!」


「はい?」


振り返ったアシュレイは、きょとんとした顔をしていた。


「……ありがとう。俺は、変われる気がするよ」


俺がそう言うと、アシュレイはにっこりと笑って見せた。この笑顔がまた胡散臭いんだ、妙に。


「そうですか。頑張ってください」


ドアが閉まって、アシュレイが置いて行った本の表紙を見ると、文字の読み解き方の簡単な本だった。そして、その下に積んである本の表紙には、「ミラゾワ伝記」と書かれている。


「……やっぱり、優しいんじゃないか」


俺はそう呟くと、大きくため息をついてベッドに倒れ込んだ。


そのベッドが、冷たい石の上で寝ていた時とは比べものにならないくらい柔らかくて、太陽の匂いがして、優しくて、俺は


……俺はしばらく、今まで生きてきた中で一番安心して、一晩中静かに泣きながら眠ったんだった。


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