暗闇に忍ぶ
暗い洞窟の中、黒い布を被った数十人の人間達が一人の占い師を囲んで並んでいる。白髪を長く束ねた老婆の占い師は、その珍しい真っ赤な目で水晶玉を睨みつけていた。
「占い師様、見えましたか?」
「次の儀式で山の神に捧げる生贄は……ここより西、山の抜け道で国境を越え、アズライト帝国王都のはずれ。屋根が全て青い大きな……とても大きな屋敷。そこに暮らす、黒い髪の少女。山の神はそれを生贄にお望みです。」
占い師が立ち上がって周囲に聞こえるようにそう言った。周囲はしばしどよめき、顔を見合わせあう。
「王都の近くで大きな屋敷となると、貴族の娘なんじゃ……」
「しかし、神はそれを望んでおられます。」
「……分かりました、早急に連れて来させます。ソヘイル!お前が連れてくるんだ。化け物のお前なら人間の一人や二人、連れて来られるだろう?」
ソヘイル、と呼ばれた男が奥の洞窟からゆらりと立ち上がる。ガシャンと音がして、ソヘイルの居た
……牢屋の、鍵が開けられた。
「……」
牢屋からソヘイルが出てくると、ザッと全員が身を引いて怯えたような顔をする。不気味がられ、荒い扱いを受けてもソヘイルは少しも動じない。こういう扱いには慣れていたからだ。
「お前なんか、ここ以外に行き場はないんだ。少しでも我々の役に立て。化け物」
「……」
ソヘイルは、ゆらりと歩き出し、布のフードを被って洞窟の外に出た。
外に出たのはいつぶりだっただろうか、とソヘイルは思う。外の空気が自分の肺の中に冷たく染みわたっていくのを感じる。ソヘイルは物心つく前から20年近く、暑い日も寒い日も、ほとんどずっと洞窟の中の牢屋で暮らしてきた。
ソヘイルだけでなく、ソヘイルの家族や一族全員が山の下のこの洞窟に暮らしているのだが。この民族では3年に一度、占い師が山の神に捧げる生贄を占って決める。その人間を連れてきて、山の奥にある深くて青い湖に沈めるのだ。
それらの生贄を捕らえに行く時だけは、ソヘイルは牢屋からも洞窟からも出ることができた。
神に決められる生贄は洞窟の民の中から選ばれることもあれば、船でしか行けない距離の島に居ることもある。それに比べれば今回のアズライト帝国王都という近さは、そう大変なことでもなかった。洞窟内の隠し地下通路を抜ければ、そこはすぐアズライト帝国の下町に通じている。
ソヘイルは今までに何人も、もがきながら湖に沈められていく娘を見てきた。そのたびにソヘイルは自分を責めたが、自分のような異形の物を受け入れてくれるのはこの洞窟の民族だけなのだと無理に納得していた。
ソヘイルの家族だという者たちもソヘイルを気味悪がった。閉鎖された民族だから、より一層ソヘイルの見た目の異形さは差別された。かといって逃がす気もなく、牢屋に閉じ込めていたのである。ソヘイルには子供の頃の家族の思い出もなかったし、自分の過去についても詳しいことは知らなかった。
でも、それを疑問に思うことすらなかった。
「……行くか」
わずかな金を持たされたソヘイルは、ため息をつくとアズライト帝国領に向かって歩き出した。
……そんな頃、まさに生贄として選ばれてしまった娘……アシュレイ=エインズワースはというと、呑気に屋敷で筋力トレーニングをしていた。右腕だけで腕立て伏せ、左腕だけで腕立て伏せ、手すりに足で逆さにぶら下がって腹筋など、アクロバティックなことまでこなす。もはやどこに向かっているのかわからない。
「お嬢様、勉強終わったらすぐトレーニングして家の手伝いもして……劇団のほうは良いんですか?」
通りかかった執事のダレンが腹筋しているアシュレイに言った。
「劇団の練習は日曜の午前中から夜まで行う予定なので。空き時間で個人練習もしてますしね」
「せわしないですね……」
「なんの。無茶ができるのは若いうちだけですから」
「悟ったようなこと言って、何歳ですかあんた……」
アシュレイは手すりからばたっと起き上ると、あきれ顔のダレンの肩をポンと叩いて階段を下りて行った。ダレンはまた家の手伝いか……いつもながらよくやる、と思う。
なんだか、誕生日の一件があってからアシュレイの機嫌がいつもより良いような気がした。張り切っているというか。ついでにアルドヘルムの機嫌もいい。何かあったのかなあ、俺、なんか蚊帳の外じゃない?なんて最近のダレンは思ったりするのだが、本人たちが幸せならばそれで良し。
そして最近のアシュレイは、家の中では最早、ドレスを着ることを放棄している。ウィッグも邪魔だからとつけず、少し伸びてきた髪を後ろで小さく括っている。服といえばアルドヘルムが用意した男装用お下がりの中でも、特に飾り気の少ないシンプルなものを選んで着ている。
もちろん、客が来る日はがっちりきっちりガチャガチャ着飾っているが。
「ザック、重たいでしょう。その土私が運びますよ」
「アシュレイお嬢様!助かります、いつもありがとうございます」
「いえいえ。若い者の務めです」
最近は使用人たちが素直にアシュレイに頼るので、アシュレイもよしよしと思っている。相手が遠慮しているのに無理に手伝うより、感謝されてやっている方が気分がいいし。
使用人たちは、今日もこそこそとアシュレイの噂をしている。
「あのひとは綺麗な人だし、威張ってる他の貴族のお嬢様たちとは全然違うな」
「不思議と目を引かれるんだよな、黒い髪が目立つのはあるけどさ」
「最近、優しい顔をするようになったよな」
「もしかしてブラックモア卿のせいだったりして」
「えっ?アルドヘルムさん?あの二人ってデキてるの?」
「こら!ちゃんと働きなさい!」
屋敷の一日は平和に、穏やかにゆっくりと過ぎていく。じわじわとやってくる、暗く重たい何かに気が付かずに。




