お嬢様の嬉しい日②
チュンチュン。
窓の外から聞こえる鳥の声でアシュレイは目を覚ました。寒いのでなかなかベッドから出られず、アシュレイは毛布にくるまったままゴロゴロと転がった。時計に目を凝らすと午前8時。アシュレイにしては長く寝た方だが、今日は休日だしもう少し寝ていてもいいかもしれない。……と、そこまで考えてからアシュレイは慌てて起き上がった。
「マーサが来るんだった!」
アシュレイはそう思い出し、さっさと着替えて顔を洗いに行こうと考えた。廊下に出ると、珍しく慌てた様子の使用人、シェリーが壺を持って走っている。いつもは余裕のある噂好きのお姉さん、的存在であるシェリーが廊下を走るなんてとアシュレイは驚く。
「ア、アシュレイ様!おはようございましゅ!」
「シェリー、どうしたの?慌てて」
「なんでもありません!大丈夫です!おはようございます!」
「お、おはよう」
噛んでるし、朝からバタバタと走ると危ないのにとアシュレイは思いながらバスルームの洗面台で顔を洗った。水道周りの完備だけは、平民暮らしにはない快適さでアシュレイは大変気に入っている。下町にいた時にはレバーを何度も上げ下げして出てくる氷のように冷たい水で顔を洗っていた。今考えれば、年寄りにはとんでもない環境であったと言えるだろう。
「……」
アシュレイはあくびをしながら伸びをした後、鏡を見ながら髪を整えた。ウィッグを被るとギシギシして整いにくい。金を貯めてもっと良いウィッグを買おうかとも思うが、その頃には自分の髪が伸びていると信じたい。というか現に、以前よりはかなり髪が伸びてきているのだが。後ろ髪が今、顎くらいだ。
みんなが自分の誕生日パーティーの準備で駆け回っているなんて知りもしないアシュレイは、マーサが何時に来るのだろうかということばかり考えていた。いつもより屋敷が慌ただしいのは見ればわかるのだが、まあ忙しいなら邪魔になるだろうしとアシュレイは大人しく再び自室に戻っていった。
「……」
アシュレイは部屋の椅子に座ると、机の端においてあった本を手を伸ばして指先で手繰り寄せた。この本は、先日家庭教師から贈られた異国の文字で書かれた本だ。最近のアシュレイは学校で習う勉強は全て終わってしまい、家庭教師の提案で異国語の勉強まではじめたのだ。劇場を建てるために公爵家に来たはずだが、もはやどこへ向かっているんだ?というかんじだ。
(狐に取り憑かれた国かあ。人間の耳の代わりに、狐のように頭に耳が……シャシンじゃなくて絵で描いてある時点で信憑性は薄いし……この本、この国の歴史書みたいに書いてあるくせにファンタジー小説なのか……)
なんでこんな聞いたこともない国の文字を勉強させるんだ?とアシュレイは疑問に思う。が、フィクションは好きだ。童話だの絵本だのの不思議な世界の情景を頭の中で想像するだけでアシュレイは楽しめた。狐耳の生えた人間なんて現実にいるかもと想像するとワクワクするし。神話上の動物なんかも挿絵だけで楽しめる。
……なんて、アシュレイが呑気に本を解読していっている間にも使用人たちの大慌てでの仕事は進行していた。アシュレイが「忙しそうだし」と部屋で大人しくしてくれているのは、使用人たちにはとても都合の良いことである。ここでアシュレイが手伝いますなんて言いだしたら、いつも手伝ってもらっている手前今日はいいですなんて言えない。誕生日サプライズパーティーなので部屋で大人しくして貰えている方が好都合なのだ。
「クッキー焼けましたよ!」
「炭じゃねえか!!こんなもん間違っても出すんじゃねえぞ!!」
「え~?」
「そんなことしてる暇あったらこの料理を広間のテーブルに持って行け!」
「料理長、これなんですか?」
「それは以前アシュレイ様が手伝ってくれているときに雑談の中で美味しかったと言っていたシチューのパイ包み焼きだ」
「なんですかそれ?!うまそう!」
「前に本で読んで家で作ったらうまかったと話していた。俺も家で作ったが、美味かったからな」
「アシュレイ様は厨房禁止っていうか、マリアさんがお嬢様に料理なんてされられませんって言ってませんでした?怒られません?」
「そうはいってもアシュレイ様はお前らよりジャガイモを剥くのも野菜を切るのも早いからな。助かってるから言うんじゃないぞ」
「はーい」
厨房も今日はバタバタしている。アシュレイは学校では料理なんてしないとか言っているが、きっちりマリアやアルドヘルムに隠れて料理の手伝いもしていたのだ。
とはいえ、アシュレイが屋敷内の手伝いをするのは人助けとかではなく「学校に行って家でも勉強してタダ飯を食っている」ということへの最悪感からというのもあるが。屋敷で手伝いを行うことでタダ飯食いの罪悪感を払拭しようとしているわけだ。特に厨房では、下町で自炊していた経験が存分に生かされているのであった。
「お花はここらで良いでしょうかマリアさん?」
「良いわ、次は玄関の方ね」
マリアとシェリー中心にメイドたちは生け花や飾りつけの用意、アラステアは残っている仕事を大慌てで片づけて、お花柄のかわいいメッセージカードにお祝いのメッセージを書いている。用意したプレゼントに添えるためである。乙女チックである。こんなだから他の貴族に舐められるのかもしれない。
アルドヘルムはマーサを迎えに行っており、昨日走り回って疲れ切ったダレンはぶらぶらと王都内の店を回ってプレゼントどうしようかな、と見て回っている。
「10時か」
本を読んでいる間に二時間が経過していたことに気が付き、アシュレイは本を閉じた。確か昼にはマーサが来るはずなのである。アルドヘルムが朝からいなかったのはそのせいか、とアシュレイは思った。本を本棚に片づけるとアシュレイは今度は部屋から出て廊下を歩きだした。屋敷内はなんだか忙しそうだが、庭の雪かきくらいなら個人作業で出来るだろうと思ったのだ。つもりたてで雪が軽いうちに雪かきしておかないと、溶けて凍ると面倒なのだ。
「……」
アシュレイが黙々と庭で雪かきをしているのを、いつもなら見つけた使用人が慌てて止めるところだが今日は違った。屋敷の中ではアシュレイから隠すようにして様々なものが運び込まれてくる。その中の一つである銅像なんかは、4人がかりで運ぶほどのサイズであった。
「おい!アシュレイ様が庭に出てるぞ!今のうちに運び込め!」
「なんだこれ?銅像か?」
「これはアシュレイ様の銅像なんだ、誕生日と関係なく俺がコツコツと作っていたのさ!」
「気持ち悪っ!型取りでもしたみたいにそっくりだけどその情熱が気持ち悪いわ!」
広間には花やら像やら大量の料理も運び込まれ、寒くないように広間中央の暖炉に火が入れられると広間に続く扉はすべて閉められた。上の窓だけ開けて換気をしている状態だ。今日が晴れ渡っているからこそできる芸当、運が良かったと言えるだろう。
「やっぱアシュレイ様の日頃の行いがいいから今日は晴れたんだな」
「わかる」
かくして11時になる前にすべての準備を終えた使用人一同は、達成感に満ちた笑顔で握手しあったのであった。料理は冷めたらまずいものはまた直前に作るのだが、そのほかの飾りつけは終了した。急ごしらえにしてはかなりの豪華なパーティになりそうだ。これならオズワルドを呼んでも問題なかったかもしれない。
「……なんか、楽しそうだな」
屋敷の方で沸き立つ使用人たちを遠目で見て、アシュレイが呟く。あーあ、アルドヘルムも朝からいないしせっかく誕生日を教えたんだから、おめでとうの一言くらいほしかったな、なんてアシュレイは思う。それどころではないことが現在進行形で準備されているわけだが。ひとしきり雪かきの終わったアシュレイはスコップをもとあった場所に置くと、部屋に戻ろうと屋敷のほうに歩きだした。そろそろマーサが来る頃なのだ。
(私も16歳か。あまり生活に刺激もない人生だったけど、ここ数か月は色々あったな)
そんなことを考えながら歩いていて、アシュレイは気が付いた。
(ああ、誕生日だから何か用意してるのかな?)
アシュレイはそれにいつまでも気づかないほどは鈍感ではなかったのだ。
(まあ、違ったら恥ずかしいから言わないけど……)
そうだとしたら、なんだか気を遣わせて悪いなあとアシュレイは思う。マーサが本を届けに来てくれると知って嬉しくてつい口が滑ったのである。誕生日から数か月して言えば気を遣わせなくて済んだのかもしれなかった。……と、アシュレイは考えているが使用人たちは違った。祝うならもっともっと盛大に、時間をかけて準備したかったという怒りだけである。
祝いたくて祝っているのだ。それはアシュレイには分からない感情だった。マイリの誕生日に髪飾りをやった記憶と、マーサの誕生日に劇のチケットと毛布を買った記憶くらいしかない。それくらい、アシュレイにとって誕生日というのは大して特別な日ではなかったのだ。
はじめてマーサに本をプレゼントされたのが何歳のころだったかはよく覚えていない。気づいたら毎年誕生日に本をくれるのが習慣になっていたので、本を渡されると「ああそういえば、誕生日か」と思い出す程度の、そんな存在であった。
アルドヘルムが昨日怒っていたので貴族的には重要イベントなのか?とアシュレイは思うが、自分のためになにかしてもらうことについては嫌な気はしない。
(とか考えて、関係なかったら恥ずかしいよな)
アシュレイはそう思うと少し苦笑いして、さっさと、部屋に戻って行った。
時刻、現在11時30分であった。




