第一王子とお話①
王宮の中は今日も騒がしい。
様々な用件でやってきた商人や、他国からの遣いなどが行きかっていつも通りに、いや、いつも慌ただしいのである。そんな、客人の対応などで手いっぱいの高官たちの仕事の補助でコーネリアスは机に張り付いて、山積みだった書類を黙々と処理していた。
昼に丁度他国との貿易関連の書類をまとめる仕事の終わった第二王子コーネリアスは、ふうーっと大きなため息をつくと自分の椅子の背もたれに寄りかかった。かなりの量の書類だったので、やり遂げた自分を賛美したいとコーネリアスは達成感に浸る。それを見て、様子を伺っていた執事が今なら少し話せそうだと要件をコーネリアスに伝えた。
「コーネリアス殿下、殿下にお目にかかりたいと申す少年が先程からやってきておりまして……追い返そうかもと思ったのですが、やけに整った身なりだったのでお待ちするようにと言って待機させています。アッシュ、と名乗っているのですが……」
「なに、それは黒髪の美少年か?!」
コーネリアスが突然嬉しそうな顔で椅子からガタッと立ち上がったので、執事が驚いて少し後ずさる。コーネリアスは普段宮廷に居ても仕事ばかりでいつもつまらなそうな顔なので、こんな満面の笑顔はかなり貴重だ。執事はコーネリアスの言葉に動揺しながらも返事を返す。
「え、ええ!それはもう息を呑むような美少年で……お知り合いでございますか?お通ししても?」
「ああ、友人だ。早く上げてやってくれ」
「かしこまりました!」
コーネリアスが小さい頃から仕えている年配の執事が、慌ててアッシュを迎えに行く。王子に直接謁見に来た謎の少年、コーネリアスが友人と言うこの人物とは一体何者か。執事は心底不思議に思いながら、アッシュと名乗る美少年を言われた通りに客間に通した。
「アッシュ!話では聞いていたが午後から来ると思っていた!悪いな、1人で来たのか?使いをよこせばよかったな」
「いえいえとんでもない!本日は王都の中の見学も兼ねていましたので、町でダレンも待機していますし。わざわざ使いなんて寄越されると目立ちますしね」
「ああ、ダレンと来たのか。まあそこに座ってくれ。いつになるかわからないが、王都にお前の出演する劇場が出来るのが楽しみだな。しかし、平民たちの元でも続けるのだろう?」
遣いなんてよこさなくても十分に目立ってるだろう、とコーネリアスは呆れた顔をしたがアッシュ……もとい、アシュレイ=エインズワースは、勧められるがままドカッと豪快に椅子に座った。コーネリアスも小さい机を挟んで正面に座り、執事が二人分紅茶を入れて置くと、ドアの近くに歩いて行った。
アルドヘルムなら確実に王宮内までついてきていただろうから、護衛をダレンにしたのは正解だったと言えるだろう。今日はエインズワース公爵令嬢としてではなく、コーネリアスの友人で役者の、ただのアッシュとして来たのだ。
「はい!以前の劇場でも続けます。王都に建設したいと思っている劇場は普段は貸し出しを可能にして、月に一度くらいの定期でやりたいと思ってるんですよ。とはいっても、まだ建築費用なんかのアテもありませんし、当分先だとは思いますが」
「それはいいな。貸し出しとすれば演奏会なんかでも使えて人が集まるだろうしな。それに、平民がごった返す中でひっそり見ているからこその楽しさもあるんだよな」
「ああ、なんだか分かる気がします。貴族ばかりだとかしこまった感じがしますからね」
アシュレイとコーネリアスは茶を飲みながら、しばしそんな雑談を交わした。今日のアシュレイは「アッシュ」だ。ある意味お忍びで来ているわけだから、別人でなければならない。アシュレイはコーネリアスと恋人関係だとかの噂が立つのは面倒だと思っているし。
貴族間では年頃の男と女が個人的に会うのはあまり歓迎されない。特にプライベートでは。男と女の友情なんて概念はこの貴族社会にはないのであった。しかし、アシュレイとコーネリアスは実際に、恋愛の一切絡まない友人同士なのだが。
アシュレイにとって自分を一切女として見ずに男友達のように自然に接してくるコーネリアスは、結構貴重な存在だったりする。別に男扱いというわけではないのだが、無邪気というか無垢というか。悪い女に騙されないか、アシュレイは心配だ。コーネリアスのアシュレイに対する親しみのそれは、慣れ親しんだ劇団員たちとの雰囲気に似ていた。つまり、なんというか落ち着く存在なのだ。
「あ、それはそうと……実は、兄上と少し仲良くなれたんだ。」
「そういえば風邪の時も薬を聞いて持ってきてくれましたよね。どのようなきっかけで?」
話題が、第一王子オズワルドのことに移った。はじめてこの二人が出会ったアシュレイの歓迎パーティーで、アシュレイが仲良くしてみれば?というようなことを言っていたのを思い出したのかもしれない。学校では下手にオズワルドのことを話すと、また新たに変な噂が立ちかねないし。
「きっかけというか、その……勉強を教えてくれと頼んだんだ。薬学は俺は苦手でな、教えて貰うついでに仲良くなれないかと思ったんだ。」
「教えてくださいましたか?」
「ああ、兄上はすごく驚いた顔をして、俺が兄上を嫌っていると思っていたとおっしゃった」
「なるほど……互いに嫌い合っていると勘違いしてただけで、好き合っていたわけですね」
「ま、まあ平たく言えばそうだな。俺と兄上は、最近では週に2度ほど茶会を兼ねた勉強会を行なっているんだ」
「それ、少し仲良くなったってレベルじゃありませんね!」
アシュレイはコーネリアスに良かったですね~と言って身を乗り出してバシバシ肩を叩く。コーネリアスは「エヘヘ」といった様子の照れた笑顔で頭を掻いている。執事はハラハラとした様子で、アッシュと名乗る得体の知れない少年を見ているが。
そして、思い出したようにコーネリアスは付け足した。
「あと、アトリエの件も……アトリエに招いた女性に手を出したことなど一度もないそうだ。第1王子と婚姻を結ぶため、令嬢たちが噂をたてて回っていたらしい」
「そうなんですか。いえ、あなたの兄上です。そうでしょうとも。そこで相談なんですが、私は今からアトリエに行ってみようと思います。以前、毎月16日はオズワルド殿下が休みだって話してましたよね?だから今日を選んだんですよ」
「え!ああ。確かに今日は兄上は休みのはずではあるが…アシュレ……アッシュは、男装がバレてもいいのか?知らない男がアトリエに来たら兄上は驚くだろうし…」
「もうコーネリアス殿下にはバレてしまいましたし、今更ですよ。それに、殿下の家族は私にとっても信用の置ける人間ですよ。友達でしょう」
「そ、そうか?!では、こちらに」
アシュレイはなんだか嬉しそうなコーネリアスについて、王宮の奥の、庭の真ん中にある温室に入っていった。温室には沢山の花が植えてあり、その隅の方にオズワルドのアトリエはあった。なるほど、薬学が得意なのは植物が好きだからか?とアシュレイは少し勘繰る。
「兄上、おはようございます」
「コーネリアス、おはよう。えっと……そちらの男の子は…?」
オズワルドが、少し不思議そうな顔をする。そして内心、綺麗な顔の少年だ……描きたい!なんて思っていた。オズワルドの言葉に少しなんと言えばいいかコーネリアスが迷っていると、アシュレイは座っているオズワルドの前で恭しくお辞儀をした。
「オズワルド殿下。以前の約束の通り参りました、アシュレイ=エインズワースです。事前に連絡もせずに失礼いたします。私の歓迎パーティでお会いしましたが、覚えていらっしゃいますでしょうか?」
……と言ったアシュレイに、オズワルドは驚いた顔になる。公爵令嬢が男の格好をして王宮に乗り込んで来たので当然の反応ではあるのだが。オズワルドはともかく、予想していなかった形でのアシュレイとの再会に動揺していた。今のアシュレイは、営業用の笑顔というよりは自信に満ちたいたずらっぽい笑顔だったからだ。
「アシュレイ嬢か!?なぜそのような格好を?」
「兄上、アシュレイは公爵家に引き取られる前、都の北のほうにある大きめの劇場で、アッシュフォードという芸名で俳優をしていたんです。私は昔からその劇場にこっそり通っていて…それで、以前から知っていたんです」
「俳優……なに?!アシュレイ殿は、男性だったのか?!気づかなかったな……」
「兄弟で同じようなことをおっしゃいますね……」
アシュレイとコーネリアスはそこからオズワルドに、アシュレイは男装していたというだけで女だという説明をし、パーティの時もファンだったから話しこんでいたのだと詳しく説明した。
オズワルドは黙って穏やかな笑顔で、時折頷きながらそれを聞いていた。以前から王都ではない場所で出会ったことがあった、とだけ聞いていたがそれがまさか平民の通う劇場の役者であったとは。なんにしろ、オズワルドはアシュレイに俄然興味がわいたようだった。
「男装の麗人か……物語のようで、とても良い!ぜひ、そのあなたのことを描きたい!今度からもアトリエに来るときはその格好で来てくれると嬉しいな」
「ええ!そのほうがこちらとしても妙な噂が立たなくて好都合です」
アシュレイが姿勢良く立ち上がる。オズワルドはアシュレイの言葉に首を傾げた。
「おや、アシュレイ嬢は恋人がいるのかな?それとも弟は恋愛対象外か?」
「ああ、いえ……私とコーネリアス殿下は、親友と言っていい存在……だと思っておりますが。貴族の社会では男女の友情なんてと勘繰られがちでしょう?変に噂されてコーネリアス殿下と気まずくなるのは、私の本意ではありませんので」
「えっ!親友だなんて……そんな風に思ってくれてたのか……」
「褒めてませんよ別に」
素直に照れているコーネリアスに、照れて少し素っ気なくなるアシュレイ。なんだか初々しい友達関係だな、とオズワルドは微笑ましく思った。
「はは、二人は本当に仲がいいんだな。しかしコーネリアス、お前は今日は仕事が詰まってるんじゃなかったかな?仕事を片付け終わるまでアシュレイ、私はあなたと話をしたいんだが」
「アシュレイ、じゃあ兄上と話していてくれるか?確かに私はひと段落で休んでいたが仕事が山積みなんだ」
「それは大変ですね。まあ、殿下とは学校でいくらでも喋れますからね。頑張ってください」
元も子もないことを言うアシュレイにコーネリアスは少し拗ねたような顔をする。
「ああ、じゃあまた後で」
とはいえ忙しいコーネリアスが駆け足で温室から出て行って、アシュレイは軽く手を振って見送る。そして、第一王子オズワルドに向き直った。
「さて……約束通り私をお描きになりますか?それとも学校でのコーネリアス殿下の話でもしましょうか。」
歓迎パーティではじめて会った時のような営業用笑顔、でそう言ったアシュレイ。オズワルドは少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑む。
「今日は話がしたいな。」
温室には小鳥の声が心地よく響いており、寒い外とは別世界のようだった。




