お嬢様には問題がつきもの
珍しい主人公視点回
風邪が治ってから学校に来るのは、約一週間ぶりだった。結構休んだと思うのだが、今朝もアルドヘルムは休めと言っていたっけ。大げさで過保護なめんどくさい男だが、最近は案外嫌いじゃないと思ってしまうのが更に厄介である。自分の気持ちがさっぱり分からない。
昼休みになると、今日は私の当番だったのでクラスの様子やらについて日誌に書き記していた。今日の天気だとか、遅刻してきた生徒が多かったとか。席順に回ってくるその当番は日直というらしく、黒板の文字を消したり花瓶の水を入れ替えたり……まあ、気づいたことをする係のようだ。言われてみればなんとも合理的なシステムなのではないだろうか。
完全に自主的にやらせるようにしたら真面目な生徒ばかりが割を食ってしまうし、多少の強制力がある当番制はいいことだ。そういえば劇団でもトイレ掃除は当番制だったっけ。貴族なだけあって、掃除やら面倒な雑用は全て雇われた使用人がしているが。
本日の授業予定について書き記し終わったところでロイズがやってきたので、私は席を少し横に傾けて挨拶をした。朝に一度、もう会ってはいるのだが。
「早いですねロイズ、アニタは?」
「教室の前を通ったがそのうち来るんじゃないか。授業が長引いているようだったし。あの数学の教師は話が長いからな」
「ああ、あの先生ですか……」
「お前は授業、大丈夫だったのか?」
一週間ぶりだけど、という意味らしい。私は事前に結構先のほうまで勉強しているので大した問題はなかったのだが。でもこういう時は、謙虚に言っておくに限る。
「ええ。アニタが持ってきてくれた範囲表もありましたし、なんとか。」
「そうか、さすがだな」
何がだ。ちなみに今日はコーネリアス殿下は公務で遠征に行っているらしい。約一か月も国中を回るらしいので、しばらくは会えないらしい。風邪を引いていたせいで見送りも出来なかったし「ご無事で」とかも言えなかったので何となく残念だ。
「殿下は大変ですね、勉強もあるのに学校に来られなくて」
私が言うと、ロイズはうんうんと頷いた。
「そうだな。コーネリアス殿下は特に出来がいいから、仕事仕事でしょっちゅう引っ張り回されてるみたいだし。本人は王都からあまり離れたくないようなのにな」
「そんな人が時間を縫って劇を見にきてたなんて、なんかすごいな……」
アニタとミアが中々来ないのでロイズと2人でしばらく話していたが、ふとロイズは私の持っている大きめのバスケットを見て不思議そうな顔をした。
「今日は学食じゃないのか?」
私はバスケットを少し開け、中をロイズに見せる。
「サンドイッチです。よかったらみんなでと思って」
というより、マリアにみんなで食べて貰って!と、大量に詰めたバスケットを渡されたので、食べてもらわないと困るのだが。自分一人でこんな量のサンドイッチは食べきれないだろうし。残して帰ると、なんとなくだがマリアがガッカリしそうだし。いや、頑張れば食べれないこともないのだが……味は朝つまんだら美味しかったので、アニタたちが食べても問題ないと思う。
「いいな、中庭とかで食べよう。アシュレイが作ったのか?」
「まさか。マリアが作ったんですよ」
私が否定すると、ロイズは少し笑った。不本意である。
「まさかって……はっきり言うなお前は。アシュレイは料理はしないのか?アニタはするとか言っていたぞ」
他の女と比べるのは男のNG行動の十本指には入るんじゃないだろうか。デリカシーというものに欠けていると感じる。まあ、ロイズには少しの悪気もないのだろうから気にしないが。
「アニタは男爵家ですから、将来メイドさんになる可能性もあるでしょう。私も下町にいた頃は自炊してたんで料理くらいできますけど……公爵令嬢は台所NGらしいですよ」
あくまでもできないわけじゃないぞとアピールしてしまうのが私の子どもっぽいところだ。どうにもこういうところはいつになっても治る気配がない。
「ああ、家の方の規制か。確かに、私の家も過保護だったな……」
ロイズが、なるほどな、というような顔をする。どうやらこの説明で納得してくれたようだ。それにしてもアニタ、料理が出来るアピールをするなんてもしかしてまだロイズのことを好きなんじゃないのか?いや、なんでも色恋沙汰につなげようとするのは良くないよな。……なんて思いながら、私はロイズと数学のテストを見せ合ったりしていた。なんと、ロイズに5点負けている。なんという屈辱、頑張らなければ。
……そのように、昼までは本当に平和で平穏で、いつも通りで普通だったのだ。
が、私の平穏を破る人物は、アニタたちが来るよりも早くやってきた。大勢の男子生徒をつれて。次第に騒がしくなっていく教室前廊下を、クラスメイト達もチラチラと見ている。
「なんでしょう、あの騒ぎ」
私が教室の外の騒ぎを見てロイズに問いかけると、ロイズは突然険しい顔をして、不機嫌そうに頬杖をついた。ロイズの肘がガンッと机にぶつかる。痛くないのだろうか、と私はロイズを見て思った。
「男が集まってるなら、多分ジェニ=マクレーンだろう。常識のない馬鹿な女だ」
「あーあ、悪口ですよそれ。恨みでもあるんですか?フラれたとか」
「馬鹿を言うな、あの女は天然を装って男に見境なく媚びを売る。私はああいう人間が大嫌いなんだ、一瞬でも好意を抱いたことなどあるものか。あと、前から殿下に擦り寄ろうとしていたな。最近はなりを潜めていたが……」
「害は特にないんでしょう?廊下はうるさいですけど」
そう言って私が再びドアの方に目をやると、急に勢いよくドアが開いた。驚いている間に、私とロイズの向かい合っている机のところに先程話していたジェニという女の子と取り巻きの男子生徒がゾロゾロやってきた。
「おい!お前、アシュレイエインズワースだな!」
男子生徒の一人にそう怒鳴りつけられて、驚いた私は椅子から立ち上がった。私は怒られる覚えもないのに大声で怒鳴りつけられるのが大嫌いなのである。いや、そんなことされるのは私でなくとも、誰だって嫌に違いないが。
「大声を出さないでいただけます?鼓膜が破けたらあなたの鼓膜を鉛筆で破り返しますからね」
私が言うと、ロイズがそれは痛そう!みたいな痛そうな顔をした。想像してしまったのなら申し訳ないと私は思ったが、案外感受性が豊かなのだろうか。まあそれはともかく目の前の問題が優先だ。男子生徒は懲りずに怒鳴ってきた。
「なんだと?!ジェニが泣いてるだろう!お前のせいでジェニがどれだけ悲しい思いをしたかわかるか?!」
「私のことはいいの……でも、こんなことする人がコーネリアス殿下と一緒にいるなんて、私……」
男子生徒を掻き分けて泣きながら出てきた女子生徒、これがジェニであった。彼女は泣きながらもしっかりした口調で私がまるで犯罪者かのように叱責してきた。しかし、彼女のことは全く知らないし、当然なんの心当たりもなかった。私はただただ困惑し、座ったままのロイズもそんな顔をしていた。
「どういうことです?よくわからないんですが」
「お前がジェニの靴箱にネズミの死体を入れて、机を泥まみれにして、教科書を破ったんだろう!!教科書を破られたジェニの気持ちがわかるか?!」
私が嫌いな奴に嫌がらせするにしても、そんな目立つことするわけないのである。いや、そもそも私はそんなに陰湿じゃない。文句があれば本人に言うのであしからず。
「私がやったんじゃないですが、金にお困りなら教科書くらいなら買ってあげますよ」
嫌味は言おうと思えばすらすら出てくるものである。
「買い換えればいいって問題じゃねえ!お前みたいなやつは絶対に許さないからな!ジェニがどれだけ苦しんだがお前にわかるか」
さっきからわかるか?わかるか?わかるか?としきりに聞いて来るが、さっぱりわからない。私はちっとも彼女の気持ちがわからないので、とりあえず自分が座っていた椅子をロッカーの方に乱暴に蹴り飛ばしてみた。ロッカーに椅子が当たった音がガイーーーーンと教室に響き渡り、一度、場が沈黙する。
奇行。つまりは奇怪な行動である。しかし興奮している相手には大きな音を出して一度黙らせるに限るの法則だ。椅子には悪いことをしたけれども、私は別に気が狂ってこんなことをしたわけではない。私は無言でロッカーまで蹴飛ばした椅子を回収して、机の前に置き直す。そして男子生徒たちに向かい合った。男子生徒が黙ったままだったので、私はそれからもう一度椅子に座った。
「わかりません。それで証拠は?」
「私……!私、朝私の机にネズミの死体を入れているアシュレイさんを見たのよ!」
私の奇行にひるむことがなかったのはジェニだけであった。うーん、メンタルが強い。
というか、ネズミの死体が入ってたのって靴箱じゃなかったっけ?私はそんなことを思ったが、ジェニの暴走は止まらない。ジェニの囲いの男子生徒の怒りも加速していくばかりだ。
「身に覚えがありません。勘弁してください、寄ってたかって。」
「なんだと?とぼけやがって、お前みたいなクズが、ジェニにあんなことしておいて……」
「あっ、ちょっとそれは……」
ガシャン。私が慌てて止めようとする間もなく、男子生徒の一人が机の上に乗っていた私のバスケットを叩き落とした。地面に叩きつけられたバスケットの蓋が開いてしまい、サンドイッチが数個転がり出る。
「……なにするんだ。サンドイッチが地面に落ちたじゃないか」
とっさに、私は驚いてそんなことを言った。そこまではただ驚いていただけだった。
「こんな貧乏くさいもん学校に持ってきてんじゃねえよ。平民上がりの奴は卑しくて嫌になるな」
貧乏くさいも何も、貴族も貴族の天下のメイド長、マリアが作ったので多分高級食材ばかりである。よってそんなことを言われる筋合いは一切ないのだが……ロイズがこれには流石に頭にきたようで、ものすごい形相で椅子から立ち上がった。そう、私はロイズを手で制止した。なにも、ロイズが怒鳴り散らす必要はない。これは私の問題なのだから。
「私が今あなたの心無い罵声で傷ついて涙を流して悲しめば、私は被害者になれるんですか?それとも、身に覚えもない罪を口先だけで謝罪すれば満足するんですか?」
私はそう言って男子生徒の一人に詰め寄る。ジェニに詰め寄らないのがポイントだ、女であるジェニを攻撃すると私が不利になりかねない。
「このサンドイッチ、私のメイドが作ってくれたんですよ」
私は、ただサンドイッチを台無しにされたから怒っているだけだった。だって、マリアは私の友人に食べてほしくて作ってくれたのだから。それがなんだか、たまらなく嫌だった。
男子生徒は、私が喋っている間は黙っている。私の心からの苛立ちを感じ取ったからかもしれない。それとも、もしかするとジェニの目撃証言だけでは証拠が弱いから気が引けて来たのかもしれない。
「顔は今、全員覚えました。私って頭が良いので、記憶力も良いんです」
なにか酷いことを良いそうになったが、言葉を飲み込んだ。本当に、なぜだろう。私はサンドイッチを台無しにされたくらいで何故こんなに頭に来ているのだろう。
私の怒りは本当に、怒鳴られたとか、濡れ衣を着せられたとかではなく、ただ「サンドイッチを台無しにされた」ことに対してだけの怒りだった。
「とにかく、教室から出て行ってください。そして私が犯人だという証拠を持って出直してきてください。目撃証言だけじゃなくて。」
「だ、だから証拠はジェニが見て……」
「出ていけ、このタコ!」
でかい声で出て行けと言うと意外とあんなにも威勢のよかった男子生徒たちがおろおろと教室から出て行った。20人ほど居たジェニの囲いは、強気なのは5人ほどで、後は付いてきて「そうだそうだ」なんて後ろで言うだけの係だったので、そんなに熱心ではなかったのかもしれない。
それと、あとは顔を覚えただのと言ったのが効いたのかもしれない。所詮15歳の子供、公爵令嬢に身元が割れて親の立場が危うくなるのは恐ろしいのだろう。私も15歳の子供だが。
私は別にアラステア公に他の貴族を潰せだの言う気は少しもないのだが、公爵家の肩書きの強さには感動させられる。あんな大人数をはけさせられるなんて、公爵ってすごい!私は公爵という爵位の高さにこれほどラッキーと思ったことはなかった。
「アシュレイ、災難だったな。実は前にも、コーネリアス殿下に近づいた女を今のようにして抑圧して、いじめのように持って行き、学校を辞めさせまでしたことがあるんだ」
「うーん……ロイズ。サンドイッチがおじゃんになりました。とはいえ言葉遣いが悪かったでしょうか」
私が聞くと、ロイズはブンブンと首を横に振った。
「そんなことはない、怒って然るべきだ。もし責められることがあれば、俺が全力でフォローする。」
「うん……」
「サンドイッチだって、まだ何個かは残ってる。そう落ち込むな、大半の生徒は、ジェニに対してまたか、としか思っていないし」
ああ、なんだかロイズの優しさが身に染みる。今、私の中でロイズは突如として親友へとランクを上げた。なんて良いやつなんだろう、決闘の前のあのムカつく男と同一人物とは思えない。人って変わるものだなと思える。
でも今後また和解することがあったとしても、ジェニと私が友達になることはないだろうとなんとなく思う。同じことが昔の前のミアだったら、ミアはサンドイッチが落ちた時点で真っ青になって慌てふためくに違いない。そういう、なんというか根本的な問題だ。ジェニにはきっと、私と分かりあえるような良心の呵責のようなものがないのだと思った。
「でも、あんな可愛い女の子と、それをいじめているとされる乱暴で野蛮な平民上がりの、権力だけやたら持ってる公爵令嬢だったら……やはり、可愛い女の子が信用されそうですよね」
ふと私が現状の自分としての見通しを語ると、ロイズは身を乗り出して大きめの声で言った。
「な……なに言ってるんだ!お前のほうがずっとずっと、マシだ!普段から自分が美形だと自信満々のくせに、何を言ってるんだ!」
マシってなんだ!なんだかそれはそれで引っかかるものがあるぞ、ロイズ!お前のほうがかわいいよ、程度で良いだろうに。
「私は男装して五年バレないような顔ですよ。女の子としての可愛いのポテンシャルで、ああいう、か弱い子に敵いはしない……民衆はいつでも弱い者の味方だし、弱いものが強いものを悪とした時には、弱いものに味方してみんなで一つの悪を叩くことに躍起になるんです。本当に強いものが悪かどうかなんて、民衆には関係ないんですから」
ロイズは元々ジェニを嫌っているので、意見があまり参考にならない気がする。パッと彼女についてゾロゾロ歩いてくる男が20人も居るわけだし、彼女のことを好きな男は他にもきっとゴロゴロ居るだろう。女の人気はたしかに少し、低そうではあるが。そんなの大した問題ではないのだ。
「お前人間不信なのか?相談があるなら聞くからな?」
「人間不信でも、心が傷ついたわけでもないですよ」
全く、次々と失礼なことを言うんじゃない。
さっきは本で読んだような事をペラペラと話したが、つまりは私は今の所、彼女個人に勝てる気はしていない。となると、彼女の取り巻きから潰していくべきだろう。アラステア公に訴えればあるいは伯爵家であるジェニの家を没落させることも可能かもしれない。が、それで私は満足できないし、いや、どうすれば自分が満足するのかはよく分からないが、大人に頼りたくないというのはある。
しかし、忘れてはならないのは私は役者でもあるということ。人望で負けていては、人を惹きつけるべき存在として失格なのだ。さて、いかにすれば私は公爵令嬢として周囲からの信頼を勝ち取ることが出来るだろうか?
地面に落ちた部分のサンドイッチをしゃがんで拾って別の袋に入れながら、私はそんなことを思った。




