ありふれた朝
アシュレイは見舞いの人々が帰ると、昼過ぎから翌朝まで一度も目覚めずに死んだように眠り続けた。そして翌朝9時ごろ、アシュレイはようやく目を覚ます。
こんなにゆっくりと起きるのはいつぶりだろうか、とアシュレイは柱時計をぼんやりながめて思った。ベッドから這い出して、寝すぎて少し痛む頭を少しずつはっきりさせながらドアのほうに向いた。
「……」
なんとまだ、アルドヘルムはドアの前に椅子を置いて座っていた。あれからずっと座っていたのか、とアシュレイは驚く。アシュレイは眠っている様子のアルドヘルムに近づき、椅子の前にしゃがんでその顔を見上げた。いつもはかっこつけた笑顔を浮かべてはりきった顔のくせに、寝ているときはアホ面だ。
「……」
アシュレイは立ち上がり、眠っているアルドヘルムの顔に手を伸ばすと右手で前髪を後ろにぐい、と避けた。そして額にキスをする。すると、髪を触られた感触で起きたアルドヘルムがゆっくり目を開けた。
「……アシュレイ様、なんで……」
「……」
「なんでおでこですか?」
どうやら寝ぼけ気味のようで、アルドヘルムはろれつの回り切っていない口調でアシュレイにそう聞いた。
「……ずっとここに居たんですか?」
アシュレイは本当に、自分の今のなんとも言えないような気持ちを不思議に思っていた。ずっと自分の近くで待っていたから、健気さを感じてしまったのだろうか?だが衝動的にやってしまった行動こそ、自分の隠された本心なのかもしれないとも感じていた。自分は、アルドヘルムに好意を持っているのだと。
「ずっとここにいると言いましたから」
「……そうですか」
ふ、とアシュレイが笑う。アルドヘルムはそれを見て不思議そうな顔をして、ようやく椅子から立ち上がった。アシュレイの額に手を当てて、熱をはかる。それで、少しホッとした顔をした。
「昨日より大分、下がりましたね。よかった」
「みんな看病してくれましたから、それにあなたも」
アシュレイが静かに笑うと、アルドヘルムが自慢げに笑った。
「私はあなたのですから」
「あなた、私のだったんですか?」
「ええ、そうです。心まであなたのものです」
「……あなたって、恥ずかしいことペラペラ喋りますね」
「恥ずかしくないですよ!」
口説き文句の一環で言ったつもりだったので、アルドヘルムが何か軽口を言っているかのような誤解されていると慌てる。アシュレイはアルドヘルムと向かいあって立ったまま、少し何か考える。そして、思い出したように言った。
「熱も下がったし、学校に行ったほうがいいでしょうか?」
「なに言ってるんですか、昨日の今日で学校なんて。あと二日は休まないと。」
「まあ、人にうつすといけませんしね……」
「そうですとも。食べられそうなら食事をとって、薬を飲みましょう。眠たくなければ私がトランプの相手でもしますよ」
アルドヘルムがそう言って食事を運んで来ようとするのを、アシュレイが止める。
「アルドヘルム、あなたは休んでください。ずっと椅子に座っていて疲れたでしょう?他の人に頼みますから、あなたは自室で寝てきたらいいんじゃないでしょうか」
「えっ?」
アシュレイの言葉にアルドヘルムが驚いた顔をして、それから悲しそうな顔をした。アシュレイがなんだ?というように不思議そうな顔をする。そして、しょんぼりとした様子でアルドヘルムはアシュレイの肩に手を置いた。アシュレイがアルドヘルムを見返すと、蚊の鳴くような声でアルドヘルムが言った。
「そばに、居させてください。ずっと」
「なんで?!いいですけど……」
アシュレイが風邪をひいてからのアルドヘルムは、なんだか妙に必死に見える。最近男がぞろぞろアシュレイの近くに居るので、危機感を感じているのかもしれなかった。だが、アシュレイはそんなことは関係ないので単にアルドヘルムが女々しくなってしまったように見える。嫌なわけではないのだが。
「では、あなたと一緒に食事をしましょう。一人でご飯を食べるのは寂しいので、お願いします」
「ではお言葉に甘えて。すぐ持ってくるので、座って待っていてくださいね」
「ありがとう、アルドヘルム」
ひらひらと軽く手を振ってアルドヘルムを見送り、アシュレイは言われた通り長机の前の椅子に座った。窓の外からはチュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえる。早朝でもないので、多分この鳴き声は窓の外の鳥の巣の中の、雛の声だろうか。窓の外に目を凝らすと、騎士団の宿舎に囲まれた訓練場の塔が遠くに見える。アルドヘルムやダレンはあそこらへんで空き時間に訓練して、休日も夕方になると訓練場に行って夜は泊まるのだ。
以前話を聞いたところによると、二人が属する騎士団は国の正規の軍と違って比較的小規模で、町を見回る警察のような仕事もするらしい。公爵家や侯爵家、伯爵家などの子息は基本的に王都の真ん中にある正規の国軍に管理職として入るのだが、アルドヘルムたちは最終的に家を継ぐので管理職でなく一般団員として、武術を磨くためだけに騎士団に入ったのだと聞いた。下手に管理職についてしまうと軍を抜けるときに手続きが面倒なのだとか。
そして、興味本位でアシュレイが「どのくらいの立場なんですか?偉いんですか?」と聞いたところ、騎士団は基本的に団長以外はただの「団員」で、地位に差はないのだという。ただ、国軍と違って騎士団は平民でも入団できるので、団員内でも貴族と平民の上下関係は存在するのだと言っていた。まあ騎士団の本拠地も町よりは王都寄りにあるので、身分差別は仕方ないのかもしれない。
しかし、アルドヘルムたちは平民を差別するイメージがないので、騎士団に居るときはどうしているんだろうかとアシュレイは気になった。アルドヘルムもダレンも、平民であるマイリと普通に話していたしマイリに怒った様子もなかった。もしかして、マイリはアシュレイの友人だから許していただけで、普段は平民の団員に嫌な態度を取ったりしているのだろうか。そんな人間には見えないので多分違うだろうな、とアシュレイはすぐに思いなおしたが。
まあ、別に自分には関係ないかとアシュレイはそこで考えるのをやめた。それに騎士団へ自分から入団を希望する平民なら、差別されるかもしれないということくらい覚悟の上だろう。
「失礼します、アシュレイ様。食事をお持ちしました」
「ありが……す、すごい量ですね。重かったでしょう」
「私の分と、あとはアシュレイ様にお見舞いで届いた果物ですね。色々ありますよ、冬だって言うのにどうやって用意したのか……」
「食べましょうか、とりあえず。昨日は薬草くらいしか食べなかったからお腹すきました」
「ええ。」
アルドヘルムが嬉しそうに食事を机に並べる。アシュレイはその様子を、楽しそうで良かったねと思いながら眺める。並べ終わると二人で向かい合うように座り、パンやらスープやら、果物やらを食べた。食事中はたまに目が合っても、黙って食べた。外が晴れているので風の音もなく、部屋は静かで鳥の声がたまに聞こえるくらいしか、雑音はない。
そうして二人で静かな、少し遅い朝食を済ませるとアルドヘルムが再び立ち上がって、食後の紅茶を入れる。アシュレイは紅茶のいい香りをかぎながら、ずっと喋らないのもなんだか変なかんじなので、アルドヘルムに話しかけた。先ほどぼんやり考えていた話題だ。
「あなたは騎士団では、どのように過ごしているんですか?」
「……」
「なんですか、その顔」
アシュレイが質問すると、アルドヘルムが紅茶を注いでいた手をぴたりと止め、驚いたような顔をしてアシュレイの顔を見た。アシュレイが居心地悪くて少しうつむくと、アルドヘルムは再び紅茶を注ぎながら少し嬉しそうに言った。
「アシュレイ様は、案外私のことに興味を持ってくださってるのかなと思いまして」
う、とアシュレイが少しきまり悪そうな顔をする。そういう驚きかと。別に、アルドヘルムを嫌っているわけでも興味がないわけでもないのだが、愛してるなんて言われている手前、下手に気のあるそぶりをするのも……と思っているのである。かといって、自分がアルドヘルムを嫌っていると思われるのは完全に誤解なのでどうしたものか……とアシュレイは思う。が、ここは以前から気にしていたことを言って話を濁そうと思った。
「……前から苦手なんですが……あなたのその、アシュレイ様って呼び方。歓迎パーティのエスコートの日にアシュレイと呼べと言ったのは、今後もそうしろと思ってのことでもあったんですが」
「しかし、ダレンも……」
「ダレンはお嬢様、って呼ぶでしょう?それはなんか冗談っぽくて苦手じゃないんですけど。それに……なんだか、あなたにはそう呼ばれた方がいいんです」
「……では、あなたが良いというならアシュレイと呼ばせてもらいましょうか。」
アルドヘルムが案外あっさりと了承したので、アシュレイはなんだか拍子抜け、と言うような顔になった。
「いいんですか?」
「いいですよ。確かに、あなたは15歳で私は20歳ですから……町で平民の生活を送っていたあなたにすると、年上に様とつけられるのは変な感じがするかもしれませんしね」
「ありがとうございます」
「顔色が少し良くなってきましたね、紅茶は飲めそうですか?」
「はい。いい匂いですね」
アシュレイが、目の前に置かれたティーカップを持ち上げる。あの日、アルドヘルムが下町まで迎えにこなかったらこんな、こんな朝を迎えることはなかっただろうなとアシュレイはなんだか、不思議な気持ちになる。だが、目の前の嬉しそうな顔の美形を見ていると、まあいいかと思える。
明日は学校の勉強をちゃんとしよう、今日はずっと寝てしまおうかな、とアシュレイは思った。




