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お嬢様は神様です!  作者: 明日葉充
学校編1
26/135

彼女は寒いと言う

マイリ視点

あの日、彼女に出会った日。僕と彼女は、お互い10歳になったばかりだった。


街の中央に位置する大きい家が燃えて、周りの家にもどんどん燃え移って行った。あたりには騒ぎを聞きつけてやってきたやじ馬や、家から命からがら逃げてきた人々、火の海におびえて泣き崩れる人もいた。僕はその中の、やじ馬の一人だった。僕の家は少し離れていたから、安全だったし。ただ「珍しかったから」行っただけだった。


そんなのを興味本位で観に行くなんて、とか思うだろうけど子どもだったから仕方ないじゃん。あとでお母さんにも怒られたよ。


その時、彼女は焼けている屋敷を突っ立ってぼうっと見ていた。


はじめて見た時のアシュレイは、目も髪も真っ黒で、なんて綺麗なんだろうと息を呑んでしまうような横顔をしていた。


彼女の黒い眼の中には、目の前の建物の炎が映って、ごうごうと燃えているようで。彼女を見つけた数秒の間、僕は火事のことすら忘れてしまうような衝撃を受けた。あまりに世界から浮いていて、この世に生きる人間とは思えなかった。


「離して!家の中に、娘が残っているのよ!お願い、お願い!!」


そして、そんな燃えている家の一つの持ち主であろう女性の悲痛な叫び声で僕は我に返った。軽い気持ちで見に来てしまったけど、ここらの家は火の海で、当然この女性のような被害者もたくさんいるんだろうと理解して怖くなった。横並びの家屋かおくが、見るに7件は続いて燃えていたし。


そして、僕が呆然としている中、彼女は……アシュレイ=アーノルドは、泣き崩れている女性の横にしゃがんで、背中をさすって優しく話しかけていた。それから、何かを質問して。


それからすっと立ち上がって女性から離れると、近くを歩いていた男の人の運んでいた水の入ったバケツをバッと取り上げて、突然頭からかぶった。


僕は当然彼女の奇行に驚いたし、バケツを運んでいた人は火を消そうとしていたのだから、何をするんだと当然カンカンだった。


でも、当然彼女はただバケツの水を無駄にしたわけではなかった。彼女は黙ったまま、今まさに燃え盛っている、その女の人の家に飛び込んでいったんだ。当然止めようとする大人は大勢いたけれど、彼女は一切の迷いなく家の中にまっすぐ走って行ったので、誰も捕まえられなかった。僕も、当然のようにただ見ていただけだった。


それは誰にでも分かるくらい、あまりに無謀だったし、自殺行為だった。その時の僕は彼女の行動に、彼女が異常者なのではないかとすら思った。家族とかならまだしも、様子を見るに彼女はこの女性とも、家の中に残された子供とも面識はないようなのに。


数十秒後、呆然としていた僕たちの視界に、再び彼女は現れた。崩れかけの窓を乱暴に足で蹴り開けて、同じくらいの歳の子どもとは思えないような、無感情な顔をして。自分より小さいにはしても、5歳くらいの大きな子供を抱きかかえたまま、彼女は迷いなく二階の窓から飛び降りた。


「ひっ……」


僕はその時に正直、彼女は人間じゃないんじゃないかと思った。火に入っていく前に水をかぶってはいたにしろ、彼女の長くてきれいだった黒髪はところどころ火で焼けて、短いところと長いところでめちゃくちゃになっていて、顔もがれきか何かが落ちてきたせいか怪我をしていてやけどもしていた。それなのに表情にはちっとも変化がない。


熱いとか、痛いとか、怖いとか、そんな感情が全くない顔をしていたんだ。


「ありがとうございます!!なんてお礼を言ったらいいか……あなたも早く手当てを……え?!だ、誰か!!この子、気を失ってます!!」


そう、でも、彼女は本当にめちゃくちゃな女の子だったのだ。


決して運動神経に自信があるから助けに行ったわけではなかったと思う。その証拠に、彼女は着地の衝撃で右足を骨折していた。しかも立ったまま気絶もしたし。


彼女の居る病院に僕が行こうと思うのに、そう時間はかからなかった。その時は単純に彼女をかっこいいと思ったりもしたし、顔がとても綺麗だったから自分の働き始めた劇団に彼女が入ったらきっとスターになるだろうと思って、誘いたいな、という軽い気持ちだった。


「あ、あの!大丈夫?やけど、酷くはなかった?」


窓際のベッドに座って本を読んでいた彼女は、髪が焼けたからか、短く切りそろえていて男の子みたいだった。それも、とびきり綺麗な男の子だ。顔も火傷しているのにどうしてこんなに綺麗なんだろうかと不思議なくらいだった。


僕が声をかけると、彼女は本から顔を上げて不愛想に口を開いた。真っ黒な二つの目が僕をじっと見つめていた。


「誰だっけ?」


まあ、名乗らなかった僕にもはあった、当然の反応ではあるのだが。僕はその日、怖そうな人だなって彼女に対して思った。そんな感じで僕がショックを受けて黙っていると、彼女はまた本を読み始めてしまった。


「ぼ、僕、マイリって言うんだ。そこの大きな劇団で、下働きしてるんです。この前、君が火の中に入っていくのを見て、どうなったか心配で……」


「マイリ。見かけたから心配でわざわざ見舞いに?ありがとう」


笑顔ではなかったけれど、その言葉に嫌味は含まれていないように感じられた。だから僕は返事を返してくれて素直に嬉しかったし、彼女に少し近づけた気がした。


「でも、見ず知らずの子を助けるために火に飛び込むなんて、すごいよ。君ってすごく良い人なんだね」


「……私が良い人?違いますよ、別にあの子が心配だから助けたんじゃないです」


僕は、耳を疑った。子供が心配で助けたんじゃないとしたら、一体なぜ?なぜ彼女は、躊躇いなく炎の海に飛び込んで行ったのだろう?


「じゃ、じゃあどうして君は子供を助けに行ったの?」


僕は思ったままに質問する。彼女もすぐに答えた。


「寒かったから」


……そう、彼女はそんな回答を僕に投げつけてきた。寒かったから?寒い、どういう意味だろうか?比喩表現?と僕にはちっとも理解できなかった。その時は夏だったし、火事の日も寒くなんかなかった。しかし、彼女は別に照れ隠しでこんなことを言っているような表情でもなかったし。彼女はそんな話をしながらも、読んでいたぶ厚い本をめくって読み続けた。


「なんの本を読んでるの?」


「童話。善人が馬鹿をみて死ぬ話」


彼女は僕と会話を続けたそうにはなかったけど、なぜかその日の僕はやたらと積極的に彼女に話しかけていた。今となっては、彼女という非日常的な人間と関わりたくて仕方なかったのかもしれないけど。


「僕の劇団でも、童話を演じることがあるよ!本当は、君がうちの劇団に入ってくれたらいいなあって思って、誘いに来たんだ、今日は。……でも、君はそういうことはしなさそうだね」


「しなさそう?どうしてそう思うの?」


「だって、なんだか機嫌が悪そうだし、嫌いなのかなって……」


「別に機嫌は悪くない。気を悪くしたなら謝るけど」


……とか言いながら、本から顔を上げなかったし。出会った頃は本当に冷たかったなあ。今は僕のこと、なんだか甘やかしがちだけど。


「お、怒ってないならいいんだ。団長にはまだ言ってないけど、君って、きっと……その、王子様の役とか、すごく似合うと思うんだ。10歳の僕にも出番があるから、君もきっと……君は、何歳なの?」


「私も10歳。王子様って、マイリには私が男に見えるの?」


「う、ううん。はじめて見た時はなんて綺麗な女の子だろうって思ったけど、君が火に飛び込んでいくのを見た時と、今、髪が短い君を見て、王子様みたいだって思ったんだ」


「綺麗だと言われて悪い気はしないけど、そうだな……」


彼女はその時ようやく本を閉じて、僕ににっこりと笑顔を向けた。かなりびっくりしたのをよく覚えている。

そして嘘みたいに優しい笑顔で、彼女はこう言った。


「マイリがお姫様になってくれるなら、王子様になってあげてもいいよ」


彼女のこの言葉が、僕が女の格好をするようになるきっかけとなった。


僕は勢いよく頷いて彼女の提案を受け入れ、怪我の治ったばかりの彼女を引きずって劇団に連れて行った。突如女装しだした僕を劇団員たちははじめはからかっていたけど、アシュレイはちっともからかわなかった。アシュレイは、いつも何をする時も大真面目だから。


「似合ってるね、マイリ。かわいいよ」


彼女は約束を破らない人間だから、僕が劇団で女役をやるようになってからは正式に劇団に入ってくれた。さすがに入ったばかりで彼女が王子様役なんてやることはなかったけど、下働きも彼女は文句ひとつ言わずに真面目にやっていた。演技だって、役が決まるとすぐに彼女は毎日、長時間真面目に練習していた。


彼女の、変人だけど真面目な人柄はすぐに劇団員たちからも気に入られて、僕と彼女もすぐに親しい友達になった。僕は女の子らしく、彼女はどんどん、『王子様らしく』なっていった。


彼女の初舞台となった『水の仮面』というオリジナルの劇での演技が、好評を博したのは、今も記憶に濃く残っている。はじめての舞台で主役なんて、と反対する劇団員も居たがアシュレイは構わない、できると言ったし完璧にやり遂げて見せた。


僕は彼女の努力を見ていたにしても、初めてのぼる舞台の上で緊張もせずに堂々と演じる彼女を見て、特出した才能というものは確かに存在するのだと思い知らされた。


はじめての彼女が演じた主役は、勇ましく正義感の強い『セドリック』という若者の役だった。図らずも、僕が彼女に似合うと言った『男役』で彼女は舞台に立つこととなったのだ。


あの公演で彼女の芸名『アッシュフォード』が一気に有名になっていった。そして、その頃はまだ、彼女はセドリックと役名で呼ばれたりもしていた。


すれ違った街の女の子たちが、「セドリック、すごく格好良かったな。私もあんな男の子に出会いたいなぁ」「アッシュフォード、本当に顔が綺麗だよね。演技も迫力がすごくてつい前のめりになって見ちゃうし、息をするのも忘れちゃうみたい」なんて話をしているのを聞いたときには、自分の事みたいに自慢に思った。だって、これはすごく変な話だけど、「アッシュのお姫様は僕なんだからね」って、思ったからだ。


「マイリ。一緒に暮らしてるお婆さんに何か買ってあげたいんだけど、何が良いかな」


「アシュレイは、自分の服とか買ったほうがいいんじゃない?その服ももうボロボロじゃない」


「見た目が貧しそうなほうが同情を引けて良いでしょ。貧しいかわいそうな儚い美少年、人気要素だよ」


アシュレイは、冗談だって言うようになった。初対面の時と全然違うけど、それはきっと色んな人と関わって、アシュレイが変わっていったからだろうと思う。


「冬用に毛布とか、好きな食べ物とか?うーん、あとはくしとか、お花とかもいいかも!」


「なるほど。それはいいかもしれないね」


彼女はたまに、自分の話をしてくれた。そのなかで、彼女の両親は亡くなっていて、彼女は昔住んでいた家で働いていた元女中の老婦と一緒に暮らしているのだと聞いた。彼女はそのおばあさんのことが好きなようで、いつも気にかけていた。


おばあさんはいつもアシュレイにきつい態度だったけれど、何度か僕がおばあさんと二人きりで会った時は「女友達がいたなんて、良かった、アシュレイをこれからもよろしくね」とおばあさんに言われたことが何度もあった。おばあさんもアシュレイのこと、大好きで大切だってことが僕はすごく嬉しかったな。


僕が、おばあさんはあんな態度だけど、君のことが好きなんだよってアシュレイに言ったときに「わかってるよ」と笑顔で答えられたこともあった。


彼女は、人が隠している心をすっと魔法みたいに自然に読み取ってしまうから、誰もが彼女といるといつも、居心地が良かった。


彼女といると、すべて許されたような錯覚に陥るんだ。だからみんな、彼女に寄りかかってしまうのかもしれない。


彼女が公爵令嬢になって、会う機会が減ってから彼女は手紙をたまに寄越すようになった。僕が手紙を出す量の半分くらいしか返ってこないけれど、彼女からの手紙が届くたび、僕はその手紙を大切に大切に箱にしまい込む。


僕はアシュレイがいるからこそ、ずっとずっと「かわいい女の子」でいられるんだ。


でも、僕は彼女が王子様だからこそ心配だ。


僕の知らない間に、また火の中に、命を顧みず飛び込んでいってしまうんじゃないかって。


彼女はまだ『寒い』のかもしれない。出会ったばかりの頃に比べて彼女はたくさん笑うようになったけれど、それも本当の笑顔なのかどうか、実際のところ、僕にはわからない。彼女は普通よりも不思議な人だから。


何を考えてるのかよく分からないことも多いけれど、放っておいたらダメなんだと感じる。何でもできる彼女は放っておいても大丈夫だって、誰もが思ってしまうから、実際彼女は、大抵1人で何でもできてしまうから。


だからこそ彼女には見ていてくれる誰かが必要なのに決まってるんだ。大人びていても、かっこよくても、強くても、正しくても、僕とおんなじ、15歳の子どもなんだから。





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