若き公爵、勢い任せ
外はまだ、しんしんと雪が降っている。
濡れた服を着替えてタオルでガシガシと頭を拭きながら、アシュレイはようやく目の前で少し怒ったような顔をしているアルドヘルムに視線を向けた。
「……」
「……なんですか、死ななかったんだし良いでしょう。助けないとお嬢様が死んでましたよ」
面倒そうにアシュレイがそう言うが、アルドヘルムの不満げな表情に変化はない。
「私にとってはあなたが一番大切なお嬢様です。あなた以外の令嬢はどうでもいいのです。止めたのに勝手に川に落ちたんですから、本人の責任です」
そう言ったアルドヘルムは、見たこともないくらいに恐ろしく冷たい表情だった。確かにアシュレイが死んでいたらアルドヘルムのせいになりかねないかもしれない。そう考えればアルドヘルムの言葉は仕方ない事実なのかもしれない。でも自分以外の令嬢はどうでもいいなどと言われると、アシュレイはどうしたらいいのかわからない気持ちになる。
アルドヘルムはそんな事を言うような、いわゆる冷たい人間ではないと思っていたから。
「……なんてことを言うんです、あなたらしくもない。そんなことは思っても言うものじゃないですよ」
そう言いながら、アシュレイがアルドヘルムにタオルを渡す。歩けるから下ろせと言ったのに部屋までしっかりアシュレイを抱きかかえてきたので、アルドヘルムの服も水でびちゃびちゃなのである。
侯爵令嬢は別室で、家から急いで送られてきたメイドに世話をされている。アシュレイも着替えはエインズワース家のメイドに手伝ってもらった。朝に噂で話していた若いメイドのシェリーである。
そんなところでノックの音が聞こえて、アシュレイとアルドヘルムは顔を見合わせた。この部屋を遠慮なく尋ねてくる人間は結構限られている。
「すまない。ランドルフだが、入っても?」
「……どうぞ」
そういえば居たなあ、とアシュレイは思う。内心何を言い出すのだろうかと面倒ではあったが、早々に決着をつけて今後の関わりを薄くしておきたいという考えもある。
こんな状況でも気にせず口説いて来たらそれはもはや、感心にすら値するかもしれないが。入ってきたランドルフが喋り出す前に、アシュレイは食い気味に言葉をかけた。
「こんなことになってしまい失礼しました。スペンサー卿、あなたも雪の降るなか外に出たのですから風邪をひかないように気を付けてくださいね」
アシュレイがあたりさわりのないことを言うと、ランドルフは少しもじもじした様子で言葉に詰まったように黙り、それから意を決したように喋りはじめた。真面目な顔をしているのでアシュレイもその言葉に耳を傾ける。アルドヘルムはまた死んだ目をしていた。
「……突然こんなことを言うと君は困るかもしれないが、軽々しい言葉でなくきちんと誠実な言葉で君には話をしたい。
今日、君のことを好きになってしまった。どうか、私と結婚を前提に付き合ってもらえないだろうか?」
真面目な顔でそう言い放ったランドルフに、アシュレイとアルドヘルムは一度意味が分からずに固まる。それからすぐ我に返ったアシュレイは、ランドルフに向き合って冷静に口を開いた。
「……何を言ってるんですか?わけのわからないことを言わないでくださいよ。求婚てのはそうホイホイするものじゃないでしょう?あんまり下手にそういうこと言わないほうが良いですよ。いつか刺されますよ」
かなり強張っているが笑顔で、なんとか冗談として片付けようとアシュレイが言う。しかし、それでもランドルフの真面目な表情は全く崩れない。
「私は本気だよアシュレイ。君のような優しい人を私は他に知らない。求婚だって他にはしたことなんかないさ。
今日初めて会ったのにこんなことを言うと軽率な人間と思われるかもしれないが……君が私の婚約者になってくれるなら、私は二度と他の令嬢に浮ついた態度はとるまい」
アシュレイは実際に現在進行形でランドルフのことを軽率な男と認定しているが、こうも真面目そうに訴えかけられると簡単にはねのけるのも無理そうだ。求婚というものは貴族にとってそこまで軽々しくできることでもないのだし。
本気か?と思うとアシュレイはより一層困惑して、かなりドン引きといった様子でランドルフを見た。軽率な人間というより、アシュレイから見ると頭のおかしい人間に見える。
「アルドヘルム、貴族の間では会ってすぐに求婚するのは普通のことなんですか?」
「いや、全然普通じゃありませんよ……」
アシュレイがコソコソたずね、アルドヘルムもヒソヒソ答える。その間もランドルフは大まじめな顔でドアの前に立っている。
「あの、スペンサー卿……。あなた、きっと……そう、あなたは疲れているんですよ。でも、私も真面目にお答えします。ごめんなさい、丁重にお断りします」
「……君はきっと断るだろうとはわかっていた。でも、君がこれから出会う結婚相手の候補たちの中で最後に選んでもらえるように、私はこれから何度でも君に会いに来るよ」
「え?そ、それは困ります。あなたは先程私を優しいと言いましたが私は優しいわけではありませんし、気が変わることもないので時間の無駄ですよ」
アシュレイは再び感じ悪い態度を取って引かせようと思い、ペラペラと早口でまくし立ててみた。が、ランドルフはそれでも全く表情が変わらなかった。
「優しくないとは言うが、とっさに人を助けようと命を懸けられる君に私は尊敬の念を覚えた。そんな尊敬できる素晴らしい女性と結婚出来たら私は幸せだ、と思うだけだ。君は優しいよ」
「尊敬?あなたの、私が今日彼女を助けたことに対する認識は私とズレているように感じますね。とっさに飛び込んだとはいいましたが、家に招かれている令嬢が死にでもしたら、家として面倒ごとになると思って助けただけですよ。溺れていたのがあなたなら、男だから自己責任だということで助けなかったかもしれませんわね。」
言いすぎたか、とアシュレイは少し目をそらす。アルドヘルムはつとめて冷静な様子でアシュレイの後ろに待機していた。ランドルフはアシュレイの否定的な言葉にもあまり動じずに頷いた。
「……そうか、君がそう言ったとしてもそうは思えないし、私の気持ちは変わらないよ。風邪をひかないように温かくしてくれ」
「どうも」
なぜだか「私は分かっているからね」と言いたげな笑顔で部屋から出て行ったランドルフを、アシュレイは嫌そうな顔で見送る。
感じ悪いことを言ったのに怒らなかったなあ、また何か言ってきそうだな、面倒だなとアシュレイは思う。女好きと聞いているし、実際に侯爵令嬢のことを口説いていたから実はアシュレイにもそのノリで話しかけたのかもしれないが、そもそもナンパな男とは相いれないし、慣れない。疲れるな、とアシュレイは暖炉の火に手をかざしながら思った。
「さっきのは嘘でしょうアシュレイ様」
また二人きりになった部屋で、アルドヘルムがアシュレイに言う。
「なにがです、アルドヘルム」
アシュレイが振り返らずに返事した。
「あなたは溺れているのがスペンサー卿でも助けましたよ。溺れてるのが私でも、ダレンでも、マリアでも、ロイズ様でもアラステア様でも助けたに違いありません」
「……なんでそう思うんですかね、あなたは。確信があるって顔ですね」
「あなたは違うならすぐに否定しますよね」
「……」
「あなたは素直じゃありませんが、私はちゃんとわかってるんですからね」
「はいはい、さようですか……」
面倒そうには答えているが、アシュレイは必死になって否定しようともしない。こういう時は答えを濁しているだけで、本音をついているのだとアルドヘルムは知っていた。アシュレイは確かに、誰が溺れていたって助けたのだろう。だからこそアシュレイの近くで守らなければともアルドヘルムは思っている。目の前のこの、濡れた野良犬のような少女は放っておくと勝手に死にかねないと。
「すみません、少しよろしいかしら」
ランドルフが出て行ってやれやれと思っていた直後、再びドアがノックされた。声からして間違いない、今度は侯爵令嬢である。助けてやったのだから流石に文句を言いに来たわけではないと思うが、なにぶん行動がいささかめちゃくちゃな令嬢ではあったので、アシュレイは警戒しながらドアを開けた。
「ウィッグが乾くまでお見苦しいですがご勘弁ください、侯爵令嬢様」
公爵令嬢のアシュレイが侯爵令嬢に対して侯爵令嬢様、なんて言うのも変な話なのだが、まだそこらへんはアシュレイが公爵令嬢になり切れていない感覚のせいというか。アシュレイの態度に、今度は侯爵令嬢が困ったような顔をして慌てて頭を下げた。
「そ、その……侯爵令嬢様って呼ぶのはやめてください。私はマクレガー=エミリア。エミリアと呼んでください。先ほどは、私の勝手な行動であんなご迷惑をおかけして、すみませんでした」
急にしおらしい態度になったのでアシュレイはぎょっとしたが、まあ高飛車な態度でずっといられるよりはマシだ。もしかすると気の強いのとは別にして、ランドルフに口説かれてかなり苛立っていたのかもしれない。気にせずアシュレイは対応することにした。
「では私のことはアシュレイと。風邪をひかないと良いんですが、暖炉にもっと近づいてください」
早くしろと言うようにアシュレイが手招きすると、侯爵令嬢改めエミリアはおずおずとアシュレイのほうに歩み寄り、誘導されるままに暖炉の前に立った。二人で並んで暖炉にあたってホッと一息つくと、エミリアは小さい声でアシュレイに質問を投げかけてきた。
「……あの、なんで……なんで私を助けに、川に飛び込みまでしたの?」
「なんでって……」
アシュレイが、エミリアの顔を不思議そうに見つめて数秒考えてから言った。
「寒かったからです」
「そ……ど、どういう意味ですかそれは?!」
「まあ、いいじゃないですか。なんでとか、どうでも。もう終わったことです」
「今さっきのことですわよ?!」
「そんなことより楽しい話をしましょうよ、あなたダレンが好きなんですっけ?私他人の色恋話が好きなので、そんな話がしたいんですけれど」
「え?!ダ、ダレンの話?!私そんな……」
ダレンの名前を出した途端にカーッと顔を赤くしたエミリアの顔を見て、アシュレイがおお、と感心した顔をする。自分の恋に関心も縁もない分、物語での色恋沙汰や他人の色恋沙汰へは関心が強い、アシュレイの悪いところである。結局その日のエミリアは恥ずかしがってろくに話もしないままで帰宅していき、ランドルフも軽く挨拶して帰って行った。
また来ると言っていたが、アシュレイは愛想笑いだけで特に返答はしなかった。半端に期待させるのもアレなので、塩対応というやつである。
寒さで麻痺していたが、まだ残っている痣や切り傷がだんだんとヒリヒリしてくる。本当についてないなあ、今日は、とアシュレイは思った。
夜になると、話を聞いたらしいマリアが部屋に様子を見に来た。アルドヘルムも部屋に戻った後、外はもう歩けないくらいに暗い。窓に近く降る雪だけが、ちらちらと視界に見えた。アシュレイは部屋に入ってきたマリアに、階段も暗かっただろうに大丈夫かと心配して近寄った。
「アシュレイ様、また無茶をなさったんですね……」
「すみませんマリア、心配おかけして。でも私、泳ぐのはそこそこ得意ですのよ?平気です。」
「ホットミルクです、飲んでください。全く、風邪を引いたらどうするんですか。私は歳なんですから、寿命を縮めないでくださいましね……」
「ありがとうございます。はは、ごめんなさい。今後は気をつけますね」
蝋燭の灯りを消して、マリアが部屋から出て行く。なんだか、こうして自分を心配してホットミルクなんて持ってくるマリアを見ていると、母親とはこういう感じなのかな、とアシュレイは思う。そう思わせられるような優しい雰囲気が、マリアにはあった。
ベッドに上体だけ起こして座り、ホットミルクの入ったコップを両手で持って、冷たくなった手の温度がじわじわと温まるのを感じる。目の奥が何か熱くて、自分の気持ちがわからない。
変な感じだ。でも、なぜだか心地いい。
アシュレイは窓の外を見ながら、明日は雪が止むだろうか、というようなことを考えた。




