お嬢様と女の敵③
大急ぎで衣装部屋に戻り、アルドヘルムに借りた服はハンガーに掛けて丁寧に埃を払う。
「さて、着替えましたが。ロイズ、私かわいい?」
またすぐに着替えなおしてウィッグを被ったアシュレイは、ロイズの前でくるっと一回転して見せた。ロイズは少し慌てたような顔をしてから、普通の表情に戻って返事する。
「かわいいよ」
「真顔で言われても説得力がありませんが」
「じゃあ笑顔で言えば納得するのか?」
「照れ顔でお願いします」
「それはちょっと。アシュレイがもっと女の子らしく言ってくれたらつい照れるかもしれないが」
「うーん。友達に営業スマイルというのは気が引けますからね」
なんて冗談を言いながら、再び一階に向かって階段を降りていく。さっきからロイズの執事が一言も喋らないのでアシュレイは気になったが、本来執事はこういうものなのかもしれない。そう考えると、アシュレイは執事たちにベラベラと話しかけすぎている気もする。迎えに来て初めて会った人間がアルドヘルムだった、ということも理由にはあるが。
「マクレガー侯爵令嬢はどんな人なんです?そういえばあの部屋にはお父さん方しかいませんでしたが、マクレガー侯爵本人はどこに?」
「先ほどアラステア公も言っていた通り、マクレガー侯爵令嬢は私たちと同じ15歳の女の子だ。ただ、かなり変わった人でな……ああ、お前の執事に居ただろう、あのダレンという男」
「ああ。マクレガー侯爵令嬢はダレンと知り合いなんですか?」
「以前から彼女がダレンにお熱だということは有名でな。今日もそれ目当てで来たらしく、マクレガー侯爵自体は見送りに来ただけで早々に帰ったんだ」
それを聞いて、アシュレイはパァ~っと嬉しそうな笑顔になる。他人の色恋話ほど面白いものはない、何しろ自分には関係ないというのがいいところだ。
「へ~~!!!ダレンはどう思ってるんですか?アルドヘルムも何か知ってます?」
聞かれて、黙ってついてきていたアルドヘルムがアシュレイに返答する。
「あいつは大人しい人がタイプだと言っていたので、押しの強い彼女は合わないのでしょう。多分今は騎士団舎に避難していると思いますよ」
令嬢の求愛への対応が逃亡というのもどうかと思うのだが、日ごろからダレンは面倒ごとを避けたがるところがあるのでそんなもんか、とも思う。本当に嫌なら断ればいいのに。
「しかし他に好きな人が居ると有名なご令嬢のことすら口説くとは、スペンサー公爵はよほどの女好きですね。私が困っていたらそれとなくロイズがフォローを入れてくれると信じていますよ」
「うーん……考えてはおくが」
アラステアに教えられた部屋の前に辿り着いたアシュレイは、そういえばスペンサー公爵はアルドヘルムの妹に手を出していると言っていたな、と思い出してアルドヘルムのほうに振り向く。顔は意外にも笑顔だが、目に光がない。感情を押し殺している笑顔なんだろうな、大人だ!公私混同しなくて偉いぞとアシュレイは心の中でアルドヘルムに敬礼した。
そして、アシュレイはコンコンとドアをノックし、声をかける。
「もしもし、マクレガー侯爵令嬢様にご挨拶しに来たアシュレイ=エインズワースと申します。ドアを開けても?」
アシュレイがそう言い終わったか終わらないかというところで、すごい勢いでドアが開いた。
「君が噂に名高いアシュレイ嬢か!いや、噂なんかよりずっと美しく、心優しそうな令嬢だね!」
出てきた男は一目で、ああ、こいつがスペンサー卿か、とわかるようないでたちをしていた。アルドヘルムより色の薄いふわふわと柔らかそうな金髪に、美しいエメラルドグリーンの瞳、美しく整った顔の造形。
加えて、そこそこの高身長である。だがパッと見はアルドヘルムと違って草食動物っぽい?スペンサー卿の容姿を見て、確かにこういう相手にずっと口説かれれば、大体の令嬢は悪い気はしないかもしれないとアシュレイは思った。
だがまあアシュレイは自分の外見は多少気にしても、他人を選ぶ際に外見は気にしていないので興味はない。
「まあ、美しいとはよく言われますが心優しいなどと言われたのは生まれて初めてですわ、どうも!私、侯爵令嬢様に声をかけたのですけれど、あなたがマクレガー侯爵令嬢様ですの?」
どう見ても相手は男なのに笑顔でそんな嫌味を言い放ったアシュレイに、おおっ臨戦態勢だとロイズは再びはらはらする。
アルドヘルムは緊迫した表情だ。なんといっても相手は一応、公爵なのである。あまり喧嘩を売ると、公爵同士の争いになりかねない。しかし、そんなことはアシュレイも理解していた。
「いやいや、アシュレイ嬢はユーモアに溢れているんだね?そんなところも素敵だよ、私はそういう女の子も大好きさ」
「私も私のこと大好きですわ、ありがとうございます」
嫌味に次ぐ嫌味、その上アシュレイは自分のことを特に好きでもなんでもないので嘘でもある。適当な相手には適当に。ポリシーではないが、アシュレイはそういう人間なのだ。電波を装っておけば向こうから退いてくれるかもしれないし。
「き、君のように自分に自信のある女の子は凛としていて本当に素敵だ。今度ぜひ私の家に遊びに来ないか?」
「私、体が弱いのであまり外出したくありませんの。せっかくのお誘いなのにすみませんね」
体が弱いだなんて。息をするように嘘をつく奴だ、と思ったロイズがアシュレイに呆れの視線を送る。アシュレイは「なんだ、文句でもあるのか?」というような視線をロイズに投げかけた。ロイズが慌てて目をそらす。
「そうか……体が弱いとは知らなかったが、それなら私が多くこの屋敷に来るようにしよう」
「マクレガー侯爵令嬢様は心優しいのですね、感心してしまいましたわ」
まだ言うか。アシュレイはスペンサー公爵に対して完全な塩対応をするのであった。
「も、申し遅れたね。私の名前はランドルフ=スペンサー。ランドルフと呼んでくれ」
「まぁ!てっきり侯爵令嬢様かと思っていましたが、スペンサー公爵様の方でしたのね!失礼いたしました、私目が悪いので……」
めちゃくちゃである。アシュレイは基本的にいい加減で投げやりなことが多いのだが、今日は特に適当なことばかり言っている。
「はは、手厳しいな。そこにいるアルドヘルムか誰かに私の悪い噂でも聞いたのかな?」
「とんでもない!なにか心当たりがおありで?あなたのような誠実な方に限ってそれはありませんでしょう?」
「それもそう……」
そんなことを言いながらも、アシュレイはランドルフの横を素通りして中に居たマクレガー侯爵令嬢の座っている椅子の隣にドサッと座った。びっくりした顔をしているランドルフに、アシュレイに引っ張ってこられただけの被害者のロイズが話しかける。
「アシュレイは、男には興味がないみたいですよ」
「通訳か君は!しかしなに、私は簡単になびかない相手にこそ燃えるんだよ」
「アシュレイは燃えている相手にこそ冷めていく人間なんですよ……」
なにやらやる気に燃えているランドルフに、ロイズは強張った顔で言う。立っているアルドヘルムは「フン、ざまあみろ」というような薄ら笑いを浮かべている。アルドヘルムも相手にされていないのだが。マクレガー侯爵令嬢の隣に座ったアシュレイは、令嬢の前に置いてあるカップが空なのを見て話しかける。
「マクレガー侯爵令嬢様、私アシュレイと申しますの。良ければ新しく紅茶はいかが?いい茶葉がちょうど入ったばかりなんですのよ」
その言葉に、返事を返すかと思えば侯爵令嬢は椅子からがたっと立ち上がって、真っ赤な顔でアシュレイに怒鳴ってきた。
「あ、あなたでしょう!ダレンが新しく仕えているっていう、令嬢は!あなたなんかと仲良くしないわよ、大体、ダレンに会いに来たのに騎士団のほうに行ってしまったと言われるし、軽薄そうな男にずっと言い寄られて二人きりにされるし、もう最悪よ!!ダレンを探しに行くわ!!」
「あ、ちょっと!まだ会話を始めて10秒も経ってませんわよ!」
部屋から全速力で出ていく侯爵令嬢を、ぎょっとした顔でアシュレイが追う。取り残された男たちは呆然としていたが、真っ先にアルドヘルムが正気に戻って後を追った。続いて、ランドルフもロイズも、その執事もついていく。侯爵令嬢は脇目もふらずに外へのドアを開けて外に全力疾走した。
そこそこ体力のあるアシュレイが結構本気で走らないと追いつけないほどのスピードである。恋する乙女の底力というものはなかなかのものだが、確かにこんな感情だけで突っ走る令嬢と、基本大人しいダレンではダレンが逃げ腰になるのもわかる気がする。
「待ちなさい!!外は雪ですし、騎士団舎は遠いですよ!!今度にしなさいな!」
「毎日ダレンに会えるあなたなんかにはわからないわよ!!私はいつもあんなに会いに行くのに、いつもいなくなってばかり!!逃げるにしても、あんまりよ!」
かなり頭に来てるな、お前のせいだぞダレン!と思いながらも、アシュレイは必死に後を追いかける。ドレスでこの雪の中を走って移動するのは危なすぎる。まだちらほらと雪が降っているし。
「そこ!!雪で隠れてますけどその先は川ですよ!!止まりなさい!!」
「ふん、そんな嘘ついても私はあきらめ……きゃあーーッ!!」
「このアホが!!」
思わずアシュレイが叫ぶ侯爵令嬢は結局、一人で走って行って、一人で足を踏み外して川に落ちてしまった。後からやってきたアルドヘルムに、嫌そうな顔のアシュレイが怒鳴る。
「アルドヘルム!着替えを用意しておいてください!」
「え?!駄目です!!危ないからやめて下さいアシュレイ様!!」
アシュレイはなんとドレスの下にまたシャツを着ていたようで、ドレスをバサッと脱ぐとシャツとズボンという格好になった。
袖を捲ると、アルドヘルムの制止も聞かずにためらいなく川の中に飛び込む。川は先日の雨で勢いが強く、足を取られればアシュレイも溺れて簡単に死ぬだろうと誰が見ても分かった。それでも、アシュレイは一切の躊躇なく川に飛び込んでいった。
ランドルフは、それを信じられないという顔で硬直して、呆然と見ていた。
アシュレイは全力で泳いでとっとと追いつき、流されていた侯爵令嬢の襟首を乱暴につかむと岸に向かってまた必死に泳ぎ着き、先に侯爵令嬢を岸に掴まらせた。侯爵令嬢は、水を吐きながらも必死に陸によじ登った。
アシュレイはというと、足を引っかけたようで驚いた顔のまましばらく川を数メートル流される。それを、横並びに岸から走ってきたロイズによって、必死で腕を掴まれてギリギリ助かった。そのまま、引っ張られて陸に無事上がる。
「ロイズ。オゴッ!ゴホ!ありがとう、死ぬかと思いましたよ」
「泳ぎは得意なのか?こんな勢いの川に飛び込むなんて普通じゃないぞ」
「ていうか、ゆ、雪だから水が死ぬほど冷たくて、ヤバ……い゛っきし!!!!」
ずぶぬれで、挙句にウィッグが水に濡れて重いので外したためボロ雑巾のようである。まつげについた雪までが水と混じって凍っている。川で濡れた服を袖だけ絞ったりしながらくしゃみをしたアシュレイに、見かねてロイズが上着を差し出した。
「ああ、もう!!さっさと着替えたまえ、勢いだけで行動して!とりあえず私の上着を羽織れ」
「ロイズの上着が濡れるからいいよ」
「いいよじゃないんだよ、この馬鹿!決闘の時も薄々思っていたが、君はほんとに馬鹿だな!」
「なんですか!善行を行ったんだから褒められこそすれ馬鹿呼ばわりされるところじゃないですよ、うわっ!!」
ロイズがグワッとアシュレイを抱き上げた。俗にいうお姫様抱っこである。厳しい顔をしているロイズを差し置いて、アシュレイは大慌てで下ろせと騒いだ。
「うわ〜!!!下ろしてください!こういうのがかっこいいと思ってる年頃なんですか?!」
「うるさい!暴れるな!君はもう歩かせないからな、アラステア公にも言いつけてやる」
「それはどうせバレるけどこの体勢が嫌だ~!!同じ年の男の子に抱き上げられて運ばれるなんて思春期の私のプライドには耐えられない!!アルドヘルム~!!」
「なんだ、アシュレイにも思春期なんてあったのか?」
「ありますよ!!誰にでもあります!!」
ロイズに抱き上げられて5メートルほど運ばれたところで、着替えを準備していたアルドヘルムが走ってきた。会話が聞こえていたらしく、ロイズにアシュレイを渡すように言う。
「ロイズ様、指名に預かったので私が運びます。あなたは侯爵令嬢を」
「わかった。マクレガー侯爵令嬢、大丈夫ですか?無茶をなさいますね」
「だ……大丈夫です。あの!アシュレイ様」
呆然としていた侯爵令嬢は、後ろめたそうな顔でアシュレイに声をかけた。さすがに反省しているらしい様子に、アシュレイの表情も和らぐ。溺れて助けた相手が男だったならアシュレイもビンタの一発くらい食らわせるところだったのだが。まあ、相手は女の子なので何もする気はない。
「はい?どうなさいました?」
「ごめんなさい。……それから、ありがとう。あなたっていい人ね……私、何か誤解してたわ……」
「ア、アハハ!!風邪ひきますよ、着替え貸しますから早く屋敷に戻りましょう」
勝手に溺れて、助けられたら怒られた子犬みたいな顔をして謝る侯爵令嬢に、アシュレイはつい笑いが漏れた。ロイズの執事もおろおろとその様子を見ていたが、やはり喋らない。
戻って行く面々を呆然と見ていたランドルフも、我に返って屋敷に戻って行く。喋ることをやめて押し黙っているランドルフのその視線は、侯爵令嬢にもアルドヘルムたちにも向けられておらず、ただ、変わり者の令嬢、アシュレイだけを見つめていた。




