伯爵令嬢の受難②
本鈴も鳴ってしまった。何気に授業をサボったのは、学校に入ってから初めてなんじゃないだろうか?とアシュレイは思う。
「な、あ、あなたなんのつもりですの?!授業だって始まってしまいましたわよ?!」
アシュレイに引きずられるようにして走らされてきたミアは、息を切らせながら急に立ち止まったアシュレイに怒った。
「まあ、この程度で息が切れるなんて体力ありませんね。そうだ、図書館を案内してくださいよ」
話を聞く気はなさそうなアシュレイに、ミアが呆れた顔をして固まる。しかし、アシュレイが学校の地図を広げて色々と次に向かう場所を模索しているのを見て、諦めたようにその地図を取り上げて言った。
「もう、いいわよ!こうなったら案内して差し上げますわよ!こっち、ついてきて!」
「おぉ、あなたはやはりそういう人だと思っていましたよ」
「どういう意味ですの?!」
余裕の笑顔のアシュレイに、ミアがムッとした顔で詰め寄る。
「あなたって、気が弱くって流されやすいんですよね。でも表向きは気の強いふりをしている」
「そ、そんなこと……私のことよく知らないくせに好き勝手言わないでください!そんなことありませんから!」
「ええ、私あなたのことをよく知らないのにこんなことを言っているんです。怒ってもいいですよ」
「はっ?なっ、あ、あなたなに……私…」
「ほら。あなたは、押しに弱いタイプですね?実は私、人の困った顔を見るのが大好きなんです。だから私のカモになりたくなければ、そんな顔はやめて頑張って、笑顔で私の相手をしてくださいね」
アシュレイは誰もいない静かな廊下で、ミアに向けて、手を取ってそう言った。ミアは戸惑い、混乱しすぎて顔をパッと赤くした。そして手を握ってくるアシュレイを振り払うことも出来ずに、ふいっと顔をそらす。こんな風に誰かに詰め寄られたりしたことがないので、どうすればいいかわからないらしい。
「あ、あなたって変だわ!いったいどういう人間なの?!」
「さあ。色々話していれば分かるかもですよ?で、図書館はどっちです?」
「こ、こっちよ!」
掴まれた手をそのまま引っ張って、ミアがずんずん進んでいく。それを満足そうに眺めながら、今度はアシュレイが手を引かれて廊下を進んでいった。歩きながらなんということもないことを話す。
はじめは嫌そうだったミアは、段々と普通に話に答えを返すようになっていく。アシュレイの思うつぼなのだが、ともかくミアは案外素直な人間のようだ。流されやすい、というそのままの性格でもあるが。
「へえ、広いんですね図書館って。下町には本屋くらいでしか本を読む機会なんてないので、こういうの新鮮です。家には多少持ち出した本があったんですが」
生まれた家には好きなだけ本があったのでいくらでも読んでいたが、引っ越してマーサと暮らしていた家は狭くてボロかったため、本を大量に置くスペースはなかった。エインズワース家に暮らし始めてからは、書庫でたまに浴びるような本を好きなだけ読んだりもしているが。
「……そんな状況なのに、学校の勉強によくついていけるわね。私なんて、サボったら……今日一回サボっただけでも、きっとすごく遅れてしまうわ」
ミアが、授業をサボっていることを思い出したようで困ったようにため息をつく。どうやら勉強にはあまり自信がないらしい。今日サボってしまって、どうしよう……と思っているのが顔全面ににじみ出しているような顔をしている。
「あら、あなた見かけに似合わず勉強が苦手なんですね。とはいえ今日は私のせいですし、遅れた分は理解できるまで私が教えてあげますから」
「教えたりって……できるの?あなたみたいに教わってすぐに勉強が理解できる人は、わからない人に教えるのは苦手だってイメージがあるけど」
「飲み込みは早いって思われがちだけど、私は案外たくさん勉強してますよ。私、見栄っ張りなので人前で恥をかかないように、家で前日の勉強をみっちりしてるんですからね。ほら、授業で当てられるでしょう?転入初日に当てられたときは嫌がらせかと思いましたよ!」
「まあ、ふふ…!じゃ、じゃなくて……じゃあ、今度勉強教えてくれます?あなた、この前のテストでも成績が高くてすごいって、うわさで……」
笑いそうになって、慌てて真顔に戻るミアを見て、アシュレイは面白い人だなあと思う。二人きりでもまだ少し、偉ぶった令嬢という態度を貫こうとする様子が面白い。しかし、話しながらミアが暗い顔になってうつむいたので、アシュレイがミアの歩いている先に回り込んで、顔をのぞき込んだ。
「……急に元気がなくなりましたが、なにか?」
アシュレイの顔を見てミアはしばらく困ったような顔をしていたが、覚悟を決めたように話し出した。
「下町出身なのに成績がいいわけない、カンニングでもしたんじゃって、私のお友達が言っていて……私もその時、そうかもって、同意していました……私、あなたが頑張って勉強しているのに、あんなこと……」
「まぁ!深刻な顔してそんなくだらないことを本人に告白してくるなんて、あなたってなんて正直者の、馬鹿な女の子なんでしょう!呆れました」
「呆れたの?!」
「あなたってもう少しくらいはあくどい感じだと思っていましたのに、いじめがいがなくて残念ですね。気にしなくても、私って悪口には耐性があるんです。誰しも多少の悪口は言うものですし。あなたは悪口とか気にするほうなの?」
アシュレイは悪口を言うような相手が今までにあまりいなかったのでそういう陰口の経験はなかったが、自分がどういわれてもどうという感想は無かった。それを告白されても困惑するだけである。しかしそうは思わないミアは、アシュレイの質問に、困ったような顔でぼそぼそと話し始めた。
「少しは……もともと、仲のいい周りのお友達に嫌われたくなくて、伯爵令嬢として偉そうにふるまっていたし……私の周りのお友達は、私より爵位が低い家の人しかいないから、親からも伯爵家としてふさわしい態度をとれって、言われてきましたし……周りのことが気になるのは、昔からです。」
「なるほど。確かに育った環境は人の性質にそのまま影響を与えますものね。でも、変なことを言うようですけど親なんて自分より先に死ぬものです。友達だって、学校を卒業すれば会うことも減るでしょう?面倒なものはとっとと切り離したほうが楽ですよ。将来を見据えましょうよ。自分にとって豊かな人生に必要なもの以外は振り落とすのが一番……何も失いたくないあなたって、真面目過ぎるのかもしれませんね」
アシュレイが図書室の本を適当に物色しながら、そう言う。
「そ……そういうもの、かしら……」
「ええ、まあ学校では行事などがあるのでお友達が居ないと困ることもありますものね。私は下町に居た分、そういった他人への気遣いの感覚が弱いのでしょう。でも、好きじゃない人間を切り捨てられるっていうのはつまり、好きな人は切り離さなくてもいいってことですわ。」
そう言ったアシュレイは本をしまうと、舞台の上のような大げさな身振りでミアの前に立ちふさがった。笑顔のアシュレイに、ミアが、えっ、何?!という顔をする。
「私はあなたの今のお友達のように、あなたに何かを求めたりはしません。そして、あなたが言いに来たように、私が学校のことでわからないことはあなたに教えてもらいたい。数時間あなたと話してみて、私は楽しかったんですが。
あなたと私は、卒業しても家まで会いに行き会えるくらいの〝普通の友達〟になれると思いますか?」
「あ……それは…」
ミアは、驚いた顔をして固まったが、すぐに返事した。
「なれる、かも」
「まあそうですか!じゃあ、明日の昼休みは中庭で勉強会の予定だからちゃんと来てくださいね!」
「え?!で、でも他の人に許可を取らなくていいのかしら?アニタさんとか、その……私、嫌な態度取ってましたし、ていうかいびってたというか……」
「さあ?」
「さあって……気まずいでしょう?!」
なにを言い出すんだ?!と言うようにミアがあたふたする。アシュレイの脳内では、アシュレイと友達になるということはコーネリアスやアニタやロイズとも友達になることと同義なのである。それは仲間意識がどうこういうことではなく、アシュレイの近くにはいつもコーネリアスたちが居るのだからそれは必要条件なのである。気を遣わなくていい友達、という話の後にこの提案は矛盾しているようにも思えるが。
「ここ最近しばらく過ごしてて思いましたけど、アニタは自分の爵位が男爵家だってことを結構気にしてて、だから伯爵家のあなたに引け目を感じていたみたいなんですよね。今は私という公爵家の娘と対等に渡り合ってるんだから、引け目もないんじゃないですか?それにあの人、案外天然で面白いですよ。あなたとも仲良くなれるんじゃないですかね」
無責任な発言である。だがまあ、勝算があっての言葉なのだろう。アシュレイは実際、ミアとアニタは案外仲良くなれると感じていた。
「私以外も、爵位をかなり気にしていたのね……てっきり、アニタさんは気が弱いから言うことを聞いているだけだと思っていました……」
どう考えてもアニタは爵位が低いから軽く扱われていたし、それは火を見るよりも明らかなのだが、ミアは本気でアニタが気弱だからいじめられていたのだと思っていたようだ。ひょっとするとミアはものすごい馬鹿なんじゃないかとアシュレイは思う。勉強も不得意だと言っていたし。
だが、どちらにせよアニタをいびっていた過去は変わらない。アシュレイは特にそれに対して怒りなどはないのだが、ミアは一応罪悪感はあるようなので返事を返す。
「そうなんですか?私からすると、みんな爵位を気にしてばかりに見えますけどね。でも、学校の生徒同士なんて子供の集まりの中で誰かに媚びたり偉ぶったりするのって、馬鹿馬鹿しいと思うんです。社会を担う大人たちに比べれば、私たちなんてみんな幼児みたいなものなんですし。金がもらえるならいくらでも偉ぶりますけどね、私も」
少し刺のある言い方をしたアシュレイに、ミアはまたうつむく。
「ご、ごめんなさい……私、もういじめに同調したりするのはやめるわ」
「そういう人に言われたから仕方なくいじめていたみたいな言い方はやめましょうよ。誰に命令されようとやったものはやったんですから。まあ、いじめとはいってもあなたのはパシらせてたくらいでかわいいものですから、そこまで考えなくてもいいと思いますけど。いじめがもっと過酷なら、そう、例えば殴ったり金を巻き上げたりしていたなら教会にでも入って償わなきゃですね」
「そこまではしてないですわよ!!でも……そうですね。人のせいにするのはよくないですわよね」
また突然厳しいことを言いだすアシュレイに、ミアが苦笑いで返す。なんだかんだといって、ミアは言葉遣いの柔らかいミアの立場に擦り寄ってきた下の爵位の令嬢とばかり話していたので、アシュレイのような直球の言い方にはあまり耐性がないのだ。強気なアシュレイに押されて、朝に比べかなり喋り方も消極的になってきている。心は開きだしているようだが。
「あ、あの建物は?全面ガラス張りなんて珍しいですわね、初めて見ました。」
「え、えっと……あの建物は温室ですわね。よく植物好きのオズワルド第一王子殿下が管理してらっしゃいます。担当の先生もいらっしゃいますけど、オズワルド殿下は先生より植物に詳しいから」
「へえ、オズワルド殿下って、女好きと噂が流れているようですが植物に詳しいのね。植物好きの人ってやさしいという勝手なイメージを持っているので意外だわ。」
「オズワルド殿下は、いつも植物園にこもってらっしゃいますけど、女生徒に人気があるの。だから勝手に植物園に押しかけて行く人が、うわさを流したり……なんてことも多いみたいですわ。ほら、オズワルド殿下、見た目が派手なので誤解を受けやすいというか。気づいている人は気づいてると思いますわよ」
「詳しいんですね。そういえば19歳となると、何年生なんでしょう」
「えっと、私たちが中等部二年で15歳だから、いち、に、さん……上等部の2年生ですわね。詳しいのは友達の一人が、オズワルド殿下に詳しくて……多分、狙ってたのでしょうけど」
「はあ~おモテになることで。」
そんな話をしていると、とうとう最後の授業の終わるチャイムがなってしまった。二人で顔を見合わせる。
「あーらら、一応謝っておきますけれど、丸一日サボってしまいましたわね。ごめんなさい。」
「……いいの、正直、授業をサボるなんて不良みたいでドキドキしてしまったわ」
「……あなたって面白いわね、貴族の女の子ってあなたたちみたいな人が多いのかしら?」
アシュレイはミアの色々がツボに入ったらしく、顔を見て静かに爆笑している。ミアは何がおかしいのかしらと不思議そうな顔だが。アシュレイは笑うのをやめると、ミアの手を掴んだ。
「さて、アニタにとりあえず謝罪して、それからあなたはお友達のことはどうするのかしら」
「多分、みんな私があなたたちと仲良くし始めたら離れていくと思うわ。偉ぶるのもやめようと思いますし……あの人たち、あなたと殿下にしか興味ないみたいだったし、そもそも違うクラスだし……」
「ええ?よくそんな薄っぺらなお友達を大切にできましたわね。」
「嫌味はいうのね?!」
「でも、今日一日で学校の構造をよく知れて勉強になりましたわ、これからもよろしくね。ミア伯爵令嬢様」
「……ミアでいいわよ、アシュレイ」
二人で廊下を歩きながら、再び最近の天気などのどうでもいいことを話す。そのうち本校舎の建物に入り、アシュレイのクラスに辿り着くとアニタとロイズがやってきたところで、二人にかち合った。
「無事に和解しましたよ、オホホ!アニタ、あなたミアさんと仲良くできます?もう茶を汲んで来いって言わないそうですよ」
「ちょ、ちょっと!アシュレイ、そのことは私から……」
仲良くできます?なんて言ってしまえるくらいにアシュレイがアニタと打ち解けているのを感じてミアはそれこそ驚いた。言われたアニタのほうもはじめは強張った顔をしていたのに、アシュレイの言葉を聞いてぱぁっと笑顔になった。
「仲良くできるわ、私!アシュレイと話すようになってから、誰とでも仲良くできる気がするの!相手がたとえあの高慢なミア伯爵令嬢だとしても、アシュレイの推薦とあらば悪人ではないはずと思えるし、ぜひ!」
「ほら、この人こんなに天然なんですよ。悪気はないんです。面白いでしょ?」
高慢だの“あの”だの、本人の前で言えてしまうアニタはもはや天然とかいう次元ではない気もする。しかも、本当に本人には悪気が一つもないのだ。こんなだからいじめられていたのかもしれないが、それは置いておいて。アニタは笑顔でミアに手を差し出した。ミアも慌てて手を取り、握手を交わす。
「え、ええ……私が失礼なことをしたんですし、謝らせてください。ごめんなさい!アニタさん、私とお友達になってくれる?」
「ええ、もちろん……」
「ちょっとちょっと!学級会じゃあないんですよ、廊下の真ん中で仲直り会をしないでください」
アシュレイが二人をぐいぐい押して教室に入れようとすると、教室からコーネリアスが出てきた。どうやらアシュレイたちが集合していたのを見てそわそわと見に来たらしい。
「教室に入ったらどうだ?寒いだろう」
コーネリアスに言われて四人が教室に入っていく。放課後の教室で、今度は五人で色々と話をする。今日一日アシュレイが何をしていたのか、実はみんな気になってしかたなかったのだ。帰りが遅くなったらまたアルドヘルムにぐちぐち言われそうだな、と思いながら、楽しいのでアシュレイも話に熱中する。
学生生活が始まってすぐなのに、なんだかずっと一緒に居るような錯覚に陥る。その感覚がなんだかくすぐったくて、アシュレイは変な感じがした。
もう外は、夕日が昇りきって、落ちていくところである。元々今日は、授業がいつもより一時間長かったのだ。アルドヘルムはきっと、もう校門前に迎えに来ている。ロイズの迎えも、コーネリアスの迎えもアニタやミアの迎えもだ。
待たせて悪いけど、もう少しだけ。
学生たちの放課後井戸端会議は続くのであった。




