伯爵令嬢の受難①
朝の廊下は陽の当たらない分、外よりも寒い。校門を抜けたアシュレイは、背筋を伸ばして姿勢よく、胸を張って堂々と歩く。
「おはようございます殿下、今朝は冷えますね」
「おはようアシュレイ。女子の制服は寒そうだな、風邪を引かないようにしないと」
途中でコーネリアスに追いつき、一緒にまた歩く。
が、何事もない顔して歩いていてもやはり、顔にベタベタと湿布やらを貼られ、首には包帯をぐるぐる巻いているのでかなり目立つ。アシュレイはいらないと言ったのだが、メイドたちに寄ってたかって過剰な手当てを受けてしまったのだ。
ざわざわ騒がれてジロジロ見られて多少の居心地の悪さは感じるものの、アシュレイは全く動じない。こうなることは昨日の時点で分かっていたからだ。それに目の前から歩いてくる相手は、自分より更に隠せないほどの深手を負っているのだから。
「おはよう。アシュレイ、コーネリアス殿下、アニタ」
「おはよう、ロイズ。」
「おはよう」
「おはようございます」
アニタとロイズも廊下で出会ったらしく、並んで歩いていた。そう気まずそうな様子も無いので、二人で何かしら話をしてわだかまりも無くなったのかもしれない。
それにしても、前日は殴り合いの喧嘩をしていた二人が何事も無かったかのように平然と友人のように挨拶をしている。昨日は学校内であんな大騒ぎを起こしたのにだ。
加えて王子たちのグループ……というのは変だが、アシュレイやコーネリアスたちとロイズが集まって当たり前のように雑談を始めた。アシュレイのクラスの生徒は当然のこと、関係ないクラスからも野次馬が来ていて、じろじろ見ている生徒が大勢いた。貴族だというのに、興味津々な野次馬根性を隠しもしない。案外貴族も平民も、大して変わりはないのかもしれなかった。
コーネリアス以外はそれぞれ屋敷が学校から遠いので、比較的朝早く登校する。ロイズはそれに加えて生徒会にも入っているので、用事でそれより早めに登校することも多かった。ちなみにコーネリアスは、王宮に居ると絶え間なく仕事がやってくるのでさっさと学校に来た方が楽、という理由である。
ちなみに、あれだけの騒ぎになっていながら学校側や教師が関与してこないのは、アシュレイとロイズが公爵家の子どもで、更にコーネリアスが立ち会っているからである。学校といっても貴族相手の国営なので、国家権力には弱いのだ。
アシュレイは昨日のことが終わってからまた「かなりまずいことをしたなあ」という自覚があったし、かなり自省もしていたがそれも後の祭り。結果的にはさほど問題が起きなかったので良かったが。
アシュレイは内心、少し問題を起こして家を追い出されたいと思っているのかもしれなかった。家の人たちから心配され、大切に扱われることに、そして好意を持たれることに少し居心地の悪さを感じていたのだ。そして、それはアシュレイ本人にも自覚のないことだった。
「生徒会って具体的には何をするんですか?」
教室に入ると、雑談としてアシュレイがロイズに質問した。
「園遊会の企画や、校内の予算の計算などが主だな。学校での規模の大きい催しでは、学年ごとの見回りなんかも仕事になっている。」
「へえ、貴族の学校なのにそういった雑務もこなすんですね」
「生徒会には将来、管理職と言ってもいい領主になる男が多いからな。下積みの経験というか、あらゆることをこなして将来の糧にするんだ。故に、ほとんどの会員は男子生徒で構成されている」
「なるほど」
丁寧な口調で説明され、アシュレイはうんうんと頷く。
「アシュレイは学校に入ったばかりだからイベントごとを把握できていないだろうと思って、少しまとめてきたんだが」
ロイズは空いていたアシュレイの前の机の席に座って、どこから出したのか手描きの学事日程表を広げて見せた。この国には大量に資料を刷って配布するほどの印刷技術は普及していないので、基本的には必要に応じて紙に各生徒がメモを取る方式なのである。ロイズはかなりきっちりした性格らしく、線も引いていないのにきれいな字で行間を揃えて書き記してあった。それを3人が興味深げにのぞき込む。
昨日の今日なのに、さっそくロイズはまだ学校に詳しくないアシュレイに説明しようと、わざわざ分かりやすく書いた資料を用意してきたらしい。もしかすると、ものすごい世話焼き体質というか、面倒見の良い性格なのかもしれないな、とアシュレイは思った。昨日顔を殴ったお詫びという可能性もあるが。
「なるほどなるほど。となると、コーネリアス殿下が生徒会に入っていないのは意外ですね。」
「まあ、そこは……兄上もだが、私たちは嫌でも王宮で仕事をさせられるからな。特に学校でやらなくてももう……という感じなんだ」
「王子とか公爵家の息子とか、大変ですねぇ。女に生まれてよかった~」
コーネリアスたち王子は、確かに先日のエインズワース家でのパーティのような交流にも出席しなければならないし、日ごろから公務も忙しいようだ。アシュレイが呑気にそんなことを言うと、三人の視線がアシュレイに注がれる。それに気づいたアシュレイは、困惑しつつ苦笑いして謎の空気をどうにかしようとした。
「え、え、なんですかこの空気?私が美人だからってそんなにじろじろ見るもんじゃないですよ」
「いえ、そうじゃなくて……アシュレイの家は男の跡継ぎが居ないから、アシュレイが継がなきゃいけないんじゃありませんか?」
「えっ?女でも家を継げるんですか?」
アニタの言葉に、アシュレイがぎょっとした顔になる。いくら子供が居ないとはいえ、自分は女なので家を継ぐ、なんて面倒なことをさせられるとは思っていなかったのだ。
「女性の領主様も、少ないけどいるにはいますわよ。アシュレイのお家と同じ爵位の公爵家の中にも。中には、旦那様がなくなった後そのまま奥様が家を継ぐという例もありますし……」
「そうだな、なに、アシュレイはそこらの男より勇ましいから大丈夫だろう。」
片目が青地に青あざが出来ていてかっこ悪い顔になっているロイズが言うとなんだか説得力がある。というか、少しは根に持ってるのか?嫌味か?とアシュレイは複雑な表情だ。
「あっはっは」
「応援しますわ」
「わ、笑い事ではないような……」
アシュレイが引きつった笑顔になるが、みんな大丈夫大丈夫と笑っている。アシュレイとしては家なんか継ぐとより一層、劇場開設に向けて割く時間が減るので面倒ごとは避けたいのだが。
「あ、でも誰かと結婚すればその人が継ぐんじゃありませんか?婿養子とか……ほら、この前のアルドヘルム卿とか!侯爵家ならちょうどいいじゃありませんか」
「うーん、アハハ……あの人最近変なので、気の迷いで言ってみてるだけなんじゃないですかね」
「本気なんじゃありませんか?真面目そうですし」
「アシュレイは男のようなものだから、男に興味ないんじゃないか?」
「コーネリアス殿下!アシュレイが怒りますわよ!」
コーネリアスの衝撃発言に、アシュレイもムッとする。
「そうですよ殿下!何を人聞きの悪いこと言ってるんですか!男に興味くらいありますよ」
「たとえばどんな男が好みなんだ?」
「うーん、そうですね……静かな人とかですかね?」
「アバウトだな」
「アルドヘルムに騒がしいイメージはないがな……寡黙なイメージというか。昔の話だから変わったのかもしれないけど」
「ああ、オズワルド殿下の幼馴染で、殿下もちょっと知り合いだったんでしたよね」
そのようなどうでもいい話をしていた時、突如として教室の入り口がざわついた。アシュレイが騒ぎの中心を見ると、髪型が豪華な女生徒と、それを取り巻く何人かの女子たちが立っていた。なんだか見たことがあるような、ないような……とアシュレイは首をひねる。
そして、青い顔のアニタに肩をトントンと叩かれてはっとした顔をし、思い出したように手をポンと叩いた。つかつかと歩いてきたその令嬢に、椅子からガタンと立ち上がって向かっていく。アシュレイが真顔で直進してくるので令嬢のほうが強張った顔になった。
「!?きょ、今日はあなたに忠告をしに来ましたわ!」
「まあ、忠告ですか?!あなたの顔はどこかで見たことありますわね!」
なぜか出合い頭から笑顔のアシュレイに肩に手を置かれ、令嬢の方は真っ青になる。ぱっと見で動揺しているのが丸わかりだが、なぜだか令嬢は引かない。令嬢の後ろに控えている取り巻きのほうがむしろ強気な顔で、自分たちは何も言わないくせにこのリーダー格の令嬢に嫌な事だけ言わせようとしているのが見えてヘンな感じだ。こき使っているのはどちらの方なのやら。
「あっ、あたりまえでしょう!あなたの歓迎パーティで会いましたわよ!」
「そうそう、そうでしたわね!その節はどうも!」
「アシュレイ、相手は女だ。もう少し優しく話したほうが……」
「殿下、アシュレイも女ですわよ……」
アニタがコーネリアスに突っ込むが、それはそうとアシュレイは強烈な笑顔で以って令嬢を迎え撃った。まだ要件も言っていない令嬢のほうが泣きそうになっている。
アシュレイはそんな時にハッとまた更に思い出したようで笑顔になり、令嬢の肩にもう一度ガシッと右手を置いた。令嬢が「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。相手は昨日男と殴り合いをしたような女だし、元々アシュレイは公爵令嬢なのに自分は伯爵令嬢だし、強気に出れる理由などないのだ。
「あなたはミア伯爵令嬢ですね、思い出しました!その顔、その表情は怖がってるんですの?怒ってるんですの?私この前の件については悪気はないので怒らないでいただけます?この前は言いすぎましたわ、ごめんなさいね!」
「わ、わたっ、私は、あ、あなたね!さっきから、大きな声で話さないでくださいます?!」
「それは失礼致しましたわね」
アニタは元は自分をいびってきていた相手なので、口出しし辛そうにしている。問題が起こる前に勢いで無理矢理誤魔化そうとしていたアシュレイは残念そうに手を離した。名前を思い出されたミアは、コホンと上品に咳ばらいをすると再び話し始めた。
「わ、わたくしとお友達とで話し合った結果、学校のことでも貴族の常識を知らないあなたとお友達になって、色々と忠告して差し上げようということになったのですわ!あ、あなたは下町出身ですものね?」
「まあ、ミアさん、お気の毒に……私に本当は関わりたくないでしょうに、周りの令嬢がたにそうしろと言われたんですわね?こんな人たちとは友達をやめなさいな、私がお友達になって差し上げますわね!なに、怖いのははじめだけですわよ?手始めに校内を案内してくださいます?二人きりで」
「きゃああ!ち、違うんです、違いますわ!ふ、二人でだなんて私……」
色々とまくし立てたかと思うとミアの手を掴んでさっさと廊下を歩いて行ってしまったアシュレイを、野次馬たちもコーネリアスたちもぽかんと見送る。ミアの取り巻き立ちも、ミアをダシにして公爵令嬢に近寄ろうとしていたので、二人を追いかけずにおろおろしていた。それから、ミアの取り巻きたちは居る理由も無いのですぐに立ち去ってしまったが。
「アシュレイ、どうする気でしょう?大丈夫かしら」
「大丈夫なんじゃないか?取って食いやしないだろうし……しかし、アシュレイにはよくわからないところが多いからな、何のつもりなんだろうか」
「アシュレイは女の扱いには慣れてると思うし、大丈夫じゃないか?」
「殿下はなんだか、アシュレイを役の人柄で見すぎでは……」
憧れの舞台俳優に夢見がちなコーネリアスに、アニタとロイズが呆れた顔をする。
もうすぐ予鈴のなる時間になっていたので、他の生徒たちも、アニタとロイズも自分の教室へとそれぞれ去って行った。これでは結果的に、連れ去られたミアも連れて行ったアシュレイも授業をサボることになってしまうが、どうするんだろうか?なんて思いながら、コーネリアスは窓の外を見ていた。
自分もアシュレイに、授業をサボってどこかに引っ張り出してほしい。
学校の勉強はつまらないから。
コーネリアスだけは少し、ミアのことをうらやましく思っていた。




