おやすみなさいお嬢様
かたん。小さい音を立ててアシュレイはフォークを置いた。
食事のマナーは習うでもなく自然にできていた。アシュレイは元からあまり音を立てずに食事する習慣があったので、そこは育ての親の躾である。
「あははは!じゃあ、なるほど、そのせいでそんな怪我を!」
夕食時にはほとんど必ずアラステアとは顔を合わせるし、この顔では学校であったことを説明しないわけにいかない。
アシュレイはアラステアに、少し緊張しながらも怪我の説明をした。予想外にアラステアは怒った様子はなく、なぜだか楽しそうだ。無茶なことをしたアシュレイが怒られることをどこかで期待していたアルドヘルムだけは不服そうな顔をしているが。しかし、怒られなかったことに一番驚いているのは当然アシュレイのほうである。
「怒らないんですか?」
アシュレイが食後のコーヒーを飲みながらばつが悪そうに聞くと、アラステアはにっこり笑った。
「怒らないさ。15歳同士、若いな。いいなあ。私は、娘と息子を同時に持ったような気分だよ。少しばかりやんちゃだがね」
「迷惑をかけて申し訳ありません」
「……そんな顔をするもんじゃない。君は私に少し、気を使いすぎかもしれないね?君はもう私の子供なんだから。君が何かをしても私が守ってあげるし、助けられることは助けるつもりでいるさ」
「……」
アシュレイが、少しポカンとした顔になる。そして、アラステアをじっと見ながらコーヒーをもう一口飲んだ。
「ついこの前まで会ったこともなかった人間を、自分の本当の子供のように思えるんですか?それにあなたは、まだ若いのに」
少し棘のある言い方かとも思ったが、これはアシュレイの素直な気持ちだった。アシュレイには、優しいアラステアが自分を実の子のように扱う気持ちを理解できないのだ。
「思えるとも。君は若いときの兄に生き写しだし、それに書類上はもう、君は私の子だ。」
アシュレイは困った顔をして、アラステアから目を逸らしてから少し俯いた。
「変わってらっしゃるんですね。……すごく申し訳ないと思うんですが、私は、急にあなたを本当のお父さんみたいには思えません。それに、実の父親のこともよくは知りませんし、そもそも父親、母親、というものがどんなものなのか、感覚がよく……わからないんです」
アラステアは、自分の兄がこの子どもをこんな風に育つよう扱っていたことに内心複雑な感情を抱いていたが、表には出さずにまた微笑んだ。
「いいさ。こんな形で養子をとるのは珍しい状況だしね。そして、素直に思ったことを話せる君は、子どもらしくてとてもいいね」
「……」
そんなアラステアを見てアシュレイは、なんというか、食えない人だ、と思った。ひょっとすると、アシュレイにとって一番扱いにくいタイプというか、いわゆる〝まともな大人〟タイプの人間なのではないだろうか。
子供が居ない、妻ともうまくいっていない寂しい30歳だと思っていたが、認識を改めるべきかもしれない。身近に優しくて頼りになる親くらいの年齢の大人なんてアシュレイにはいなかったので、接し方に戸惑う。
夕食後アルドヘルムは用事があったらしくいつの間にかいなくなっていて、アシュレイはダレンと共に自室へ向かった。
「それにしてもひでえ顔、お嬢様って案外野蛮ですよね。相手の男も令嬢の顔を容赦なく殴るなんてどうかしてるけど」
「まあ、ちょっと男だと思われてた節もありましたが……ダレンは私のことお嬢様って心の中では思ってなさそうですよね」
「思ってますよ、仕事ですもん。それに心配です。俺は学校までお嬢様を見張るわけにいかないですし、アルドヘルムだってそれは同じだし。」
ダレンは振り返らずに歩き続けながら言う。
「今回はカッとなってやってしまったところが大きいので、以後気をつけます。迷惑をかけてすみません」
「ま、俺に謝らなくてもいいですけど。あと迷惑じゃなくて心配かけて、でしょ。……それと、余裕そうに見えて旦那様も寿命縮まってると思いますから、気をつけてあげてください」
ダレンの言葉に、アシュレイは少し驚く。ちっともそんな様子はなかったが、長くアラステアに仕えているであろうダレンが言うのだから、そうなのかもしれない。
「……気をつけます」
「あの人、仕事は出来るんですけど人間関係がへたくそで。奥さんも愛想つかして行っちゃいましたけど、いい人なんですよ」
「いい人だってのはわかってます。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさいお嬢様」
そう言ってようやく部屋の前で振り返ったダレンがにこにこと微笑ましそうに見てくるのがなんだか居心地悪くて、アシュレイは部屋に入るとさっさと寝ることにした。
ベッドの中で、明日からの学校のことや今後の劇団のことについて思いを馳せる。なんだかなあ、と思いながらアシュレイは目を閉じた。




