勇猛果敢②
放課後、アシュレイ、コーネリアス、アニタの3人で作戦会議である。
会議と言ってもアシュレイの考えは大体まとまっているので、話し合う内容なんかないのだが。友達なのでとりあえず集まって馴れ合っておくのである。そういう空気が楽しいのだ。
「それにしてもアシュレイ、お前なんでまた今日にしたんだ?ロイズの相手をするならもっと練習する時間を作るとか……そもそも、男と女の決闘なんて前例がないんだが……」
コーネリアスに質問され、アシュレイは困ったような顔をする。
「あ、ああそれはですね……こんなのバレたら、アルドヘルムが家から出してくれなくなるに決まってますからね。あの人、今日はやめときませんか、だの、男と出かける約束とかしてませんよね?だの言ってきて、鬱陶しくて……あの人私が学校に行くのを快く思ってないんですよ」
「なるほど……確かに、私の執事も結構過保護だからわかるな」
「まあ、あなたは王族ですから……」
コーネリアスへの過保護とアシュレイへの過保護は全く種類が違うのだが、コーネリアスはそういうことには鈍感らしい。授業後、決闘の直前。アシュレイは、コーネリアスとアニタと一緒に控室、というか体育館横の空き教室で準備していた。主にアシュレイは髪のセットだが。
「できました、アシュレイ!動きやすいように編み込んだ髪を後ろでまとめてみました。固めにつけたのである程度動いても落ちないと思うわ」
アニタがうまくできた、と言うように安心した顔で言った。
「では、行きましょう。その前にアニタ」
「はい?」
立ち上がったアシュレイが、アニタに真剣な顔で話しかける。
「あんな男より、私のほうがかっこいいと思うんですよ。ほら、この顔ですよ?」
「え……」
アニタが、ポカンとした表情になった。それから、どうした、早くその通りだと言え、と急かすようなアシュレイの顔に耐えられず、笑顔をこぼした。
「ええ!アシュレイ、あなたってなんて、真面目な顔でおかしなことを言うの!」
アニタの笑顔を見て満足そうに無言で笑ったアシュレイは、女子の制服には胸ポケットが無いためコーネリアスの制服のスペアを借りて着た。なんと、サイズはぴったりだ。15歳でコーネリアスも体が出来上がり切っていない、同じくらいの体格だからかもしれない。元々アシュレイは背が高めだし。
「それにしても、結局何を使って戦うんだ?飛び道具とか?」
「なんだと思う?」
敬語でなくなったアシュレイが、人差し指を口に当ててコーネリアスにいたずらっぽく笑う。
首をかしげるコーネリアスと、はらはらした様子のアニタを置いて、アシュレイは颯爽と体育館に入って行った。
体育館内にはもう、観衆が中央を開けてみっしりと埋まっている。外にはみ出ている生徒までいる始末だ。貴族にしろ平民にしろ、イベントごとに関して好奇心旺盛なのは変わりないのだろう。
「来たか。……?なんだ、その恰好は?男物の制服に……武器がないではないか。」
ロイズはもう到着して準備を済ませていた。早めに来ているあたり、根は真面目なようだ。アニタが好いていたことにしろ、部長で人望があることにしろ、平民に対する異常なまでの嫌悪感以外はそう悪い人物とは思えないのだが。
アシュレイはさらしを巻いているので、ワイシャツとズボンという恰好になり、ワイシャツの胸ポケットに薔薇を刺した。さらしを巻いても巻かなくても大して変わらない程度のささやかな胸だが。
「ええ、あなたはそのフェンシング用の剣を使ってください。もうじき6時ですわね」
「何を考えている、エインズワース!」
ゴーンゴーン、鐘の音が鳴った。アシュレイが、咳払いする。
「薔薇を潰した方の勝ち!始めますよ!」
「試合の判定は、私、アズライト帝国第二王子、コーネリアスが務める。それでは、はじめ!」
「わあっ」という歓声とも悲鳴とも言えない声が上がり、ざわざわと体育館が揺れる。ロイズはアシュレイが丸腰であることは気にせず、容赦なく切りかかった。それが、決闘の礼儀なのだった。観衆はアシュレイに味方した声援もあったが、圧倒的にロイズへの声援が大きい。主に女子生徒の声だ。
アシュレイは両拳を顔の前に持ってきて姿勢を低くした。昔、下町のごろつきに気に入られて強制的に教えられた野蛮なボクシングもどきである。ごろつきもアッシュのファンだったので、昔アシュレイがファンに刺されて入院した際に病院まで押しかけてきて「あんたが死んだらあんたの劇が見られないだろ!」とわめきたてたのだ。
まだアシュレイは12歳の時だったが、ごろつきが自分のファンだと知ったとたんにアシュレイは機嫌を良くして、簡単にその話に乗った。
「部長と聞きましたが意外と避けれますね!当たりませんよ!」
アシュレイはおちょくるようにロイズの剣先をひょいひょいとかわす。が、避け損ねて頬に一本切り傷が入った。顔は役者の命である。これ以上はまずいので、早急に終わらせようとアシュレイは決意した。
「避けてばかりでは私の薔薇は散らせないぞ!!」
「ええ、わかってますよ!」
「ぐっ!!」
アシュレイが、足を振り上げてロイズが剣を持つ手を蹴りぬいた。剣が吹き飛び、カランカランと地面を回転しながら勢いよく転がっていく。そのあたりの観客がキャーと悲鳴を上げてさっと引く。
ロイズがよろめいたのを見て、アシュレイは次は、拳を振りかぶってロイズの腹に叩き込んだ。顔もさっき剣で少し切られたので、同じ位置のロイズの顔面にも頭突きを食らわせた。
軽い切り傷と鼻血が出るほどの頭突きでは、ダメージが違いすぎる気もするが。ロイズがあまりの痛みに一度飛びのいた。ポタポタとロイズの顔から血が垂れて、女子のきゃあーっという悲鳴が上がった。貴族の令嬢たちは、こんな野蛮な決闘への耐性がないのである。温室育ちの貴族たちには刺激が強すぎたらしく、男子生徒も真っ青になっていた。
「すみません、昼食が胃から出そうになってしまわれたりしました?手が滑って。私は下劣な野蛮人なので仕方ありませんわね!」
「何を、お前、実は男だろう!馬鹿力が!」
「失礼ですね!うっ!ぐっ!!」
剣を失ったロイズが、今度はアシュレイを殴り返してきた。もう、完全にただの殴り合いである。双方ともしばらくハイスピード、ノーガードで殴り合い、アシュレイのほうも予想外にロイズが身軽で戦いが均衡していることに焦っていた。
ドガッ、ガスッ、バシッ……打撲音があまりに重いので周囲の生徒たちはドン引きしているし、お互い顔には大きなあざができたし、もはやお互い、胸の薔薇なんかどうだっていい!こいつをボコボコにして倒してやる!とムキになっていた。
「アシュレイ、胸の薔薇を狙って!!これは決闘なのよ!!」
アシュレイははっとしてから、その声の主アニタの顔をちらっと見た。そして、また泣きそうな顔をしているアニタを見た。よそ見をした瞬間にもう一発肩に重い拳を喰らったが、アシュレイは体勢を整えると低い姿勢で猛スピードでロイズに走り寄り、右手でロイズの胸の赤い薔薇を一瞬で握りつぶした。
ついでに手のひらでロイズの心臓辺りをグッと押し、倒す。あまりのスピードにロイズも驚いて動けず、決着はあっさりとついてしまった。
観衆が大きな歓声を上げる。ロイズのファンの女子の悲鳴も混ざってはいたが。ロイズは驚いたまま、負けたのでいさぎよく戦闘をやめて立ちあがった。
「そこまでっ!!勝者はアシュレイ=エインズワース。この場はこれで終わりだ!皆、立ち去れ!」
コーネリアスがそういって「しっしっ」というように手を動かすと、生徒たちはざわつきながらも少しずつ帰って行った。放課後なのにこんなに人が集まるとは思わなかったが、教師が来ないのが不思議なばかりである。
アシュレイとロイズが、それぞれボロボロの情けない顔で向かい合う。アシュレイが勝ったとはいえ、互いに貴族とは思えないような野蛮な戦いをした後だ。ロイズは右目の下が腫れて目が半開きのようになっているし、頰もガッツリ腫れている。
アシュレイのほうも切れた頬から流れた血が頬に縦に広がって固まっていて、口の横にも拳が当たったのか青あざができているし鼻血も出ている。派手にやりすぎたな、アルドヘルムが迎えに来たらなんと言い訳をしようか、とアシュレイはもはやそれしか頭になかった。
「……負けた。何が望みだ、言ってみろ」
当事者たちしかいなくなった体育館で、ロイズがアシュレイに言った。
「そうですね、では……」
コーネリアスは、何を言うだろうかとアシュレイに期待の目を向けている。期待するような場面ではないのだが。アニタは、アシュレイが勝ってほっとしている反面、なんだか不安そうだ。
「私の聞こえるところで、私や私の友人の悪口を言わないでいただけます?気分が悪いので」
袖で目のほうにたれてきた顔の血を軽く拭ったアシュレイは、これコーネリアス殿下の制服だった!と瞬時に後悔する。それどころではないロイズは、アシュレイのあまりに簡単な要求に気抜けした顔をした。自分はアシュレイに、退学しろとまで言ったのにと。
「…?!そ、そんなことじゃないだろう!他にも、何か…」
「あなたがムカつくことを言ってきて、あなたを殴って私はスッキリ。これで終了、今後は争いの種がなければ、喧嘩もしなくて済みますよね。お友達にでもなります?」
「……」
あまりに〝終わったことである〟というふうに流そうとするアシュレイに、ロイズはまた酷く動揺させられた。女が、まさに今怪我を負って流血までしているのにここまで平然としている。正直、ロイズは殴られたのもこんな怪我をさせられたのも、他人と大喧嘩したのも生まれて初めてだった。
「嫌ですか?しかし、それでは決闘の意味が……」
黙ったままのロイズに、アシュレイが困った顔をする。しかし、ロイズは嫌だと言ったわけではなかった。
「すまなかった」
「は?」
アシュレイは、ロイズの言葉に信じられない、という顔をした。
「すまなかった、と言ったのだ。お前のことや、そこのご令嬢のことを侮辱してすまなかった。昔から私の家では平民とは関わるな、品位が下がると教育されてきたんだ。だからそれが正しいと思っていた。
だが、私の言動の方が余程、品位に欠けていた。身分や家柄と関係なく、お前たちが自由で楽しそうだったから私は嫉妬していたのかもしれない」
急にベラベラ自分の家庭環境について語ってきたな、とアシュレイはロイズを見ながら思う。嫉妬というのはつまり、仲良くなりたかったけど素直になれずに意地悪しちゃいました、みんな、ごめんなさい!ということだろうか?ひょっとしたらロイズは小さい子供なんじゃないか?とアシュレイは思う。
「なに、急にペラペラと自分の生い立ちについて語ってるんですか!見てくださいよこの顔、あざだらけ、血まみれですよ!痛いし、腫れてるし!あなたの顔も酷いですよ?もうモテませんね!」
アシュレイが冗談めかしてそう言うと、その場の空気が少し緩む。
「アシュレイ、お前は私が思っていたよりずっと野蛮だったが、友人のために男に対して決闘を挑むような、情に厚く勇敢な人間だった。侮辱したことを後悔している。お前は、誇り高い人間だ」
「……」
アシュレイは、真面目な顔でそんなことを言ってくるロイズを黙ってしばらく見つめていた。が、はぁ、と大きくため息をついた。折れてやろう、相手は貴族の世間知らず坊ちゃんだ。何を言ってきても取りあえず演技ではないんだろう。馬鹿だし。
「はあ、反応に困るなあ。悪役に徹してくださいよ、ロイズ=メイスフィールド」
「ロイズでいい。アシュレイ、私と友達になってくれないか?」
「いいですけど。仕方ありませんね、」
ロイズが再度差し出した手を、アシュレイがガシッと握る。ロイズはゴツゴツと骨ばった、自分より大きなアシュレイの手に驚いていたが握手を力強く返す。
青春だな!青春ですわね!コーネリアスとアニタがこそこそ話している。
「ああ……しかし。この怪我、アルドヘルムになんて説明しましょうか……とりあえず鼻血とかを拭かないと」
そんな話をしながら、アシュレイが血のついたウィッグをガコッと外した。それを見ていたロイズが悲鳴をあげる。
「やっぱり男じゃないか!!」
「アシュレイ男の子だったの?!」
「違います!!」
「これはアシュレイが劇団でだな……」
そんな、4人の騒ぐ声が廊下の奥まで響いていた。教師が帰宅させたのか、単純に迎えが来たのか、廊下には何故だか、生徒がほとんどいない。
窓の外は、また雪が少し降りはじめていた。




