勇猛果敢①
ガタン!
食事の乗った木板を乱暴に机に置いた音に驚いて、アシュレイは少しだけ視線を後ろに向ける。
「平民あがりが、入学するなり王子に擦り寄って卑しいな。女はこれだから」
食堂で、アシュレイはコーネリアスとアニタと一緒に食事をとっていた。そうしていると突然そんな声が聞こえたが、アシュレイは聞こえないふりをする。こういうことには耐性があるのだ。
コーネリアスとアニタは少し向こうを気にしているようだったが、アシュレイが何も言わないので黙っている。アシュレイはどうでも良かったが二人の様子を見て気遣い、一応話を茶化しておいた。
「聞こえました、殿下?私ずっと男として生活していたので、卑しい女扱いを受けるのってなんだか新鮮ですわ。あれ、殿下のお友達かなにかですか?」
「いや、お前の家と同じ爵位、公爵家の令息のロイズ=メイスフィールドだ。私とはあまり関わりがないが、平民や庶民になにか異常なまでの嫌悪感を持っている。まあ、そういう考えの家なのだろう。意外と多いぞ」
「気にすることないよ、アシュレイは誰がなんと言おうと今は公爵令嬢なんだから、堂々としていれば……」
アシュレイに、二人が気にするなと言う。別に気にしてはいないのだがアシュレイはそうですわね、と言っておいた。アニタはおどおどとして、しかしなんだかロイズという男のほうを気にしている。
「公爵令嬢になったからって、元は卑しい下民だった者にすぐに寄り付くなんて、男爵家の女もたかが知れているな」
またか。聞こえるように言っているあたり、嫌味なのだろうが。そもそも王子までいるのに王子の友人を貶すこと自体どうかとは思うし。アシュレイは黙々と食事を続けていたが、ふと顔を上げるとアニタが目からボロボロと涙を流していた。アシュレイはそれを見てギョッとし、驚いてむせる。先ほどまではどうということもなかったのに、どうしたのだと。
「ど、どうしたんですアニタ?」
「アシュレイ、アニタは……以前ロイズに告白して断られているんだ。ロイズは女生徒に人気でな。剣術クラブの部長だからかもしれないが」
こそこそとアシュレイにコーネリアスが耳打ちする。コーネリアスもこれには同情的な気持ちだ。というか、コーネリアスはなぜそんなことを知っているんだ。女子高生か。
「殿下はなんだか、恋愛事情に詳しいですね……それにしてもはあ、剣術部部長ですか……」
アシュレイは、ロイズのほうを見た。濃いめの顔だが、金に近い茶髪に緑の目、確かに、見てくれは男前……と言ってもいいかもしれない。
まあ、アルドヘルムのほうがよほど男前だが……と思って、何を比較しているんだか、とアシュレイは自分に呆れる。アシュレイはアニタの背中に手を置くと、トン、トンと軽く叩いた。育ての親のおばあさんに小さい頃よくやられた行動だが。
「わ、私、大丈夫ですから……」
なんだか、見ていて痛々しい。アシュレイはアニタを泣かせたロイズに不快感を覚えたが、ここでいさかいを起こしてはロイズの思うままのようで気に食わない気もする。勘弁しておいてやろうと思っていたが、次のロイズの嫌味がやってきた。
「泣けば同情されると思っているんだな、弱者ぶって……」
普通に性格が悪くてアシュレイは顔を強張らせる。自分に告白したことのある女子だと気付いていないようで、アシュレイと一緒にいるからと完全に敵視している様子だ。
アニタが、ビクッと肩を揺らしてまた涙を流す。必死に拭っているが、止まらないようだ。アシュレイはその様子を見てから、コーネリアスの肩にポンと手を置いた。
「殿下、私これから少し問題を起こすと思うんですが、いいでしょうか?」
「そうか!楽しみだなそれは」
それでいいのか王子様。コーネリアスは何をするんだろう?と言うようにわくわくした顔でアシュレイの顔を見た。
「ええ、レアなアドリブの演技を特等席で見せますので、そうだな……明日のランチ、奢っていただけます?」
「いいとも」
アシュレイはコーネリアスに微笑みかけると、寒いから羽織っていた上着を椅子の上に脱ぎ捨ててつかつかとロイズの座っている席に歩いて行った。コーネリアスはそれを見送りつつ、アニタの様子を気遣った。
近づいてきたアシュレイを見て、ロイズは受けて立ってやろうと立ち上がる。食堂に殺伐とした空気が流れ、アシュレイとロイズは1メートルほどの間を開けて向かい合った。
「なんだ。文句でもあるのか」
いくら公爵令息とはいえ、公爵令嬢に向かってこの態度は完全に喧嘩を売っている。ロイズの顔は余裕の笑みだ。
「お家柄の高貴さにご本人の人格の高貴さが追い付いていないというのは、残念なことですわね。そうは思いませんこと、ロイズ=メイスフィールド様?」
「ああ、全くだな。下町で暮らしていたような人間を血のつながりだけで引き取るような家は、公爵家の爵位にふさわしくない」
「では、あなたは生まれながらの貴族様であられるので、あらゆる面において私のような下賤の民より優れてらっしゃるのですね?」
「当然だ」
アシュレイは、ロイズの言葉に頷くと無言で手にはめていた白い手袋を外した。アシュレイの手は他の令嬢のように綺麗ではない。家事も自分でしていたので冬場には手があかぎれだらけになったし、舞台の道具を設営するにあたってタコなんかも出来ている。それを隠すためにはめていた手袋だ。
アシュレイは、それを上に掲げると、勢いよく振り下ろしてロイズの足元に投げつけた。ロイズの笑顔が消える。怒りと困惑の混じった表情で、アシュレイを睨みつける。
「なんのつもりだ?」
「拾ってくださいよ」
アシュレイの声は、アッシュになっていた。男の声に近い、ということだ。まあ、女の格好なのでそうはいっても女だが。コーネリアスはその様子をワクワクしたように見ている。
アニタは顔を隠しているので、多分声だけが聞こえているだろう。食堂がより一層殺伐とした雰囲気になってきて、ロイズに話しかけられていた男子生徒もどうしようどうしようと慌てている。こちらは特には平民差別意識があまりないらしい。ロイズを止めるでもないが関わりたくもない、といった様子だ。
「まさか、手袋を投げつける意味が分かっていてやっているのか?」
「わかっていますよ。」
アシュレイが答える。至極冷静な表情だ。
「何も知らない平民のくせに……」
ガン!アシュレイが立っていた横の机を右拳で殴る。鈍いが、ものすごく重い音がした。ロイズが少し怯む。アシュレイは先ほどまでコーネリアスたちと談笑していた時とは違い、もうちっとも笑顔ではなかった。
今にも相手を殺しそうな殺意を宿した目、静かな、しかし湧き上がるような怒りの顔だ。まあ、そういう役作りなのだが。アシュレイは役にのめり込みやすいのだった。アシュレイは周囲が静まり返ったところで続ける。
「拾ってくださいよ。貴族は決闘をするときに手袋を投げつけるんでしょう?
それとも、私のような無教養の、無力な、育ちの悪い女に負けるのが恐ろしいんですか?ロイズ=メイスフィールド。生まれながらにして高貴な公爵家のお坊ちゃんは、私と違って卑怯でないのなら拾ってください。心配しなくても、私は決闘で腕が取れようが顔が削がれようが文句は言いませんよ」
「……馬鹿にするな!受けてやる、お前のような下品な人間はこの学園に居るべきではない!負ければ退学しろ!」
ロイズは、ひどく憤慨した様子ですぐにしゃがんで手袋を拾った。決闘は成立である。アシュレイは途端ににっこりと笑顔に戻った。
「そう、拾いましたね?よろしい!」
パン、パンとアシュレイが大きく手を打った。食堂が再び静まり返り、アシュレイのもとに視線が集中する。騒ぎのせいで大量のやじ馬が集まってひしめき合っている食堂で、アシュレイは息を吸い込むと舞台の上のように大きな声で告げた。
「本日、放課後6時よりロイズ=メイスフィールド卿と決闘を致します!!体育館にて、武器は自由、防具は禁止。興味のある方はいらしてくださいね!」
食堂は騒然とした。アシュレイは喋り終わると何事もなかったかのように座りなおし、食事を再開する。
「あれ、一部が劇のセリフと同じだったな、格好よかったぞ」
コーネリアスはひょっとすると天然なのかもしれない。なんだかわくわくした楽しそうな顔でそう言ってきた。アニタはなんだか泣きそうな顔をしてアシュレイのことを見ている。
「……アニタ、なんて顔をしてるんです?私はあなたのためだとか、私が侮辱されたからだとかそういった理由であんなことをしたんじゃありませんから、勘違いしないで。」
「じゃあ、なんであんなこと言ったんだ?」
コーネリアスが単純に不思議、という顔で聞く。自分のためでもアニタのためでもないならば、なぜわざわざ目立つ場所で決闘なんかを申し込んだのか理解に苦しむ。
「そりゃ、単にムカついたからです。私こう見えて、貴族目線ではかなりの野蛮人だと思いますよ?下町って意外と治安悪いんですから」
「そうか……それで、決闘の勝算は?」
「五分五分ってとこですね……彼がどの程度剣術が達者かわかりませんし」
負けたら大学なのに軽いな!とコーネリアスもアニタも思っているが、アシュレイはこう言っていても負けるつもりは毛頭ないし、万一学校をやめることになってもなんの損もないので気にしていない。
「ロイズの腕は……私の次……の次くらいだな」
「それは強いのか弱いのか……しかし剣術部部長より強いとは、コーネリアス殿下も剣術は得意なんですか?」
「王族は幼少期から習わされるからな。兄上はもっと強いが……」
「ア、アシュレイは剣は得意なの?大丈夫?わ、私が今からでも謝って……」
ようやく泣き止んで、今度はアシュレイの立たされた状況を理解したアニタは大慌てでまた泣きそうな顔をする。どうしようもない、こういう弱い女の子を見るとアシュレイは妙に庇護欲がかきたてられる。泣かせまいという気持ちになる。
「あらアニタ、下町の底辺の人間は劇でもあるまいし、剣なんて上等なものは使わないのよ?」
アシュレイが、にっこりと笑ってそう言った。
「では、何を使って……」
「私髪をまとめるのって苦手なの。ウィッグをとるわけにもいきませんし、決闘までにアニタ。私の髪を留めてくださる?」
アシュレイはその質問には答えず、ただアニタに笑顔を向けた。それを見ると妙に頼もしく思えて、アニタの顔にほんの少し、もう、この人は、というような笑顔が漏れた。
「…………はい!やらせてください!」
それから、アニタは力強く返事した。
午後の授業の予鈴が鳴った。
集まっていた生徒たちも、慌てて教室に戻って行く。
アニタの背中を押して教室に戻らせたあと、アシュレイも他の生徒と変わらぬ様子で、鼻歌なんかを歌いながらなんら動揺しているそぶりなく、コーネリアスと共に自分の教室に戻ったのであった。




