親愛なる子狐へ
「私を燃やしてしまったのね、あなた」
アシュレイは綺麗な女性の声を聞いて、薄く目を開けた。目の前に見えるのは、美しくて、どこか愛らしい真っ白な女性。どこまで見渡しても永遠に真っ白な空間にただ、白い机と白い椅子二つだけが置いてあって、アシュレイはその片方側の白い椅子に座っていた。そして向かい合った白い椅子に、その白い女性は座っていた。
私を燃やした、というと。アシュレイは少しはっきりした意識で目の前の女性を改めて見た。優しげで、そう、ムスタファにそっくりのふわふわの狐耳。少しいたずらっぽい微笑み。怒っている様子は、ない。
「ふふ、怒ってなんかいないのよ。私がごめんなさいね、危害を加えたくはないのだけれど」
「……あなたは?」
アシュレイがようやく口を開く。
「分かっているんでしょう?ムスタファの母親の、ミラっていうの」
「そうなんですか。名前ははじめて知りました……」
「お茶、飲まないの?」
気づくと机に白いカップが登場している。でも、中身には何も入っていないように見えた。
「知らない人からもらったものを食べたり飲んだりしちゃだめなんですよ」
「そうなの?残念ね……そうだ、ムスタファに会いに来たのでしょう?」
「ええ。……そうだった気がします、頭がはっきりしないんですが」
「あの子はね、可哀想な子よ。そして、まともに母として接してあげられなかったけれど、私にとって世界で一番大切な、大事な、愛するかわいい子。」
「お母さんなんだから、そうでしょう……当然です……」
「あら、あなたはそうじゃないでしょう?」
「……」
そうだった、そういえば自分の母は……いや、母親なんていないのかもしれない。アシュレイはこの優しそうな母親が居て、愛されているムスタファをうらやましいな、と思った。
「そうだ……ムスタファはあなたを殺したんでしょう?あなたが人間を食べるようになったから……」
「そうよ。ムスタファは私を殺したわ」
「なのに愛している?」
「もちろんよ」
自分の子どもなら、殺されても怒らないのだろうか。そんなことあるだろうか。母親は自分の子供だからって、なんでも許せてしまうものなのだろうか?
「ムスタファもあなたのことが好きだったんですね」
アシュレイはなぜ自分がこんなことを言ってしまったのか全く分からなかったが、それでもそれは本心だった。ムスタファが母を殺した話をした日。ムスタファは王として当然だとか、ためらいはなかったとか言っていた。でも、違うはずだ。ムスタファは国を大事にしているわけではなかったのだから。
ムスタファはきっと、その日、そうするほかなかったのだ。
「ええ。私を殺した日、あの子は子供みたいに泣いていたわ。その時もう、私はあの子を抱きしめてあげることも出来なかったけれど」
「……」
泣いていたのか。泣いていたんじゃないか。あの嘘つき狐じじい。
「……あなた、悲しんでくれるのね。すごく、悲しそうな顔をしているわ」
「だって、自分にはそんなものなかったから」
「羨んでいるの?ふふ、おかしい子ね。半神らしくもない」
アシュレイは目の前の白いカップを手に取り、中身が入っていないことを確認するとまた机に置きなおす。
「どうしてあなたは急に、人間を食べ始めたんですか?」
「私はね、狐なの。神様でもなかったわ。でも、この国で神様になってしまったから……外に出られなくなってしまったの。王は私を国に閉じこめることに決めたわけね。愛していたし、私はそれでもかまわなかったのだけれど……」
居なくなると国が成り立たないから、閉じ込める。そりゃあ、王様が居なくなったらどんな国だって一大事だ。でも、いなくなったら即終了なんて、国として成り立っていると言えるのだろうか?例えばアズライト帝国だって、王が死ねばオズワルドかコーネリアスが王になるからさしたる問題はないし。国が崩れるというほど誰か一人に依存しているのは良くない、全く良くない。
「出られない?ムスタファと同じように?」
「いいえ、国内は歩きまわって良かったの。でもね、私ってほら、狐だから。たまに見つけた子ウサギとかをそのまま食べていたりしたのね。それを見た国民たちは私を化け物扱いし始めて」
「ま、まあ……見た目は人間ですしね……」
この白い優しそうな美女が生のウサギを貪り食うさまは確かに、見たくないかも……とアシュレイは思う。狐だから仕方ないのだろうが。
「狐としての私はここに居るけれど、神として成立した〝私〟は、人々の想像したままの形に変わって行った。神としての力が強くなるたびに私は弱くなっていって、私としての人格が表に出てくるようになったの。」
ミラゾワって、神様の名前だったんだ。そしてこの人がミラと言ったか。ゾワってどこから来たんだ、とアシュレイは思うが多分現地の言葉で何か由来があるのだろう。
「……」
「頭がまだぼんやりしているみたいね。仕方ないわよね、無理にあなたの頭の中にお邪魔しているんだし。それにこんなに頭の中が真っ白な人って初めてで、なんだか居心地悪いわ。
……話がそれたけど、つまりね、私はどんどん国民たちが想像する〝人をも食べる〟化け物へと変化していったの。私がそんなことをしたくなくても私は人間を襲ったし、食べてしまったわ」
「そんなことあります?」
「あるのよね。その点、半神はうらやましいわ。存在が固定しているから、信仰によって人格が揺らがないもの」
「……存在が……固定……」
「前にも進まないし、後ろにも下がらないってこと。……まあ、そんなに悩むことないのよ。私が最後の力を使ってあなたにしがみついているのはね、ただ伝えたいことがあったからなのよ」
「なんでしょう?私に出来ることであれば」
アシュレイが目の前のムスタファ母を改めて見て、姿勢を正した。
「あの子をね、外に出してあげてほしいの。幸せにしてあげて?かわいそうに、私の宮殿が燃えたのを見てあの子、どうしたらいいか分からなくて宮殿の奥に閉じこもってしまったの。あなたと一緒の、あの怖い人もあの子に何をするか分からないし。」
「幸せにするって……そんな、責任とれないです」
「そうね、あなた恋人が居るんだったわね……じゃあ、私があの子を愛してるって言ってたって、伝えてくれる?」
「それくらいなら……」
「それから、抱きしめてあげてほしい。私が出来なかった代わりに、強く強く。あの子は悪くないの、あまり責めないであげてね」
「抱きしめる、ですか……」
ムスタファにとっての幸せが何なのかはアシュレイには想像もできないが、まあ、美女の死に際のお願いである。愛する息子を託した遺言である。そのくらいしてやろう、とアシュレイは思った。その瞬間、意識がまた朦朧とした。意識の海面を潜ったり沈んだり、溺れているような感覚。そうして、ムスタファの母の白い顔が見えなくなる寸前、最後に声が聞こえた。
「可愛いあの子を、よろしくね」
アシュレイは分かりましたよ、と頭の中で少し投げやりに答える。幻聴か、それとも……
精神世界での 語らい




