それは夜に灯る青い光②
塔の前に立っていたムスタファは、アシュレイが戻ってきたか、ミサキがやってくるだろうと踏んでいた。だから目の前に現れた男を見て拍子抜けしたような気持ちになった。
アルドヘルム=ブラックモア。アシュレイの執事として同行している男。少し容姿が良くて強くてモテるだけの、貴族としてはごく一般的な男。家族にも恵まれ、幸せな思い出も悲しい思い出もあり、素性も知れている、普通の人間の男。周囲にも知られたアシュレイの想い人で、アシュレイを愛している男。普段の穏やかな笑みを脱ぎ捨て、そこにはなぜだか酷く冷めた顔をして。
『お前は確か……アルドヘルム……だったか?なぜここに来た?たかが人間が』
「お前は半神は見てすぐわかるのに、私を見ておかしいと思わないんだな。」
『……な……なに?なぜお前の言葉は……それにお前は……お前の髪は金色じゃ……』
「私はお前を殺しに来たのではない。死にたくなければそこを退け」
なぜ言葉の壁無くして通じているのか?何のことは無い、アルドヘルムは元よりミラゾワの言葉も理解できていた。それは一体なぜなのか?
アシュレイには忘れていることがあった。ミサキによって知らされ、その後都合が悪いからと記憶から消去された言葉。それは、ミサキがはじめてアシュレイの学校に教師として現れた日に言われた言葉。
「お前の知り合いにも一人、人間に混じって神がいるじゃないか。」
アシュレイはいまだ、その言葉の指す人間を知らずに過ごしている。そしてその当事者は。神だったころの記憶をミサキに頼んで消させ、すべて忘れて人間として生活していたその男は。
「他国の言葉が分かるのは妙だと思ってな。つい、すべて思い出してしまったんだ。前から少し、何かおかしいと思うことは多かったんだが、こういう状況になったなら思い出して良かったかもしれないな」
〝アルドヘルム〟は剣をその場に投げ転がすと、ゆっくりとした足取りでムスタファに歩み寄った。そのあまりにも無表情な顔に、ムスタファは不気味さを感じて一歩後ずさる。
『さっきから何を言っている?ここを通りたいなら私を倒していくがいい』
「そうか。」
アルドヘルムはゆっくりと近寄った勢いのまま、右手でムスタファの頭を掴むと、そのままムスタファの体を持ち上げた。地面から5センチほど浮かされたムスタファは驚いてじたばたと抵抗するが、アルドヘルムの手はピクリとも動かない。石造りの塔に後頭部を押し付けられたムスタファは、明確にこの男が〝人間ではない〟ことを悟る。月明りに照らされる、いつもとは違う青みがかった銀色の髪の毛。青かった目は、不気味に光る金色に変わっていた。闇の中、ただ青い月明りだけが二人を照らす。
騎士団やエインズワース家使用人、アルドヘルムを知る誰もが思う。「アルドヘルムさえいれば勝てる」「アルドヘルムが一番強い」「人間離れしている」と。それは当然のことなのである。アルドヘルムは人間ではないのだから。
「……そういえば、お前はアシュレイに勝手に話しかけていたな。」
そう言ってムスタファの頭を壁にゴリゴリと擦りつけながら、アルドヘルムは相変わらずの無表情で話を続ける。
「あと、思い出した後だったから洗脳されたふりもしなければならなかった。お前が余計なことを言ったせいでな。」
『はな、せ……!貴様、この力、神なのか!!いったいなぜ、お前は何の神なんだ!!』
「お前には関係のないことだ」
アルドヘルムは壁からムスタファを離すと、次は中庭の草むらのほうにムスタファを投げ捨てた。ムスタファは実に5メートルほど吹き飛び、地面にたたきつけられる。アルドヘルムはまたゆっくりと歩きだし、見張りの居なくなった塔の階段を、一段一段登り始めた。ムスタファはある程度の力は持っていても、誰かと戦った経験も危害を加えられた経験も無かった。はじめて感じる猛烈な全身の痛みに、身動きを取れないで倒れている。
「……?」
二階の牢屋を見たアルドヘルムは、扉が開いて中がもぬけの殻になっていることに気づいて首を傾げた。それから三階に登り、そこの牢屋も扉が開いていなくなっていた。最上階に登る。鍵穴が壊れて開いたドアと、自分がやったように無理矢理こじ開けられた檻の柵。ああ、ここにアシュレイが閉じ込められていて、あの男が助けに来たんだなとアルドヘルムは納得する。それから階段をまたゆっくりと降りて、中庭で倒れているムスタファの元にやってきた。
「マイリ=モルダーとソヘイルをどこへやった?」
『……』
ムスタファは倒れたまま力なく首を動かし、月の光を背にして立つアルドヘルムを見上げる。
「答えないなら指の骨を一本ずつ折るぞ」
『……平民の獣人の夫婦が、見張りを気絶させて勝手に連れて行った。多分あの男の親だろう』
「そうか。無駄足を踏んだな……まあいい。アシュレイの頭に痣があったが、お前がやったのか?」
『……そうだ』
「じゃあ……指三本で許してやる」
『は?なっあ゛ぁッ!!うっ!!ひ、やめろ!!』
ボキ、ボキと鈍い音を立ててアルドヘルムがムスタファの左手の指を足で踏みつけてきっかり三本折った。痛みにムスタファが悲鳴をあげる。それが終わると満足したのか、アルドヘルムは後ろを向いてまた歩き出した。
400年以上生きてきてはじめて、ムスタファは相手を心の底から恐怖した。この感情は少しだけ、アシュレイがはじめてミハエレに手を掴まれた瞬間の恐怖に似ている。ミサキからは本気でムスタファに危害を加えようという意思は感じられなかったし、なにより感情は比較的わかりやすかった。アルドヘルムからは〝怒っている〟だとか〝楽しんでいる〟だとか、そういった感情が全くくみ取れないのだ。何を思ってこんな残酷な暴力をふるったのか?それが不気味で、ムスタファには恐怖だった。
「次あの女に何かしたら、お前を苦しめて殺す」
一度立ち止まり振り返りもせずにそう言い捨てたアルドヘルムは、再びゆっくりとした歩みで宮殿の出口へと歩いて行った。そして、歩くたびに徐々に髪色が元の金色に戻り、目も青色に戻っていった。出口で、丁度最後のアズライト兵が出ていくところに遭遇したアルドヘルムは、にっこりと笑って言った。
「助けに戻ったんですがもう誰も残ってないようですね、早く戻りましょう」
「は、はい!ブラックモア卿もご無事で何よりです!!」
そうして何もなかったように、いつも通りに戻ったアルドヘルムはその兵と一緒に闇夜に紛れて船へと戻った。街は不気味なほどに静まり返り、虫の声すらしない。塗りつぶしたように真っ黒な空に、ぽっかりと輝く月が浮かんでいる。今夜は満月だ。
船ではこの二人以外の全員が無事戻り、帰りの食料や水も揃え、出航の時を待っている。
あんな不幸な過去話の直後にボコボコにされてかわいそうなムスタファ。アルドヘルムは何者なのか?結局まだしばらく謎のままかも。




