悪を成す①
アズライト帝国貿易交渉遠征部隊一行がミラゾワに滞在をはじめてから、約二週間が経過した。
この国での残りの滞在日数も、残り半月ほどとなる。エドウィン曰く、貿易交渉もおおむね上手くいっていて、ミラゾワ王とも友好的な関係が築けている……らしい。あまり信用しすぎるのもどうかと思うのだが、エドウィンは外交のプロなのだから言うまでもないだろう。アシュレイたちと同年代なのに毎日話し合いをして街を視察もして、ご苦労なことだ。
このころになると、ソヘイルとマイリだけがアナスたちの家に通うようになり、アシュレイとアルドヘルムは宮殿の周辺をたまに出歩く程度で、街の奥へは行かなくなった。行っても嫌なものを見るだけだし、はじめての海外で多少なりとも楽しみにしていた割には気分も重く。それに、アナスとアティヤも少しくらい、息子と息子の嫁……候補だけとの時間を過ごしたいだろうし。通訳が居なくても、少しの会話くらいならかなり慣れたようだ。やはり、ネイティブと話していると上達が早い。
宮殿で暇になっても、わざわざムスタファと話をしに行く気にもなんとなくならなかった。相変わらず、夜にはたまにミサキの家に遊びに行ったりしていたが。ミサキは日中、何か調べ物をしているとか言って部屋に閉じこもるようになった。多分、自宅で畑仕事でもしているのかもしれない。ミサキ宅には管理する場所も多そうだし。と、そんなわけでアシュレイは特に目的もない日々を、たまにミラゾワの文化の本なんか読みながらダラダラと過ごしていた。
自分の部屋でアルドヘルムに膝枕してもらって爆睡していたアシュレイは、ドアがノックされる音が聞こえると勢いよく起き上り、一瞬にして髪を整えた。その様子を見て、本を読んでいたアルドヘルムは本を閉じてドアを開ける。ミラゾワの高官が立っていたので、アシュレイも何事かと身構えた。
『こんにちは。何か?』
『本日の宴は、兵の方々も皆お呼びしまして、アズライト帝国の方々全員の歓迎の宴としたいと思っております。大々的な会になりますので、必ず参加していただきますようお願いしに参りました。』
『それは……丁寧にありがとうございます。参加させていただきますね』
それだけ返答すると、高官は頭を深く下げて去って行った。それを言いに来たのか、まあ、そういうこともあるよなとアシュレイはなんとなくで理解し、ドアを閉めた。アルドヘルムが不思議そうな顔をしていたので、高官の言った言葉を通訳して教える。
「そうですか……では、私も自室に戻ることにしましょう。アシュレイ様も正装になったほうがよろしいかと。」
「はい。そうしますね」
アシュレイはアルドヘルムを部屋から見送ると、持ってきたドレスの数点の中から、そう飾りが多くないシンプルなものを選んで着ることにした。着替えて窓の外を見るとソヘイルとマイリが宮殿に戻ってきたところだったので、部屋から出て宴のことを教えに行く。いつも宴は7時頃始まるため、あと時間は一時間ほどあった。マイリたちは分かったと言い、それぞれの部屋に着替えに行った。一応、良い服を持ってきているのである。ソヘイルにも遠征に際して少し高めの服を買わせてあった。
そして丁度7時ごろ、部屋には再び高官たちがそれぞれ、アシュレイたちを迎えに来た。なんだかいやに歓迎ムードで変な感じだが、そんなもんなのかな、とアシュレイは思う。いつものようにアシュレイたちは大机の片側の一席一席に座っていたが、高官が言っていた通りアズライト帝国兵たちも広間に集まっていて、それぞれ酒の入った杯を配られていた。乾杯するのでまだ飲まないでください、と言づけられて。
皆が集まり、広間が人でいっぱいになった。そして少し騒ぎ声が収まったところで、ムスタファが言った。
『今日はアズライト帝国の兵たちにも皆、この場に集まってもらい盃一杯分の酒を配っている。お前たち全員の歓迎の宴だ、乾杯しよう』
アシュレイと片手で数え足りるほどの通訳、ミサキだけがそれを理解している。少し勉強しているエドウィンは「何かしようと言っている」「歓迎している」くらいは理解できているようだが。ムスタファが笑顔なので、皆友好的だということだけ理解していた。
「乾杯をしようと言っています。」
ミサキが翻訳する。エドウィンはああ、と頷いてからカップを手に取り、少し不安そうにミサキに質問した。
「乾杯……というとグラスを掲げて飲むあれか?カップの形状は変わっているが、我が国と同じようにすれば良いのか?」
エドウィンがミサキに質問すると、ミサキは思い出すように少し黙ってから説明した。
「この国での乾杯である、乾杯、と彼が大きな声でかけ声を出すでしょうから、自分から見て右上の小さな盃を自分の目の高さまでまず持ち上げ、それから一度に飲み干します。そのために少ない量にしてあるのです」
cheersって普通に英語じゃないか、とアシュレイは思ったが特に何も言わなかった。まあ英語は元は世界共通語だったわけだし、言葉が通じない同士では英語を使って会話することも多かったのだろう。言語の節々に英語が混じっているわけだ。他の多くの国でもそうなのかもしれない。
「なるほど。分かった、皆も分かったか?」
「はい」
「かしこまりました」
アシュレイや、エドウィンのお付きのホリーもエドウィンの言葉に頷く。
「はい!エドウィン殿下!」
兵たちも口々にエドウィンに了解の意を示した。エドウィンはなんだか嬉しそうな照れ臭そうな顔をしている。アシュレイもそれを見て微笑ましく思う。が、アルドヘルムが隣に座っているアシュレイの袖を軽く引いてきた。なんだ?とアシュレイがアルドヘルムに少し顔を寄せる。アルドヘルムが小さい声で囁いた。
「絶対にその酒を飲まないでください。」
その予想外の言葉にアシュレイは驚いた顔をしたが、すぐに答えた。
「分かりました。」
「あと、周りの人たちに何か変化があったら同じようにふるまってください。私と離されてもです」
「……はい。」
「お願いします。それから……離れても、後で必ずあなたを迎えに行きます。」
「はい。迎えに来てください」
正直何も意味が分からないが、アシュレイはアルドヘルムの言葉を大人しく聞き入れることにした。
しかしアシュレイが酒に強いことくらいアルドヘルムは知っているはずなので、止めるということはこの酒に何か毒でも入っているのだろうか?
大体、アルドヘルムはこの国の言葉がほとんど簡単な挨拶や日常会話くらいしか分からないはずなのに。この盃の中身を飲み干すのが礼儀のようだし、王子も多分そうするだろう。毒が入っているなら王子が飲むのも止めるべきだと思うのだが。
アシュレイはミサキの様子を見たが、ムスタファのほうを向いていているので目が合わない。意見を仰ぐのは無理そうだ、とアシュレイはあきらめた。
どうやら酒が苦手な人間も一々確認を取られて、そういう人には果実のジュースが配られているようだ。このムードでは「それだけ全員を歓迎している」と取る方が自然だが、アルドヘルムに忠告された後のアシュレイは「どうしても全員に一度に飲み干させたい」のだと感じられた。
何かが入っていると言われれば、そういう気がする。
『乾杯!!』
ムスタファが大きな声で言うと、場にいる全員が盃を持ち上げ、一度に飲み干した。アシュレイは袖に皮袋を入れておき、飲むふりをしてそこに流し込んだ。アルドヘルムもどうにかして誤魔化したんだろう、盃の中身は空になっていた。
「これは美味しい酒で……」
「……?王子殿下?!どうし……」
まず、アシュレイの背後にいた兵が膝をついて音を立てて倒れた。音に驚いてアシュレイはゆっくりと振り返る。次々と兵が倒れていく。エドウィンはぐったりとテーブルに倒れ込み、エドウィンのお付きのホリーも、エドウィンを庇うような姿勢のまま気を失っていた。
アシュレイはそれを見て、出来るだけ自然な形で椅子の背もたれに倒れかかって気絶したふりをした。
周りのアズライト帝国遠征部隊は軒並み気を失い、こうしてアシュレイたちは、船にいる残りの兵たちとの連絡も絶たれてしまったのである。
『ほう、半神にも効くのかあの毒は。まあまだ若いからかもしれないが……男の方には一滴で熊を殺す毒を大量に溶かしてあったんだが、残念ながら生きているな。どこかに移動したらしい。』
ムスタファが大きなひとり言を言っている。男というのは多分、ミサキのことだ。どうやら殺す気だったらしい。ミサキはこれからどうする気か知らないが、ともかくこの場から去ったようだ。なに、彼には移動手段などいくらでもある。
それはどうでも良くて、ムスタファはやはり「悪人」であったのだ、とアシュレイは確信した。同時に残念に思う。ミサキに悪い王だと言われていても心のどこかで、この国の王に対して人間らしい善性を期待していたのである。
王子のことも貿易も、悪いようにはしないと言っていた。エドウィンのことは気に入ったように言っていた。なのに、全員を騙した。王子に薬を盛った。だからこの時点でムスタファはアシュレイにとって「悪い人間」になったのだ。
『王子と付き人は元の部屋に閉じ込めておけ。兵士たちとそこの男は牢屋にぶち込め。それから……そこの女2人とあちらから来た獣人の男。その3人は塔の牢屋に1人ずつ捕らえておけ。』
アシュレイは目を閉じたまま荷台のようなものに乗せられ、その指定された牢屋に連れて行かれるようだった。少し薄めを開けてみると、玉座でふんぞり返って嫌な笑顔を浮かべているムスタファが目に入る。
ムスタファが何をする気なのかアシュレイには分からなかった。だが、アズライト帝国と対立する気だということだけは理解できる。どうするんだろう、どうなるんだろう、自分は何をすべきなのだろうか、とアシュレイは運ばれながら考えていた。




