到着!ミラゾワ王国
甲板で海を眺めていると、海風が心地よくてアシュレイは目を細める。はじめは慣れずに船内に居ることが多かったが、海の香りというものは悪くない。カモメも飛んでいて、たまに船にもとまっていたりする。
「あ、島が見えてきましたよアシュレイ様」
アルドヘルムが遠くに見えてきた島を指さした。アシュレイも、左右見えなくなるまで遥かに広がる島を見る。大陸は流石にデカいなあと感心した。アシュレイたちの住むアズライト帝国は、隣接する姉妹国のネフライト王国と二つだけの島国である。半々、少しアズライト帝国のほうが大きいにしろ大陸に比べてばどんぐりの背比べである。
「本当ですね。マイリたちともようやく合流できるというか、こんなに長くマイリと話さなかったのはマイリに出会ってから初めてだったかもしれません」
なにしろマイリは、女子高生並みに友達にべったりする性格だったので。アシュレイがようやく船旅も終わりか、と少し嬉しそうに言うとアルドヘルムはアシュレイの背後から両肩に笑顔で手を置きながら会話をつづけた。アシュレイの先日の「お前が一番だぜ!」発言以降、再びアルドヘルムはべったりモードである。バカップルをやるようなキャラでもないので、アシュレイは距離感を測りかねているのだが。そもそも、アルドヘルムも元々は硬派な騎士様的な存在じゃないっけ?出会った頃とキャラ違くない?なんてアシュレイはたまに思う。でも人は恋して変わるのかもしれないし、仲が良いに越したことは無いので悪しからず。
「でも船越しに手を振ったりはしてたじゃないですか?」
「会話できないと会ってる感がないじゃないですか」
「そういうものですか?」
「というかアルドヘルム、あなた近いですよ。態度が露骨すぎます。バランスとか距離感とか、人目を気にする心というものがですね……」
ミラゾワ王国は大きな大陸の端の、山に囲まれた小さな国である。そう、獣人たちの住む国という点を除けば全く一般的な普通の国。以前アシュレイがソヘイルに渡した歴史書「ミラゾワ伝記」の舞台、全員言葉を使って話をする普通の人類でありながら、猿のように尻尾のある人もいれば、猫のような耳の人、二息歩行してるだけで頭も体も完全にロバのような人もいるらしかった。正直、失礼かもしれないがアシュレイはそういった未知との遭遇にワクワクしていた。UMAとかとはまた違うがファンタジーに感じるというか、現実味が無くて心踊る。
1度完全に世界が滅ぶ前の世界の価値観では、そういった、耳や足や体の一部が変容している人間は大体の場合、「奇形」や「異形」と評されていた。DNAだの血筋だの、科学的にそれらを分析して時には手術でそれを取り除くことだってあった。だが基本的にこの世界では、いや、アシュレイたちのようにごく普通の外見の人種の多くは「呪い」によってなされるものだと認識している。とても非科学的だが、まあ実はこの世界は本当に非科学的なので仕方ない。
ミラゾワの民の中では獣人のことは獣人ではなく「ミラゾワ族」と認識している。もちろん本人たちにとってはそれが普通で、呪いなんてとんでもない。むしろ、動物要素ゼロのつるっとした人間のほうがかっこ悪く見えてしまうくらいだ。アシュレイはミラゾワ族が「獣神と人間の交わりにより増えた」民族だと知っているため、差別意識は全くない。どちらかと言えば、この国に生きた「半神仲間」なんかがいないかなあなんて楽しみにしていたりする。そう考えれば、ソヘイルだって薄くはあっても神の血を引いた存在ということになるし。
あとはこう、もしかすると他の半神が、歳を普通にとっているかも?なんて期待もアシュレイにはあったりする。同じ半神のミサキが歳をとらない体になったとしたって、アシュレイが確実にそうだとも限らないし、こう、男女の体質の違いなんかもあるかもしれないし。案外アシュレイは普通に年老いて死ねるかもしれない。望み薄ではあるのだが。
「アシュレイ。……と、アルドヘルム。おはよう」
「おはようございますエドウィン殿下。お仕事の方は大丈夫ですか?」
少しおずおずと話しかけてきたエドウィンに、アシュレイがにっこりと笑顔で返事をする。エドウィンは安心したようにフワッと笑い返した。こうしてみるとなんとも綺麗な顔をしているな、私ほどじゃないが。とアシュレイは思う。今まで友達が居なかっただけあって距離を測りかねているのが初々しい。それにしても確かコーネリアスもアシュレイが同じクラスになるまで友達が居なかったとか言っていたし、王子は友達が少ない決まりでもあるのだろうか。
「ああ。元々仕事は早めに終わっていたんだが、通訳から言葉を学んでいた。通訳が居るとはいえ、交渉するのは私だし、簡単な言葉くらいは喋れた方がいいからな」
「立派な心掛けですね……感服致します」
「い、いやでもまあ、船の上はすることも特にないしな」
エドウィンは少し困ったように言う。自分は顔だけの男だみたいに以前言っていたが、こういう努力家な面を見るとそんなことないだろうに、とアシュレイは思う。
ちなみにアシュレイは、ミラゾワの言葉は「読めるけど喋れない」という感じだ。文字の意味は解読できるし筆談ならできるが、もちろん喋ったことはないし発音も分からない……という状態。色々な言語は学んでいても、言葉の通じない異国の人間と会話を試みたことは無いのであまり意識していなかった。
英語や日本語、イタリア語やフランス語などならリスニングCDもあるし、字幕付き映画を見たりして学べて便利なのだが。「私も通訳と会話の勉強しとけばよかったかな……」なんてアシュレイは少し心配になる。この船に乗っている大概の人間はミラゾワの言葉が分からないが、ミラゾワの国の血を引いている可能性が高いソヘイルだって喋れないのは同じなのである。ソヘイルの家族を探すにあたって、言葉が喋れないのは不便だ。
「あと数時間でミラゾワに到着するが、あそこに滞在するにあたって通訳は全体に5人ほどしかいない。私には専属の通訳が居るが、お前たちはアルフレッド卿と共に行動してくれ。彼はミラゾワの言葉も学んでいるそうだ。元々彼はアシュレイの学校の教師でもあるし、ちょうどいいだろう」
「えっアルフレッド先生ですか!それはありがたいですね」
アシュレイの嬉しそうな言葉に、どういう意味だ?とアルドヘルムが少しむっとするが、そういうことである。流石は5千歳、人間の言葉の一つや二つお手の物である。多分その5人の中でもぶっちぎりでペラペラ喋れるだろうし、なにより近くにいると色々便利なのである。某猫型ロボットのごとく、アシュレイはミサキを頼りにしていた。
「じゃあ、伝えたからな」
「あ、エドウィン殿下」
アシュレイが、すぐ立ち去ろうとしたエドウィンを呼び止める。エドウィンは振り返る動作すら、薄紫の髪が儚げに揺れて美しく儚い感じだ。背は高いしがっしりした感じの体型には近いのだが、どこか「少女漫画の序盤に出てくる、主人公の女が憧れている光側のイケメン」を思わせる雰囲気だ。ちなみに大概の場合、そのイケメンとヒロインがくっつくことはない。
……と、まあそれは置いておいて。アシュレイはエドウィンを呼び止めはしたものの、少しその場で次に発する言葉を考える。
「エドウィン殿下、現地に着いて余裕が少しできたら!一緒にお茶でもしませんか?せっかくですから、私たちもっと仲良くなりましょう!いずれ学校も同じになりますし!」
「……あ……ああ!ありがとう。兄上たちの話とか、学校の話とかも聞きたいと思っていたんだ。」
エドウィンも少し照れつつ頷く。アシュレイは良かったと安心し、やはり兄弟というのは気になるものなんだなあと思う。普段外国にばかり行かされている第3王子のエドウィンだからこそ、本国に帰った時、何か居辛い部分があるのだろう。そう考えると、いくら向いているからといってまだ若いエドウィンが働かされてばかりなのは気の毒だとアシュレイは思う。だがそれもミサキの家で、進んだ文明の考え方を知っているからこその感覚なのだろうか。
お供を連れて船室に戻って行くエドウィンを見送った後、再びアシュレイはアルドヘルムと二人になった。アシュレイがアルドヘルムの顔を見ると、珍しく目が合わず島のほうを見つめていた。
「アシュレイ様。いくら事前に訪問して入国許可をとっているとはいえ、ミラゾワは我々にとって未知の国です。ついてからは、私から離れないようにお願いします」
「……ええ。ありがとうございます。頼りにしていますね、アルドヘルム」
そんな会話の後数時間後、アズライト帝国の真っ黒な船がミラゾワの港に更に近づいた。アシュレイは遠くから港からの風景を見て、「ああ、なんだかアジアとか、台湾とかの風景に似ているな」と思った。もちろん事前に知っていた通り文字などは全く漢字に近くないし、中国語でもない。だが、街並みの色合いや提灯のようなものの形状、屋根が瓦のような造りなのがそれを思わせる。アシュレイの住むアズライト帝国が中世フランスを感じさせる雰囲気であるのと同じことなのだろうが。何かしらの文化が入り混じり、そうなった。
「なんだか空気が……湿っていますね。曇りだからでしょうか」
「そうですね……やはり国が違うと気候も違うのでしょうね」
話しているうち、船が港についてガタッと少し揺れた。下船する者は集められ、アシュレイたちも荷物を持って船の降り口に集まる。曇っている天気にも関わらず活気のある街が、アシュレイたちを待ち構えていた。




