それが彼女の愛
「あ、アルドヘルム……」
部屋に戻ったアシュレイは、船内入り口の近くにあるアルドヘルムの部屋のドアをノックした。すぐにアルドヘルムが出てきて、二人の間に少しの沈黙が流れる。アシュレイが話しはじめようとすると、アルドヘルムはにっこりと笑って手を出した。
「……紅茶を入れたところなので、飲んでいかれますか?」
「あ、ええ。ありがとうございます」
落ち込んでいた、と聞いたがそうではなかったようだ。部屋からは紅茶のいい匂いが漂ってきて、コート掛けには行きにアルドヘルムが着ていた、黒い革のコートがかかっている。アシュレイは思ったよりアルドヘルムがいつも通りなので面食らってしまった。数時間前、アシュレイは半神の発作が起きて部屋に引きこもっていたので、その間アルドヘルムは自室で待機していたとミサキに聞いたが。
「顔色がだいぶ良くなりましたね、大丈夫でしたか?」
「はい。少し船酔いをしてしまったようで」
「そうですか。風が弱くなったら外の空気を少し吸ってくるといいですよ」
ん?と少し引っかかりながらも、アシュレイは出された紅茶を大人しく飲む。案外平気そうかと思ったアルドヘルムの顔は、よく見ると少し元気がないようにも見えてアシュレイは言葉に詰まる。正直、アシュレイは他人の繊細な気持ちにそう気を遣う方ではない。マイリのようにある種分かりやすい人間のフォローは得意なほうだが、アルドヘルムのような年上の男に対し、何か心配な気持ちになったのははじめてだった。
どうしようかと少し考えているうち、アルドヘルムは少し静かな声でアシュレイに言った。
「もし、私のことを本当は何とも思っていないのでしたら。アシュレイ様、私はただの執事に戻ります。あなたに嫌な思いをさせるために、あなたを好きになったんじゃありませんから。迷惑でしたか……なんて聞くのは卑怯ですね」
「アルドヘルム」
アシュレイは、そこまで思い詰めていたのかとものすごく驚く。二人きりなのにアシュレイ様、と呼ばれたことがなんとなく嫌だった。アシュレイは立ち上がってカップを机に置く。
「アシュレイ様?」
アルドヘルムが驚いた顔をする。アシュレイは自分は今どんな顔をしているんだろうか、とぼんやり思いながらアルドヘルムを見つめる。アシュレイは自分が普通の人間ではないことを知っている。自分が年をとれないかもしれないことを知っている。それをアルドヘルムに話す勇気がないのも、かといってアルドヘルムを手放して、他の女に渡す勇気もない。
数時間前の覚えていない自分の言葉で、アルドヘルムは本当に傷ついたのだろう。今後、また発作が起きた時、自分はこれをきっと繰り返すのだろう。アルドヘルムの気持ちに関わらず、自分の意志に関わらずアルドヘルムに嫌な思いをさせるだろう。アシュレイはそう思うと、アルドヘルムの言葉に違うと即答することはできなかった。だが、黙っていてはそれを肯定したようなものだ。
「私は嫌な事を黙って受け入れるような受け身の人間ではありません。アルドヘルム、先ほどは意識を失う寸前でほとんど記憶がないんです。あなたが嫌いだから邪険にしたとかではまったくありませんから」
「し、しかし私は……なんだか、年下で色恋の判別もつかないあなたに一方的に迫ってしまったようで」
「あなたがそんなことを気にする人だとは思いませんでしたが……」
少し前までグイグイ迫ってきて嫉妬も露骨だったのに、ここにきて突然弱気になったアルドヘルムにアシュレイはどうすべきか少し思案する。というか、人前でキスとかしたことあるのに何言ってんだとも思うが。
「私はあなたのことを知らなさすぎる。生い立ちも、家族も、好きな食べ物も好きな色も知りません。顔だって私はどうでもいいんです。性格だって私に対する優しいあなたしか、ほとんど知らない。」
「……はい」
「それでも私は、あなたがこれからどんな人間だと分かっても好きなままだと断言できるんです。私は罪なき100人と罪なき1人を天秤にかければどんなに親しくても迷わず100人の方を取りますが、100人とあなたであれば、あなたを殺してから……」
「あ、そこは私を殺すんですね」
「私も一緒に死にます。」
「えっ」
アルドヘルムが驚いたような慌てたような顔をする。出会った頃はどちらかといえばお固そうで、真面目なばっかりに感じていたアルドヘルムが今ではアシュレイの言葉で一喜一憂したり、コロコロ表情を変えたりしている。アシュレイにはそれが不思議だったし、嬉しかった。
「あなたが悪いことをしたら私も一緒に死にます。私が共に死んでも構わないと思う相手はあなただけです。いつも誤解させてばかりですから言いますが、アルドヘルム。私はあなたと添い遂げることができなかったとしても、あなた以外の相手を選ぶことはありえない。
あなた以外の選択肢はないんですよ、アルドヘルム。愛しているからそんな情けない顔はやめてください」
アシュレイがそう言ってにっこり笑うと、アルドヘルムは手に持っていた紅茶のカップを手から落として割ってしまった。アシュレイはギョッとしてアルドヘルムを見る。いや、よく見たらカップの取っ手だけアルドヘルムは持ったままだったので、なんと握力でカップを破壊してしまったらしかった。
「ア、アルドヘルム?カップが割れましたよ」
「私以外の選択肢はなかったんですか?」
「ありませんよ。オズワルド王子もスペンサー卿も、その他の人も異性として眼中にありません」
もはや異性とはなんだという感じだが。
「添い遂げられない云々というのは?」
「それは言えないですね。余計なこと聞かないでください」
「えぇ?!」
なんだそれはとアルドヘルムは思っているが、アシュレイからすれば紅茶のカップが割れたのに全く気にしていない様子になんだコイツ?!と思っている。お互いにしばらく見つめ合った後、アシュレイがハンカチを取り出してアルドヘルムが落としたカップの片付けをはじめたのでアルドヘルムが慌てて止める。
「すみません、私がやります」
「私は一世一代の告白をしたんですが?」
「あ、私も……あなたを愛しています。アシュレイ」
「知っています。」
そう言っている間にアシュレイはカップを片付けてしまい、アルドヘルムが呆然としている間にさっさと部屋から出て行ってしまった。
あなた以外の選択肢はない。
アルドヘルムにとって、一番欲しかった言葉だった。アシュレイは誰にしようか迷っているのかもしれない、自分は選ばれないかもしれない、と思っていたアルドヘルムにとって。
部屋を出たアシュレイは、壁に背中をついて一度、大きなため息をついた。
愛情表現なんて知らない。相手に想いを伝える上手な手段もない。これで良かったのだろうか、とアシュレイはまた思い悩む。
誰もが得難き真実の愛とはなんたるや




