ダレンとアシュレイ
雪が珍しく溶けて地面の緑が顔を出す冬のある日、ダレンは屋敷内の仕事をひと段落して庭に空気を吸いに来ていた。
エインズワース邸の庭は公爵家の庭なだけあっていつ見ても見事なものだ。庭師は1人だが、それを補助する係が他に五人ほど居る。庭は貴族にとってステータスのひとつ。だから、管理に余念はないのだ。
「あれ、お嬢様。珍しく椅子に座って大人しく何してるんですか?」
そんな見事な庭の奥、ガゼボの中で座って何かしているアシュレイにダレンが話しかける。アシュレイは声に気づいて顔を上げてダレンを見た。ダレンはそのままアシュレイの隣に座る。
「淑女のたしなみだそうで、刺繍をしろと言われたんですよね、チッ」
明らかにアシュレイは面倒くさがっているようで、投げやりな反応だ。刺繍の布を持つ手もどことなくぎこちない。
「へー、見せてくださいよ」
「どうぞ」
アシュレイがポイッと投げてよこした刺繍やりかけのハンカチを見て、ダレンが目を見張る。糸がところどころほつれており、布が引きつっている。補助の下書きが描いてあるのにも関わらず、縫い目もガタガタだ。
「え?コレ……へったくそですね!不器用だったんですかお嬢様!あはは!」
ダレンにはっきりとそんなことを言われたアシュレイであったが、怒る様子はなくむしろ開き直った様子である。
あくびをしてからグッと伸びをすると、アシュレイはダレンから刺繍をさっと取り上げた。
「刺繍以外は私は出来がいいので、ええ、勉学なんかは器用にこなすんですがね。ええ……まあ、刺繍もそのうち上手くなりますよ。何事も続ければそれなりにうまくなるもんです」
ダレンは根拠のない自信に満ちたアシュレイに、呆れたような顔をする。
「自分で言いますか、それ……ちょっと貸してください、こうですよ」
またアシュレイからハンカチを奪い取ったダレンは、アシュレイに見せながらチクチクと器用に刺繍を刺しはじめた。アシュレイはそれを眺めながら、驚いたような感心したような顔になる。
「はーん、器用なもんですね……そのまま代わりに完成させてくれませんかね」
「駄目ですよ、教えるのは教えられますけど。俺だってやったことないけど見れば大体できます。こんなことも出来なくては立派なご令嬢になれませんよ」
「嫌味っぽいとまではいいませんけど、あなたは私に対する遠慮がなさすぎますね。立派な執事になれませんよダレン」
「私はもう立派な執事なので大丈夫ですよ」
「自分でそういうこと言っちゃうんですね」
「あんたが言うな!!……そういえば、この前発声練習できるところがないとか言ってましたけど、アレどうなったんですか?」
言いながらもダレンは褒められたことが嬉しいらしく、どんどん刺繍を進めていく。そのまま雑談をする雰囲気になったのでアシュレイも内心、「おっ!このまま刺繍を終わらせてくれるんじゃないか?」と期待している。
「ああ、それは……発声練習はあきらめて、体を鍛えること中心にすることにしました。ドレス着たまま運動するのって、結構体力使うんですよ」
「いや、ドレス着たまま運動しないでくださいよ……ドレスって高いんですから」
アシュレイはよくドレスを着たままベッドの上に掴まって懸垂をしてみたり、寝間着で腕立て伏せを汗だくになるまでやってみたりしてメイドたちをドン引きさせていた。
この辺りは冬が長いし乾燥した気温なので普通風呂は多くて4日に一度くらいだが、アシュレイは毎日汗を流すためにシャワーを浴びている。スポーツマン、いや、スポーツウーマンなのだ。
「そういえばいい機会だから、あなたやアルドヘルムもいるんだし、演技の幅を広げるために剣術を習いたいな、なんて思ったりしてるんですが、やっぱり令嬢的にはそういうのダメなんでしょうね」
アシュレイが言うと、ダレンは刺繍に集中したままでそれに答えた。
「そりゃそうですよ!いい機会だからっていいますけど、剣術って危ないですし……いくら舞台役者だからといって、運動神経が必ずしも武術に向いてるとは限りませんし、まずお嬢様みたいな高貴な身分の令嬢が練習中に怪我なんかしたら、俺が責任取らなきゃいけなくなりますし、正直迷惑なので勘弁してくださいよ。お嬢様は剣術の前にこの下手くそな刺繍を練習してください」
作業しながらなのによく回る口である。アシュレイはダレンがあまりに本音で喋るので笑ってしまった。
「アハハ!はっきり言いすぎじゃないですか?というか、具体的にそういった場合の責任って何なんです?賠償金とか?まあ、そんなに嫌なら別にいいですけど……」
「そりゃあ、責任ってのは俺がお嬢様を嫁にもらうとかですよ。傷つけた責任みたいな……お嬢様公爵令嬢だし別に俺はいいですけど?お嬢様はいやでしょ?」
「お嬢様公爵令嬢だし」という権力目当てを隠しもしない割り切った姿勢には、アシュレイは逆に好感が持てるとすら思った。だがまあ、結婚して責任を取ると言われればそんなかんじなんですね、とアシュレイはダレンが嫌がるのも納得できた。
「そんな迷惑そうな顔で言われても……なるほど……確かに、貴族と結婚するとなると家の管理なんかで働かなきゃいけなくなるし面倒ですね。あなたはタイプじゃないし」
「お嬢様ってデリカシーないですよね。俺も別にお嬢様はタイプじゃないですよ」
「天は二物を与えずってね、私はもう美しさを会得して存在しているので他はないものが多いんです。あとお前もデリカシーはないからな」
ダレンは呆れた顔で、ひと段落まで刺繍したハンカチをアシュレイにつき返した。最近のアシュレイは天然だとか人に優しいだとかいう意味ではなく、文字通りの意味で変人として知れ渡っている。
屋敷内だけでだが。やることなすこと貴族の令嬢としてはおかしいことばかりだ。とはいえ、アシュレイもそれはわかっているので家の人間以外の前では猫をかぶっているのだが。
「あ、そういえば。マリアさんがすごく困っていたのでベッドのふちに掴まって腕力を鍛えるのやめてくださいよ。あの方も結構年なんですから……精神に負荷をかけないであげてください」
「だって太っちゃいますよ……他のご令嬢見る限りふくよかな方が多いですし……男を演じるにあたって、体形ってのはかなり大事なんです。足とか太くなると困るし。そう、あと問題は成長することで胸が育ってしまったら困るという点がありますが……」
「ああ……それは大丈夫なんじゃないですか?」
「なんでそんなこと分かるんですか」
アシュレイがダレンの頭を小突く。ダレンが「悪かったですって」と笑いながら謝る。絶対反省してないだろお前、とアシュレイも少しムカついた顔をしたがすぐ元に戻った。
「そういや、アルドヘルムと歓迎パーティ出たんですよね?楽しかったですか?」
「王子に二人会ったんですけど、第一王子が髪の色のコンプレックスを抱えているみたいなんですよね。ダレンは私と同じで黒髪ですが、何か言われたことありますか?私なんかは下町の底辺だったので近所の子供に悪魔の子だの言われた時期もありましたよ。一時期ですが」
「あー、俺は一応侯爵家なんでそんなには言われたことないっすね、むしろ神秘的とか言われてモテてました」
「はあ、なるほど……そんなもんですか」
自分でモテることを申告してくるんじゃない。「コイツ別にモテそうにないのにな……」とアシュレイは心の中で失礼なことを考えていた。背はめちゃくちゃに高いので、そこはモテるポイントなのかもしれないが。
「男の中には文句言ってくる奴もいたけど、お嬢様と同い年になったくらいの時に急激に背が伸びて何も言われなくなりました」
昔は背、高くなかったのか。アシュレイはふーんと感心しながら下手くそな刺繍を続けた。
「なるほど、あなたって背が高くて威圧感がありますもんね。私も初対面のとき、あなたのことはかなりヤバい奴だと認識してましたよ」
「そうっすか?まあ俺も、初対面の時はあんたのこと小汚いガキだなって思ってましたけど」
「小汚い?!こんなに整った顔立ちなのに!」
「はいはい、俺はそろそろ行きますよ。刺繍頑張ってくださいね、アシュレイお嬢様」
「あ、刺繍手伝ってくれてありがとう。あなたもお仕事頑張ってくださいね、いつもありがとう」
ダレンは、アシュレイの言葉に少し驚く。しばらく歩いて振り返ると、アシュレイはまた刺繍に向かって悪戦苦闘しているようだった。
真面目と言えば真面目なんだよなあ、とダレンは思う。庶民的でありながら、都合のいいときは令嬢ぶる6歳年下の生意気な子ども。だが、なんだかアルドヘルムが気に入る理由もわかる気がする。
というか、ダレンも気に入っているのだが。どうせなら初日、自分もアシュレイの演劇を見られれば良かったのに、と残念にも思う。律儀にお礼、当たり前の礼儀ではあるがそれがない令嬢は多い。これはいつか、立派な人になるかも?とダレンは考えたりする。
「……はあ、働こ」
ダレンはそう呟き、気合を入れなおして屋敷に戻っていった。




