一寸法師編
轟、と音を立てこの身を破壊するには過剰なまでの質量を持つそれが迫ってくる。それの放つプレッシャーに大気圧が数倍になった様な錯覚を抱いく。しかし恐れはしない。この攻撃はすでに4,5回受けているし、命の危機など生活する上で常に感じている。
それをよく観察すれば、角度をつけて降ってきていることがわかる。降ってきて、というか、鬼が上から下に棍棒を振ってきているのだから当然である。短絡的な鬼は既に4,5回避けられている攻撃を繰り出している。いつまでもこの棍棒の振り下ろしが続くか定かではないし、戦闘を長引かせて後ろにいるお嬢を巻き込んでしまっても不味い。ここらで勝負を決めることにする。
今まで余裕を持って避けてきた棍棒を、最小限で避け反撃に出る。
姿勢を低くし三歩前へ。一寸のこの体は、それだけで棍棒が地面に接する範囲を避けられる。
瞬間、爆裂。棍棒が打ち下ろされ大地が弾ける。吹き飛ばされてしまっては反撃の機会を失う。腰に下げた一対の銀の針の一本を地面に深々と突き刺し衝撃をやり過ごす。
凄まじい風圧を喰らいクラクラする意識の中で、地面に刺した針を手放し棍棒へと飛び移る。ゆっくりと引き戻される棍棒にしがみつき、遂に同じ目線で鬼を観た。
ぶっとい丸太の棍棒を軽々振り回すその巨躯。人の形をした獣、と形容したくなるような野性味溢れる筋肉。そして短い一本角に大きな一つ目、上を向いた鼻、醜い口。その瞳孔は開き顎からは涎がだらしなく垂れており、理性を失っていることを察せられる。元より鬼という物に理性があるかは定かでないが。
金棒に掴まり高所に運ばれてきたので視界が開ける。厳かな風貌で屹立する老木が並ぶ。その片隅に、ひっそりと、しかし神聖な雰囲気を纏った社がある。この神社、九頭龍神社といい、国宝打ち出の小槌が奉られているらしい。らしい、というのは、社は小さいながら広大な森による境内の奥に奉られていて、殆ど目にしたものがいないからである。その森の奥から鬼はやって来た。なんの前触れもなく、災厄を撒き散らしながらやってきた。
既に他の参拝客や家来仲間は逃げた、者とあの化け物の手に掛かってしまった者が殆どだ。ここに残っているのは鬼の放つ瘴気に当てられて動けなくなったお嬢、とお嬢を守ろうとしている父親でありここら一帯を取り仕切る領主でもある権藤様だけだ。使えるべき主君を置いて先に逃げ出した家来仲間を情けないとは思うが責める気にはなれない。普通の人の身ではあの棍棒に一蹴されてしまうだろう。それにしてもお嬢を担いで避難する、くらいの気概は欲しかったが。翻ってこの身は、一寸しかないこの身は、鬼を相手にするのに都合がいい。小ささを活かした奇襲が出来るのだから。
今までずっとこの小さな身体には苦労させられてきた。人に踏まれそうになったことなど数え切れないほどあるし、蜂や蚊などはこの鬼に勝るとも劣らない怪物のように感じられる。人間関係の面でも苦労している。小さい頃は同い年の子供に虐められたり初めて会う人には毎回必ず驚かれる。今俺の周りはみな理解のある人達で生活をサポートしてくれ優しく接してくれる。それでも好きな女子に想いを伝えることが出来ない、という悩みがあるが、人間という種であるか不明な俺にとっては高望みが過ぎるだろう。
「ぐるるぅ……」
鬼は足元に目線を遣り、俺の姿を探す。当然、棍棒の裏にしがみついてる俺の姿は見当たらない。潰されて木っ端微塵になったか、吹き飛んで行ったと考えたのだろうか、鬼は棍棒を肩に担ぎ次なる標的を求めお嬢達の方へ目をやる。
比較的頭に近い位置にいて、鬼の意識は逸れた。条件は揃った。絶好の機を逃さざるべし、と躊躇うことなく駈け出す。担いだ棍棒の先まで行き、そこから飛んで頭へ着地。古来より鬼の弱点は角だと言われているがこの針では傷すらつけられない。今回の狙いはー。
この時点で鬼に気がつかれ、頭の上へ空いた手を伸ばしてくるが無視。止まることなく頭の上から鼻目掛けて飛び降りる。
「っ疾!」
空中で振り向きざまに一閃。鬼の目を針で掠める。
「ぐご…がああああ!!!」
鬼は目を硬く閉じ大きく叫ぶ。腹の底から、否、地獄の底から吐き出された瘴気が辺り一帯を駆け巡る。身体を蝕む波動が拡散し、直撃を食らえば死にも至るような攻撃だが、右手に握った針が闇の瘴気を打ち払う。
この針は銀で出来ている。西洋では銀には魔を滅する力があると言われており、育ての親である爺と婆が餞別に贈ってくれた物だ。山で芝刈りをしているような爺と、川で洗濯をしているような婆のなけなしの財産で銀を手に入れてきてくれた。ほんの数グラムだが身を骨にして働いてくれたのだろう。
俺が京に出たいと言った時、爺と婆は激しく心配をして、結局願掛けも兼ねて銀の針をもたせて送り出してくれた。
その銀の針が今、鬼の邪気を打ち払う。鬼は瘴気を放っているが、大口を開けて隙を晒している。
銀の針を突き出して、その口に飛び込む。
これが唯一の勝機。口の中の湿気と臭気を堪えながら、暴れまわる舌を踏みしめ奥へ進む。口蓋垂を掴み針を根元へと突き刺し、掌を上に向け深く深く押し込む。恐らく最も人体の中で柔らかく急所に近いところがここだろう。
直後、銀の針が淡い光を放ち鬼の身体を分解してゆく……
正直期待以上の結果だ。銀がここまで効果を発揮するとは。
鬼の身体が消え、俺の身体は落下する。衣服を鼯のように広げ、落下速度を緩和し着地。
次いで、ごとん、と隣に巨大な小槌が落ちてきた。打ち出の小槌、だと一目でわかる神気を放っている。この小槌が鬼の正体だったのか。なぜ小槌が鬼と化していたかは不明のままであるがとりあえず事は片付いた。後ろにいるお嬢に目を遣ると。
ふたり、苦悶の表情で固まっていた。もう2度と動かないと直感でわかる。お嬢と権藤様がなぜ死んでいる、鬼は倒したのに……!
ふたりの死から目を背けたくて、原因を考え始める。しかしすぐに答えに辿り着いてしまう。鬼の咆哮だ、目を傷つけたときに放った咆哮だ。あの咆哮に含まれた多分の邪気がふたりを死に至らしめたのではないか。そもそもお嬢は鬼の近くに居ただけで動けなくなるほどだった。
くそおおおぉぉ……鬼を倒したのに守れなかった。この小さすぎる身体では守ることのできる範囲が狭い……
ふと、打ち出の小槌の伝説が思い出される。
「なんでも好きな願いを叶えることが出来る」
鬼が消え、小槌が放られている場所へと近づいてゆく。さっきは気がつかなかったが、小槌からは神気、とでも表現すればよいのだろうか、なにか普通ではない気配が感じられる。これなら……
打ち出の小槌に触れる。お嬢と権藤様を生き返らせて、と願おうとして思い留まる。それだとまた危機が迫ったとき守ることが出来ないし、お嬢と対等になれない。お嬢と対等でないこの身体のせいで、いくつもの願いを諦めてきたか。俺の願いは。
「人生をやり直させてくれ。今度は、しっかりとした身体で。」
こうして俺、一寸法師は普通の寸法の身体を得て人生をやり直すことになった。
一寸法師編 了