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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第四部
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第三話 陸将と海将

 昭和十八年十一月。

 南半球のラエは夏、雨季だった。うだるような高温多湿の中で、日本の海軍航空隊は連日のような米軍機の空襲に備えていた。

 かつてニューギニアの首都はラバウルだったが、六年前に花吹山の噴火が始まってからは、ラエがニューギニア植民地の主都となっていた。ソロモン海に面するフォン湾、そそぐブス川とマーカム川の河口に東西を挟まれた港湾都市である。

 開戦直後に、日本軍はラエとそのフォン湾の対岸にある小さな町、サラモアに上陸し、占拠した。これらは日本軍の重要な拠点となっていた。陸軍は、ここからさらに海岸沿いに南に下ったブナとゴナを足がかりに、ニューギニア島南岸のポートモレスビー攻略を何度も試みていた。しかし、標高四千メートルを超えるオーエンスタンレイ山脈に阻まれていた。

 その日の早朝、付近の山頂に設置した電探が米軍機の編隊を捉えた。その数、三十以上。航空隊基地からは、すぐに紫電改とゼロ戦が二十機飛び立つ。数では劣勢だが、局地戦闘機としての紫電改は優秀だった。海底軍艦ほどではないが、航空機にもI計画の効果は現れており、エンジンの出力や品質、通信機などの装備が向上している。

 渡良瀬三郎は愛機に乗り込み、大空へ舞い上がった。数えで二十八と若いが、ここラエに配属されてからの連戦で、既に技量は練達と言える。しかしそんな彼でも、眼前に迫る敵機は、教練で見せられた写真や図面ばかりで、実物を見るのは初めてだった。

「あれはP-51……ムスタング!」

 敵機の主翼前縁にある機銃が火を噴いた。こちらも応射し、機体を翻して交差する。

 陸軍機だ。ついに米陸軍が動いた!

 一介の戦闘機乗りではあっても、渡良瀬は戦局が大きく変わったことを悟った。


 サラモアから内陸へ50キロ、ゴールドラッシュで湧いた鉱山町ワウ。ここには小規模だが飛行場があり、日本軍が拠点としていた。

 ラエとサラモアへの空襲とほぼ同時に、このワウにもムスタングに守られたC―47輸送機が急襲してきた。迎撃に上がった紫電改は、ここでもムスタングの火力に阻まれ、敵輸送機に近づけない。逆に遠ざけられてしまい、C―47は次々と強行着陸をしていく。

 C―47スカイトレインは、傑作機と言われた旅客機ダグラスDC―3を軍用輸送機に改造した機体だ。欧州戦線でも大量に投入され、特にイギリス軍に供与された機体はダコタの愛称で呼ばれている。故障知らずの信頼性と双発エンジンによる高い飛行性能を誇る。二十八名の兵士または二・七トンの物資を積載できる。

 降り立った輸送機からは続々と兵士が降り立ち、飛行場の施設と駐留していた日本軍を制圧していく。そのさまを上空から見て歯がみする、紫電改の搭乗兵たち。

 もはやここには降りられない。残り少なくなった燃料を気にしながら、必死でラエを目指すのだった。

 ワウを占拠したのは、米・豪陸軍の混成部隊だった。C―47は次々と飛来し、着陸しては兵士と物資を吐きだしてまた飛びさる。このピストン輸送でたちまちのうちに三千人の部隊がこの地に降り立ち、装備を整えるや否や、進軍を開始した。

 ワウからサラモアまではブラックキャット・トラックと呼ばれる山道が結んでいる。かつてこの道を通ってワウへ金鉱夫たちがやってきた。今、そこを逆にたどる形で、米・豪陸軍の部隊が軍用バイクで走破していく。荷台やサイドカーに重機関銃などの火器を載せて。

 サラモアに到着した部隊は、すぐさま装備を降ろして攻撃を開始した。上空はムスタングが制空権を確保しており、サラモアの日本側の防備は海岸に集中していた。背後を突かれた日本軍は浮足立ち、米・豪軍の重火器に蹂躙されていく。砲撃により、サラモアの市街も灰燼と帰した。

 正午、日本の防備隊は壊滅し、指揮官は自決した。

 日本軍はサラモアにも小規模ながら滑走路を造成していた。それが仇となり、ここにもC―47が大挙して飛来し、兵士と物資が投入された。その日の夕暮までに、数千人の兵士と重火器が送り込まれる。

 そして夕刻。ムスタングとの死闘で疲弊した紫電改が次々とラエに着陸していく。その中には渡良瀬の機体もあった。まだ日没までは間がある。燃料と弾薬を補給し、この日何度目かの離陸を行う。

 その頃、米・豪軍は徴発・鹵獲した船舶に乗船を開始していた。護衛のムスタングもワウからさらに飛来し、夕暮れの迫る中、フォン湾渡航作戦が開始された。

「させるか!」

 渡良瀬は果敢に紫電改を操り、敵兵を満載した船舶に爆撃を試みる。しかしムスタングに阻まれ、やむなく爆弾を海上に投擲して反撃に転じた。

 渡良瀬たちがムスタングと死闘を繰り返す間、何機かの紫電改と零戦が爆撃を試みたが、ほとんど損害を与える間もなく撃墜されていった。

 機体性能も技量も、自分たちは決して負けていない。しかし、この圧倒的な物量をはねのけるには足りない。

「ラバウルは、ラバウルは動いてくれないのか!?」

 悲痛な叫びを上げつつ、渡良瀬は敵の火線をかいくぐり、両翼の二十ミリ機銃を敵機に放つ。


 その頃、ラバウルでは南雲忠一が苦り切っていた。ラエからの砥論暗号通信で奇襲を知り、即座に出撃命令を出したのだが、彼の配下の海鷲たちは夕刻になってもまだ風船型天蓋の中で待機していた。

「火山灰の除去はまだ終わらんのか」

 側近が司令の問いに直立して答える。

「はい、何分、掃いたそばから降り積もる次第で……」

 今日は朝から花吹山の噴火が激く、いつもに増して火山灰の濃度が高かった。そのため、吸気口の濾過器がたちまち詰まってしまい、発動機の故障が相次いだ。そのため、やむなく飛行禁止としたのだ。

 南雲司令の苦渋の決断だった。戦場に向けて飛び立つ海鷲たちが、火山灰にやられて墜落するのだけは避けたい。高度があれば落下傘で脱出できるが、離陸直後に発動機が停まればどうしようもない。

 何より、火山灰を吸い込んだ発動機は、飛行中にいつ故障するかも分からない。敵の銃弾に倒れるならまだしも、敵前で故障して墜落では目も当てられない。

(俺たちは、まさにこの日のために厳しい訓練を課してきたのではないか。なのに、このざまだ)

 南雲は窓から天を仰いだ。夕陽に照らされた花吹き山からは、真黒な噴煙が今も上がっている。昨年の六月で噴火はほぼ収まり、ここ数カ月は静かだったと言うのに。

 やがて、恐れていた連絡が入った。

 ラエが陥落したのだ。生き残った機体はラバウルへ向かうと言う。地上部隊は散り散りにジャングルへ退避したようだ。

 その通信を最後に連絡は絶たれた。砥論暗号機を敵に渡すわけにはいかないため、機材の破壊は命令されているが、おそらく通信兵は自決したに違いない。捕虜となって砥論の存在を知られることを避けるために。

 しかし、足の長い零戦ならまだしも、局地戦闘機の紫電改では、空戦の後では燃料が持つかどうか。ましてやこの火山灰だ。着陸前に発動機をやられてしまうかもしれない。

 我々は天に見放されたのか?

 頭髪があればかきむしりたいところだった。


 渡良瀬は被弾していた。ムスタングの十二・七ミリ機銃弾が搭乗席後部に着弾し、破片が腹部を貫通したのだ。激痛と出血で意識は薄れたが、愛機は飛び続けてくれている。最後に基地から入った通信は、ラバウルに向かえ、と言うものだった。

 燃料計は半分を切っている。ラバウルまで六百四十キロ。ギリギリ、持つかどうかだ。

 宵闇が迫る中、すでに夜空に染まっている東へ飛ぶ。夜間着陸など訓練以外でやったことはない。ムスタングが追撃してこない事だけはありがたいが。

 そして二時間後。眼前に迫る闇が、不透明な火山噴火の雲だとわかると、渡良瀬の絶望は確信に変わった。

「ああ、俺もここまでか……」

 それでも、最後まで愛機に命を預けるしかない。お前の息の根が止まった時が、今生の終わりだ。

 火山灰を通して鈍くぼやけるラバウル基地の誘導等に向かって、渡良瀬は高度を落として行った。じきに発動機が異音を発する。頑張れ、もう少しだ。

 今の高度なら、機体を捨てて落下傘で降りることもできる。しかし、救助を待つ間に腹の出血で死ぬだろう。

「どうせ死ぬなら、せめてお前と一緒だ」

 ここまで耐えてくれた愛機に向けてつぶやく。

 高度をさらに下げる。異音はさらに多くなり、何度も止まりそうになる。咳き込むような回転音。

 滑走路が見えてきた。あと少し。

 だが、そこで発動機は息絶えた。失速した機体は地面に叩きつけられ、渡良瀬の意識は暗黒に飲まれる。


 オーストラリアのケアンズ基地では、ラエ奇襲成功の報告に、ハルゼーの怒りが炸裂した。

「今までこちらの戦闘に一機も出さなかったのは、この作戦のためか? あのキツネ野郎め!」

 日本との海戦のたびに、米海軍からは米陸軍へ協力要請が行なわれていた。その都度、陸軍からは丁重な返事が返ってきていた。戦力再建中にて、作戦への参加はいたしかねる、と。

 それも仕方ない。本国からの細々とした補給も海軍が優先で、陸軍はしたたり落ちる雨水をためるようにして部隊再編を進めてきたのだった。

 それを今度は、空母の傷が癒えず動けぬ米海軍をよそに、単独で陸軍がラエを落としたのだ。

「司令、どこへ?」

 執務室を飛び出すハルゼーに、副官が追いすがる。

「決まってるだろうが! あいつのところだ!」

 ダグラス・マッカーサー陸軍大将。

 その執務室にハルゼーが飛び込んだ時、すでに日はとっぷりと暮れていた。


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


渡良瀬三郎(わたらせ さぶろう)

ラエ航空隊の戦闘機搭乗兵。愛機は紫電改。


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