第二十三話 必中の一撃
夕闇迫る南国の海原に、黒煙がたなびいていた。その煙は、海上を進む巨艦の甲板に空いた大穴から噴き出していた。艦の中央、やや艦首寄りに空いた破口だった。
第五航空戦隊の旗艦翔鶴。その艦上では、必死の消火作業が行なわれていた。これまでの戦訓から、消火ポンプや配管の多重化が行なわれているが、火の回りが早すぎた。夜の索敵と警戒のため、格納庫で燃料を入れていた夜光雲が次々と火に巻かれ、爆発炎上を繰り返す。
艦橋では艦長の岡田為次大佐が苦悶していた。区画を密閉して消火剤を撒く緊急消火は、破口が大きすぎて効かなかった。最後の手段は艦首の特別消火装置だ。これを作動させれば、炎は一気に消せる。しかし、艦尾側にある無傷な機体も失ってしまう。
呻吟する艦長の肩に、手が置かれた。原忠一少将だった。
「機体は諦めよう。乗員と搭乗員を救うべきだ」
岡田艦長は頷いた。
「では、司令。瑞鶴に将旗を移してください」
前回の海戦で無傷だった瑞鶴は「幸運艦」と呼ばれていた。その運はまだ尽きぬらしく、未だに被弾もなく健在だった。
「了解した。消火を頼む」
艦長は特別消火を命じた。艦首の爆薬に点火され、猛烈な爆風が翔鶴の格納庫を吹き抜ける。無傷だった格納庫後部の機体は粉々になり、艦尾の隔壁を破って吹き出して行った。
機関部は損傷を受けなかったため、航行は可能だがもはや戦闘力はない。原少将は短艇で瑞鶴に移り、こちらを旗艦とした。
残照の中、翔鶴は北へ向かって回頭した。敵の二次攻撃が来る前にこの海域を脱出しなければならず、敵潜の待ち伏せもないとは言い切れない。そこで、原少将は駆逐艦二隻を護衛に付けた。
今回も、翔鶴に降りられなかった航空機は瑞鶴が受け入れている。またもや、乗り切らない機体が損傷の大きい順に海へ投棄されていた。
やがて最後の一機が着艦し、被弾した最後の一機が海へ捨てられた。
原少将の指令が飛ぶ。
「よし、第二次攻撃だ。発艦準備を急げ!」
一方、フレッチャー少将も空母ワスプのダメージコントロールに苦慮していた。爆撃は受けなかったので飛行甲板は無傷であったが、攻撃機からの雷撃で大量の浸水があり、最大速度が二十ノット以下に落ちてしまったのだ。帰還した攻撃隊の収容は何とかなったが、問題はこの後だった。
「排水の進み具合はどうだ?」
副官を問い詰めるが、答えは芳しくない。
「全ポンプを総動員してますが、浸水の量が多く……」
フレッチャーは副官の話を遮った。
「隔壁はどうなっている?」
浸水は防水隔壁を超えて広がっていた。
「防水扉が、水圧で閉められなくなっているようです」
フレッチャーは唸った。このまま次の攻撃を受ければひとたまりもない。撤退も考えたが、速度が落ちている以上、追い付かれてしまえば同じことだ。
「針路を一〇〇へ。韜晦して敵襲を避ける」
苦しまぎれの策だったが、他に考え付くことはなかった。
夕焼けを背に、フレッチャーの艦隊は東南東へと向かう。最後尾でしんがりを務めるのは、フレッチャーの乗る旗艦ボルチモアだった。
「このまま夜になれば、襲撃は免れるか」
祈るようにフレッチャーは呟く。日本には、夜間攻撃機は無いはずだった。
そこへ、レーダー手から報告。
「六時の方角から敵編隊! 百機以上!」
フレッチャーは打ちのめされた。
遅かった。いや、敵が速すぎたのか。報告では、向こうも空母の一隻が大破炎上しているはずだ。それなのにこの短時間で二次攻撃を繰り出してくるとは。
「全艦隊、対空防御! ワスプを守れ!」
速度が落ちている上に、浸水が抑えられずワスプは十度ほど右舷に傾斜していた。このため、迎撃機が上げられない。ボルチモアと駆逐艦の対空砲火が頼りだった。
重巡ボルチモアのレーダーが敵機を捕らえ、対空砲が火を吹く。VT信管で炸裂する至近弾で、敵の攻撃機は次々と落とされる。だが、海面すれすれを低空で飛来する攻撃機は、レーダーに映っても対空砲の追随が困難だった。
一機の攻撃機が砲火をかいくぐり、魚雷を投擲する。最初だけわずかに雷跡を引くが、すぐに機関の燃焼は空気から純酸素に切り替わり、雷跡は消えた。走行音を聞きつけた駆逐艦がヘッジホッグを放つが、距離を見誤って見当はずれなところに水柱が上がるだけだった。シーウルフ艦隊と比べると、どうしても練度が劣る。
フレッチャーは艦橋の窓に取り付き、魚雷の行方を追った。雷跡は見えなくても、なぜかはっきりと感じることが出来た。
空母ワスプの艦尾に巨大な水柱が上がる。同時にその船足が殆ど停まり、ボルチモアは衝突を回避するために右に転舵した。遠心力で艦が左に傾く。
「まただ……また空母が」
フレッチャーの呟きが漏れる。
ほとんど停止し艦隊から脱落したワスプに、敵機が群がる。護衛の駆逐艦が転舵して戻るまでのわずかな隙に、三発の爆弾が飛行甲板を突き破って爆発した。燃え盛る炎が破口から吹き上がる。
西の空も暗くなり、頭上には星が瞬き始めた。内側から炎に照らされるワスプを見た日本の攻撃隊搭乗員の中には、故郷の灯籠長しを連想する者もいた。丁度、日本は送り盆の時期であった。
最後の敵機が頭上から去ると、ワスプからボルチモアへ、発光信号で総員撤退が告げられた。
「全艦隊、救助活動にかかれ」
またしても、この命令を下す羽目になるとは。
歯噛みするフレッチャーに副官が声を掛けた。
「しかし、今回はシーゴーストが現れませんでしたね」
そうだった。あの雷撃で一瞬のうちに轟沈しなかった分、今回はましだった。おそらく、爆発と火災で命を落とした者を除けば、ほとんどの乗員やパイロットは助かるだろう。
こちらの戦果も、少なくとも敵空母一隻を大破させているはずだった。これは攻撃隊の取った写真ではっきりしている。
それだけでも、良しとするべきだった。
一方、ハルゼーも痛み分けと言えた。
「こっちも一発喰らったが、ようやくあのデカブツにもお見舞いできたか」
サラトガの後ろをついてくる空母フランクリンは、飛行甲板への爆撃で破口が開き、そこからまだ消しきれない炎がチロチロと覗いていた。しかし、じきに消し止められるはずだった。
一方、こちらの爆撃隊もあの巨大戦艦に、遂に手傷を負わせている。二番砲塔へ爆弾が直撃し、動きを停めることに成功したのだ。軽微とは言え、初めて成功した攻撃だった。
さらに、戦艦に付き従っていた二隻の空母のうち、加賀と思われる方にも一発喰らわせている。こちらはすぐに火災が納まったようだが、航空機の発着は困難になるはずだった。
「フランクリンから飛び立った航空隊は、他の三隻に分けて着艦させろ」
ハルゼーは指示を再度徹底させた。どれか一隻に集中して着艦して、収納しきれない機体を投棄する羽目になっては困る。
その時、レーダー手が叫んだ。
「敵襲! 百機以上!」
「ばかな!」
ハルゼーは叫んだ。こちらの機体の収容がまだなのに、何故、次の攻撃が出せるのだ。そもそも、月が昇っているとはいえ、夜間攻撃とは。
上空にはまだ、護衛の戦闘機がいる。しかし、もう燃料が切れるころだ。何より、夜間に戦える機体ではない。レーダー搭載が必須だった。
「一体、ジャップはどうやって……」
「左舷! 敵機来襲!」
低く登った月に照らされ、三機編隊の攻撃機がサラトガに迫る。うち二機が魚雷を放つと、急旋回して離脱していった。
「MYRTだと?」
正確には夜光雲、電探を装備した夜間索敵機だった。編隊の目となって、敵艦まで攻撃隊を率いてきたのだ。
ズン、と激しい響きと共に、舷側に水柱が上がる。二発の魚雷がサラトガに命中したのだ。
「おのれジャップめ!」
罵りながらも、艦長にダメージコントロールを取らせる。周囲を見回すと、バンカーヒルの甲板から炎が噴き出していた。フランクリンも大きく傾いている。
敵機は既に帰還したようだった。沈んだ空母はないが、惨憺たる有様だ。
「残りの航空機は、ホーネットに着艦しろ。急げ!」
薄暮攻撃のみならず、困難な夜間攻撃までやるとは。ヤマモトの後継者だというオザワは、相当の手練れに間違いない。
その小沢大将は、大和の艦橋で腕組みしていた。
「小沢長官、第四次攻撃ですか?」
背後から肇が問いかけた。小沢は振り向き、答えた。
「能力的には可能だが、搭乗員の疲労が気になる。敵を倒しても、事故で被害が出ては元も子もない。何より、加賀の岡田艦長がうるさくてな」
岡田次作艦長は昔から勘が鋭く、特に事故の予兆を捕らえては警告して回っていた。しかも、温厚な草鹿龍之介参謀長をして「薄気味悪い」と言わしめるほどの的中率だった。
「後方の六航戦からここまで来て、それからの出撃ですからね」
攻撃隊を引率した夜光雲などは、航続距離を活かして六航戦から飛び立ってここで合流し、そのまま敵艦隊に向かっている。帰りも直帰だ。
敵機の来襲を気にせず機体の整備と補給が出来る、後方基地としての仮装空母艦隊があってこその、連続攻撃だった。五航戦の薄暮攻撃も、六航戦からの増援が可能としたものだった。
「敵の空母で、無傷のものは一隻となったようだ。今しばらく動きを止めるには、これも潰したいところだが……」
ほぅ、と息を吐く。
「大和まで手傷を負うとはな。引き上げる潮時だろう」
艦橋から見下ろすと、二番砲塔が右舷を向いたまま停止していた。三基の砲身もバラバラな角度だった。砲塔の天井は爆撃に耐えたものの、衝撃で駆動系がやられたのだった。
また、砲塔内の要員も衝撃でかき回され、酷いありさまだったと言う。
「残り一隻。我々に討ち取らせてください」
肇の言葉に、小沢は眉を上げた。
「意外だな。貴君がそのように言うとは」
肇はこめかみに手を当てて言った。
「翔鶴が大破し、加賀も大和も損害を受けました。この傷を癒すのに、日本は何か月もかかるでしょう。その間、敵の足を止めるためには、残り一隻を沈めるしかありません」
ふっと笑みを浮かべる。やや苦笑めいていた。
「何より、一人せっついてるのがいましてね」
誰かは言うまでもない。
「だが、『わだつみ』の魚雷は少ないのでは」
小沢の問いに、肇は頷いた
「七本です。あと、伊二〇三に五本。しかし」
笑みを浮かべて続けた。
「とっておきの一本があります」
「来た来た! 来たぞ!」
「わだつみ」の発令所では、言うまでもない男が喜びに打ち震えていた。
「まあ、落ち着いて。例の新兵器ですね」
海野副長がたしなめる。
「ああ、ようやく使用許可が出た」
艦内通話を第一魚雷発射室につなぐ。
「艦長だ。特躁魚雷を発射する。操縦員は配置につけ」
発射管室では、年若い要員の一人が周りから小突かれていた。もちろん、本気ではなくじゃれ合いである。
「お前が一番乗りとはな。畜生、俺が乗りたかったぜ」
先輩に肘で突かれる操縦員。そこへ水雷長が来て両肩を掴む。
「頼むぞ。今までの訓練の成果、見せてくれ」
「了解であります!」
操縦員は発射管室の奥にある円筒の中に入った。外から扉が占められる。そこへ水雷長の指示。
「行くぞ! 魚雷十番、頭部を換装!」
やがて発令所に、発射準備完了の報告があった。
「よし、お客さんを切り離して攻撃位置に付くぞ」
草薙の指示の下、「わだつみ」は伊二〇三との充電牽引索を切り離し、共に敵艦隊の追尾に入った。
敵艦隊の旗艦サラトガは、攻撃機の魚雷が命中したため、艦隊の速度は十五ノット程度に下がっていた。伊二〇三でも十分に追尾できる速度だ。
草薙が下令する。
「一番後ろの、無傷の奴を狙う」
続けて指示。
「魚雷、二番から六番に装填。伊二〇三にも全装填を指示。合図で同時に発射する」
残りの発射管にも装填される。
「よし、二番から六番、伊二〇三、発射!」
「わだつみ」から五発、伊二〇三から四発、計九発の魚雷が放たれる。
敵空母を護衛するシーウルフ艦隊が、すかさず防御のために動き出した。
舌なめずりする草薙。
「いよいよだ。一番、特躁魚雷、発射!」
一番発射管から魚雷が放たれた。
「よし、離脱するぞ。距離を取る」
艦長の指示で、「わだつみ」と伊二〇三は回頭した。
その時、発射後しばらく直進していた特躁魚雷が、進路をわずかに変えた。操縦員の青年は、操縦筒の中で舵を握りしめ、探針音を頼りに敵艦の動きを探っていた。この日のために、聴音手について習った技能だ。音だけが頼りだが、動き回る艦船の様子が鮮明に脳裏に描かれていく。
ほとんどの駆逐艦は、先に打ち出した魚雷を追いかけるばかりだ。だが、二時の方向から駆逐艦が迫る。ほとんど気配で察して爆雷を避けた。さらに別の艦が。右へ左へと爆雷を交わし、爆発の中を縫うようにして進む。
ピン、と鋭い探信音。そして真正面からこちらに向かってくる推進音が。例の対魚雷魚雷だ。迂闊に避ければ追いかけてくる。引きつけてかわすしかないが、近すぎれば近接信管でやられる。急激に高まるピン、さっと舵を切ると、やかましい推進音が脇をすり抜けていった。
行ける、と確信すると推進器のレバーを押し上げた。こちらの推進音が高まり、敵空母に反射する探信音の間隔が狭まっていく。
命中だ、と確信した瞬間、操縦員は赤く塗られた釦を押した。操縦筒の電源が落ち、真っ暗になる。
その瞬間、「わだつみ」発令所に聴音手の声が響いた。
「命中! 特躁魚雷、命中しました!」
爆発音の後、空母の船体が水圧で潰される音が続く。
「やったぜ!」
小躍りせんばかりの草薙だった。
轟沈するホーネット。
スプルーアンスは呆然としていた。シーゴーストが最後に発射した魚雷は、明らかにそれまでとは違っていた。今までのようなぎこちない遠隔操作ではなく、まるで……そう、人間が乗って操縦しているかのように、なめらかな動きでこちらの防御をかいくぐっていた。
「まさか……有人魚雷?」
その呟きに、傍らでソレンセンが息を飲む。
「そんな、いくら日本人とは言え」
空であればありえる。被弾して帰還が困難になると、敵に体当たりして自爆するパイロットは、これまでも両軍どちらにもいた。ただ、その率が日本側に多いことは知られている。
だからと言って、最初から自爆覚悟の兵器に乗り込むものだろうか?
熱帯の海上であるにもかかわらず、スプルーアンスは背筋が寒くなった。
「わだつみ」の第一魚雷発射管室では喜びにあふれていた。酒があれば飲めや歌えだったろう。
だが、その騒ぎの中で、一人が耳に手を当てた。
「あれ、この音」
コンコン。
「誰だ! 余計な音を出すな!」
水雷長が叫ぶ声も、充分な音量だが。
コンコン。
やがて、一人が気づく。
「あ、操縦筒!」
パシッと額を平手で叩く水雷長。
「しもた! 忘れとった!」
急いで操縦筒の扉を開く。中にはふくれっ面の操縦員がいた。水雷長が声を掛ける。
「悪い悪い、殊勲者を先に出してやらねばな」
操縦員の青年は、ぶつくさ言いながら操縦筒から出てきた。
「この中、外部の音が邪魔になるから防音材が入ってるんです。魚雷が命中する直前に接続を切るから、本当に命中したかどうかも分らないんですよ」
魚雷と操縦筒はI端末でつながれ、魚雷が捕らえた音を操縦筒に伝えることで、まるで実際に乗り込んでいるような感覚で操縦できる。有線ではないから、酸素魚雷本来の遠距離から攻撃できるのも利点だった。
敵空母撃沈の報を受けた大和では、小沢長官によって作戦の終了が決定された。
帰路に就く艦隊だが、もう一人、取り残されてぶつくさ言っている男がいた。
伊二〇三の艦長、斎藤茂吉少佐である。
「全く、こっちは電池切れだと言うのに、この肝心な時に魔法の箱がだんまりとは、あんまりだぜ」
魔法の箱、I端末の電光板は「シバシマテ」と表示したままだった。
「敵の勢力圏なんだぞ、ここは。シュノーケル出して自力で帰れってか!」
それに気づいたのは、「わだつみ」副長の海野だった。
「艦長、そういえば伊二〇三が」
おう、と草薙は天井を見上げた。
「あれのI端末用の接続、魚雷に移したままだったな」
早速、接続が切り替えられた。通信手が報告する。
「伊二〇三より、置いて行く気か」
草薙は一気に疲れが出てきた。
「怒ってるな。そりゃ怒るよな」
通信手に向かって手を合わせる。
「頼む。代わりに謝っておいて」
そんな艦長に、苦笑する副長だった。
「しかし、I端末の数に制限があるのは厄介ですな」
海野副長が言う通り、同時に接続できるI端末は七つまでとなっている。実際は八つなのだが、そのうちの一つは肇と了の接続に占有されている。
これは了の世界側にある電算機の制限だという。あちらでこの仕組みを開発した大野太が倒れたため、機能強化は難しかった。
そのため、魚雷に接続するには伊二〇三の接続を切るしかなかったのだ。つまり、一度に一発しか撃てないことになる。その代り、必ず命中する。いや、させるのだった。
唯一無傷だった空母ホーネットを失うことで、米太平洋艦隊は開戦以来、遂に稼働可能な空母をすべて失うことになった。
大破した空母を修復し、新たな戦力を養うまでの数ヶ月が、日本の稼ぎ出した成果と言える。
その象徴であるかのように、八月末、二発目の原子爆弾が日本で完成した。
次回 第四部第一話 「火山と基地」
11月26日(土)朝8:00に公開予定です。




