第二十一話 十七発の弔砲
南国の都市、ラエの街並みから南へ少し外れると、ヤシの木が風にそよぐ浜辺が広がっていた。そこからは、紺碧の入り江を挟んだ遥か南側の対岸の山々が見渡せた。
ここは南半球。北半球とは逆に太陽は北側を通るので、正午に近い今は真北の天頂近くから明るい陽射しが降り注ぐ。対岸の山並みの緑がその陽光に映え、頂上は真っ白な雲に覆われていた。
その手前を、陽の光を浴びて鉄色に輝く巨艦がゆっくりと進んでいた。その九門の主砲は前方四十五度を指し、微動だにしない。
その一門が火を吹き、入り江の中に轟き渡った。しばらくしてまた一門。一分ごとに砲声が鳴り響き、計十七発の空砲が撃たれた。
この地から飛び立って命を落とした、山本五十六元帥への弔砲であった。同時に、このニューギニア島を挟んだ南側に位置するはずの、米艦隊に対する戦闘開始を告げる号砲でもあった。
連合艦隊旗艦、戦艦大和は、かつての主への礼を尽くすと、新たな戦いに向けてソロモン海を東に進んで行った。
八月十五日。山本前長官の新盆に合わせたわけではないが、連合艦隊は珊瑚海からソロモン海へ行動範囲を広げつつある米艦隊を迎え撃つ作戦を開始した。後にソロモン海海戦と呼ばれる。
弔砲を撃ち終わると、艦内に退避していた乗員が甲板にあらわれ、持ち場に付く。大和の艦橋から、肇はその一部始終を眺めていた。
振り返ると、新任の艦長が仁王立ちしている。山口多聞大佐だ。
「石動閣下」
山口が口を開いた。
「飛龍が沈む時に、自決しようとして貴方に止められましたな」
肇は頷いた。
「今は感謝しております。おかげで、このような大任にあずかることも出来ました」
艦隊司令からの降格だが、大和艦長への抜擢は山本前長官の遺言だと言う。
「大和は今回も作戦の要です。よろしくお願いします」
肇は深々と頭を下げ、艦橋の後部へ向かった。
司令長官席に座るのは、小沢治三郎大将。戦死した山本五十六の後任である。
「石動君」
小沢が先に語り掛けた。
「今回の戦い、貴君はどう見る?」
単刀直入な切り出しだ。
肇は答えた。
「例のアウトレンジ戦法、あれの成否にかかっていますね」
小沢が頷くと、肇は続けた。
「後は敵の潜水艦による待ち伏せですが、これは対策を進めてます」
肇の説明に小沢は言った。
「わかった。海面下の事はお任せする」
一礼すると、肇は昇降機で戦術情報室へ向かった。
既に海面下の戦闘は始まっていた。
伊二〇三潜の艦長、斎藤茂吉少佐は、発令所で潜望鏡を覗き呟いた。
「うーむ、あれが大和か。さすがにでかいな」
潜望鏡の倍率を上げると、巨艦の舷側が壁となってそそり立つ。拡大しなくても、視野一杯の大きさだ。
そこに探針音。聴音手が報告する。
「艦長、四時の方向、駆逐艦です」
ぐるりと潜望鏡を向ける。陽炎型駆逐艦の一隻が、こちらに発光信号を送っていた。
「そちらの所属と進路を教えろ、か」
またか、と艦長は呟く。潜望鏡のハンドルの釦を押し、こちらも発光信号で答える
「こちら伊二〇三。進路は下の奴に聞け」
釦を押すたびに、潜望鏡につけられた発光信号器が明滅する。
海面の潜望鏡を見つけるたびにこれだ。敵潜を警戒中なのだから当然だろうが、いい加減、こちらの音紋を覚えてくれないと、戦闘中に誤爆されかねない。
進路はそれこそ、この二〇三を曳航している「わだつみ」とやらに聞くしかない。斎藤自身、名前以外何も知らない。余程の機密なのだろう。
ほんの一週間前だった。就役直後に謎の装備を追加され、装備の一つの「魔法の箱」の指示で外洋に出た途端、もう一つの装備「充電牽引索」でここまで有無を言わさず連れてこられてしまったのだ。そして、潜望鏡を上げてみれば連合艦隊のど真ん中。
以来、この一時間に四回も駆逐艦から誰何される始末だ。
「潜望鏡を降ろしていればよいのでは?」
副長の具申に、艦長は答えた。
「それだと、誰か聞く前に爆雷を落とすだろうよ」
そこへ、通信士。
「下からです。深度マルヨンマルで増速し艦隊の前に出る、との事」
充電牽引索には電話線も仕込まれており、有線電話が使えた。とりあえず、相手が流暢な日本語を使えるのは確認できた。「魔法の箱」だと、電報のようなカタカナしか表示しない。
艦長は潜望鏡のハンドルを畳んだ。潜望鏡の下部が発令所の床の穴に収納されると、下令する。
「よし、下のに合わせて深度マルヨンマル」
ぐい、と艦が加速する感触があった。
「さて、海亀の背に乗って竜宮城ならいいが、地獄の一丁目かもしれん」
縁起でもないことをサラリと言うのが斎藤の持ち味らしい。
海亀に例えられたとは、つゆぞ知らぬ草薙ではあったが、大和のI端末から受けた肇の指示は単純かつ明確であった。
「待ち伏せする敵潜水艦を潰せ、か」
海野副長が首をかしげる。
「敵さん、そう同じ手を何度も使いますかね?」
草薙は鼻を鳴らした。
「効果があれば続けるさ。実際、何度もヒヤリとさせられたしな」
前回の海戦での実際の被害は、加賀が受けた一発だけだ。しかし、護衛部隊の注意が海中に向いた分、どうしても防空が弱まってしまう。事前に排除できるなら越したことはない。
「例の奴を使うしかないな」
充電母艦を探し出して潰すのは効果的だが、どうしても彩雲による索敵と連携するしかない。それでは空母を待ち伏せ海域に近づけることになってしまう。
今回、新たに装備した新兵器の効果を試す必要があった。
その日の深夜。「わだつみ」は伊二〇三を伴い、ソロモン海と珊瑚海の境にあるダントルカストー諸島の手前に到達した。
「さて、敵さんがまず待ち伏せするならこのあたりだな」
首の凝りをほぐしながら草薙は言った。敵のいるかもしれない海域を飛ばすのは、それなりに神経を使う。
「まずはお客さんに降りてもらって、聴音位置に向かってもらうか」
通信手が座標を伊二〇三に伝えると、充電牽引索が切り離された。伊二〇三は指定した位置へと向かう。
「よし、では囮魚雷だ。一番発射管、音紋は加賀に設定」
第一魚雷発射管室では準備が始まった。囮魚雷は、長魚雷の三分の一の長さのずんぐりした短い魚雷だ。これがまず、前後に二分割される。その内部に録音磁気帯が設置されると、再度、囮魚雷は結合され、発射管に挿入された。
「発射」
電動機の微かな音と共に、短魚雷は発射管から泳ぎ出ていく。しばらく進むと録音磁気帯がまわり始め、空母加賀の機関音が海中に響いた。速度も加賀の巡航速度に合わせてある。
伊二〇三は早速この音を捕らえていた。
「音紋、加賀です!」
聴音手の驚く声。
「なるほど。これを餌に敵をおびき出すのか」
音が頼りの海中では、本物と区別をつけるのは難しいだろう。
「感あり、探針音です。方位ヒトフタマル……あ、囮魚雷からも」
聴音手の報告に艦長はほくそ笑んだ。
「おう、早速引っかかったな」
探針音の反響まで擬装するとは、なかなか手の込んだ囮魚雷だ。この時間差の分だけ、敵は遠方に目標がいると油断するだろう。
再び聴音手。
「感あり、方位同じく、魚雷発射音」
そこへI端末の通信手が報告。
「『わだつみ』より、雷撃要請です」
「来なすったか。方位ヒトフタマルに転進」
艦長の指示で、伊二〇三は向きを変えた。
「魚雷、一番発射」
ズン、と鈍い響きで魚雷が発射された。そのまましばらく走行すると、自ら探針音を出しながら敵潜水艦に向かう。やがて爆発音。
「一丁あがりだな」
やがて聴音手から、敵の魚雷が燃料切れで音紋が消えたことを報告してきた。
艦長が確認する。
「こちらの囮は?」
「先ほど、擬装音紋が消えました」
電池切れというわけか。
そこへ通信手が声を上げた。
「『わだつみ』より、牽引するとのことです」
合流する座標が指定されていた。
「よし、じゃあ次の竜宮城へ向かうか」
今のところは戦果が転がり込む極楽だが、さて、いつまで続くか。
その斎藤艦長の読みは、やがて当たることになる。
「というわけで、沈めた敵潜はこれで二十隻だが」
海上では日が沈むころ。海図につけた×印を数え、艦長の草薙は言った。ダントルカストー諸島の殆どが網羅されていた。
海野副長が答える。
「前回の海戦に投入された敵潜水艦の数に達しましたな」
頷く草薙だが、うーむと唸る。
「しかし、これで全部という決め手がないな」
かと言って、囮魚雷も数に限りがある。各発射管室に六発ずつ。計三十六発を搭載していたが、空振りもあったので残りは十二発しかない。
また、囮魚雷の分、攻撃用の魚雷もその分減らさざるを得ないのが難点だった。囮魚雷の全長が半分なので、十六発分で済んでいるが。
「とりあえず、安全性が高い航路は確保できたはずだ。石動閣下に伝えておこう」
「では、珊瑚海に入って敵の出方を伺いますか」
副長の進言に、草薙は頷いた。
だがこの時、もっと東側のソロモン諸島よりを探らなかったことを、草薙は悔いることになる。
月夜のソロモン海に、エンジンを停めた一隻の漁船が波に揺蕩っていた。しかし、その漁船から降ろされているのは漁網ではなく、高感度のソナーであった。
当然、乗り込んでいるのは漁師ではなく、米海軍の水兵である。海中の動きに耳を傾けていた彼らは、教えられた音紋を聞き取ると、無線機に飛びついた。
「今夜の魚は大きい。南へ逃げた」
通常の船舶無線で、暗号ではなく事前に決めた符牒を使う。
こうしたソナー船が数十隻、ソロモン海の各海域に散らばっていた。
翌、十七日朝。
連合艦隊第一戦隊は、旗艦大和を中心に、出雲、石狩、甲斐の中型空母を従え、「わだつみ」が露払いしたダントルカストー諸島の北部にまでゆっくりと進出した。定期的に三隻の空母から彩雲が飛び立ち、珊瑚海方面の索敵に向かう。そのやや後方からは、空母加賀と装甲空母武蔵を中心にした第一航空戦隊が続く。こちらも敵襲に備え、迎撃用の零戦が離陸の準備をしていた。
一方、空母翔鶴・瑞鶴からなる第五航空戦隊は、さらに東側、ソロモン諸島のすぐ西側を南下していた。
旗艦翔鶴の艦橋で、司令官の原忠一少将は呟く。非常に大柄で筋肉質な体格のため、「キングコング」の異名を持つ。
「別働隊として回り込み、敵艦隊主力を側面から突く。あるいは、敵の別働隊があれば見つけ出し、これを叩く、か」
作戦内容には依存がないのだが、気になるのは潜水艦だ。前回と同じ二十隻を沈めたと言うが、それ以上いないとは言い切れない。索敵と対潜警戒をしつつ、速力も上げて進まないといけない。なかなか神経を使う役どころだ。
何より、この役割は前回、二航戦の山口多聞司令が買って出たものだ。その結果、二航戦は全滅に近い被害を受けた。その二の舞だけは避けなければ。
「巻波より、二時の方向より雷跡あり!」
通信手の声に、来たか、と原は呟いた。
「右舷、対魚雷爆雷用意!」
警護する八隻の駆逐艦で撃破できなければ、これが最後の頼みだった。
「風雲、爆雷で魚雷を撃破!」
駆逐艦の一隻が防いでくれたが、魚雷を放った敵潜はまだ近くにいるはずだった。
「敵潜水艦を炙り出せ!」
右舷側の駆逐艦が盛んに走り回る。その一方で、左舷側では聴音器に耳を澄ませていた。
やがて、右舷側では爆雷が何度か水柱をあげ、報告があった。
「敵潜を撃沈、破片らしき漂流物を確認」
ほっとする原司令だが、まだ安心するには早かった。
「彩雲十三号機より、方位ヒトサンマルに大型艦二隻発見」
敵の別働隊に間違いない。向こうも回り込みをかけていたわけだ。
「ただちに攻撃隊を発進!」
発令しながら、原は思った。
敵の索敵機が見当たらない。これは、何を意味するのか?
日本の索敵機がレーダーに捉えられるや否や、フレッチャーは攻撃隊の発進を命じた。
「敵機の戻った方向に飛び続けろ」
速度ではMYRTにかなわないが、レーダー搭載型の攻撃機TBFならば、かなり引き離されていても追尾が出来るはずだった。敵の索敵機が航続力に余裕があるとしても、どこまでも進路を韜晦し続けることは出来まい。そのうちにレーダーが敵艦隊を捕らえれば問題ない。
前回、こちらが索敵機を出した方角によって、自艦隊の位置が察知されたのではないかと考えた、その結果の作戦だった。こちらの位置が発見されても、敵襲までに移動してしまえば空振りにできる。
同時に、敵の攻撃隊に備えてこちらも直援のF6Fを離陸させる。
だが、フレッチャーが何よりも気にしているのは、海面下に潜む悪魔だった。
「奴が狙ってるのはこちらか、それともハルゼーの主力か」
ボルチモアの艦橋から、紺碧の海面を睨み付け、そう呟く。
その主力であるハルゼー艦隊は、ダントルカストー諸島の南方二百海里にいた。ラエに大和の主砲が轟いたのを、周辺に忍び込ませた港湾監視員が報告した直後、基地から出撃してきたのだ。
敵艦隊が、潜水艦による待ち伏せが最も多い場所を通過した場合に、戦力を漸減させたところで叩く作戦であった。
「ふむ。連絡が来んな」
艦橋でハルゼーは呟いた。
会敵した潜水艦は、無線で連絡する手はずになっていた。浮上せずに、通信を録音したブイを放出することで。しかし、敵艦隊が通過するはずの時刻を過ぎても、音沙汰なしだ。
「まぁいい。もとより期待してなどおらんしな」
スプルーアンスが強く推した作戦だったが、待ち伏せというのがどうにも性に合わないハルゼーであった。
こちらからの索敵を控えて、敵の索敵機をレーダーで追尾する「送り狼」作戦。これもスプルーアンスの発案だ。そのため、こちらは昨日からいつでも攻撃隊が飛び立てるように準備している。しかし、これも時間がたちすぎると、兵の疲労が蓄積してしまう。
「そろそろ見つけやがれ、ジャップめ」
そう一人ごちた途端、レーダー手が叫んだ。
「方位三四〇より敵機、MYRTです!」
ようやく来たか。ハルゼーは攻撃隊の発進を命じた。
サラトガと三隻のエセックス級空母から攻撃隊が次々と発艦していく。その様を後方に位置する重巡ノーザンプトンの艦橋から眺めるスプルーアンスは、一つ確信していることがあった。
今回の勝敗を決するのは、あのシーゴーストの搭載魚雷数にかかっていると。
ソロモン海に忍び込ませたソナー船からの報告では、今のところ、この海域で捕らえられたシーゴーストの音紋は、例の最古参の一隻のみ。
パナマでの激闘から、その魚雷搭載数は六十発前後と思われる。それを使い切らせるのが、スプルーアンスの役目だった。
登場人物紹介
実在する人物には【実在】としています。
斎藤茂吉
伊二〇三潜の艦長、階級は少佐。
同姓同名の歌人がいますが、単なる偶然です。
原忠一
【実在】第五航空戦隊の司令官、階級は少将。
彼の仇名となった「キングコング」は1933年公開で、日本でも半年遅れで大ヒットしたとか。
次回 第二十二話 「四隻の駆逐艦」
11月12日(土)朝8:00に公開予定です。




