第七話 巨鯨の夢
昭和六年十一月十五日。
高橋邸を訪ねるのは、結婚の媒酌人をお願いして以来だった。肇と由美は、数えで三歳になる光代を連れて、七五三の祝いの帰りであった。高橋翁は、光代を自らの膝に乗せ、満悦で記念写真に納まった。
その後、光代の世話をするため由美が別室に下がると、肇は高橋是清に向き直った。
「高橋先生。このたびの財政政策、感服いたしました」
了が前から言っていたように、日本は世界恐慌から真っ先に脱出し、未曽有の好景気に沸いていた。しかも、了の予想より一年も早かったのだ。それもこれも、高橋是清の三つの柱、金兌換の停止と、日銀による国債の無制限買取、大規模な財政出動によるものだった。恐慌で落ち込んだ需要を、国が主導する事業で支える。政府が需要を作り出すわけだ。その財源は大量の国債発行となるが、これも日銀が買い込んでしまえば相殺される。金兌換停止は、その制限を取り払うものだ。
「君がそれに触れるということは、I計画がらみで何かあるわけじゃな」
高橋翁の慧眼に、肇は恐れ入るしかなかった。
「全くその通りです。高橋先生、新たな財政出動をお願いします」
「どのような?」
いかめしい顔で顎鬚をしごいているが、その目は輝いていた。
「原子力です」
言いながら、肇は卓上に指で漢字を書いた。
「原子力とな。それはどんな力かね」
「比類なく強力な動力です。原子という、万物を作る粒が壊れる時に発生します。トリウムという物質一キログラムからこの力を取り出すと、およそ石炭三トンを燃やした時と同じ熱が発生します」
「ほう。三千倍じゃな」
さすがに大蔵大臣、計算は速い。
「はい。先日、理研の長岡研究室所属の仁科芳雄博士が、この現象を発見しました」
核分裂反応。了の知る歴史では、昭和十三年、七年も後に独逸のオットー・ハーンとリーゼ・マイトナーによって発見されるはずの現象だった。
「仁科という名は、いつぞや伺った気がするな。ところでその、トリウムというのは?」
「印度や東南亜細亜で採れるモナズ石という鉱石から、セリウムやネオジムなどを製錬する際に、副産物として得られる物質です。セリウムは、先ほど記念写真を撮ったカメラのレンズに使われています。ネオジムは強力な磁石の材料となり、電動機の小型化に役立ちました」
「ほう、なるほど」
電動機はいたるところで使われるようになっていた。了の世界では三十年後にようやく普及した洗濯機や掃除機が、この時代ですでに普及し始めていた。
「カメラも電動機も役立ってますが、次はこのトリウムです」
肇は、内ポケットから一枚の図面を取り出し、卓上に広げた。
「トリウムから原子力を取り出すとき、何よりも重要なのは、空気がいらないという点です。石炭も石油も、燃やすためには空気が必要です。そして、この世には空気が使えない場所があります」
「それでこれが……」
高橋翁が見た図面に描かれているのは、流線型の船体だった。縮尺を見ると、全長一二〇メートル、排水量は二万トン近くある。大きい。いわゆる弩級戦艦並みだ。
「はい、私は海底軍艦と呼んでいます。原子力を動力とし、潜水したまま地球を何周でもできる潜水艦です」
肇は卓上に乗り出し、言った。
「是非このための研究開発予算を、海軍とは別に用意していただきたいのです」
高橋邸を出ると、肇は緊張が解けて一気に疲労感に襲われた。
「ご苦労様、肇さん」
光代を抱いた由美がねぎらった。高橋邸の人たちに遊んでもらって疲れたのか、光代はぐったりと寝ていた。
「はったりのかまし過ぎは疲れる」
事前に了と綿密な打ち合わせはしてあったが、それでも肇の負荷は高かった。
「予算の方、どうでした?」
「快諾いただけたよ」
肇の熱弁は小一時間は続いた。この秋、満州事変が発生し、日本と欧米列強との摩擦が激しくなってきている。このまま十年もすれば、軍事的衝突もある。その時、どうするか。
品質や性能は凌駕したとはいえ、日本の工業生産力はまだ欧米に追い付いていない。戦艦や飛行機での潰し合いでは、絶対に勝てない。しかし海の忍者と言える潜水艦なら、相手に気づかれることなく、何倍も大きな戦艦や空母を一撃で仕留めることができる。
主武装である酸素魚雷も、すでに開発に成功していた。これもまた、I資料による技術開発の加速により、了の歴史より二年早まっている。
海に囲まれた日本は、必然的に海軍力が国防の要となる。日本を侵略しようとする艦隊があれば、確実にこの海底軍艦の標的となる。日本を守るわだつみ、海の神と言えよう。
特記すべきは、海軍とは別予算である点だ。国の科学技術振興助成金で独立した財団を設立し、管理する。これにより、海軍軍令部から独立した組織となり、秘匿性も高まる。敵を欺くならまず味方から、というわけだ。また、昨年締結したロンドン軍縮条約の制約からも隠すことができる。
その第一歩として、トリウムを使った原子炉を実用化する必要がある。了と石動夫妻によるI資料第二部、原子力開発手引きの作成が必要だった。
芹沢良一はサンフランシスコの研究所で歯噛みしていた。手にした通知を破り捨てると、部屋にいる職員に告げる。
「本プロジェクトは本日付で中止となりました。資料とデータを整理したのち、各自、今日までの給与を受け取って退所してください。IDカードの返却を忘れずに」
ここは、芹沢が持ち込んだI資料を基に半導体部品の開発を行う研究所だった。今日の朝までは。世界恐慌の直撃を受けたアメリカ政府は、二万品目もの関税を四十%にまで引き上げるという愚策をとり、被害をさらに拡大してしまった。その煽りで景気はさらに悪化し、数多くの公的プロジェクトがとん挫した。芹沢がアメリカで始めたこの機関も例外でなかったというだけのことだ。
(まだだ。これで終わらせるわけには行かない。必ず再起して見せる)
皆も薄々予感していたのだろう。特に混乱もなく三々五々と部屋を後にする職員たちを見ながら、芹沢はそう心の中で誓った。手元には、この一年間の成果である資料が残された。景気が回復すれば、必ず再開できる。予算さえつけば、日本に追いつくことは難しくない。そのことは、この一年間の進捗を見ればわかる。皮肉だが、それがアメリカの実力だ。
共和党のフーバー大統領は、今回の失点で失脚することは確実だった。そして、民主党にはコミンテルンの同志が多数入り込んでいる。政権交代の後が、最大のチャンスだ。
共産主義の先兵である自分が、資本主義の失敗で潰されてはジョークにもならない。
不況にも良い面がある。これまでのライバル企業が軒並み潰れてくれたおかげで、フリーとなった優秀な人材がいくらでもいる。今のうちにコンタクトしておけば、将来必ず役に立つはずだ。
ミハイル・ゴロエノビッチ・セリザワ。それがこの地での名前だった。ロシア革命前にウラジオストックに移民した日系ロシア人という設定だ。革命後の迫害を逃れてアメリカに亡命。これは日系人というハンデを打ち消すにはうってつけだった。
退出した職員らがまとめた資料をスーツケースに納めると、人気のない研究室を一瞥し、芹沢は夕闇のなかへ歩んでいった。
翌年、すなわち昭和七年の五月、五・一五事件が発生する。
次回 第八話 「原子の火」