第十八話 第六の船渠
六月二日。
肇は呉の駅に降り立った。改札を抜けると、頭上に掲げられている横断幕が目に入った。
「なんだ、あれは?」
思わず呟きがもれる。横断幕には「祝 連合艦隊大勝利」と書かれていた。呉の市街をタクシーで軍港に向かう途中も、あちこちに似たような華やいだ展示が目立つ。
軍港に停泊する大和の司令長官室に通されると、肇は真っ先に山本五十六に問うた。
「何やら、呉の町中が戦勝気分なんですが」
苦虫を噛み潰した顔で、山本は言った。
「そうか、君はハワイに直行したから、内地での報道は知らんかったか」
折りたたんだ新聞を執務机の上に放り投げる。
「これは……」
手に取って広げると、先の第二次珊瑚海海戦が、朝刊の第一面を埋め尽くす特大記事になっていた。しかも、米海軍に与えた損害、空母三隻轟沈という文字ばかりが繰り返され、日本側の損害は微妙にぼかされている。山本司令長官に至っては、もはや軍神扱いの持ち上げようだった。
「俺も帰投して面食らった。いきなりパレードだ祝賀会だの連続でな。どうも、海軍省が中心になって、事実の一面だけを強調した報道をさせたらしい」
「しかし、赤城や加賀は……」
あの惨状を見れば、こんな報道は嘘だと分るはずだった。
「夜のうちに船渠に入れてしまったからな。おかげで、艤装途中の船が二隻、追い出されてしまった。おまけに連合艦隊の将兵に対しても、日本の被害については緘口令が敷かれている」
徹底している。この分では、飛龍と蒼龍の喪失すら極秘扱いなのだろう。
「それほど今回の痛手は都合が悪いと?」
肇の問いに、山本は皮肉な笑いを浮かべた。
「同時期に、陸軍の方は、何とかソ連を撃退したからな」
「ああ……」
石原莞爾の率いる特設部隊の活躍。あれも肇の発案だった。今まで快進撃だった海軍は、陸軍に弱みを見せられないと言うことなのだろう。
「ところで、艤装中でと言えば『おやしお』だが」
山本が話題を変えた。
「例の新装備、艤装しながらパナマまで飛ばしたそうじゃないか」
「ああ、母艦機能の仕組みですね」
珊瑚海で敵が行なっていた、潜水艦を母艦で充電・曳航する仕組みを見て、肇は海底軍艦にも応用できると閃いたのだった。I端末を装備した潜水艦がもう一隻あれば、聴音器だけで敵の位置などを確実にとらえることが出来る。その潜水艦は、通常動力でも構わない。
すぐに本国の秋津技師長にその構想を伝え、「おやしお」と通常の潜水艦に装備すべき装置の作成を頼んだのだ。肇自身も、艦隊が敵勢力圏を抜けると飛行艇でハワイに飛んだ。
「しかし、海軍があんな高性能な潜水艦を隠しているとは思いませんでしたよ」
「敵を欺くにはまず見方から、というからな」
山本はニヤリと笑った。
「開戦前に海底軍艦の威力を見せ付けられて、うちでも欲しくなってな」
遠隔操縦で動かす標的艦を「わだつみ」が沈めて見せた、海軍首脳へのお披露目だった。
「あれから三年と少しですか」
その間の変化を考えると、肇にはもっと長いような気がした。
山本は続ける。
「あれで海高型の計画が始まって、ようやく伊二〇一が就役したばかりだった。丁度、パナマに向かわせる途中でな」
海高型は海中高速型の略だ。伊二〇一型の計画名でもある。その伊二〇一が補給でハワイの真珠湾に寄港したところへ、秋津の部下たちと肇が押し掛け、I端末と装備を取り付けたのだ。
「早速、活躍することでしょう。ところで」
肇は話題を変えた。
「『くしなだ』の件、本当に助かりました」
昨日、I計画関連企業による「はじめ会」が開かれ、肇は「くしなだ」の修理と改修に必要な船渠を空けてもらえないかと、造船各社に訴えたのだ。しかし、赤城と加賀のために玉突き式に船渠の入れ替えが起きており、どこにも余裕がなかった。
そこへ、横浜で最大の第六船渠が空くことがわかり、「くしなだ」が入ることが決まった。つい、夕べの事だった。山本から直接、電話で知らされたのだ。
「空母武蔵、ですか」
肇が言うと、山本が訂正した。
「装甲空母、武蔵だ」
大和型戦艦から空母に変更された艦である。兵装などの艤装を続けながら、呉に回航される。「くしなだ」の場所を開けるためだったが、山本が司令長官の権限で、武蔵の就役を急がせたのだった。
肇が山本と前回話したとおり、艦の建造は艦政本部の権限だが、現場から就役を催促する事ならできた。空母二隻を失った以上、艦政本部も断れない。
今日の訪問は、その手配のお礼が言いたかったのが第一の目的だった。
「喪失した飛龍、蒼龍のみならず、我が国の空母は攻撃を受けると弱い。その欠点を補い、さらには空母の運用法まで見直した結果の艦だ」
「単なる転用ではない、というわけですか」
肇の言葉に、山本は頷いた。
「次の決戦は避けられんからな。最大限に活用する」
「やはり、ポートモレスビーですか」
ニューギニア島の南側にあるポートモレスビーの米軍航空基地がついに完成し、北側の日本の拠点ラエとの間の航空戦が激化していた。さらに、珊瑚海の米海軍の艦隊が北上し、ニューギニア東部のソロモン海にまで進出して来ようとしていた。ここの制海権を取られれば、ラエも失うことになり、そうなればラバウルが孤立してしまう。
「五月の窓が開いたのは痛かったですね」
パナマ封鎖に当たっていた「わだつみ」と「くろしお」の魚雷が尽きた結果、三隻の空母が太平洋に出てしまった。これが、敵艦隊のソロモン海進出に繋がっているのは間違いない。
「俺も、しばらくしたらラエとラバウルを視察に行くつもりだ。これから激戦となるから、士気を鼓舞しないとな」
意気軒昂な山本の元を辞して、肇は駅へ向かった。この時、肇は山本の言葉をきちんと理解していなかった。そのことに後悔するのは、まだ後の事だった。
肇は東への列車に乗りこんだ。次の目的地は名古屋だ。
四月の窓以来、事態が嫌な方向に動いている。海高型伊二〇一潜や空母武蔵など良い面もあるが、全体として日本の優位が揺らいできている。無敵を誇った海底軍艦ですら、シーウルフ艦隊が強化されたことで、高度な戦術を駆使しなければならなくなってきた。
考えに沈んでいるうちに、列車は名古屋に着いた。
中島飛行機の応接室に通されると、社長の中島知久平が土下座せんばかりだった。
「申し訳ない。糸川を烈風にとられました」
前回、発注した特殊な機体の件だった。この開発を任せられるのは、同社の糸川英夫しかいない。そう、中島社長は断言し、この計画に配置してくれたのだった。
「夕べの電話で、なんとなくそうではないかと思ってましたが……」
昨夜は二本の電話があり、山本からは吉報だったが、中島からは計画の遅れが伝えられた。
「海軍のお偉いさんから、烈風の開発で三菱に協力するように言われまして。どうしても解決困難な問題にぶつかっていて、そこだけでも糸川の力が必要なんですわ」
「やはり、零戦の後継問題ですね」
先の海戦で、米戦闘機に対する零戦の優位性が失われたことが判明し、後継機の開発が急がれたのだ。開発に当たって企業をまたいだ協力が行なわれることは、非常に好ましいことだ。しかし、それによってI計画の根幹が揺らぐのはまずい。「くしなだ」改修の目途が立った今、これは痛かった。
「その問題解決、どのくらいかかりそうですか?」
肇の質問に、社長は腕組みをして呻吟した。
「自動空戦補助翼、て奴なんですわ。川西さんのところの」
本来の補助翼は、離着陸時に低速でも機体を支えられるように主翼から引き出される、格納式の動翼である。しかし零戦の熟練搭乗員達は、戦闘中にこれを使い、急激な旋回を行う技を編み出した。その成果は絶大であったが、未熟な搭乗員には難易度が高過ぎた。
自動空戦補助翼は、機体にかかる荷重を感知して、補助翼を自動的に出し入れする仕組みである。川西飛行機が開発し、自社の局地戦闘機、紫電改に採用された。これにより、同機は若年搭乗員にも扱いやすい高性能機になっており、ラエやラバウルでも活躍していた。
「これを烈風でも採用する予定だったのが、問題だらけでして。そこで、隼の空戦補助翼を手掛けた糸川に白羽の矢が」
技術的な話題になると、社長の話は止まらない。
「それで、どのくらいかかりますか?」
肇が話を戻すと、再び社長は唸った。
「糸川は、二ヶ月は見てくれ、と言っておりました。ということは、三か月はかかりますな」
あと三か月で烈風が完成するなら、それは素晴らしいことだ。しかし、こちらの計画が遅れるとなると、日本だけでなく世界の脅威となる。アメリカが原爆を手にする前に、何としても講和に持ち込まなければならない。
中島社長はお詫びにと夕食に誘ってくれたが、それを丁寧に辞退して、肇は東京に戻った。
一週間後、肇は横浜の第六船渠を訪れた。了の世界では、武蔵の次、大和型戦艦の三番艦である信濃を建造するために作られた、巨大な船渠であった。こちらでは、一番艦の大和の設計が遅れたため、武蔵の建造に使われた。
「これは……さすがにでかいですね」
船渠の底に降りると、その大きさに圧倒される。船架に載った「くしなだ」が小さく見えるほどだ。そもそも、「くしなだ」は船渠の全長の半分しかない。艦首側と艦尾側には大きな空間が空いている。
案内する平賀譲が解説した。
「大きさに余裕がある分、作業のための場所が出来たので助かりましたよ」
艦首側の空間では、新しい司令塔の構築が始まっていた。爆雷の直撃であらかた吹き飛んでしまったので、一からの建造だった。今回の改修部分の主となる部分でもある。
今はまだ足場を組んでいる段階だが、発注済みのブロックが届けば、ここで組み立てられる。完成して後、クレーンで吊り上げて「くしなだ」の艦首側甲板に設置されることになるだろう。
一方「くしなだ」の本体は、艦首に空いた破口を塞ぎ、崩壊した司令塔の残骸を解体しているところだった。さらに、艦の中央部にあった人員昇降ブイは撤去され、四角く穴が開いている。この人員昇降ブイは、先日のパナマ海戦で「わだつみ」が敵空母にぶつけたものの代わりとして、同艦に移設された。
足場の上からその空洞を眺め、肇は言った。
「ここに例の仕組みが嵌るわけですね」
平賀も言う。
「まったく、石動さんの発想には驚きましたよ」
そのさらに後方、左右の原子炉区画には、円形の穴が切り開かれていた。原子炉の交換のための工事だ。
「炉心を交換するため、核燃料を抜いて精製する必要がありました。そのための設備があれです」
平賀が指さすのは艦尾側の空間で、タンクと配管による複雑な装置が置かれていた。こちら側との間には分厚い壁がある。放射線防護壁だ。
吉野達郎の破壊工作で、右舷側の原子炉は核燃料に石綿の線維が混入し、これを取り除く必要があった。しかし、海底艦体基地からここまでは、自力で何とか潜航してくる必要があった。そのため、燃料の抜き取りも精製もここで行う必要が生じたのだ。
「放射線は距離が近いほど危険ですからな。場所が広いと言うことはありがたいです」
平賀の言葉に、肇は頷いた。
「ところで、修復と改修ですが、どのくらいかかりますか?」
肇の問いに、平賀はしばし考え、答えた。
「炉心の交換と新型司令塔の設置で三か月。艦中央に設置する装備などが完成するのは、さらに三か月後ですな。新装備の設置は、艦隊基地でもできます」
ということは、最短三ヶ月で「くしなだ」は復帰できるということだ。当初は、全て一度にという話だった。二度に分けられるのなら、非常にありがたい。「くしなだ」による補給が出来ないため、パナマ封鎖に海底軍艦が交替で当たる必要が生じており、戦略的な幅が狭められてしまっていた。
パナマの窓を、三たび開かせるわけにはいかなかった。さらに、独逸が連合国と講和したため、スエズ運河の動きが活発化しており、このままではインドの独立が危うくなる可能性があった。
「『くしなだ』が復帰する九月まで、大きな変化がないことを祈るしかないですね」
呟く肇であったが、神仏にすがるしかないというのは、非常に危険な状況であった。
七月。東京は梅雨がまだ明けきらず、連日小雨が降り続いていた。石動家の庭では、紫陽花が咲いている。
朝、肇は光代に起こされた。
「お父さん、あたしもう学校行かなきゃ。朝ご飯は出来てるから、ちゃんと食べてね」
返事の代わりの唸り声を上げて、肇は寝床から起き上がった。縁側を玄関に向かう娘の制服姿を眩しげに見送る。村雨修の声がした。このところ、毎日迎えに来るようだ。
中学に上がってから、光代の成長は驚くほどだった。顔立ちやしぐさが、どんどん由美に似て来ている。家事も美鈴と分担している。
頭を振って、肇は立ち上がった。
「どうも、深夜の砥論は控えたほうがいいな」
軍事情報回線としての砥論は、開戦後に急速に発達した。肇も自宅に回線を引き、I機関の要員との連絡にも使うようになった。了の時代では、電子メールとかチャットと言うらしい。
それが行き過ぎて、夕べは戦略論の議論に花が咲いてしまったのだ。
「自由亜細亜諸国連合にアフリカと南米も取り込むか。気宇壮大だなぁ」
I機関から出てきた、今大戦終結後の構想である。欧米の植民地すべてを、亜細亜のように解放すべき、というものだ。
「まさに八紘一宇だが……また戦争になっては困るし。具体的にどうするかだな」
開戦から一年半、I計画そのものは既に終盤に差し掛かっている。その先を考えるべき時期ではあった。
寝間着から着替えて茶の間へ行くと、美鈴が待ち構えていた。ちゃぶ台に食事の用意がしてあった。アジの開きと味噌汁だった。
「今朝は、光代ちゃんが用意したんですよ」
飯と味噌汁をよそりながら、美鈴が言った。
「いただきます」
味噌汁を一口飲む。ちょっと冷めていたが、旨い。料理上手は母親譲りか。それとも山本の愛人、河合千代子に教わったのか。
美鈴は……何を作っても中華風になる。
ふと、ちゃぶ台に載っている新聞に目が留まった。そういえば、忙しくてここ何日かろくに読んでいない。
箸を置いて、片手で畳まれた新聞を広げる。その最初の見出しを見た瞬間、左手の注意が抜け、味噌汁が胡坐をかいた足にしたたり落ちた。
「肇さま!」
美鈴が慌てて布巾を取りに台所へ走る。
「まったく、なんてことだ」
朝食どころではなくなってしまった。美鈴に声を掛けると、大急ぎで着替えて、肇は傘もささずに家を飛び出した。
次回 第十九話 「三人の涙」




