第十三話 三人の中将
「左舷より雷跡三!」
見張り員の声に、山口多聞少将は即座に指示を出す。
「対魚雷用爆雷! 各駆逐艦、対潜防御!」
空母飛龍の左舷から、小型の爆雷が十数発打ち出された。敵シーウルフ艦隊に倣って開発された防御兵器だ。魚雷はギリギリで破壊され、次々に水柱が上がる。
艦橋の窓に、海水がスコールのように降り注いだ。その向こうでは、駆逐艦が走り回って敵潜水艦を探している。報告にあったように静粛性が高い新型らしく、艦隊の輪形陣の奥深くへ肉薄されるまで探知できなかったようだ。
そこへ電探手の報告。
「十時の方向より、敵攻撃隊、二十以上」
「来やがったな」
魚雷を抱いた攻撃機が、海面すれすれを飛来してきた。駆逐艦からの対空砲火が襲い掛かるが、敵潜を探すために陣形が崩れたところを縫って、侵入してくる。
そこへ、頭上からの機銃掃射、海原に墜ちて四散する敵機。直援隊の零戦が、かろうじて間に合った。だが、その零戦へもF6Fが襲い掛かる。
空と海の大混戦の中、飛龍と蒼龍の両空母は健在ではあったが、いつまで持つか。
こちらの攻撃隊が戦果を上げてくれることを祈るしかない山口であった。
しかしその祈りは叶わなかった。敵の第一波攻撃が引き上げた後、無残な姿の攻撃隊が帰還してきたのだ。艦爆十、艦攻十二、戦闘機は全機が未帰還、たどり着いた機体もほとんどが被弾し、搭乗員も負傷していた。
ほぼ全滅に近い。
「例の新型戦闘機、F6Fはかなりの高性能ですね」
首席参謀の伊藤清六中佐がつぶやく。何よりも、これだけの被害に対して目立った戦果がないのが痛かった。
だが、攻撃の手を抜くわけにはいかなかった。
「第二次攻撃隊を編成する。敵の第二波が来る前に送り出す」
山口の決断が下った。そこへ、通信士が報告。
「暗号電文です。敵艦隊に接触、海空同時攻撃を提案、くろしお」
改良型原子炉による快速を活かした「くろしお」が、敵艦隊に到達したのだった。
「山口司令、これで我々も南雲さんと同じ手が使えます」
伊藤参謀の進言に山口は頷いた。
「よし、彩雲十機も追加だ」
敵の攪乱を主任務とした、第二次攻撃隊が飛龍と蒼龍から飛び立つ。
米第二波が襲来したのは、まさにその直後だった。
一方、フレッチャー少将は戦果にそこそこ満足していた。
「序盤としては、まずまずだったな」
敵の攻撃隊の大半を撃墜できた上に、こちらの第一次攻撃隊の被害が予想より少なく済んだのだ。帰還した機体の損傷も僅かで、燃料と武装を補給し、パイロットを交替させるだけで第二次攻撃に投入できた。
それでも気になるのは敵の潜水艦、シーゴーストだった。スプルーアンスによれば、型の異なる二隻がこの海戦に投入されていると言う。ならば、こちらの艦隊にも一隻来るはずだった。
味方の新型潜水艦が敵艦隊を掻きまわしている以上、こちらも敵潜に警戒を厳にせねばなるまい。
「各駆逐艦、ソナーに注意。シーゴーストの音紋を聞きのがすな」
念を入れての指示を出す。
憤懣やるかたないのがハルゼー中将だった。
「忌々しいシーゴーストめ! 現れるや二隻も空母を沈めおって!」
そこへ、すっかり虎の尾を踏みなれた副官。
「しかし、こちらも敵空母の赤城を大破させましたし、加賀にも損傷を」
ハルゼーが怒り心頭で向き直る。
「二隻を沈められておいて、大破と中破で割が合うか!」
「戦力的には三隻と四隻ですし、航空機の数ではこちらが優勢です」
臆せず指摘する副官に、ハルゼーも拍子抜けした。
「なかなか良いこというじゃねぇか。第二波攻撃の準備だ」
しかし、とハルゼーは愚痴た。
「マッカーサーは今度もだんまりかよ。クソッタレめ!」
陸軍地上基地からの支援は、今回も皆無だった。
「本国からの補給の殆どが海軍向けなのが、気に食わないのでしょうね」
副官の言葉に、ハルゼーは呵々と哄笑した。
「お前もわかって来たな」
ばん、と背中を叩いて言った。
「第二波攻撃、行くぞ!」
その頃、スプルーアンス少将も意気消沈していた。不意を突かれたとはいえ、立て続けに二隻も空母を沈められたのは痛恨の極みだった。
「油断大敵だな。空中と海中、同時の防衛はなかなか難しい」
あの後、シーゴーストの雷撃は何とか防いでいる。ハルゼーの座乗する空母サラトガを狙われたときには、奥の手の対魚雷魚雷を使うところまで追い込まれてしまったが。これは魚雷を追尾する魚雷で、ようやく実用化したばかりのものだった。効果は絶大だったが、極めて高価で数が少ない。おまけに、対魚雷ヘッジホッグのように自由な方向には撃てず、敵の魚雷と目標の間に入らないと撃てなかった。
結果、シーウルフ艦隊は残りの二隻の空母の周囲に固まって密集するしかなかった。これでは、敵機が来襲した時の防空が難しくなる。
それでも、空の方は直援隊のF6Fが頼りになる。やはり、海中の敵にはシーウルフ艦隊が注力するしかない。
「日暮れまで、なんとか持たせないとな」
レーダー搭載機が増えたとはいえ、夜間攻撃は難易度が高い。夜はやはり、海中の戦いがメインとなるだろう。
その海中で、「わだつみ」艦長の草薙は苦虫をモリモリと噛み潰していた。
「まさか魚雷で魚雷を撃つとはな」
米国の技術も恐るべき勢いで向上していた。原理としては相手の魚雷が放つ探信音に向かっていくだけだが、より小回りが利く推進器が必要なはずだ。
副長の海野が、細い目をさらに細めて言った。
「これは、下手をすると魚雷の潰しあいになりますね」
空では戦闘機の、海中では魚雷の潰しあい。無人なだけに、まだ魚雷の方がましではあるが。
そこへ、通信士が報告。
「I端末より、加賀が敵潜水艦により被雷、速度が落ちているとのことです」
ますます渋い顔になる艦長。
「マズイな……」
速度が落ちれば、益々狙われやすくなる。空からも、海からも。
海野が具申した。
「これ以上、敵潜をのさばらせておくわけにはいきませんね」
草薙艦長は、掌に拳を打ち付けた。
「行くか! 方位マルハチマル、両舷全速」
最大速度で「わだつみ」は南雲の第一航空戦隊へ向かった。
「流石に、海中から突然現れる魚雷は心臓に悪いな」
水雷戦の名手だった南雲忠一だが、撃ってくる相手が目に見えない海中、しかも至近距離と言うのは経験がなかった。
結果、対魚雷爆雷も間に合わず、一発が左舷に命中してしまった。幸い、水密区画で浸水は食い止められたが、吃水が下がった分、速度が二十ノットまで落ちてしまった。このままでは艦隊から脱落してしまう。爆撃での火災は消火できたが、飛行甲板は大穴が空いており、艦載機の離発着も困難だった。
参謀長の草鹿龍之介少将が具申する。
「旗艦を第五航空戦隊の翔鶴に移しては」
この艦では戦えない以上、やむを得ない。南雲は頷くと、艦長の岡田次作大佐に敬礼した。
「必ずや生きて帰ってくれ。戻れさえすれば、この艦はまだまだ戦える」
艦長の答礼を受け、南雲は幕僚と共に加賀を去った。敵の攻撃隊が引き上げた時機を見て、内火艇で翔鶴に向かう。
加賀は配下の駆逐艦を引き連れ、転進して赤城と合流すべく連合艦隊から離れて行った。
翔鶴は基準排水量二万五千七百トン、最大速力三十四ノットの最新鋭空母であった。搭載機数も七十機以上が運用可能。
しかし、着艦できなくなった赤城と加賀の航空機を、同形艦の瑞鶴と共に受け入れているため、艦内はごった返していた。さすがに巨大な格納庫も溢れてしまうために、まだ修理できる機体を海に投棄せざるを得ない。
騒然とした中を艦橋に向かいながら、南雲は源田実航空参謀に向かって言った。
「飛行機はまた作れば良い。手練れの搭乗員が助かったのが何よりだ」
「全くです」
源田も同じ気持ちだった。
了の世界では、話が逆だったと言う。人は徴兵すればいいが、兵器は資源がないと作れない。輸送船団の護衛を軽んじたため、苦労して押さえた南方資源を内地に運ぶことが出来なくなったからだ。
しかし、要は資源さえあれば良いのであり、人こそが代替えの効かぬ財産だ。これは、肇が山本五十六と出会ったころに何度も訴えたことだった。そのため、
艦橋では第五航空戦隊司令の小沢治三郎中将と艦長の岡田為次大佐が待ち構えていた。
階級は中将同士でありながら、年功序列で上下の立場にある南雲と小沢は微妙な立場だった。若いころは喧嘩に明け暮れ鬼瓦と呼ばれた小沢と、戦艦山城艦長のころに上官の参謀長を怒鳴りつけた南雲。この二人を引き合わせた迂闊さに、草鹿参謀長は肝を冷やした。
しかし、敬礼の後、南雲は小沢に手を差出し言った。
「しばらくの間、お邪魔するよ」
「ようこそ、五空戦へ」
意外に穏やかな成り行きに、草鹿は胸をなでおろした。
岡田艦長とも握手した後、南雲は艦橋の隅の椅子に座った。
「司令長官、どうぞこちらの席へ」
小沢は南雲に指揮官席を勧めたが、南雲は固辞した。
「そこは君の席だ。私はここで良い」
おかげで草鹿や源田ら幕僚は座るところがなくなっってしまった。巨艦にも関わらず、日本の空母の艦橋は駆逐艦のそれと同じくらい狭い。いささか、居心地が悪いのは仕方がなかった。
「そろそろ、敵襲があってもおかしくないですね」
源田がつぶやいたまさにその時、大和からの発光信号があった。
「敵襲、方位ニイナナマル」
来たか。南雲は心の中で舌打ちした。まずいことに、こちらが攻撃隊を出す前だった。
一五四〇時。肇は大和の作戦情報室で、I端末に「わだつみ」への指示を打ち込んだ。
敵潜水艦母船を撃滅せよ。
登場人物紹介
実在する人物には【実在】としています。
伊藤清六
【実在】南雲配下の、第一航空戦隊首席参謀。階級は中佐。
草鹿龍之介
【実在】第一航空戦隊参謀長。階級は少将。
次回 第十四話 「一人の少将」




