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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第三部
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第九話 一つの奇策

 昭和十八年五月七日。

 ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州との国境を超えて進軍を開始した。その勢力は三つに分かれ、東部沿岸部からの第一極東戦線、北方からの第二極東戦線、西方からのザバイカル戦線となっていた。主力は第一極東戦線で、これが満州・朝鮮間の国境を分断することが第一の戦略目標となっていた。同時に、西と北から背後と側面を突く作戦だ。

 ソ連の第一極東戦線司令官、キリル・メレツコフ元帥は、恰幅の良い二重顎の四十代だった。貧農の出身で、機械工として苦学したことからボリシェビキに参加し、赤衛軍に参加した経歴を持つ。戦功を上げ順調に出世の階段を登り、独ソ戦ではレニングラード北方で独逸ドイツの攻勢を凌ぎ、ヒットラー暗殺による混乱を突いて反撃に出た。この功績により、最高位である連邦元帥に列せられる。

 彼は、当然ながら戦局を楽観視していた。ノモンハン事件以来、日本の戦車の非力さは変わっていないとみなされ、文字通り一撃で済むはずだったからだ。

 むしろ、問題は制海権と制空権だった。日本は中型空母出雲を中心とした機動艦隊を日本海北部に常駐させて制海権を握り、ソ連の極東艦隊を完全に抑え込んでいた。ちなみに、出雲は真珠湾での鹵獲戦艦、ウェストバージニアからの改装である。

 空の方も、沿岸部は海軍のゼロ戦、内陸部は陸軍の隼がソ連のYak―9を圧倒していた。

 しかし、戦の趨勢を決めるのは陸軍であり、戦車だと信じて疑わないメレツコフであった。そもそも、対独逸(ドイツ)戦で苦戦したような地上攻撃機は、日本には無いと報告されている。戦闘機の機銃では、T―34戦車に傷一つ付けられないだろう。

 対する日本の関東軍だが、帝国陸軍が南方へ傾注していたため、かつての精鋭の面影はなく、ソ連の脅威への関心も薄れていた。そこに乗り込んできた石原莞爾が新設した特設第三十二戦車隊も、周囲からは酔狂な連中としかみなされていなかった。装備も旧式の中戦車チハが主体であり、独ソ戦を戦い抜いたソ連のT―34に比べればはるかに見劣りもした。

 実際、75ミリ砲を搭載するT―34に比べてチハは47ミリ砲であり、大砲と豆鉄砲とまで酷評されるほどだった。

 メレツコフ元帥の読みの通りと言える。

 だがこの非力なはずの戦車には、肇と了が授けた秘策があった。


 開戦から三日後、最初の異常は第十機械化軍団に現れた。先陣を切って敵陣を突破するはずが、進軍速度が遅く、あろうことか主力のT―34の損耗率が高過ぎた。

 報告を受けたメレツコフ元帥は副官を怒鳴りつけた。

「一体これはどうしたことだ! ヤポンスキーの秘密兵器でも現れたのか?」

 縮み上がった副官は、上ずった声で答えた。

「いえ、新型の戦車は目撃されておりません。ただ……」

「ただ、何だ?」

「撃破されたわが軍の戦車は、全部空からやられてます」

 メレツコフは顔をしかめた。

「空だと? 攻撃機か?」

 ますます縮み上がりながら、副官は答えた。

「いえ、何もない空からです」

 さらに怒鳴られるかと思いきや、元帥は難しい顔で考え込んだ。日本には、得体のしれない技術があると言う噂が、誰ともなくソ連軍内で囁かれていたからだ。


「敵戦車隊、来ました」

 友軍偵察機から受信した内容を伝える通信士の声がイヤホンに響く。狭いチハの車内だが、やかましい機関音で肉声は届かない。喉に装着した咽頭マイクとイヤホンが頼りだ。

 車長が命じる。

「よし、前面にでて誘い込むぞ!」

 操縦士が復唱し、チハ一号車は丘陵の影から出て、敵戦車に姿を晒した。二号車も、少し離れた場所から躍り出る。

 こちらに気づいた敵戦車の一両が停止し、砲塔をめぐらして狙いを定めようとする。展望鏡ペリスコープでその動きを捕らえた車長は、接眼鏡に映る十字線を敵戦車に合わせて、送信釦を押した。

「諸元、送信。敵、発砲! 衝撃に備えろ!」

 車長が叫ぶや否や、激しい衝撃が車体を揺さぶる。主砲を撤去し、砲塔を車体に固定して追加した正面装甲が、かろうじてT―34の75ミリ砲弾を弾いた。もし車体がリベット留めだったなら、弾けたリベットで全員が挽肉になっているところだった。

「敵戦車、撃破!」

 爆発炎上する様を、展望鏡で確認した車長が叫ぶ。こちらは一発も撃たずにだ。そもそも、主砲はない。

「よし、後退して移動!」

 丘陵の影を利用し、二号車との距離を維持しながら移動する。これを繰り返すのが、彼らの役割だ。

 その数分前、三号車は丘陵を抉って築かれた即席の掩体壕にいた。壕と言っても底面は傾斜しており、前に行くほど急峻となっている。

「諸元、来ました!」

 通信士の声と共に、一、二号車から送られた敵戦車の位置情報が、搭載された砥論端末で瞬時に処理される。車体の傾きや位置で情報は補正され、運転手と砲手の前の電光版に表示される。

「仰角四十七・二三、方位一〇五・八六」

 アクセルを踏み込み、わずかに前進する。大まかに合ったところで砲手が主砲の仰角と方向を合わせる。

「発射します!」

 砲手の声と共に、主砲が発射された。ほぼ同時に、個別の掩体壕に分散した四~十二号車も発砲した。バラバラの場所から放たれた十発の砲弾は、上空で弧を描き、地上の一か所めがけて落下した。

 着弾、そのうちの一発はT―34の上面装甲を破り、爆発、炎上させた。

 すべての戦車に共通した弱点を突く、秘策である。

 比較的近距離の水平射撃で打ち合うのが、従来の戦車戦。装甲は必然的に正面が厚くなり、側面、背面と続く。逆に、上面装甲は薄くしないと、車重が嵩んで動きが鈍る。

 そのため、上空から攻撃できる攻撃機は戦車の天敵と言えたが、残念ながら帝国陸軍には実績がなかった。かといって、戦車の砲塔はそれほど仰角が取れない。

 そこで、傾斜地に戦車を配備し、上に向けて撃った砲弾の落下時の威力で上面装甲を狙うことを考えた。だが、これでは敵を目視できないので、一・二号車が目となる。こちらから攻撃はせず、二両での三角測量で正確な位置を割出し、その情報を他の車両の砥論端末に送り込み、一斉に砲撃を加えるわけだ。

 僅か十二両の一部隊が、その何倍もの数の、はるかに強力な戦車部隊を足止めしている秘密がこれだった。敵にすれば、何もない空から、突然砲弾の雨が降り注ぐことになる。

 隼とゼロ戦が制空権を取った空では、陸軍の一〇〇式司令偵察機が何機も飛び交い、敵軍の配置と進軍を伝えてくれる。それに合わせてこちらの部隊は移動し、迎え撃つ。

 砲撃を行う戦車の塹壕は、同じ車体を流用した重機、日本版のブルドーザーやユンボが短期間で陣地の各所に掘りぬいてある。

 この半年間、石原莞爾が鍛えた教え子たちは、完璧に訓練の賜物を発揮していた。


 メレツコフは副官の報告に、さらに顔をしかめた。切り込み隊であるはずの第十機械化軍団が、開戦から一週間でほぼ壊滅状態となったからだ。T―34の損耗率が五割を越え、一旦退却して部隊を再編せざるを得なくなってしまった。

 しかし、戦闘報告には奇妙なパターンが見られた。例の砲弾の集中豪雨は、自分からは撃ってこない敵戦車が現れてから起こる。しかも、豪雨に見舞われるのは、その戦車を攻撃した直後だった。

 まず進軍拠点となった沿海地方グレロヴォ駅まで退却し、鉄道輸送で戦車などを補給して部隊を再編する。そののち、メレツコフは部隊の司令官に命じた。

「日本の戦車が現れても無視しろ。構わずに進軍するのだ」


 撃破したソ連戦車の写真を見て、石原莞爾はあり得ないものを見つけた。

「この南京錠はなんだ?」

 搭乗口の外側から南京錠が掛けられていたのだ。これでは、内部の乗員は自力では外に出られない。

 副官が答えた。

「督戦隊の代わりですかね」

 支邦の国民党軍にもいる部隊で、敵前逃亡を計る兵士を後ろから撃つ役割を持つ。戦闘を強制するわけだ。聞けば、ノモンハン事件の時にもこうした施錠は見られたと言うが、当時、そうした情報は上へは上がってこなかった。

「脱出する敵兵が居ないのはこのためか」

 あらためてソ連の非人道性に背筋が凍る。しかし、だからと言って温情を掛けるわけにもいかない。

 石原莞爾は話題を変えた。

「それで、イワンどもの第二波は随分脚が速いようだが」

「はい、何度かこちらの陣地を突破され、かなり押されています」

 こちらの秘策が看破されたとは思えないが、無視して距離を詰められるとこちらは退却するしかない。測量専用車の追加装甲は正面のみだから、回り込まれたらおしまいだった。工兵隊に配備した重機のおかげで、退却先でもすぐに戦車壕が掘れるのが救いだ。これが無かったら戦線は瓦解していたかもしれない。

「しかし、こうなるとそろそろ、他の部隊にも協力を求めるしかないな」

 馬鹿にされながらもやってきた共同訓練が、ここにきて役に立つはずだった。


 居住性を無視したT―34の中は地獄だった。特に砲塔内部は狭く、砲手も兼ねる車長は身体をよじらなければ主砲の操作が出来なかった。砲弾が床下に納められていたため、停車から砲撃までの時間がどうしてもかかる。装填手の負担もきついものだった。

 操縦手はさらに悲惨で、製造しやすさを重視した駆動系のためシフトレバーが非常に重く、一回の出撃で二~三キロ痩せ細るほどだった。ギヤをバックに入れるためには、ハンマーで叩かないといけない時もあった。

 また、視界が異様に狭いため、周囲の状況も分りにくかった。そうなると車長が覗くペリスコープ(展望鏡)が頼りだが、これも品質が悪く、たびたび視界が曇った。

 何より悲惨なのは被弾した時で、質の悪い装甲の内壁がはがれ、リベットのように車中に飛び散り乗員を殺傷することが頻発した。

 そんな中で、「敵戦車を無視して進撃せよ」という命令は厳しいものがあった。伏兵が居れば側面や後方から撃たれかねない。

 それでも命令通りに進軍していたが、撃ってこないはずの正面の敵戦車が砲撃して来たら、そうはいかなくなった。

「敵戦車、砲撃! 来るぞ!」

 ペリスコープを覗いている車長が叫ぶ。日本の戦車の主砲では、T―34の正面装甲は貫けない。わかってはいるが、被弾するのは恐怖だった。

 ガン、と衝撃が走り、はく離した内壁の破片が頬を掠めた。滲み出る血を気にする暇もなく、反射的に命じる。

「停車! 砲撃する!」

 号令と共に、操縦手がブレーキをかけ、重いシフトレバーをニュートラルに入れる。隣の通信手が手を添えてくれなければ動かないほどだ。装填手が床下から砲弾を取り上げ、砲身に込める。

 そして、砲手を兼ねる車長が、仰角を調整するハンドルを回しかけた時だった。

 車体の周囲に何発もの砲弾が着弾し、その一発が車体後部の装甲を突き破った。燃料タンク内で爆発が起こり、激しい火災が発生する。

 外部から施錠されたハッチを死にもの狂いで叩きながら、車長以下の乗員は火に巻かれて焼死し、床下の砲弾の誘爆で車体は粉みじんになった。


「一両撃破。よし、後退して移動する。後ろにも伝えろ」

 測量担当のチハ一号車で車長が命令する。通信士が復唱し、背後の援軍のチハに伝える。主砲を持たない重装甲の測量専用チハを盾に、その背後から肩越しに砲撃を行っていたのだ。他部隊との共同訓練の賜物だった。

 撃たれれば撃ち返さざるを得ないはず。そうした戦車乗りの心理を考えた作戦だった。

 開戦から二週間、特設第三十二戦車隊の戦果は関東軍に広く知られることとなり、共同作戦も円滑に行くようになった。

 それでも、全体的な戦況は優勢とは言い難かった。北部と西部から進軍してくる敵軍を、他の関東軍の部隊はほとんど足留めすることも出来ず後退するばかり。しかし、ここにきて変化が生じた。

「そうか、ようやく来たか」

 部下の報告に、石原莞爾は胸をなでおろした。

 南方へ進出していた陸軍部隊が、ようやく海路で北上してきたのだ。内地からも朝鮮半島を経由して増援が送られつつある。

 何よりも、日本海北部の機動艦隊からの空爆が激しくなり、沿岸部でのソ連第一極東戦線の補給路を寸断するようになった事が大きかった。そこへ、海上から海軍陸戦隊と南方からの陸軍が上陸し、制空権のもとに橋頭堡を築き始めた。

 虎の子の戦車の損耗率の高さと、兵站の寸断、さらに日本側の増援の強化。ここにきて、ソ連第一極東戦線は戦闘継続が困難となってきた。

 五月二十一日。

 断腸の思いで、メレツコフ元帥は退却を命じる。同時に、他の戦線も撤退を余儀なくされた。程なく、メレツコフは内務人民委員部(NKVD)により反革命容疑で逮捕され、厳しい拷問にかけられた。釈放されたのは九月に入っての事であった。

 関東軍の部隊は北と西で消耗し、ほぼ壊滅に近かった。しかし、石原の育てた特設第三十二戦車隊は、ほとんど被害を受けることなく敵機甲部隊を撃退することが出来た。

 これにより、陸軍における石原とその戦術の重要度は否応なく高まった。そのため、反目していた東条英機も無視することは出来なくなったのである。

 五月末、報告のために帰国した石原を、東条は空港まで出迎えねぎらった。

 両者の和解が成った瞬間である。


 一方、赤道を越えた珊瑚海では、激闘が繰り広げられていたのだった。


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


キリル・メレツコフ

【実在】ソ連邦陸軍元帥。

史実では独ソ戦の開戦直後にNKVD(内務人民委員部)に逮捕され拷問を受けてます。その後釈放されて軍に返り咲き、対日参戦でも司令官となります。

ちなみに、当時のNKVDのトップは第一部に登場したラヴレンチー・ベリヤで、カティンの森の虐殺もNKVDの仕業。戦後、このNKVDから生まれたのが、悪名高きKGBです。


次回 第十話 「十一隻の空母」


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