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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第三部
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第八話 二十日間の窓

 四月二十日。

 肇は東海村にある海底艦隊基地を訪れた。

「満身創痍とは、この事ですね」

 肇は秋津技師長に呟いた。

 海水を抜かれた船渠の中には、「くしなだ」が船架の上に横たわっていた。ここへは潜水して出入りするため、船渠の深さは四十メートルもある。足元よりはるか下にあるその艦体の周りには、点検のための足場が組まれている最中だった。

 右舷艦首、司令塔の付け根に触雷したため、大きな破孔が開き、発令所の独立した耐圧殻がむき出しになっていた。司令塔もほとんどが吹き飛んでいる。

 さらに、至近弾はあちこちに受けたらしく、甲板が何か所もへこみ抉られていた。原子炉が片肺だったこともあり、昨日ようやく帰投出来たのだ。

「よく戻ってこれたものです。死傷者も……」

 技師長は言いよどんだ。肇が言葉を受け継ぐ。

「この被害では、一人も死んでませんね」

 平野平機関長は、熔融塩炉の暴走を止めるため、命を落とした。機関員の吉野は海底艦隊の付属病院に収容されたが、重度の放射線被曝で、手の施しようがなかった。

「総司令閣下」

 声を掛けられ振り向くと、御厨艦長が立っていた。頭には包帯を巻いているが、血色は良さそうだ。

「艦長、このたびは……」

 肇のお悔やみの言葉を、御厨は遮った。

「ああ、それは結構です。機関長は立派に仕事をした、それだけです」

 傷だらけの甲板を見渡し、言葉を継いだ。

「自分らは、この海底艦隊に入った時点で、死んだことになってますし」

 隊員は全員、事故死扱いで戸籍からも消されている。

「何より、任務に大きな穴を開けてしまいました」

 肇たちを乗せて先にパナマ湾を脱出した「くろしお」だが、帰投に九日、補給に二日で、ようやくパナマ湾に戻ったのは二十日後だった。スエズ運河封鎖に当たっていた「おやしお」も全速力でパナマ湾へ急行したが、こちらも同じくらいの日数が掛かってしまった。

 結局、二十日間もパナマ運河が解放されてしまったことになる。

 この間に、アメリカは新造空母を四隻、太平洋に送り込んでいる。待ち構えていた伊号潜水艦は、例の護衛艦隊に追い散らされ、手も足も出なかった。

「この二十日間の窓は痛いですね」

 肇の声にも苦さがあった。

 昨年の珊瑚海海戦でほぼ壊滅させた太平洋艦隊が復活してしまったことになる。しかも、彩雲で撮影した写真から見ると、今までより一回り艦形が大きく、航空機搭載量も増えているはずだ。

 肇は呟いた。

「これは、遠からず戦になりますね」

 御厨艦長も頷いた。

「技師長、『くしなだ』の修復の見込みは?」

 肇の問いに、秋津技師長は眉間に皺を寄せて答えた。

「これほどの損傷、ここでは流石に無理です。横浜の船渠を使わないと」

「しかし、あそこは……」

 肇は言いかけて言葉をつぐんだ。技師長も頷く。

「次の『くろしお級』が完成するまで、場所が開きません」

 双子で建造される「くろしお級」の三・四番艦は、来月が進水の予定だった。偽装が完了するのはさらに半年後。そして、他の船渠もすべて埋まっている。

 一度に四隻もの正規空母を完成させるアメリカとの、工業力の差は歴然としてあった。I計画により分野によっては質の面で凌駕出来たが、量の面ではまだまだ及ばない。圧倒的な国力の差だ。

「なにより、このままではまたパナマの窓が開いてしまいます。『おやしお』の物資も乏しいでしょうし」

 母艦としての「くしなだ」が無ければ、「くろしお級」は精々三か月程度しか活動できない。スエズ方面は静かだったので、「おやしお」の魚雷は全弾残っているものの、食料などはかなり切り詰めているはずだった。

「とはいえ、仮に船渠が使えても、すぐには修理できません」

 技師長に指摘されて、肇も気づいた。

「放射能ですね」

 暴走を止めるために原子炉を破損させた際、原子炉区画内に熔融塩燃料が流れ出したのだ。ほとんどは船底のタンクに流れ込み固まったが、区画内の床面にかなりの量がこびりついている。核分裂反応は止まっているものの、燃えカスに当たる放射性物質が含まれるため、依然として危険なレベルの放射線が原子炉区画を満たしていた。

 技師長は言った。

「既に核反応を止めてから二週間経っているので、当初に比べればかなり下がりました。しかし、まだ中に入って作業できる状況ではありません」

 頭を掻きながら、肇が尋ねた。

「どのくらいかかりますか?」

「最低、あと一か月。それで内部の洗浄が出来るようになります」

 核物質を含まない熔融塩で、原子炉区画内を洗い流す。床面は機械の腕では届かない場所が多いので、人が入って作業するしかなかった。五百度の高温の液体なので、かなりの危険な作業だ。

 その機械の腕も、無理な使い方をしたため、交換が必要だった。

「さらに、炉心も熱交換器も分解して洗浄しないと。至る所に石綿の線維がこびりついているはずです」

 技師長の指摘で、肇は暗澹たる気持ちになった。

「もう、いっその事、新しい原子炉に交換したいですね」

 技師長は頷いた。

「その方向でも検討しています」

 意外な答えに、肇は驚いた。

「どうやって?」

 あんな大きな炉心が、ハッチをくぐれるわけがなかった。

「船殻を切り開きます」

 肇は眉間に手を当てた。

「耐圧殻もですか」

「はい。溶接を上手くやれば、強度も落ちません」

 原子炉区画は二層になっており、上の層の点検整備室の床は、さらに分厚い放射線防護材と断熱材を挟んで、耐熱合金で内貼りされた原子炉格納容器になっていた。かなり複雑な構造だが、甲板から一層ずつ切り開いて、炉心が通るだけの穴を開けると言うのだ。

「それ、右舷だけですか?」

「いえ、新型炉に替えるので、バランスを取るために両舷行ないます」

 人間に例えるなら大手術だ。それでも、空間に余裕のない原子炉区画の中で放射能を帯びた炉心を分解掃除するよりは、工期が短縮できる可能性があるという。

 なにより、「くろしお級」と同じ新型原子炉になれば、性能も向上するはずだった。それならば、亡くなった平野平機関長への手向けともなる。


 御厨艦長らと別れて船渠を出たところで、肇は呼び止められた。

「総司令閣下」

 振り返ると、作業着を着た小柄で童顔の青年が、直立不動で敬礼していた。

「ああ、敬礼はいいよ。ここは民間の工場のはずなんだから不自然だし」

 海底艦隊基地は建前上、日立系の「東海重工」という民間会社の工場とされていた。実際に、そこにいる半数以上は普通の社員だ。海底艦隊の隊員は、軍事秘密にかかわる製品を扱っている、ということになっている。

「総司令、実は、折り入ってお話が」

 青年は直立不動のまま話す。真剣な面持ちだった。

「大事な話なのかな」

 青年は頷いた。その目に涙が光るのを、肇は見た。

「わかった。じゃあ、そこの喫茶室でいいかな?」

 青年、滝沢仁の語った内容は、肇を心底から打ちのめすものだった。


 その夜の定時連絡で、肇は告げた。

「一つ、重大な見落としがありました」

 肇は、滝沢から聞いた吉野の事を了に伝えた。

(なるほど……そうだな、そうした社会問題は確かに盲点だった)

 大きな目的のために、多少の不幸は仕方がない。そもそも、戦争をその手段にしている以上、きれいごとでは済まされないのは確かだった。

「それでも、これは防ぎようがあったのでは」

(うむ。窒素肥料はそれに合った品種でないと。これは蓬莱米を開発したころから分っていたことだ)

 三太郎博士の一人、盛永俊太郎に言われたことだった。その結果生まれたのが蓬莱米だが、東北など寒冷地に適した品種はまだ生まれていなかった。

「やはり、農林省あたりから肥料などの指導をすべきでしょうか」

 省庁の縦割りも問題だった。工業製品である窒素肥料は商工省の管轄だが、それを売りつける相手の農家は農林省。責任の所在があいまいになる。しかし、ここを何とかしなければ、I計画による日本の農村の崩壊は止まらない。

(これは我々の手に余るな。I計画の参画企業で調整するしかないだろう)

 四半期に一回、そうした企業らが自主的に開く会合があった。一日に行われるので「はじめ会」と呼んでいるが、肇の名前に掛けているのは明らかだった。居心地が悪いので変えてほしいのだが。

 次は六月なので、そこで肇が提案することになった。

 次の話題は、「くしなだ」の状況だった。

(船渠を一つ空けてもらえるように、海軍に掛け合う必要があるな)

 進水している艦艇であれば、曳航して一時場所を開けることは可能だ。「くしなだ」用にするなら、船渠の周囲を覆う必要があるが。

「しかし、機密保持が難しくなりませんか?」

 肇は懸念したが、了は達観していた。

(背に腹は代えられない。米軍の反攻もあり得るし、満州も気になる)

 ヒットラー総統暗殺でナチスが瓦解し、先月末に独伊は英米と講和した。伊太利イタリアの独裁者ムッソリーニの失脚は、了の世界より四か月早まったことになる。仏蘭西フランスも解放され、欧州の西半分には平和が訪れた。だが、独ソの講和はまだで、両軍は睨みあったままだ。例の「カティンの森事件」で、連合国とソビエトの関係も冷え込んでいる。

 総統暗殺と言う大任を果たしたハンス工作員だが、この混乱が収まるまでは日本に戻れそうになかった。加えて、トレスコウ少将に気に入られて、引きとめられているようでもあった。

 とはいえ、独逸側に今以上のソ連侵攻の動きはない以上、ソビエト側も主力部隊を引き上げつつあるようだ。

 その引上げ先が、どうやら極東方面らしい。満州との国境線に戦力を集結しつつある。

「あちらは、石原閣下に任せるしかありませんね」

 昨年末、石原莞爾は機甲学校の校長を辞し、ソ連の侵攻に備え満州へ渡り、新たな機甲師団の編成に取り掛かった。この三月には機甲学校を卒業したかつての教え子たちも参加し、肇が提案した奇策に基づいた訓練を重ねている。

(どちらが先に来るか、それとも同時か)

 しかし往々にして、事態は予想できる最悪のタイミングでやって来るのであった。


 翌日、肇は呉に山本五十六を訪ねた。旗艦大和の司令長官室は、珊瑚海海戦以来だった。

 了の世界では、数日前に山本は戦死しているはずだった。ブーゲンビル島で乗機を米軍に撃墜されて。海軍甲事件と呼ばれたという。

 これもまた、歴史改変の一つの証だ。

「早速ですが長官。また戦いになります」

 単刀直入に肇は切り出した。

「やはりな。豪州東部の動きが盛んだ」

 ハルゼー率いる太平洋艦隊が、珊瑚海で大規模な演習を始めている。彩雲による強行偵察で、帝国海軍もある程度は掴んでいた。

 これに「わだつみ」による探索の結果も合わせると、先の珊瑚海海戦で生き残ったサラトガに新型の新造空母四隻を加えた五隻の正規空母による機動部隊と考えられた。

 ちなみに、レキシントン級としかわからなかった空母の艦名がサラトガと判明したのは、コードトーカー村雨恭二の成果の一つだった。

「では、再び珊瑚海海戦かな」

 長官の言葉に肇は頷いた。

「待ち受けるよりも、仕掛ける方が良いかと」

 今回の目的は、敵の戦力を削ぐ事にあった。珊瑚海海戦から一年足らずで戦力を回復してしまう米国の底力は凄まじい。日本も三隻を就役させたが、こちらは鹵獲戦艦からの改修で、しかもサイズから言えば中型空母だった。

「建艦に必要な船渠の数からして、日米の差は大きいからな」

 米国を視察した時のことを思い起こす山本だった。

「その船渠なのですが」

 肇は切り出した。

「『くしなだ』のために、一つ空けられないでしょうか」

 山本長官は腕組みした。パナマ湾でのことは、既に伝えてあった。

「それは連合艦隊というより、艦政本部だなぁ」

 海軍の中で、連合艦隊司令長官は実戦部隊の指揮官であり、艦船の建造などは艦政本部という官庁の担当であった。そして、それらを束ねるのは海軍大臣であり、今その地位にいる嶋田繁太郎は山本と不仲であった。

「難しいですか」

「せめて、大臣が米内さんだったらな」

 山本の盟友、米内光政は、海軍大臣の後に総理大臣にもなっている。しかし、今は予備役の身だ。

 無理を通すわけにはいかない。これは「はじめ会」で造船各社に根回しをするしかなさそうだった。

 どちらにせよ、次の戦では「くしなだ」は戦力外と考えるしかない。手持ちの駒は「わだつみ」と、「くろしお級」二隻のどちらか一隻。片方は、パナマ封鎖のためにどうしても動かせなかった。

 六月中に「くしなだ」の修復がはじめられたとして、原子炉交換と言う大工事がどれだけかかるか。年末までには、何としても完了してもらわないとこまる。

 既に、一発目の原子爆弾が完成しているからだ。年末までにはさらに二発が加わる。この原爆を使って戦争を終わらせるためには、どうしても「くしなだ」が必要だった。

 だが、その前に珊瑚海だ。

「連合艦隊は、二週間以内に出撃する」

 山本は肇に明言した。実質的に、第二次珊瑚海海戦は、この時に始まったと言える。


 五月に入ると、ようやく独逸ドイツはソビエトと講和した。一応は、である。独逸はソビエトから奪った領土を返還した。波蘭ポーランドなどナチスが併合した国々も独立となった。

 端午の節句の後、山本の言葉の通り連合艦隊は珊瑚海へと呉を後にした。

 同じころ、満州ではソビエト軍が国境を超えて進軍を開始した。


 吉野は基地に戻ってから一か月後に息をひきとった。体中から血を吹き出し、手足も内臓も崩れて行ったが、最後まで意識はあったため、苦しみぬいての死だったはずだ。しかし、本人は決して苦痛を訴えることはなかった。最期を看取ったのは滝沢であった。

 二人目の戦死者にして、最初で最後の反逆者であった。


次回 第九話 「一つの奇策」


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