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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第三部
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第四話 三人の工作員

 昭和十七年十一月。「わだつみ」は北極経由で仏蘭西フランスのビスケー湾に到着した。艦内時間では昼近くだが、海上は深夜のはずだった。

「要員不足なのに、ちょっと面倒な任務ですねぇ」

 発令所で副長の海野がつぶやいた。草薙艦長は、いつものように顎鬚をしごくと返した。

「まぁ、面倒なのは上陸部隊だな。俺たちはここで大人しく待つだけだ」

 先月就役した「くろしお級」二隻のために、「わだつみ」も乗員の半分を割いている。新入りが補充されるまで、人手不足ではある。

 面倒な任務とは、今回の工作員潜入計画だった。独逸ドイツ国内でのヒットラー暗殺計画を支援するために、ユダヤ人工作員ハンス・シュナイトフーバーを潜入させるというものだ。

 今まで担当したのは脱出作戦だったので、事前に国内に協力者を送り込み、車などの手配をさせていた。しかし、今回はそうはいかない。三国同盟から脱退した時点で、I機関の要員は独逸ドイツ勢力圏内に留まれなくなったからだ。

「暗殺計画がもう少し早く分っていれば、あいつらがいるうちに潜入させられたのにな」

 艦長のぼやきに副長が答える。

「まぁ、I機関だって万能じゃありませんから」

 面倒が増えているのは事実だった。何しろ、ハンス一人を海岸に放り出したのでは怪しすぎる。密入国しましたと宣伝しているようなものだ。地元住民の注目を引かないことが一番だった。

「人員昇降ブイ、浮上させます」

 艦内通話機から声が流れた。草薙が許可を出すと、艦中央部の甲板が観音開きになり、ケーブルで艦に繋がれた大きなブイがゆっくりと海面へ上がって行った。

 その下部にある耐圧殻の中で、ハンスは独逸ドイツ陸軍の制服を着、作戦の内容を反芻していた。

「いよいよですね」

 彼をここまで指導してくれた、I機関の冴木が声をかけた。

「はい、今までありがとうございました」

 航海中も、冴木からいくつもの手ほどきを受け続けていた。それこそ、覚えることは無数にあった。何しろ、ひとたび上陸すれば、もはやこちらと連絡を取ることも難しいのだ。

「上陸後は、打ち合わせ通り、まずはベルリンのクイルンハイム大佐を訪ねてください」

 冴木の上げた名は、アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム大佐、独逸ドイツ軍の中の黒いオーケストラの一員だった。ヒットラー暗殺後に国内を掌握する「ヴァルキューレ作戦」の指揮官、フリードリヒ・オルブリヒト大将の部下である。彼ら反ナチ派には、すでにI機関の要員が撤収前に接触しており、協力が得られるはずだった。

「彼らの多くは、各地で行われている非占領民やユダヤ人虐待への義憤が、その動機になってます。必ずや、力になってくれます」

 がくん、と軽い衝撃があり、ブイはビスケー湾の海面に出た。昇降筒が引き上げられ、ハッチが開かれた。潮の香りが流れ込んでくる。乗員が数名、梯子を駆け上がって行った。

「では、行ってまいります」

 ハンスは冴木と握手した。乗員の一人が彼の荷物を担ぎ、梯子を上っていく。ハンスもそのあとに続いた。

 ブイの上部では、既に黒いゴムボートが三艘、膨らめられていた。その一艘にハンスは乗り込んだ。ほかの二艘には防水された木箱が積まれている。

 星明りの下、三層のゴムボートは漕ぎだした。しばらく海上を進むとアルカション湾へ入った。冴木がチャンドラ・ボース一行を脱出させた海辺の別荘地である。岸壁には桟橋が立ち並び、何艘ものヨットが係留されていた。しかし、さすがに戦争が長引いたせいか、そのほとんどは放置されているらしく、索具などが痛んでいた。別荘にも人気がない。

 ハンスは桟橋に上がり、乗員から荷物を受け取った。他の二隻からは木箱が運び上げられ、その場で開封された。

 出てきたのは、分解された単車であった。独逸ドイツ陸軍仕様で迷彩色に塗装されている。これに乗って連絡将校の身分証を見せれば、ベルリンまでなら問題なく行けるはずだった。同様な伝令は欧州各地を走り回っている。

 乗員たちは手早く単車を組み立て、木箱を片付けゴムボートに戻った。それを待って、ハンスは単車のエンジンを掛けた。排気音が無人の別荘地に響く。

 無事、エンジンがかかることを確認すると、三艘のゴムボートは沖をめざし漕ぎ出した。

「さようなら」

 口の中で声を出さず、ハンスは呟いた。冴木に教わった日本語だ。任務が成功したとしても、極秘の部隊である以上、彼らと会う機会は二度とないはずだった。

 ハンスは単車にまたがると、別荘地を出て東へ、ベルリンへと向かった。

 陸路の旅は長い。さらに、暗殺計画の現場は最前線、ソ連領に深く侵攻した先、モスクワまで三百キロまで迫ったスモレンクスだった。

 単車を走らせていると、やがて、前方の空は徐々に明るくなっていった。


 その数時間前、芹沢はJM社のシカゴ支社でルイス・スローティンからの報告を受けていた。期待した通り、この野心的な青年科学者は、マンハッタン計画の中枢に入り込んでくれた。

「カルトロンか」

 芹沢が呟いた。

 原子爆弾開発の二つの流れの一つ、ウラン235濃縮による方式で使われる装置の名前だった。核分裂を起こすウラン235を、核分裂しないウラン238から、わずか3の質量差で分離・濃縮するためのものだった。日本の仁科は多数の遠心分離器で行なったが、カルトロンはスローティンが関わった粒子加速器、サイクロトロンの技術を応用したものだった。

「はい、しかしこの方式には将来性がありません」

 スローティンの言葉には遠慮がない。

「ふむ。その根拠は?」

 眼鏡を直し、青年は答えた。

「これでは、原爆を一発作るたびに、膨大なリソースが必要となります。電力、人手……要するに金です」

 サイクロトロンがそうであるように、カルトロンも電磁石の塊だった。強力な磁場でウランの原子核が方向を捻じ曲げられるとき、わずかに軽いウラン235は内側に、重い238は外側に逸れる。その内側だけを掬い取るのが、その原理だった。

「何よりも、これだけの電磁石、電線に使う銅が足りません」

 工業大国アメリカと言えど、すべての地下資源を自前で賄えるわけではなかった。輸入に頼る金属では、不足するものもある。ましてや、戦時下では厳しかった。

「で、どうすることになっている?」

 芹沢の問いに、スローティンは口元を歪めて言った。

「銀ですよ」

「銀?」

 意外な答えに芹沢は眉をひそめたが、構わず青年は続けた。

「国立銀行から銀を借りて、この装置を作ることになりました」

「なるほど」

 芹沢は頷いた。国立銀行には大量の銀が延べ棒として備蓄されている。これを溶かして電線とし、電磁石を作るわけだ。銅よりも銀の方が電気を通しやすいので、扱いやすい。

 しかし、国立銀行側もこの申し出には難色を示している。何しろ、前例のない量となるのだ。ある役員はこう吐き捨てた。

「銀はトロイオンスで量るものだ。トンじゃない」

 とはいえ、借りたものはいずれ返さねばならない。さらに、巨大な電磁石は膨大な電力も消費する。それらを勘案すれば、このやり方での原爆の量産は現実的とは言えなかった。

「そうなると、もう一つの方式となるな」

 芹沢の言葉にスローティンは頷いた。

「はい。やはり、本命はプルトニウムです」

 今この時も、すぐ近くのシカゴ大学地下のスカッシュ・コートで稼働中の原子炉、シカゴ・パイル。莫大な熱と放射線と共に、あの中で生成され続けているのがプルトニウムだ。これを純粋な形で取り出すには、かなりの複雑な化学処理が必要だった。そこは芹沢には専門外の分野だ。だからこそ、スローティンの知識と経験が必要だった。

「では、君としては、プルトニウム製造のチームへの移籍が望みと言うわけだな」

 青年は頷いた。

「よろしい。君の案を採用しよう」

 芹沢に許可を得て、スローティンは破顔した。

「ありがとうございます。早速、準備いたします」

 芹沢は足音も高く退出していく青年を目で追った。ドアが閉じると、受け取った報告書を「既読」の書類皿ではなく、キャビネットの「極秘」の引き出しに放り込み、鍵を掛けた。

 そして自分も上着を取ると、インターホンで伝えた。

「ジョージ、出かけるぞ。車を頼む」

 マンハッタン計画に加わってから、重要な書類はあの引き出しにしまうようにしている。だが、定時後に執務室に入る掃除婦が同じ鍵を持っていることは、芹沢だけが知る秘密だった。

 こうして、アメリカの核開発の成果は、ほぼそのままソビエトに送られるのだった。核の力を、アメリカだけに独占させるわけにはいかない。

 問題は、日本の動きだった。石動が関与していることは間違いない。あの謎の潜水艦、シーゴーストの動力は、どう考えても原子力に間違いなかった。だが、日本国内に築かれているはずのコミンテルンの情報網には、まったく引っかからない。

 車中で瞑目し、対策を考える芹沢であった。


「『くろしお』への接合完了」

 操舵手の上げる声に、発令所の緊張は一気に解けた。

「よし、補給活動開始」

 艦長の号令で、魚雷、物資、人員が「くろしお」との間で行き来が始まり、下士官から矢継ぎ早の指示が艦内通話で流される。手の空いている下士官も、艦の後部へ向かった。

 その発令所へ、一人の士官が入ってきた。

「御厨艦長、またお世話になります」

 「くろしお」艦長の後藤綱吉であった。

「いや、こちらこそ。手間取ってしまって申し訳ない」

 頭を下げる御厨に、後藤は恐縮してさらに頭を下げる。

「いやいや、こちらなど単にじっとしてるだけですから」

 何度目かの接合訓練ではあったが、「わだつみ」と違って片側の接合管だけを使うため、「くしなだ」側のバランスの取りかたが微妙になっていた。物資の補給も、両舷から交互に行なう必要がある。その代り、同じ海域に居れば二隻同時に補給も出来るのだが、当面は各海域に分散するので、「くろしお級」の艦数がさらに増えるまでは、その利点は活かせないだろう。

 何より、新人訓練が間に合わなかった事による人手不足が大きい。食料などの物資の移送はどうしても人力に頼ることになるので、この時は最低限の要員を残して、発令所や機関部などからも作業員を募ることになる。

 人と物資が大きく動く補給の最中は、どうしても敵に発見される危険が大きくなる。そのためにも、訓練の繰り返しが必要だった。

 やがて、物資と人員の移動訓練は終わった。

「やれやれ、米の袋の重いことったら」

 腕や肩の凝りをほぐしながら、滝沢が原子炉制御室に戻ってきた。吉野に当直を任せ、物資移送を手伝っていたのだ。

「お疲れ様。次は僕が行くよ」

 ねぎらう吉野だったが、滝沢は断った。

「いいって。見ろよ、俺の方が腕太いんだぜ」

 体育室での自主鍛錬を欠かさないおかげで、小柄ながら筋肉の付きは良くなっている滝沢だった。 当直中に吉野が読んでいた文庫を指さして言う。

「お前は知恵の方で貢献してくれよ」

 にこやかに笑う滝沢に、吉野もつられて微笑む。だが、吉野は気が付いた。「何か」をするならば、まさしくこのタイミングだということに。

 だが、何をすれば?

 やがて非番の時間となり、食事の後、吉野は艦内の図書室に行った。「くしなだ」の補給任務が重視されるようになって変わったのは、基地に帰投する頻度が増えたことだ。そのため、過去の一週間分だが、新聞なども取りそろえられるようになった。おかげで、海の底でも世の中の情勢が掴めるようになった。一足遅れではあるが。

 紙面には、戦時下だが明るい話題が多い。先々月の大東亜会議の続報、新たに解放された三国、ベトナム、ラオス、カンボジアの情勢。次第にまとまりつつあるマレーやインドネシア。

 しかし、注意してみると見つかるのが、いわゆるベタ記事に淡々と書かれる内地の農村部の実情だった。吉野の故郷で起きたようなことが、程度の差はあれ、東北や北海道で頻発している。

 ごくまれに、社説などで問題提起があるが、結局は農村を捨てて都会で働け、と言うような結論になってしまった。

 田園が広がるあの風景は、「瑞穂の国」と呼ばれた日本の象徴ではなかったのか。それを切り捨てて、この国はどう変わっていくのだろう。

 農家に生まれ、農作業の厳しさを嫌って軍に入った吉野であったが、いざ失ってみると懐かしさが込み上げてくる。干ばつや水害、病気や害虫に悩まされることはあっても、作物は手を掛ければそれだけ育ってくれた。

 今はどうだろう。自分らは世界最強の兵器を駆り、世界最強の敵艦隊を屠ってきた。沢山の敵を殺し、沢山の味方の死を見てきた。一体そこで、何が生み出されているのだろうか。

 東亜は植民地から解放された。それは確かに素晴らしいことだ。しかし、それらの国は本当に良くなっているのか? 内地で起きているような格差や貧困が、東亜諸国でも起きていないと言い切れるのか?

 限られた新聞の紙面からは、何の答えも読み取れなかった。


 翌十二月。「くろしお級」の二隻は、それぞれパナマ湾とアデン湾での哨戒任務に就いた。パナマ運河とスエズ運河、二つの重要な輸送経路を封印するためだ。

 同じころ、横浜では四隻の空母が就役し、華々しく祭典が催された。珊瑚海海戦で大破した正規空母の加賀。そして、真珠湾で鹵獲され戦艦から空母に改装された三隻、ペンシルバニア、ネバダ、ウェストバージニアである。

 鹵獲戦艦には、元の名前にちなんだ名称が与えられていた。そして、加賀のように戦艦から改装した空母には、戦艦と同じく日本の旧国名が付けられるのが、帝国海軍の伝統だった。

 まずはペンシルバニア。ペンは領主の名なので除外するとして、シルバニアはラテン語で森を意味する。そこから青木ヶ原樹海につなげ、旧国名の「甲斐」と命名された。

 ネバダはスペイン語で「雪に覆われた」という意味であり、そこから大雪山につなげ、「石狩」となった。

 ウェストバージニアは「西の処女地」であり、日本古来の女神である天照大神にちなんで「出雲」となった。

 既に先月、残り三隻の鹵獲戦艦も真珠湾での改装を終え、電子護衛戦艦として日本本土から東南亜細亜までの輸送船団の守りについている。

 テネシーはインディアンの地名からとられており、日本ではアイヌに当たることから「蝦夷」と命名。

 カリフォルニアは女王カリフィアが支配する空想上の楽園にちなんでおり、女性であった推古天皇にちなんで「河内」と命名。

 メリーランドはカソリックを守護したメリー女王によることから、キリシタンの長崎にちなんで「備前」となった。

 表に出て戦う帝国海軍と、文字通り水面下で活躍する海底艦隊。ここに、開戦時をはるかに上回る戦力が揃い、米国の反撃を迎え撃つ準備は万端となった。


 石動了ですら、そう信じていたのである。


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム大佐

【実在】独逸ドイツ軍の中の反ナチス組織、黒いオーケストラの一員。


フリードリヒ・オルブリヒト大将

【実在】黒いオーケストラの幹部。クイルンハイムの上官。

「ヴァルキューレ作戦」の指揮官。


次回 第五話 「二つの暗雲」


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