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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第三部
51/76

第一話 二つの宣言

 昭和十七年九月一日。

 肇が帰国して早々、御前会議が招集された。来週に予定されている、大東亜会議に関するものだった。

 例によって第二種礼装に身を包んだ肇は、東条英機総理から詰問されることになった。

「聞けば、貴君はこの会議の参加者に単独会見し、わが帝国の威信を削ぐような讒言ざんげんをなしたと聞く。いかなる権限が貴君にあるのか?」

 あらかじめ予想されたことだった。肇は背筋を伸ばし、慎重に言葉を選んで答えた。

「全ては、陛下の御意向によるものです」

 上席に向かって一礼すると、陛下は頷かれた。

「開戦前の午前会議で陛下が詠まれた歌には、『みなはらからと 思う世』とありました。すなわち、こたびの戦争は、欧米列強に替わって日本が亜細亜を支配したのでは意味がないわけです」

 総理へと視線を向ける。

「それ故に、会議では忌憚なく意見して欲しいと伝えました。また、各国の『強さ』を体現してくれる人物がいれば、オブザーバーとして参加していただくように願いました」

 フィリピンのリカルテ将軍、タイのワンワイタヤーコーン殿下。前者は欧米支配への抵抗、後者は独自文化、それぞれの象徴であった。亜細亜で日本だけがそれらを持つのではない、という根拠だ。

「しかし、それでは帝国の国益が……」

 なおも言いつのろうとする総理を制し、肇は言った。

「この戦争は、禁輸で我が国を干上がらせようとする欧米列強に対する、自衛戦争の意味合いも確かにありました。しかし、開戦直後の『大東亜宣言』によって、既により高邁な理想の実現に移行しているはずです。すなわち、亜細亜の植民地支配からの解放です。これは、我が国一国の利益より優先すべきものです」

 肇は言葉を続けた。

「とは言え、国益を損ねることは戦争の勝利を逃すことにもなりえます。それゆえ、今後は『大東亜戦争』の名にふさわしく、亜細亜が一体となって戦うという形を整えねばなりません」

 東条は瞑目し、しばしの沈思黙考する。やがて口を開いた。

「それは、例の告発も含むと言うのか?」

 肇は頷いた。


(ご苦労様)

 余りにも素っ気ない了の労いに、礼装を脱ぎながら肇はこぼした。

「勘弁してくださいよ。これって確実に私の寿命を削ってますよ」

 下着を脱ぐと、またしても絞れるほどだった。相変わらず、嫌な汗をかきまくりだ。手拭いで全身をこすり、洗い立ての私服に着替える。荷物をまとめて外に出ると、既に深夜だった。あの後も御前会議が紛糾したためだ。

 政府が差し向けたハイヤーに乗り込み、渋谷の自宅へ向かう。

(おそらく、今回の大東亜会議が、この戦争の転換点となる)

 車中で了が語る。

(セイロン島の占領で、最後の援蒋ルートは既に形骸化しているはずだ。蒋介石との和平が出来れば、真の意味での大東亜となれる)

 亜細亜における最後の反日勢力が、蒋介石の国民党政府であった。村雨アキの命を奪ったドゥーリットル爆撃も、この勢力が無ければ実現しなかったはずだ。そこが落ちれば、あとは……

「そういえば、支那の共産党はどうなんですか?」

 毛沢東が率いる、支邦の第三勢力だ。南京を首都とする汪兆銘おうちょうめいの親日政府との三つ巴となっている。かなりいびつな三国志と言ったところか。

(滅ぼすのが一番だ)

 脳内に響く了の言葉に、肇は唖然とした。

「え、あのそれって」

(ソビエトのスターリンを上回る程、この後、毛沢東は自国民を大量虐殺する)

「……何万人くらいなんですか?」

 了の答えに、肇は耳を疑った。

(数千万とも一億とも言われている)

「一億……」

 日本の全人口ではないか。

「汪兆銘に頑張ってもらうしかないですね」

 肇の言葉に、なぜか了は答えなかった。

 帰宅すると、光代と共に美鈴が出迎えた。

「お帰りなさいまし、肇さま」

 ご丁寧に、三つ指を突いての正座だ。

「……ああ、ありがとう」

 東南亜細亜歴訪から帰国して以来、美鈴は肇の秘書兼、光代の護衛として石動家に滞在している。本来は肇の警護に付くはずだったのだが、光代の安全を最優先すべき、と肇が強く主張し、こうなった。

 光代が喜んだのはもちろんだが、美鈴の気持ちを知る肇としては、自らの貞操の危機を懸念せざるをえない。


 六日の日曜日。来日した亜細亜諸国の代表は、この日、天皇陛下に謁見した。そして翌七日、帝国議会において大東亜会議が開催される。了の世界よりも十四か月早く。

 出席者は次のとおり。


 日本:東条英機首相

 ビルマ:バー・モウ首相

 満州国:張景恵(ちょう けいけい)首相

南京国民政府:汪兆銘首席代理

 フィリピン代表:ホセ・ラウレル大統領

  オブザーバー:アルテミオ・リカルテ将軍

タイ:ピブーンソンクラーム首相

 オブザーバー:ワンワイタヤーコーン殿下

自由印度(インド)臨時政府

 オブザーバー:スバス・チャンドラ・ボース


 ちなみに、自由印度(インド)臨時政府とは、日本が占領したセイロン島と周囲の島嶼を国土とした政府である。

 了の世界の大東亜会議と大きく異なったのは、日数を増やし、各代表の演説の時間を十分に取った点だ。そして、演説の後には質疑応答も行なわれた。これもまた大きく異なった点である。

(東条の演説は随分と叩かれたようだな)

 会議の初日を傍聴した肇の説明に、了は感想を述べた。

「結構、歯に衣着せぬ批判でしたよ」

 東条英機は、会議の冒頭で大東亜共同宣言の素案を読み上げ、亜細亜の解放と協調を訴えた。


抑々《よくよく》世界各國(かっこく)おのおの()ところ(あい)()リ相(たす)ケテ萬邦ばんぽう共榮きょうえいたのしむともニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ

しかルニ米英ハ自國ノ繁榮ノためニハ他國家他民族ヲ抑壓よくあつシ特ニ大東亞ニたいシテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬(れいぞく)化ノ野望ヲたくましウシついニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリくつがえサントセリ大東亞戰爭ノ原因(ここ)ニ存ス

大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏しっこくヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲまっとうウシ左ノ綱領ニもとづキ大東亞ヲ建設シもっテ世界平和ノ確立ニ寄與きよセンコトヲ

一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス

一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立(どくりつ)ヲ尊重シ互助ごじょ敦睦とんぼくみのりゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス

一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統でんとうヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢しんちょうシ大東亞ノ文化ヲ昂揚こうよう

一、大東亞各國ハ互惠ノもと緊密ニ提携シ其ノ經濟けいざい發展はってんはかリ大東亞ノ繁榮はんえい增進ぞうしん

一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼こうぎあつウシ人種的差別ヲ撤廢てっぱいあまねク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シもっテ世界ノ進運しんうん貢獻こうけん


 総論としては参加者全員が好意的にとらえたものの、細部では異論も出た。特に、宣言の序文が「米英」の支配からの解放ばかりを訴えており、普遍性を欠くとの指摘があった。この点に関しては、現時点では同盟国である独逸ドイツの実質支配下にある印度支那インドシナなど、微妙な問題があるため、最終日の論題とするとされた。

 また、本文の最後にある「進ンデ資源ヲ開放シ」が、植民地的な資源の収奪を連想させるとの懸念も出た。実際、この部分は御前会議でも揉めたところである。石油やゴムなどの南方資源を自国の物とする考えが、それらを将兵の犠牲により確保した陸軍には、未だに残っていたのだ。

 了の世界では、そうした修正案は日本側に拒絶されたと言う。しかし、こちらでは「開放」は「交易」へ速やかに置き換えられた。

 翌日はビルマのバー・モウと満州国の張景恵、三日目には南京国民政府の汪兆銘とフィリピンのホセ・ラウレル、そしてオブザーバーのアルテミオ・リカルテが演説した。

 ホセ・ラウレルはインドネシアとマレーの代表が参加していないことへの不満を述べた。これについては、国内の統一まで時間を要するためとの説明が東条によって行なわれた。また、この二国の代表は、後に来日する機会を設けることも告げられた。

 特筆すべきはリカルテ将軍の演説だった。扇情的にならず朴訥とした語り口で、自国の独立を信じ列強の支配に抗い続ける価値を訴えたものだった。これは、東亜に限らず、なお列強の支配下にある印度インドをはじめとした諸国への声援と受け取られた。印度インド独立への途上にある、チャンドラ・ボースが誰よりも強く拍手したことは言うまでもない。

 そして、会議の最終日にはタイのピブーンソンクラームとワンワイタヤーコーン殿下、そしてチャンドラ・ボースが演説した。殿下による、日本とタイの独自文化を重視するべしとの訴えと、さらに各国の文化の復興を求める内容は、万雷の拍手で迎えられた。

 さらに、オブザーバーながらチャンドラ・ボースの演説は感動的であった。亜細亜解放の理想を訴え、インドが独立を勝ち得た先の世界を描き出すものだった。「光は東より昇る」とし、東亜に続いてインド、さらには中東、アフリカまで、すべからく自由と独立は広まるべし、と。

(まさに、ボース節だな)

 肇の言葉にもその熱情が感じられ、了は苦笑した。

「いや、まったく見事でしたよ、あれは」

 手放しの称賛であった。

(ところで、例の告発はどうなった?)

 了の問いに、肇はニヤリとした。

「絶妙なタイミングでしたね」

 ボースの演説で鳴りやまぬ拍手の中、再び演台にたった東条は会衆に告げた。

「只今の理想を実現するにあたり、妨げとなる一つの深刻な事実があります」

 そこで会場に流されたのは、竹島晴美へのインタビューの録音だった。各国代表には同時通訳で伝えられた。ナチス独逸ドイツによる信じがたいユダヤ民族絶滅政策。

 さらに、壇上には数名の白人が招かれた。上海のゲットーから来日したユダヤ人避難者である。彼らの生の証言が、先ほど流されたインタビューを補完していった。そして、会場には大きなスクリーンが広げられ、I機関の諜報員が独逸ドイツで入手したユダヤ人強制収容所の悲惨な写真が映し出された。

 それらの発言が一通り終わった後、東条はざわめく会場を静め、厳かに語った。

「我が帝国は、ここに大東亜共同宣言の修正案を提示したいと思います。これは、本会議中に出たご意見を納得させられるものと信じます」

 再び、宣言が読み上げられた。そこでは「米英」の代わりに「列強諸国」という言葉が使われていた。当然そこには、オランダのみならず同盟国の独逸ドイツも含まれる。その事実に再びざわめく会場。

「かく成る民族差別と虐殺が明らかになった以上、これまでのような友好関係を独逸ドイツと維持することは不可能と考えざるを得ません。よって我が帝国は、ここに日独伊三国同盟からの離脱を宣言します」

 意外な成り行きに、会場には衝撃が走った。取材に来ていた記者の数人が、慌てて走り出ていく。その何人かは白人であった。恐らく、本国独逸(ドイツ)への速報だろう。

 波乱のうちに、大東亜会議は閉会した。

 このユダヤ人問題は、竹島晴美証言を肇が天皇陛下に直訴したことで急展開を迎えた。人種や民族による差別や虐殺を何よりも嫌う陛下の怒りに、さしもの軍部も方針を転換するしかなかった。これが、異例の御前会議が長引いたもう一つの理由だった。

(「わだつみ」の方は抜かりないだろうか)

 了の懸念を肇は笑顔で打ち消した。

「大丈夫です。チャンドラ・ボースと同じ手口で、欧州にいたI機関の要員は脱出しています」

 砥論暗号で事前に情報は伝えられていた。今頃は「わだつみ」で北極海を目指しているころだ。外交官特権で保護される大使館や領事館と異なり、彼らには何の保証もない。それ故に、一足早く撤退する必要があった。

「しかし、ヒットラーはどうしてますかね」

 少々、意地悪く笑う肇だった。

(まぁ、部下に向かって怒鳴り散らしているのは確かだろう)

 人種差別思想が強い独裁者だ。東洋の黄色い猿に悪行を全世界にばらされたわけだから、怒りのほどは想像できる。

(あっちは存分に血圧を上げてもらうとして、まずは身近なところだ。これで、仏領インドシナも解放できるな)

 感慨深げな了だった。

「ようやく、あの三国も近代化できますね」

 肇の言う三国とは、ベトナム・ラオス・カンボジアの三王国である。仏領印度支那(インドシナ)植民地政府は、独逸ドイツの傀儡である仏蘭西フランスのヴィシー政権により、これらの三国を強制的に束ねて支配していた。しかしこの数日後、独逸ドイツとの同盟が破棄された時点で、植民地政府は日本軍により鎮圧され、三国はそれぞれの王家が独立を宣言した。まさに、電撃的な展開だった。

「あの植民政府は本当に碌なことをしてませんからね」

 本来なら日本は仏蘭西の敵国であるが、本国が独逸ドイツに降伏してしまったばかりに、友邦扱いで進駐を認めなければならなかったのだ。当然、協力的になるはずもなく、面従腹背がいたるところで横行していた。了によれば、現地での日本軍への反感を増すために、食料を徴発しては焼き捨てるなどしていたと言う。これが改められるだけでも大きい。

 大東亜会議の閉会時には、翌年再び開くことを東条は宣言した。その時には、今回参加できなかったこれらの各国も名を連ねることが出来るだろう。


 大東亜会議の終了した翌日、日比谷公会堂では会議の成功を祝う大東亜結集国民大会が開かれた。ここでもボース節が炸裂し、公会堂を埋め尽くした聴衆を熱狂させた。

 すべての日程を終えた各国の代表団が帰路に着くころ、早朝の便で入れ替わりに羽田に降り立った三人の男がいた。マレー代表のトゥンク・アブドゥル・ラーマン、そしてインドネシア代表のスカルノとモハマッド・ハッタである。

「ようこそ、日本へ」

 三人を出迎えたのは肇だった。空港から車で東京市へと向かう。

 スカルノは朝日に照らされた帝都の街並みに感銘を受けたようだったが、欧州への留学経験のあるラーマンとハッタは、やや興ざめのようであった。

「まぁ、これが歴史の重みと言う奴です」

 肇が口を開いた。古くからある街並みを維持しつつ、近代化を進めてきた経緯などを解説する。

「街並みであれば、ここよりも満州の新京の方が壮観ですよ。あそこはゼロからすべて建設してますからね」

 満州国建国と共に建設が始まった新京は、確かに東洋初の本格的な計画都市として発展していた。

「もっとも、今回御覧に入れたいのはこちらです」

 車はいつしか横浜に入り、並び立つ船渠とそこで建造中の艦船が眼前に迫ってきた。そのうちの一つに横付けし、肇は三人を伴って造船所へ入って行った。

「ここで艤装中なのは、真珠湾奇襲で鹵獲した米海軍の戦艦です」

 ペンシルバニア、ネバダ、ウエストバージニアの三隻であった。すでに艦橋や砲塔などの上部構造物は撤去され、空母としての形が出来上がりつつあった。サイズとしては中型空母なので、主な任務は艦隊や輸送船団の護衛となるはずだった。

「南シナ海をはじめ、東亜の諸国を結ぶ海の守護者となってくれることでしょう」

 開戦当時、既に旧型となっていた戦艦ではあるが、船渠にある艦体は塗装も新しく輝いていた。甲板や艦上構造物には多種多様な装備が取り付けられている最中で、あちこちから電気溶接の火花が散っていた。

 それらの隣の船渠では、さらに巨大な艦体が改装中であった。

「航空母艦加賀です。先の珊瑚海海戦で大破したため、徹底的な近代化改修を行っています」

 三人はその光景に圧倒されていた。

 と、もう一つの施設がハッタの眼を引いた。船渠のようであるが、全体を天幕が覆っている。

「あちらでも何か建造中なのですか?」

 ハッタの質問に、肇は曖昧な笑顔でこう答えた。

「ああ、あそこは今、船渠の拡大工事中です。これから新造する空母などのために」

 船渠の工事に周囲を覆う必要があるのかと、ハッタは訝しんだ。しかし、特に問い直すこともなく、肇の他の説明に耳を傾けた。

 その船渠で建造中なのが、新型海底軍艦であることは、同胞国といえどまだ秘密だった。

 昼食後、一同は造船所を後にすると、車で東京市に引き換えし、宮城で天皇陛下に謁見した。陛下は一人一人の手を取り、一日も早く国内が安定して、独立を勝ち取れるように願う、と申された。これまであまり感情を表に出さなかったラーマンも、これには心を動かされていたようだった。

「私もようやく、マレーの独立を実感できましたよ」

 宿となる帝国ホテルへの車中で、ラーマンはスカルノとハッタに向かって言った。


 やがて、大東亜共同宣言と三国同盟脱退は、世界の情勢を大きく変えていった。まずは、満州国の宰相、張景恵である。

 馬賊の頭領から身を起こした張景恵は、日本の関東軍による専制に近い現状に嫌気がさし、するがままにさせておいた。部下の報告に「ハオ(よろしい)」と一言答えるばかりなので、「好好先生」などと揶揄されるほどであった。

 そのため、今回の大東亜会議も所詮は傀儡国家の茶会でしかないとたかをくくっていたのだが、いざ出席してみると全く具合が違っていた。官僚の作文を読み上げるだけの自分の演説が気恥ずかしくなるほどだった。さらに帰国してみると、今まではふんぞり返っていた関東軍の幹部と入れ替わるように、内地の官僚や軍人が頻繁に訪れては具体的な政策の提案をしてくる。提案である。命令でも事後報告でもない。さすがに「好」一言では済ませなくなり、書面に目を通すようになった。

「この、猶太人対策要綱とは?」

 張景恵の質問に答えたのは、説明に訪れた陸軍大佐の安江仙弘であった。

「今回の対米開戦前から行なわれていた、ユダヤ人の受け入れに関する政策です。開戦によって欧米からユダヤ人を呼び込むことが出来なくなり、一度は無効化されましたが、このたびの三国同盟脱退で人道的措置として復活させたものです」

 安江はその猶太人対策要綱を作成し受け入れ政策を推進した中心人物の一人であった。切っ掛けは開戦前、軍の命令によるユダヤ人の調査であったが、自らパレスチナやエジプトを訪れたことにより、ユダヤ人の窮状に深く同情するとともに、彼らの経済力を日本の発展に活かせないかと考るようになったのだ。

 しかし、政治的な理由でこの要綱が無効化された際には、予備役に追いやられている。それが今回の三国同盟脱退により、再びその任に就いたのだった。

 書面の中の地図を示す。

「現在、我が国の勢力圏にある上海にユダヤ人のゲットーが作られていますが、飢餓と貧困が蔓延しています。かの地で彼らが経済活動をするには、古くからいる華人との軋轢が多すぎます」

 次に、地図の東北部を占める広大な満州を指す。

「しかし、ここ満州は今もって開発中の新興国であり、発展の余地はいくらでもあります。欧米では色々悪く言われているユダヤ人ですが、彼らの殆どは勤勉な商人であり、職人です。この地に彼らを迎え入れることが出来れば、必ずや経済発展に大きく貢献してくれることでしょう」

 彼はさらに付け加えた。

「これは、ここ満州を八紘一宇の雛型として確立することにもつながります」

 安江の言葉に、張景恵は一言「好」と答えた。だが、それはもう「好好先生」のおざなりな返事ではなかった。

 もう一人、南京の汪兆銘にも変化が訪れてきた。重慶に立てこもり、日本への徹底抗戦を掲げていた蒋介石が、密かに使者を送ってきたのだ。これにはまず、日本が東亜細亜から欧米列強を追い出し、インド洋の制海権まで日本が握ったため、最後に残った援蒋ルートが殆ど封じられてしまった事が大きい。

 思想的な違いはあれ、蒋介石自身は謹厳実直な人柄だと、かつて盟友だった汪兆銘は評価している。しかしその政権は、援助物資に頼り切り、あまつさえその横流しでの不正蓄財が横行していた。こうした腐敗は汪兆銘自身も悩みの種であった。

 今、その物資が枯渇しようとしている。これは蒋介石政権の瓦解、さらには蒋介石自身への暗殺なども危惧される事態となっていた。

 そこへ来ての大東亜共同宣言である。もはや、抗日を訴える大命題が揺らいできているのだ。一方、日本側も変化し、今までのような苛酷で高圧的な要求は急速になりをひそめてきていた。

 かつての盟友の顔を潰さず、和睦の道を見出すにはどうしたらいいか。困難だが、やりがいのある課題に、希望を見出す汪兆銘であった。


 やがて、北極航路で帰国した「わだつみ」から、I機関が独逸ドイツで入手した情報が肇のところに上がってきた。

 独逸ドイツで密かに進められていると言う、ヒットラー暗殺計画である。


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


バー・モウ

【実在】ビルマ首相。


張景恵ちょう けいけい

【実在】満州国首相。


汪兆銘おう ちょうめい

【実在】南京国民政府首席代理。


モムチャオ=ワンワイタヤーコーン・ワラワン

【実在】タイ国親王


蒋介石しょう かいせき

【実在】中華民国 国民政府主席。


次回 第二話 「二つの反乱」


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