第十六話 二隻の空母
2016/10/8 誤字を訂正しました。
珊瑚海の海中を遊弋する「くしなだ」では、I端末で肇からの電文を受けた御厨艦長が、首をこきこきとならしながらぼやいた。
「やれやれ、ようやく連合艦隊のお出ましか」
小田切副長がたしなめる。
「仕方ありませんよ。あちらは給油も必要なんですから」
潜水したまま地球を何十周でもできる海底軍艦と違い、あちらは搭載燃料という制約がある。当然、速度を出せば燃費は悪くなるので、最高速度ではあっという間に燃料切れとなってしまう。そのため、大和や空母の最高速度が三十ノットとは言え、巡航速度はその半分程度に押さえねばならない。その結果、一日の移動距離は海底軍艦の方が倍近く伸びるのだった。
「まぁ、おかげで敵艦隊の音紋は十分取れたがな」
判明している敵艦隊の編成は次の通りだ。
米空母艦隊
空母 レキシントン級 レキシントン、サラトガ
軽空母一
米護衛艦隊
軽巡一、駆逐艦四
英空母艦隊
空母 イラストリアス級二
軽巡一、駆逐艦三
豪重巡艦隊
重巡二、軽巡一、駆逐艦三
この軽空母だけが、音紋からは正体が掴めなかった。新たに建造するとは思えないので、既存の艦艇からの改装空母だろうと思われている。どのみち、大きさからいって決定的な戦力になるとは思えなかった。
それよりも、問題は米護衛艦隊だ。音紋から、例の囮魚雷や対魚雷爆雷を駆使する艦隊に間違いない。それらへの対策は既にあるが、まだどんな兵器を持っているか、依然として謎だ。
御厨艦長がつぶやく。
「今度こそは戦果を出してやらないとな」
しかし、目の前に敵がいるのに「お預け」というのは、あまり面白くないのは事実だった。
「草薙さんなら我慢できましたかねぇ」
小田切がまぜっかえすが、御厨は言った。
「命令なら守るだろうさ。今回は、海軍さんに花を持たせなきゃならんからな」
その通りで、海軍としては、東京空襲を防げなかった失点を挽回する必要があった。
一二〇〇時、連合艦隊の先陣を切る第一航空艦隊は、ソロモン海を抜け珊瑚海に入った。山本の本隊は、戦況の趨勢が分るまでソロモン海に待機となる。ここなら、ラバウルなどからの制空権内だった。
肇は大和の戦闘情報室にいた。砥論端末の鍵盤に指を走らせ、「くしなだ」に敵艦隊の位置を問い合わせる。即座に、複数の情報が頭上の電光掲示板に流れ、戦術盤に記号が書き加えられた。
「凄いもんですな」
傍らの吉岡忠一航空参謀が言った。南雲司令と下の名前が同じだが、読みは違う。二人は砥論端末を設置した海図卓の前に、パイプ椅子を二つ並べて腰かけていた。
吉岡は彩雲による索敵を手掛けてきていたので、戦闘における情報の価値は十分に把握していると自負していた。だが、この戦闘情報室にいると、今までの情報処理が石器時代に思えてくる。刻一刻と変わる味方と敵の位置が、目の前に随時描き出されていく。紙と手を使っていたこれまでとは大違いだ。
さらに神秘的とさえいえるのが、今流された「くしなだ情報」だ。おそらく、この珊瑚海のどこかに潜む潜水艦だと思われるが、聴音器だけでこれだけ敵艦の動向が分るものなのか。
「くしなだ」が伝えた情報は、方位と大まかな距離であり、しかも数時間前のものだった。早速、敵艦隊の現在地を確実に知るため、彩雲索敵隊がそれぞれの方角へ送り込まれた。
やがて、一機の彩雲が報告を上げてきた。その電文が電光掲示板に流れ、透明な戦術盤に位置を示す記号が書き込まれた。
「敵艦隊A イラストリアス級二、軽巡一、駆逐艦三」
戦術盤の記号の位置を読み取る。
「ポートモレスビーの南百二十海里。ここからだと西へ三百海里ですね」
肇の言葉に、吉岡は言った。
「こりゃあ、山口さんが出ますよ」
見敵必勝が山口多聞の身上だった。
「せめて、他の艦隊が近くにいないとわかってからの方が良いと思いますが」
肇は危惧する。彩雲や「くしなだ」の聴音器による索敵は、周囲に敵がいない事を保障するものではない。必ず漏れはでるし、敵味方が移動すれば変化する。
それでも電光掲示板には報告が流れた。
「飛龍 戦十二、爆二十七、攻十二 発」
「蒼龍 戦十二、爆二十七、攻十二 発」
戦は戦闘機、爆は爆撃機、攻は攻撃機。ほぼ、山口艦隊の全機が発艦したことになる。時刻は一三二五だった。
「南雲長官も出しますかね」
吉岡は首を振った。
「あのお方は出さんでしょう。本命はレキシントン級ですから」
肇も呟く。
「レキシントンにぶつけるなら、赤城と加賀ですね、やはり」
旧式とは言え、レキシントン級は大型で艦載機数が多い。B―25で東京を空爆したのは、間違いなくこの二隻だ。これに対抗できるのは南雲艦隊の正規空母、赤城と加賀しかない。うかつにすべて出してしまうと、別部隊に攻め込まれたときの迎撃機が不足する。
一方、イラストリアス級は大きさの割に艦載機数が少なく、飛龍・蒼龍のような中型空母並みだ。これは、飛行甲板が装甲を兼ねているためだという。そのため沈めにくい。山口艦隊の攻撃隊も、あっさりと戦果を上げられるとは限らない。
肇は砥論端末の鍵盤をたたきながら、こうした情報を検索しては話した。
吉岡は「知恵袋」の意味が変わっていく予感がした。これからは「何を知ってるか」ではなく、どうやって調べ、調べたことをどう活用するか。それが重要になって来る。
一四三五時、山口艦隊を飛び立った攻撃隊は、イラストリアス級空母二隻を中心とした英国艦隊の輪形陣に奇襲をかけた。空母から飛び立つ迎撃機はシーハリケーンとマートレットMKⅣ、合計五十八機。マートレットは米F4Fの英国供与版だ。
数の上では優勢でも、どちらも二十四機の零戦にバタバタと落とされていく。
その隙に、対空砲火をかいくぐって艦攻二十四機が雷撃、艦爆五十四機が急降下爆撃を行う。
懸命に回避行動を取る英空母は紺碧の珊瑚海に曲線を描くが、結果、魚雷二発が一隻に命中、双方の飛行甲板に数発の爆弾が炸裂した。しかし、装甲された飛行甲板は何とか持ちこたえ、炎上しながらも致命傷とはならなかった。魚雷を喰らった方は一旦は大きく傾いたものの、反対側に注水して復元させたようだ。ただし速度は大幅に落ち、艦隊から脱落していく。母艦に降りられなくなった迎撃隊は、ポートモレスビーのセブンマイル飛行場を目指した。燃料はギリギリだった。
零戦隊は戦果をそこまで確認すると、帰還する攻撃隊の後を追って警護に着いた。しかし、攻撃隊も無傷とは言えず、二十数機が撃墜、十数機が被弾していた。その中の艦爆一機は速度が落ち、編隊から次第に取り残されていった。
その背後、見つかりにくい斜め下から敵機が一機尾行していることに、どの搭乗員も気づかなかった。
一六一五時。山口多聞少将は、飛龍の航空指揮所から帰還する攻撃隊を厳しい目で見つめていた。九九式艦爆の被害が特に多い。ほぼ四分の一を失った上に、半数以上はどこかに被弾していた。にもかかわらず、敵空母は沈まず、大破までで済んでいる。
「第二次攻撃をしますか?」
参謀の言葉に山口は頷いた。
「もちろんだ。すぐ飛べる機体に給油と爆装を急げ。やるときは徹底的にやらねば」
既に攻撃隊と入れ違いに彩雲を送り込み、英艦隊の追尾をさせている。手負いの艦隊ならば防空能力も減殺されているはずだった。気になるのは敵側の地上基地からの航空支援だ。そのため、零戦も出せるだけ出すことにした。
「英空母 大破一、中破一 攻撃隊 戦四、爆十三、攻七、失」
電光掲示板に流れる情報に、吉岡は浮かない顔だ。損失の割に戦果が十分とは言い難い。
「英空母のしぶとさは前評判通りですね」
肇の言葉に、吉岡は頷いた。だが、すぐに次の情報が流れた。
「飛龍 戦十、爆二十、攻八 発」
「蒼龍 戦七、爆十八、攻六 発」
肇には意外だった。
「どのみち、英空母は戦力外となったのだから、ここは他の艦隊の動きをみるべきではありませんか?」
吉岡は答えた。
「ここで逃せば、敵に回復する隙を与えます。それでは死んでいった部下に申し訳が立たないのでしょう」
肇は頭を掻いて呻く。心情はわかる。痛いほどに。だからこそ士気も上がり、部下はついて行くのだろう。だが、その間に敵襲があったらどうなるのか。
「零戦の損耗が少ないことを願うしかないですね」
どの機体も戻ってきてほしいが、何より敵襲があった時の迎撃機が足りなくなるのが怖い。
英空母艦隊が空襲を受けたことを知り、ハルゼーは激怒した。
「全く、何をやってるんだ! 何の戦果も挙げずに一方的にやられてしまうとは!」
情けない限りではある。
「せめて、敵襲と同時に攻撃隊を空中退避させ、帰還する敵を追って逆襲するくらいやらんでどうする!」
ここで、また副官が虎の尾を踏む。
「艦載機の航続距離の問題もありますし、着艦できないことにも」
副官の胸元を締め上げ、ハルゼーは怒鳴る。
「二次攻撃で沈められたら同じだろうが! 建設中のセブンマイル飛行場に不時着するなり、海に降りて機体を捨てたっていい! パイロットさえ助かればな!」
これはハルゼーが人道主義なわけではない。ベテランパイロットだけは量産できないからだ。しかし、二次攻撃を当然とするあたり、ハルゼーと山口は考え方が似ている。
そこへ、通信兵が電文をよこした。日本の攻撃隊を追尾した英戦闘機が、日本艦隊を発見したのだ。
「でかしたぞ! 攻撃準備だ、さっさとやれ!」
副官の襟元を放し、回れ右させて尻を叩く。
大和の戦闘情報室では混乱が起きていた。操作員の一人が通信士に確認する。
「敵味方識別信号に反応しない? 故障じゃないのか?」
一機、遅れて帰投してきた艦爆の後ろに、所属不明機がついてきていることが判明したのだ。
「現状ではわかりません」
そこへ、電探手から報告が上がった。
「不明機、引き返して行きます」
肇は呟いた。
「これは、つけられましたね」
吉岡も言った。
「こちらの位置がバレたと?」
肇は頷く。
「南雲さんに、警戒するよう具申しましょう」
吉岡が発光信号で赤城の南雲中将に伝えると、赤城と加賀で迎撃機の発進準備が始まった。
一六三〇時。
ハルゼーの艦隊に、英戦闘機から続報が入った。
「敵機動艦隊は型式不明の巨大戦艦と空母四隻よりなる」
ハルゼーは副官に言った。
「今時、大鑑巨砲とはな。ジャップは艦隊決戦でもするつもりか?」
副官は答えた。
「まさか、空母を引き連れてそれはないでしょう。やるとしたら、空母は切り離すはずです」
そこへさらに続報が入ってきた。
「巨大戦艦の艦橋頂部に巨大な球体あり」
ハルゼーは副官と顔を見合わせた。
「なんだこれは?」
副官も首を振るばかりだった。
「分りません。とにかく未知の戦力ですから、気を付けるしかないかと」
さしものハルゼーも、これでは副官を吊し上げるわけにいかなかった。
「このデカブツは後回しだな。空母から沈めよう」
日本の機動艦隊は、この巨大戦艦の前後左右に四隻の正規空母、その周囲を巡洋戦艦と軽巡、駆逐艦が取りまく輪形陣を取っていた。どう見ても旗艦はこの戦艦だが、鈍足のはずの戦艦では機動艦隊の速度が落ちてしまうはずだ。
「ジャップの考えることはわからん」
ハルゼー率いる第十八任務部隊は、スプルーアンスの指揮する第十六任務部隊、通称シーウルフ艦隊を伴い、英空母艦隊とは逆方向、珊瑚海の東側で日本艦隊を待ち構えていた。まず、敵艦隊の進出速度を二十一ノットと想定した位置に向けて、攻撃隊を送り出す。しかし、結果は空振りだった。
「あのデカブツ、どれだけウスノロなんだ!」
さらに最初の目撃地点に近いところに索敵爆撃隊を出したが、これも空振り。
「不味いなこれは」
ハルゼーの野生の勘が警報を鳴らしている。何か、見落としていることがあるはずだ。
「敵機来襲!」
青空の彼方に一機見えた。しかし、迎撃機が飛び立った次の瞬間、ひらりと旋回して飛び去っていく。
「MYRTか。うるさいハエめ!」
彩雲だった。あれを追跡できる機体があれば、敵艦隊の位置もわかるだろう。しかし、こちらにそんな高速機は無かった。
そして今はっきりしていることは、敵がこちらの位置を掴んだと言う事だ。だが、運よくスコールが降ってきた。今なら、索敵機の目をごまかせる。
「進路変更、南へ韜晦する」
低速の油槽艦ネオショーに警護の駆逐艦と軽空母ラングレーを付け、艦隊から切り離す。そしてシーウルフ艦隊を伴い、全速力で南へ進んだ。
ブル・ハルゼーと呼ばれていても、猪突猛進だけではない。
大和の戦闘情報室に緊張が走った。本命の米機動部隊がついに見つかったのだ。ただ、すぐに迎撃機が上がってきたため、進路や速度を見る暇はなかったようだ。さらに、直後にスコールが振り始め、一時的に敵艦隊を見失ってしまった。
「この彩雲には、索敵を続けてもらわないといけませんね」
戦術盤に記入された敵艦隊の記号を見上げて、肇は言う。時刻は一七〇〇。もうじき日没となる。夜間となれば、彩雲では追跡できない。肇は言葉を続けた。
「夜光雲を送り込んで、索敵を引き継がせるべきです」
夜光雲は速度が劣るため、早めに送り出す必要がある。早速、加賀から六機が飛び立った。
やがて彩雲が帰投してきた。燃料切れだった。
「敵艦隊を見失ったままなのが気になりますね」
吉岡の言葉に肇は頷いた。
「なんとか朝までに夜光雲が見つけ出してくれればいいんですが」
そして一七五〇時。薄暮の中、山口の第二次攻撃隊が英空母艦隊に襲い掛かる。
大破して速度の落ちている方に、艦攻による雷撃がさらに二本命中。頑丈さが売りのイラストリアス級だが、さすがに耐えられずに転覆、沈んでいった。
あとの全機は、先を行く中破の空母に攻撃を加えた。何とかこちらも沈めることはできたが、敵の対空砲火も死にもの狂いで、味方の被害も八機と少なくなかった。
二〇〇三時、帰投してきた第二次攻撃隊は、困難な夜間着陸を試みる。結果、さらに八機が損傷し、飛べる機体が減ることになった。
しかし、危惧された敵地上基地からの航空支援はなく、零戦の被害は最小限にとどまった。
英空母全滅の知らせを受け、ハルゼーは苦りきった。
「マッカーサーの奴、見殺しにしやがったな」
地上基地からの支援があれば、二隻のうち傷の浅い方だけでも救えたはずだった。
虎の尾を踏みなれた副官が言う。
「夜間着陸で機体を失うリスクを恐れたのでしょう」
意外にも、ハルゼーは同意した。
「奴のそういう計算高いところが気に食わん」
〇ニ一五時。夜光雲の一機がレーダーで二つの艦影を捉えた。既に月が沈んでおり、星明りでは艦種の特定は困難だったが、およその大きさからレキシントン級の空母と思われた。
報告を受けた戦闘情報室では議論となった。戦術盤に描かれた記号には疑問符が付けられている。
吉岡が肇に聞いた。
「どう思いますか?」
「難しいですね」
肇は「くしなだ」に問い合わせたが、どうやら「くしなだ」から見てどの艦隊もほぼ同一線上に並んでしまったらしく、音紋だけでは区別がつかなかった。ある程度移動してからになるので、結果がわかるまで一~二時間はかかる。
吉岡が言う。
「攻撃するなら、夜明けと同時が最善なんですけどね」
考えた末、南雲中将には情報すべてを提示した上で、攻撃すべきかどうか判断してもらうことになった。
特別長い発光信号が赤城に送られ、赤城では未明の攻撃が決定された。
しかし、この決定が戦局を大きく変えてしまうのだった。
登場人物紹介
実在する人物には【実在】としています。
吉岡忠一
【実在】第一航空艦隊乙航空参謀。階級は少佐。
山口多聞
【実在】第二航空戦隊司令官。階級は少将。
次回 第十七話 「六発の砲撃」




