第十五話 二者の備え
一方、ハルゼーもまた、今日何度目かの激怒の大噴火を起こしていた。日本の連合艦隊を迎え撃つ演習で、陸軍からあからさまな協力拒否をされたためだ。
陸軍にしてみれば、何かと自軍の得点とされにくい敵海軍への攻撃に、積極的になれないのは理解できないでもない。しかし、だからと言って協力を拒否するなら、日本による空爆や艦砲射撃の的になることは避けられないはずだ。
「マッカーサーはあれか? 自分自身がジャップにやられても自分に責任はないと思ってるのか?」
噴火の矢面に立たされるのは、常にレイモンド・スプルーアンスだった。長い付き合いなので、これならもう慣れっこだった。
「さっさとフィリピンに帰りたいだけでしょう」
皮肉の一つも言えるようになった。
「アイ・シャル・リターン」という演説を行ったのは、マッカーサーがオーストラリアに逃げ延びて来た時だった。
しかし、陸海協調演習の不足は、この後致命的なミスを引き起こすことになる。
「海軍の幕僚って、果たして優秀なんでしょうか」
了との定時連絡で、肇はぼやいた。作戦計画書を読み直すと、そもそも行動予定が過密に思えてならない。一つの作戦の中で、部隊ごとにこの日はこれ、それが終ったらこれ、というようにやるべきことがいくつも書かれている。しかも、それぞれに「この条件が整ったら」という但し書き付きだ。
それらを全体で矛盾なくまとめているのは見事と言えるのかもしれないが、どれか一つでも上手く行かなければ行き詰ってしまう。何よりも、ポートモレスビー攻略という最終目標の期日を固定として、それを基準にすべての工程が逆算されているので、途中の工程をずらして調整する余地がない。
(ミッドウェー海戦とそっくりだな)
了も同意見だった。
「何かあったら、早々にポートモレスビー攻略を諦めないと行けませんね」
肇の結論に、了も同意した。
しかし、翌朝の作戦会議は紛糾した。
「ポートモレスビーのセブンマイル飛行場が完成したら、ラエ、ラバウルなど我が方の拠点が空爆され、消耗戦を強いられることになる。早期の目標断念は許されない」
黒島参謀が反対した。確かに、そうなれば通商破壊をされなくても日本の陸海軍は麻痺してしまうだろう。了の知る歴史では、その消耗戦の挙句に戦死する山本五十六本人の前でもある。
「ならば、攻略の代わりに艦砲射撃で飛行場の破壊を狙ってはどうですか。大和の主砲と最新式の電探なら、夜間でも十分な効果があるはずです」
肇の折衷案も、さらに強硬な反対が出た。渡辺参謀が声を荒げた。
「司令長官の座乗する最新鋭の連合艦隊旗艦を、敵の攻撃の矢面に立たせるというのか!」
ところが、ここで山本が割って入った。
「大和を使うのは一向に構わん。何なら、一時的に他の艦に将旗を移しても良い」
しかし、さらに黒島は粘った。
「大和の主砲口径などの機密が漏れてしまいます。多数の砲撃があれば不発弾がどうしても出ますから、口径は間違いなく敵に知られ、米国は必ずや大和を凌ぐ戦艦を建造するでしょう」
思わず肇は言った。
「沈めてしまえばいいんです」
黒島は聞き返した。
「今、なんと?」
「沈めてしまえばいいんですよ、あなたもご存じのあれで」
黒島には、特別に海底艦隊を教えてある。
黒島はしばらく考え、頷いた。
「あなたがここにおられると言う事は、そういうことですな」
「はい」
他の幕僚たちは事情が呑み込めないようだったが、山本、黒島、そして宇垣が同意したことで、大和による夜間砲撃は作戦計画の選択肢に入った。
次は艦隊の編成だった。作戦計画書には次のようになっていた。
連合艦隊 司令長官:山本五十六大将
第一戦隊 司令長官直率
戦艦 大和、長門、陸奥
空母隊 司令:伊沢石之助大佐(祥鳳艦長を兼務)
空母 祥鳳、瑞鳳
第三水雷戦隊 司令:橋本信太郎少将
軽巡一、駆逐艦八
ポートモレスビー攻略部隊 司令:梶岡定道少将
軽巡一、駆逐艦五、輸送船十二
第一航空艦隊 司令長官:南雲忠一中将
第一航空戦隊 司令長官直率
空母 赤城、加賀
第二航空戦隊 司令:山口多門少将
空母 飛龍、蒼龍
第三戦隊 司令:高間完大佐(榛名艦長を兼務)
戦艦 榛名、霧島
第十戦隊 司令:木村進少将
軽巡一、駆逐艦八
「この編成だと、大和の速度が活かせません」
「こちら」の大和は、その巨体にも関わらず、最高速度三十ノットという高速戦艦だ。つまり空母機動艦隊の旗艦として設計されている。
「また、空母の艦橋は低いので、新設された電探の有効範囲が狭まります。榛名、霧島にも電探はありますが、大和ほどの性能はありません」
高さがあれば、それだけ水平線の向こうまで見渡せる。旧式艦では艦橋の高さ以外に電力も足りない。
「さらに、大和だけに備わる戦闘情報室は、本来、機動部隊の指揮にこそ役立ちます」
了の時代には戦闘情報センター(CIC)と呼ばれていたものだ。電探や索敵機、水中聴音器が集めた情報をまとめて、変化する戦局を解析する機能を持つ。
「以上から、大和は第一航空艦隊の第三戦隊に編入し、戦略と対空防御の核とすべきかと」
これも山本の鶴のひと声で決まった。これによって、トラック泊地に到着すれば編成が変わることになる。山本と幕僚たちは長門に移るが、肇は大和に残り、第一航空艦隊と行動を共にする。
「やりましたよ、やれるだけは」
定時連絡で肇は言った。
(ご苦労様)
「しかし」
肇は訝しんだ。
「良いんですかね、こんな素人の考えで作戦を変更しちゃって」
(海底艦隊の総司令が、素人かね?)
了の皮肉に肇は苦笑した。
「そもそも、戦術なんて学んでませんよ」
(彼らも特に学んでいない)
これは肇にも意外だった。
「海軍大学校とかは」
(彼らが在学中に、航空機や電探を駆使した戦術が教えられていたかね)
なるほど、確かにそれはなさそうだ。
(さらに、原子力潜水艦や電算機を駆使した戦術など、全世界に君しか知る者はいない)
「いや、それは……」
その時、扉を叩く音があった。
「あ、どちらでしょう」
「山本です」
思わぬ訪問だ。扉を開けると、山本五十六が将棋盤を抱えて立っていた。
「トラックに着いたらしばしお別れになるから、将棋などどうかね」
「構いませんけど……私は弱いですよ?」
事実、「わだつみ」の草薙艦長にも勝てない肇だった。
それでも、と言う事で何局か打ったが、予想通り肇の惨敗だった。
「楽しむ以前で済みません」
「いや、良いんですよ」
山本が駒を片付けようとした時だった。
(肇、代わってくれるか?)
了にしては珍しい。
「長官、ちょっといいですか」
「なにかな?」
肇は山本に言った。
「石動了が、あなたと将棋をしたいと申してまして」
山本は頷いた。
「例の、学問の神様だね。是非ともお願いしたい」
肇の意識が途切れる。戻った時には、山本は腕組みをして真剣な表情で盤面を睨んでいた。肇が見たこともない手で、山本の詰みになっていた。
「えーと、長官?」
山本は心ここにあらずという感じで、呟き続ける。
「こんな手があったとは……いやしかし、この先でこう来るとは」
(こちらの時代では、電算機を相手に将棋ができるんだ)
了が言う。
(あらゆる棋士のあらゆる棋譜が納められていて、それを元に対局してくれる。今では、名人すらかなわないくらい強くなっててね、そんなのを相手に打っていると、どんどん強くなれる)
そんなものなのか。肇は山本に言った。
「了の世界では、電算機を相手に将棋ができるそうです。だから強くなるとか」
「ほう、電算機が」
山本に向かって、肇は笑顔で続けた。
「だから、この戦争に勝てば、きっとそうなりますよ」
山本も、ニヤリと笑って言った。
「では、勝たなければな」
一九四二年六月二十日。連合艦隊はトラック泊地へ到着した。ここから珊瑚海までは約三日だ。
山本ら艦隊首脳部を大和から送り出した後、肇は艦橋の根本にある戦術情報室に入った。
戦術情報室は、さほど広くはないが、天井の高い窓のない部屋だった。一番目を引くのは正面にある二メートル四方もある有機ガラスの透明板だ。戦術盤と呼ばれており、自艦の位置を中心として放射状に方位が描かれている。これ自体が巨大な自動製図機であり、裏面から敵味方の艦船や航空機の位置が水性塗料で書き込まれるようになっている。戦闘情報はさらに下の階にある重砥論電算機に蓄積され、時々刻々と変化する情報が描かれていく。
それらの情報は、大和の艦橋頂部にある巨大な電波探針儀、通称「ぼんぼり」をはじめとした電探や聴音器、さらに索敵機の報告からも集められる。
また、最新の情報はその上の電光掲示板にも表示される。通常の砥論端末のは四ミリ径ネオン灯を八×八個に配置したものを十個ならべたものだが、ここでは十六×十六で部屋の端から端まで天井のすぐ下に並べられている。そのため、略字になるが一部漢字も出るようだ。現在は「大和 トラック テイハクチュウ」の文字が、常に右から左へと流れていく。
表示の通り現在は停泊中なので、電光掲示板以外のほとんどの装置は電源が落とされ、点検整備をする作業員が働いているだけだった。肇は手にしたトランクを床に置くと、戦術盤の背後で作業している者に声をかけた。
「済みません、ちょっといいですか?」
二十歳そこそこの作業員だった。
「何でしょう?」
肇はトランクを開いて見せた。
「これを設置する場所と、椅子をお願いしたいんです」
「なら、こちらをどうぞ」
作業員は部屋の隅の海図卓にパイプ椅子をあつらえてくれた。軽砥論を電源につなぎ、通信ケーブルを差し込む。大和の重砥論に戦闘情報を送るための算譜を立ち上げ、試しに打ち込んでみる。
「テスト イスルギ」
部屋の上部の電光掲示板に灯が点り、打ち込んだ文字が流れていく。準備完了だ。
これで、ここに集約される情報は「くしなだ」とも共有される。わざわざ浅深度まで浮上して通信ブイを上げなくても良いし、電波の傍受を気にせず、こちらへ情報を上げることもできる。自由に深度を変えられる「くしなだ」の聴音器は、状況によっては電探以上に役に立つだろう。
その日のうちに、本土から送り込まれた夜光雲十六機が飛来し、傾きかけた太陽の下、搭載機数の多い加賀に着艦した。大和の艦橋から、肇はその光景を眺めた。
十六機は索敵隊としては最小限度だが、全くないよりもはるかにましだ。左右の主翼から機銃のように前方に突き出ているのは電探の八木・宇田アンテナで、これが速度と航続距離の低下を招いている。今後の更なる技術の進歩が求められる点だ。
代わりに九九式艦爆と九七式艦攻が八機ずつ陸上基地に降ろされた。居残りとなった搭乗員は不満だろうが、仕方ない。
「彼らが戻る空母を連れて帰らなければ」
肇はひとり呟いた。
その時、数名の将官が艦橋へ上がってきた。南雲忠一中将と幕僚である。南雲は私服の肇に目を向いた。つかつかと歩み寄り、詰問する。
「貴君は何者か?」
如何にも武人という感じのいかつい顔に詰め寄られると、かなりの威圧感がある。
今後も、初対面の軍人に会うたびに、これが繰り返されるだろう。あの軍服を着てくるべきだったか。肇はそんなことをチラと考えたが、もっとややこしくなるだけだと思いなおした。
「石動肇と申します。山本閣下から、お聞きではありませんでしたか」
「何もきいてはおらん」
さらに厳めしい表情になる。こうなれば最後の手段だ。
「では、これでどうでしょう」
耳元に口を寄せてささやいた。「わだつみ」と。
南雲の表情が変わった。
「では、あの電文は貴君が?」
肇は首を振った。
「作戦の細部は、現場の指揮官に任せてあります」
南雲は戸惑った。指揮官より上の立場とは?
肇は言葉を続けた。
「今回は、この符牒にご注意ください」
再び、耳元に口を寄せて「くしなだ」とささやく。
しばし考え込んだのち、南雲は問うた。
「マレー沖やセイロン沖海戦での雷撃についてお聞きしたいのだが」
これは肇も困った。
「申し訳ありません。あまり話せることがありません」
あたりを手で示す。
「この大和以上に重大な機密なので」
残念そうな南雲だが、仕方ない。肇は言葉を続けた。
「この戦争が終結すれば、全てお話しできると思います。どうかそれまでご健勝を」
「うむ、そうだな」
南雲は敬礼した。肇は深々と頭を下げた。
翌朝、帝国艦隊は珊瑚海を目指してトラック泊地を出発した。
三日後の一九四二年六月二十四日、了の世界より一か月半遅れで、珊瑚海海戦が始まる。
その経過も結果も、了が知る海戦とは大きく異なるものとなるのだった。
次回 第十六話 「二隻の空母」




