第十四話 一つの慢心
ブル・ハルゼーは連日、配下の航空兵団の訓練に余念がなかった。発艦、着艦、急降下爆撃、水平爆撃、雷撃。
あまりの過密さに、ついには副官が根を上げた。
「与えられている任務は通商破壊です。それならばここまでの訓練は必要ないのでは?」
次の瞬間、彼は虎の尾を踏んだことを思い知らされる。
「馬鹿者! 輸送船だけ沈めれば終わりのはずがないだろうが! 必ずジャップがやって来る!」
「任務外の戦闘は避けて退避すべきでは……」
副官は、文字通り締め上げられた。襟元を掴まれ、そのまま垂直に持ち上げられたのだ。両足が空しく宙を蹴る。
「ジャップを殺さずにこの戦争が終わるとでも思ってるのか貴様!」
不運な副官の悲鳴をよそに、指揮所の奥でレイモンド・スプルーアンスは新しい装備品のリストをチェックしていた。空母サラトガとレキシントンに追加される対魚雷爆雷、ヘッジホッグ・バリアだ。自分の座乗艦の装備なのに、「防御はお前に任せる」と言い切って戦闘訓練に明け暮れているのだから、なんともハルゼーらしい。
ヘッジホッグの投射機は、艦橋の前後に設置されていた八インチ連装砲四基を撤去し、そこに設置される。装甲を持たない空母に対艦砲塔があるのはジョークとしか思えない。最初に作られた正規空母ゆえのねじれだろう。
ほかには、対空装備の高角砲十二門の近代化だ。新型信管の付いた砲弾が打てるようになり、防空能力が大幅に向上すると期待されている。
「敵機来襲!」
警報が鳴り響く。空を仰ぐと、高空を一機の単発機が飛んでいた。高射砲が何発も撃たれるが、どれもはるか下で爆発してしまう。
「MYRTか。いい飛行機だな」
副官を放り出して、ハルゼーは呟いた。MYRTは、彩雲の米軍におけるコードネームだ。
「ジャップはやる気だよ、レイ。通商破壊なんてやってる暇はない」
その意見には、スプルーアンスも異論はなかった。
大和の食堂はちょっとした騒ぎになっていた。可愛い女の子がいるという噂が広まり、非番の水兵が殺到したのだ。実際には「可愛い女の子」といっても年齢が何歳か若すぎるのだが、紅一点であることには間違いない。
光代にしてみれば、こんなに大勢の男たちに取り囲まれたのは初めてで、最初は怖くなった。しかし、結局みんな、彼女と仲良くなりたいだけだと分り、ようやく落ち着いた。
「では、お父上は技術者なんでありますね」
なぜか質問攻めになってしまっている。敬語もどこかおかしい。
「技術者……なのかな、時々、面白いもの作ってる」
「どんなのでありますか?」
「電池で走る車や船。あのね、電波で操縦するの」
標的艦に使った技術の原型だった。
「あとはね、えーと、お船に乗ってしばらく帰ってこなかったり」
「どの艦でありますか?」
海底艦隊のことは絶対人に話さない。父との約束だった。
「えっと、えーっと、よくわかんない」
その時、良く知ってる声が食堂に響いた。
「おーい、光代ちゃん」
光代は立ち上がって手を振った。
「おじさま、ここです!」
山本長官に気づいて、群れていた水兵が一斉に直立不動で敬礼した。山本もきちんと答礼する。その後ろで、頭一つ背の高い肇が手を振り返した。
「光代、ちょっといいかな」
肇が手招きし、光代は食堂の隅まで連れて行かれた。背後では、山本が水兵らを解散させていた。
「ごめんよ、お父さんここで仕事になっちゃったんだ」
光代の顔が曇る。
「また長くなるの?」
さすがに心が痛む。
「うん……一か月で帰れるかな」
そこへ山本がやってきた。
「石動君、ここへ光代ちゃんを連れて行くと良い」
差し出された紙には、呉市内の住所と旅館の名前が書かれていた。
大和をいったん降りて、指定された旅館へ向かう。そこには河合千代子が泊まっていた。光代は大喜びだった。光代が村雨家にいることが多くなると、自然と千代子は遠慮するようになっていた。
「初詣以来かしらねぇ」
光代は千代子のもとに留まり、翌日、一緒に帰京することとなった。
翌朝、二人が呉駅で列車に乗り込むと、眼鏡とマスクで顔を隠した男が、窓の外に立った。
光代が気が付いて声を上げようとしたが、千代子が唇に指をあてて制した。
光代は、千代子が窓ガラスに掌を押し当てるのを見た。窓の外の男も、その場所に掌を合わせる。やがて列車は動き出したが、男はずっとホームに立って見送っていた。
光代はそっと、千代子に尋ねた。
「今の人、山本のおじさまでしょ?」
千代子は頷いた。
「ええ……兄さまは、私をおんぶしてくださったの」
「おんぶ?」
微笑む千代子。
「ここに来る前、私はちょっと病気で寝込んでたの。病み上がりだったから、人力車まで負ぶってくれたのよ」
「そうなの」
光代にはまだよく分らない、男女の世界がそこにはあった。
一九四二年六月十五日。帝国連合艦隊は珊瑚海に向けて出撃した。
あてがわれた大和の居室は、「わだつみ」の艦長室より広い。その寝床に転がり、肇は了との定時連絡となった。
(色々と悩ましいな)
出航前に山本と話したことを了に伝えると、了はそう言った。
肇が問う。
「やっぱり、あれこれと符合してしまいますか」
(戦略的な目標がバラバラだ。私の知る珊瑚海海戦もポートモレスビー攻略が目標だったが、今回それは陸軍の目標で、海軍は敵機動艦隊の撃滅となっている。この食い違いは、ミッドウェー海戦とそっくりだ)
参加している空母もミッドウェー海戦と同じ。別働隊が陽動作戦としてアリューシャン列島のアッツ・キスカ島へ向かうのも同じ。さらに、作戦計画の一部をあえて古い暗号で漏らし、敵の主力を誘い出しているのも、同じと言えばそう言えた。
厳重に秘密が守られているのは、切り札となる物ばかりである。大和の基本性能と、今回新たに加わったいくつかの兵器、そして海底軍艦「くしなだ」の存在だ。
さらに言えば、その大和に肇が乗っていることも、決定的な違いである。
「こちらの切り札がどれだけ有効でしょうか」
(分らない。今回の海戦が歴史改変の揺り戻しにならなければ良いが)
せめて大和が沈まないことを願う肇だった。
翌朝、目が冴えて早く起きてしまった肇は、夜明けと共に大和の艦橋に登った。海底軍艦で一人だけ私服なのは慣れているつもりだったが、当直の士官たちに思いっきりジロジロ見られて、非常に居心地が悪い。宇垣纒参謀長とは面識があったので目礼してくれたが、大和艦長の高柳儀八大佐など、明らかに胡乱な者という目で睨み付けてくる。
宇垣は了が高く評価しているが、あまり表情や声の調子に変化がなく、肇にはどうも何を考えているのかつかめない人物に感じられた。
やがて山本が登ってきて司令長官席に着いた。一言も喋らない。艦橋は沈黙に包まれている。
いたたまれなくなって、部屋に戻ろうかとさえ思ったとき、山本が手招きをした。近寄ると山本は低い声で言った。
「朝食後に作戦会議を行う。君も出てくれ」
朝食が喉を通らなかったのは、言うまでもない。
そのあとの作戦会議も針の筵だった。山本は幕僚全員に発言を促したが、真っ先に質問が上がったのが、肇が何者かと言う事だった。これでは、いつぞやの御前会議のようだ。
「彼は技術士官待遇で今回の作戦に助言をするためにいる」
山本長官の言葉に、宇垣と黒島が頷く。一応、これで形としては肇の存在が認められたことになったようだ。
一通り幕僚の発言が終わると、山本が肇に言った。
「石動君、君からも考えが聞きたい」
背筋に嫌な汗をかきながら、肇は話した。
「えーとですね、終わり良ければ総て良しとあるように、今回の作戦を何を持って完了とするか、それがはっきりしていないような気がします」
そもそも、山本から相談したいと言われた時点で、既に作戦は決定され準備が始まっていた。
「陸軍さんはポートモレスビー攻略ですね。では占領出来たら海軍は引き上げるのか」
「そんなことはない!」
幕僚の一人、渡辺安次参謀が叫んだ。黒島参謀と並んで、山本に重用されている幕僚だが、これが初対面だった。
肇は渡辺参謀に向かって言った。
「そうですよね。では、敵艦隊を撃滅できたら、占領を待たずに海軍は引き上げるのか」
「それもあり得ん」
渡辺に向かって頷き、肇は話を続けた。
「また、陽動作戦で送り出した北方部隊がアッツ島・キスカ島を占領出来てしまったら、そのあとは維持するのか放棄するのか」
「維持できる限りは維持し、叶わなければ放棄すればいい」
寝不足のせいか、肇は頭痛がしてきた。渡辺参謀の話には、どうも中身が伴わない。
「どれだけ連合艦隊が強くても、万能ではありませんから優先順位が必要だと思います」
肇の言葉に、宇垣纏が答えた。
「第一の目標は敵艦隊の撃滅とする。撤退の条件としては、陸軍の攻略戦の結果が出ること。アッツ・キスカ両島は、敵が奪取に来たら放棄し、速やかに撤退する。これでどうでしょう」
肇は頷いた。相変わらず、どうも宇垣は表情が読めない。
「それで結構だと思います」
会議はそこで終わりとなった。
会議室を出る際、肇は宇垣纒に声をかけた。
「済みませんね、助け舟を出していただいて」
宇垣は答えた。
「いえいえ、纏めは私ですから」
しばらくして、今のは冗談だったのかと悩みだす肇だった。
自室に戻り、トランクケースを開ける。出てきたのは軽砥論電算機とI端末だった。電源を入れ、I端末が接続するのを確認し、打鍵盤に指を走らせる。練習した甲斐があって、ようやく上達してきた。
「くしなだ ゲンザイチ シリタシ いするぎ」
自分が打った文字が小型の電光掲示板に表示される。送信釦を押すと、しばらくして返事が表示された。
「ろっせるとう ヒガシニテ タイキチュウ」
海図を確かめると、ソロモン海と珊瑚海のはざまだった。
「とらっくニ イツカゴ トウチャク ヨテイ」
一度、トラック環礁の帝国海軍拠点で補給をし、珊瑚海に殴り込みをかけることになっている。「くしなだ」が先行して様子をうかがっている感じだった。
I端末のもう一つの使い道だ。了のいる世界の電算機を介し、砥論電算機どうしを接続している。今、繋がっている先は「くしなだ」が搭載している砥論だ。これを使えば、電波の届かない海中にいる海底軍艦とでも、たとえ地球の裏側であろうと、瞬時に連絡ができる。
連合艦隊との連携には、これが役立つはずだった。
夜の定時連絡では、了は手厳しかった。
(勝利条件が曖昧なのも相変わらずだな。陸海軍で戦略目標が異なるのも)
「なんか、常識で考えればわかるだろうみたいな感じでしたが」
(それは違う。誤解の余地がない言葉で書かれてこそ、作戦命令書は意味がある)
確かにそうだ。了が見せてくれたあちらでのミッドウェー海戦は、伝えたつもりで伝わっていなかった作戦の目的や情報などが、次々と現場の判断ミスの連鎖反応を起こしていた。これだけは防がないと、どんな超兵器があろうと必ず負ける。
「そうなると、作戦会議には必ず出ないといけませんね」
(よろしく頼む)
そこで肇は思い出した。
「そういえば、宇垣纒参謀長なんですが、私が色々言ったことを上手く纏めて助けてくれました」
(纏だけにな)
了が宇垣を高く評価するのは、実はそういうところなのだろうか。
翌朝の作戦会議で、肇は敵の基地航空隊の戦力について質問した。空母の数は日本六隻、米英五隻だが、タウンズビルなどには基地航空隊が居るはずで、この戦力を加えると航空戦力は逆転されかねない。
「こちらもラバウルやブカナウなどから陸上機を出せるから、基地航空隊の戦力は相殺できる」
幕僚の一人の発言に肇は仰天した。相殺できるかどうかは、双方の陸上機の数や機種で決まる。だからそれを聞いたのに、これでは結論ありきである。
結局、B―17爆撃機が数十機という情報が出てきたが、その航続距離を考えると珊瑚海はほぼカバーされてしまう。直援の戦闘機がなければこちらの被害が出かねない。そして直援を残せば、その分攻撃隊の援護を減らすことになる。零戦の性能は今でもF4Fを圧倒しているが、あくまでも機数が揃っていればの話だ。
さらに、彩雲に電探を装備した夜間索敵機版、通称「夜光雲」が配備されていないことには、驚きを通り越して怒りさえ覚えた。夜間のうちに移動されて敵機動部隊を見失い、首都爆撃を受けた教訓が全く活かされていないのだ。これでは、死んでいったアキたちが浮かばれない。
それに対する幕僚たちの反論はこうだった。電探を装備した夜光雲は彩雲と比べて速度と航続距離が大幅に落ち、昼間は敵戦闘機の餌食になるため夜間専用になる。その分彩雲を削れば、実質的な索敵能力の低下を招く。
一見、理に適っているようには見えるが、それでも夜明けと共に予想外の攻撃を受ける危険性を考えたら、むしろ攻撃機を減らしてでも積むべきだった。敵艦の位置情報さえつかめれば、沈めるのは「くしなだ」に任せても良い。
とはいえ、出航した後で積み替えるのはかなり難しい。夜光雲もグアムあたりを経由すればトラック泊地まで十分飛べるのだが、問題は代わりに降ろした九九式艦爆などだ。航続距離が足りないため、空母が戻るまで足止めとなってしまう。仮に空母が沈められたりすると、乗せる余地が無くなりかねない。
が、そもそも空母を守るために夜光雲を積むのだからと、肇は強弁した。
結局、ここでも宇垣参謀長が間に入り、トラック泊地での夜光雲搭載が決まった。
肇にとって、珊瑚海海戦はとっくに始まっていたと言える。
敵は英米艦隊ではなく、連戦連勝で日本側に生じた傲慢さ、甘すぎる予断だった。
登場人物紹介
実在する人物には【実在】としています。
高柳儀八
【実在】連合艦隊旗艦、大和艦長。階級は大佐。
渡辺安次
【実在】連合艦隊戦務参謀。階級は中佐。
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