第十三話 七隻の戦艦
北極経由で帰投した「くしなだ」は、夜の三浦半島沖で人員昇降ブイを使い、肇と竹島晴美、チャンドラ・ボース一行を駆逐艦に乗り移らせた後、東海村の海底軍艦基地に戻った。駆逐艦は横須賀に入港し、そこから車で都心へ。竹島晴美とボース一行は帝国ホテルで旅の疲れを癒してもらい、肇は渋谷町の自宅前で降ろしてもらった。
この方が東海村から帰るより早いが、さすがに毎回駆逐艦を出してもらうのも気が引ける。かといって、ゴムボートで上陸するのは怪しすぎる。普段はやはり、海底軍艦基地から陸路の方が良いだろう。
二ヶ月近い遠征となったので、光代は村雨家に預かってもらっていた。少々遅い時間だが、横須賀の海軍基地から電話を入れておいたので、玄関の明かりはついていた。呼び鈴を押すと村雨エニが出てきた。家長である恭二は、まだ仕事から帰っていなかった。コードトーカーとして暗号解読に携わっているのだろう。
「お帰りなさい、石動さん」
「長いこと、お世話になりました」
背後から光代が出てきた。起きて待っていたのか、少し眠そうだった。光代は制服を着て手提げの鞄を持っていた。明日の学校の支度らしい。
「お父さん、お帰りなさい」
「ただいま、光代」
久しぶりの父娘の抱擁だった。
「洗濯ものなどは、明日にでもお届けしますね」
エニが優しく言う。
「どうもありがとうございます」
一礼して、家路をたどる。家に着くとまず布団を敷いて、二人とも寝間着に着替えた。
「そういえば、学校はどうだい?」
光代はこの春で尋常小学校高等科だ。入学式もそこそこに「くしなだ」に乗り込んだので、全く様子が分らなかった。
光代は微笑むと答えた。
「うん、新しい友達もできたの。楽しいわよ」
あの東京空襲で村雨アキが死んで以来、光代は一時全く笑わなくなった。その代り、村雨家に入り浸るようになった。それもあって今回預かってもらったのだが、良い方に向かっているようだ。
明日も早いからと光代を寝かせ、自分も布団の上に体を投げ出す。しばらくすると定時連絡で了が接続してきた。
(山本長官にはもう帰ったことを伝えたかな)
「横須賀に上陸して、すぐに電話しました。それでちょっと、気になることが」
(ほう)
「相談したいことがあるので、呉に来てほしいと」
東京から呉はかなりの距離だ。列車を乗り継いで十時間以上はかかる。どうやっても泊りがけだ。
「折角帰宅したというのに、また家を空けるのも光代が可哀想で」
(なら、連れて行けばいい)
翌朝、肇は光代に告げた。
「今日と明日は学校は休み。お父さんと呉に行こう」
「呉?」
光代はキョトンとした。
「山本のおじさんに会いに行くんだけど」
「わぁ、行く行く!」
笑顔でピョンピョン飛び跳ねる。
まだまだ子供だな、と少しホッとする肇だった。
着替えなどをまとめて、学校へは肇の故郷の伯父が危篤だということにして電話し、超特急「燕」に乗った。神戸まで九時間、そこから呉まで七時間もかかるので、神戸からは夜行列車にした。翌朝、呉に着くことになる。
車中での光代は、景色を楽しむほかに、持ち込んだ何冊かの本を読んでいた。肇も技術系の雑誌と駅で買った新聞を読んでいた。驚いたことに、チャンドラ・ボースの来日がもう写真入りで新聞に載っていた。竹島晴美の方はまだだった。発表の時期や方法を検討しているのだろう。
昼と夜は食堂車で取り、神戸で寝台車に乗り換える。旅の疲れで光代はすぐに寝付いたが、肇は定時連絡までボース来日の記事を読み直していた。やがて了が接続してきた。
(まだ移動中だね)
「ええ、寝台車です」
光代の寝顔を見ながら答える。
(どうも、山本長官の相談事が気になる)
「何があり得ますかね」
しばし考え、了は答えた。
(時期的に、私の知る歴史ではミッドウェー海戦で日本が大敗し、ズルズルと敗戦へ傾いているころだ)
何やら眠れなくなりそうだった。
翌朝、肇と光代は呉の駅に降り立った。六月半ばとはいえ、梅雨の中休みで晴れ渡ると暑い。
若い水兵が出迎え、車で市内を走る。てっきり海軍の建物に向かうと思っていたが、車はそのまま港へ入った。
「山本長官はどちらに?」
「あちらです」
水兵は沖合を指さした。大小さまざまな海軍の艦艇が停泊する中、島影かと思うほどの巨艦の姿があった。
先日就役したばかりの連合艦隊旗艦、大和である。
一民間人のはずの肇が、娘同伴で最高機密のはずの最新鋭戦艦に連れて行かれることになる。了が知る歴史ではあり得ないような状況だった。連絡艇に乗り込み、大和に横付けするまでの間、肇は光代と共に、その巨大さに圧倒されるばかりだった。しかも、その姿は了に見せてもらった「あちら」の大和とは大きく違っていた。
「おっきいお船だねぇ」
タラップを登りながら、光代は何度も繰り返した。
司令長官の居室は、当然ながら海底軍艦の艦長室より数倍広々としていた。
「長官、お久しぶりです」
石動が挨拶をすると、山本五十六は執務机から立ち上がり、にこやかに出迎えてくれた。
「よく来てくれた、石動君。おお、そちらは光代ちゃんかね? すっかりお嬢さんになって」
「お久しぶりです、おじさま」
おじさんから「おじさま」に昇格だ。オヤジ人気に拍車がかかる。
「涼しいですね、ここ」
しかし、だからと言って襟元をパタパタとやるのはぶち壊しだ。後で注意せねば、と肇。
「冷房が入っているからね。あくまでも、弾薬庫を冷房する余力でやっているのだが」
と、山本。光代の目が丸くなった。
「そんなところ、冷房するんですか?」
冷やすとしたら、食料庫ではないかと光代は思った。
「暑すぎると火薬がダメになったり、爆発することもあるからね」
山本は答えた。巨艦だけあって弾薬や炸薬の量も半端ではないので、それに比例して大和の冷房区画は他の艦よりずっと広かった。「大和ホテル」と揶揄されるほどだ。
「さて、お父さんと大事な話があるから、光代ちゃんはこちらのお兄さんに食堂にでも連れて行ってもらうと良い。ラムネやアイスがあるよ」
「え、ホントに?」
はしゃぐ光代。早速、案内してきた水兵に連れられて部屋を出る。このラムネ製造も、二酸化炭素消火装置の応用だった。
「というわけで、石動君、いささか困ったことになってな」
真顔の山本に、肇は尋ねた。
「戦局の変化ですか?」
「そうだ」
山本は執務机に戻ると、南太平洋の海図を広げた。
「米西海岸から消えた敵機動部隊だが、どうやら連合軍は豪州東岸に残存戦力を集中させているらしい。解読したコードトーカー暗号から判明した」
「わだつみ」の草薙艦長が予想した通りだ。
「彩雲による強行偵察では、サンゴ海に面したニューギニア南東岸のポートモレスビーと、豪州北東のケアンズ、タウンズビルなどに敵艦隊が終結しているのが見て取れた」
「これは……珊瑚海海戦ですね」
了の世界では四月に起きている海戦だった。米豪分断を目的に、日本がポートモレスビーを攻略しようとして発生した。
「彼らの目的は、ソロモン諸島からパプア・ニューギニア、インドネシア、フィリピン南部にかけての通商破壊と思われる。これをやられると、南洋および東南亜細亜の占領地経営が揺らぐことになり、非常に厄介だ」
山本が指示した地点を見ていくと、肇の表情が曇って行った。
「見事に浅海ばかりですね」
アラフラ海、ティモール海、ジャワ海。平均水深が百メートルを切る、潜水艦が苦手とする海域だ。ここで敵艦隊を追いまわすことだけは避けたい。
「敵の陣容だが、どうやら空母が五隻いるらしい」
意外だった。肇は思わず聞き返した。
「五隻? 三隻はどこから?」
撃ち漏らした米海軍の空母は二隻のはずだ。パナマ経由で回航された空母もすべて沈めた。
「一隻は軽空母、残り二隻はイラストリアス級だ」
山本は執務机の上に彩雲が撮った写真を載せていく。明らかに、インド洋で打ち漏らした英国空母だった。
もう一枚の写真。見慣れない軽空母だ。
「これは、どうやら米東海岸で急遽、空母に改装された艦らしい。喜望峰を回ってきたようだ。英国はイラストリアス級一隻を大西洋に回し、二隻をこの軽空母と共に豪州の南側を回航させて来たとみられる」
さすがにその迂廻路は、海底艦隊でも押さえようがなかった。
「先日の東京空襲は大きな失点だった。そこへこの戦力集結だ。陸軍はポートモレスビー攻略を狙っている。そうなれば、海軍としても動かずにはおれない」
山本は苦い顔だ。チャンドラ・ボースを呼び寄せ、印度独立支援に動こうとしている矢先に、豪州でこの動きだ。
「戦力を東西に分けた二正面作戦は避けたいですね」
肇の言葉に山本は頷いた。
「何より、連戦で消耗している第一航空艦隊の補充が追い付かない。艦載機や弾薬をいくら増産しても、搭乗員は量産できん」
日本軍の職人気質ともいえる練度の高さがあだとなり、「とりあえず使える」レベルの操縦士を短期教育で揃えることが難しかった。
「せめて、鹵獲戦艦の改装が終るまで待ってほしいものですね」
真珠湾奇襲で破壊した米戦艦は八隻。うち六隻は修理をすれば使える事が判明し、作業が進んでいる。
興味深いことに、その労働力は捕虜となった米兵たちである。捕虜に強制労働をさせることは違法だが、適正な賃金を払えばそうはならない。ハワイでの捕虜生活は制約が少ないので、収入が得られれば比較的不自由のない日常が送れる。その給金が日本の軍票でも問題はない。
鹵獲戦艦の六隻は、既に被弾した破口を塞がれ改修が始まっている。これらは新旧二世代に大別され、それぞれ違う型式の艦に生まれ変わろうとしていた。
メリーランド、カリフォルニア、テネシー。この比較的新しい世代の三隻は、蒸気タービン発電の電動機推進という珍しい機関を搭載していた。蒸気を重油ボイラーで得ること以外は、海底軍艦と同じともいえる。これは電探などの電子装備に豊富な電力を供給できるため、対空および対潜を専門とする護衛戦艦として改装される予定だ。輸送船団の護衛であれば、二十ノットそこそこという低速でも問題はない。これらの艦は、真珠湾の船渠でこのまま改装される。
ペンシルベニア、ネバダ。このさらに旧世代の二隻は、通常の蒸気タービン機関なので、最新式の機関と換装し、さらに砲塔なども取り払って空母に改装することになった。
ウエストバージニアは電気推進だが、蒸気タービンが日本と同じ形式なので改造しやすいことから、発電機と電動機を海底軍艦と同じ物に置き換え、こちらも高速化して空母とする。
ただ、こうした装備は日本本土でしか調達できないので、この三隻は航行が可能なまでに修復が進めば、曳航されて内地へ送られる予定だ。
これらが完成すれば日本の正規空母は九隻となり、今回のような二正面作戦となっても耐えられるはずだ。
しかし、どの艦も完成は早くとも年末となる。
「と言う事は」
肇は結論付けた。
「鍵を握るのは『くしなだ』と大和ですね」
「わだつみ」は今、大西洋から動けなかった。英国がソ連支援を断念し、独逸のUボートが十分弱体化するまでは。
了の知る歴史では、ほとんど目立った戦果を上げずに沈んだ戦艦大和。時代遅れとなった大鑑巨砲主義の末裔だ。しかし、I資料はここでも活かされており、様々な点が異なっている。
「そういえば、大和の位置づけが、かなり変わっているようですが」
肇の言葉に、山本も頷いた。
「機密情報に関する考え方が大きく変わったのだよ」
了の世界では、大和型戦艦の存在も艦名も、国民や一般の兵士には終戦まで正式には知らされていなかった。しかし、帝国海軍が巨大な戦艦を持っていることは公然の秘密であり、実際には連合国側もかなりの情報は握っていた。
「だったら、どうせばれる情報を機密にしても意味がないと言う事で、本当に守るべき機密だけに専念することになったのだ」
具体的には、基本性能や搭載している兵器などだ。何よりも速力、航続距離、主砲の口径などだ。
「そういえば、この大和は、『あちら』の大和とはかなり違いますね」
了に見せられた「あちら」の大和は、四十六センチ砲三連装の主砲塔を、艦首に二基、艦尾に一基配置していた。ところが、こちらの大和は艦首に三基の主砲と一基の副砲を配備している。そのため、艦橋がずっと後ろに下がっていて、後甲板には副砲が一基あるだけだった。
そして、艦橋の頂上には巨大な白い球体が載っている。電探の覆いだった。口さがない兵士は早速「ぼんぼり」と揶揄していた。
「I資料を活用させてもらった。だが、一番の違いは外見ではない。搭載兵器だ」
海軍の側でも、技術の革新は進んでいた。
大和と六隻の鹵獲戦艦。この七隻の戦艦が、今後の帝国海軍を支えることになる。
次回 第十四話 「一つの慢心」




