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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第一部
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第四話 波紋の印

 肇が仙台駅に降り立つと、まだ昼前なのに強烈な残暑の日差しが照りつけてきた。九月の末、普段の年なら東北は秋の色が濃くなるはずだが、今年はまだのようだった。駅の西口広場は広々としており、振り返ると二階建ての駅舎はなかなか立派な作りだった。

「結構、都会なんだなぁ」

 地方都市といえど、城下町仙台はそれなりに発展しているようであった。車引きが何人かこちらを見ていたが、地図で見ると目的地の東北帝国大学は一キロかそこらだった。このくらい歩かないと、体がなまって仕方がない。

 広場から西に延びる路面電車に沿ってしばらく歩くと、十字路に東北帝大の案内板が出ていた。左折すると畑の向こうに校舎が立ち並んでいる。歩み寄っても、まだ夏休み中のためか、あたりに学生の姿は見られない。

 門衛に来意を告げると、謄写版で刷られた学内の地図を渡された。校舎の一つに赤鉛筆で丸を付け、門衛はにこやかに言った。

「御武運を」

 その笑顔と言葉の意味を、肇は八木秀次研究室でたっぷりと味わうことになるのだった。


 昼下がり。駅前の喫茶店で、肇はぐったりと椅子にもたれて瞑目していた。気分は海より深く落ち込み、何をする気力もない。ようやく薄目を開けて時計を見と、次の東京行きの列車にはまだ一時間以上あった。再び目を閉じる。

 不意に、カランコロンと小さな鐘が鳴った。入り口のドアを開けて一人の三十代男性が入ってきて、カウンターに座ると店主に話しかける。

「ああ、御主人。いつものをお願いしますよ」

 出されたのは熱い紅茶と、牡丹餅のように見える餅菓子だった。喫茶店には珍しいメニューである上、餡は鮮やかな緑色をしているのが目を惹いた。男はその一つを頬張り紅茶をすすると、懐から扇子を取り出し、パタパタと煽った。

「暑い日はこれに限りますねぇ」

 肇の喉がなった。思えば、朝から何も食べていなかった。思わず、男に声をかける。

「済みません、なんだか美味しそうですが、それは何と言うのですか?」

 もう一口紅茶をすすると、男は微笑んで答えた。

「呼び名は色々ですが、この辺では『ずんだ餅』ですかね。これ、枝豆を潰して作る餡なんですよ」

 男の隣に席を移ると、肇は同じものを注文した。

「甘いものに目がないもので」

 照れ隠しに笑う肇だったが、あることに気づいた。

「もしかして、大学の方ですか?」

「ああ、分りますか」

 男の言葉には東北の独特な訛りがなかった。代わりに、東北訛りの見本のような店主の声。

「宇田先生は富山の生まれだそうだて。おきやは津軽だてが」

 富山と言う事は、肇と同郷でもあった。

 肇の前に、ずんだ餅の皿と紅茶が置かれた。いただきます、と手を出しかけて気が付いた。

「宇田先生……もしかして、宇田新太郎博士ですか?」

 パチンと扇子を閉じて、男は頷いた。電波工学に革命をもたらした、八木・宇田アンテナの共同開発者である。


 気が付くと、既に外は暮れなずんでいた。あれからずっと、テーブル席でI資料のファイルを広げ、宇田新太郎は熱に浮かされたように喋り続け、肇に質問を投げかけていた。答えられる限りは答えたが、話が専門的になるとむしろ肇が教えを乞う形になった。

 やがて、宇田はすっかり冷めた紅茶を飲み干すと呟いた。

「これ、八木博士は突っけらがすったんか。もったいない」

 世間話になると、同郷のよしみで途端にお国の言葉になった。

 肇は頭を掻いて苦笑する。

「いやー、私が至らないだらりに」

 八木も同じように肇を質問攻めにしたが、本格的に学び始めて二ヶ月ほどの肇に答えられるわけがない。終いには資料ごと研究室から叩き出されてしまったのだ。

「まぁ、八木先生らしいなぁ」

 あはは、と屈託なく笑う宇田だった。

「八木先生が出席する論文の輪読会、あまりに先生の指摘が手厳しいんで、この間、わざわざ先生のゼミがある日に移されちゃったんですよ。出席できないように」

 ある意味、厳しさに分け隔てはなかったわけだ。

 宇田はファイルを閉じると言った。

「面白い資料ですね。活用させていただきますよ」

「ありがとうございます」

 頭を下げる肇。やがて起こる対米戦では、電波探信儀レーダー、電探が勝敗に大きくかかわる。八木と宇田の研究は、その基礎理論でもあった。日本軍がその重要性に全く気付かなかったこともまた敗因の一つだと、日ごろから了は言っていた。このI資料で研究が加速されれば、その流れを変えられるはずだった。

「折角だから、夕飯御一緒にいかがですか?」

 宇田に誘われ、肇は喫茶店の店主に一礼すると店を出た。外はようやく、涼しい風が吹きはじめていた。


 翌朝、揺れる車内で揺れる頭を押さえつけながら、肇は胸のむかつきをこらえていた。昨夜、地元の山海の珍味と共に地酒も勧められたのだが、普段ほとんど呑まない肇はすぐに酔いが回ってしまい、そのまま酔いつぶれてしまった。今朝、宇田の自宅で目覚めたときは何とも罰が悪かった。快く送り出してくれた笑顔が胃に堪える。

 世の中は狭いと言うか、先日、イギリス留学から帰ってきて高柳健次郎のテレビジョン研究班に加わった川原田政太郎は、宇田の同郷で、同じ魚津小学校の六年上だという事だった。

 酔いつぶれて昨夜出来なかった了との定時連絡が、車中で行なわれた。了によれば、もう一人、宇田の一年先輩で盛永俊太郎という農学者が九州帝大にいるという。三人とも名前に太郎が付き、ほぼ同時期に同じ魚津尋常高等小学校を卒業していることから、後に魚津の三太郎博士と呼ばれる事になると言う。この盛永博士も、後で訪問する必要がありそうだった。

 列車を何度か乗り継ぎ渋谷駅に降り立った時には、既に陽はかなり傾いていた。車中で大人しくしていたおかげで、二日酔いはかなり良くなっていたが、今度は猛烈に腹が減ってきた。

 一瞬、鞄の中にある「ずんだ餅」に考えが向いたが、これは由美への土産として仙台駅で買ったものだ。流石に手を付けてしまってはまずい。そんなことを考えながら改札を出ると、香ばしい匂いが漂ってきた。見ると、駅前に屋台が出ている。思わずフラフラと歩み寄ると、焼き鳥だった。

「に、二本ください」

 言葉が勝手に口をついて出て、懐からは財布が出ていた。暖かい包みを受け取り、わずかに震える手で一本取り出し、かぶりつく。美味い。しかし、これではまるで中毒患者だ。

「まぁ、肇さんたら。買い食いなんてして」

 背後から由美の声。

「ああ、いや、お恥ずかしい」

 口の端にたれをこびりつかせたまま、肇は振り返った。

「今日、お帰りだと言うから、お夕飯の準備もしてあるんですよ」

 腕組みしたまま、由美はそう言った。

「ごめんなさい」

 素直に謝るしかない。

 その時、駅前広場の一角で子供の声がした。さらに、犬の鳴き声も。見ると、小学生くらいの一団が輪になって騒いでいる。犬の声は輪の中から聞こえるようだ。

「こら! やめなさい!」

 由美が大きな声を上げ駆け寄った。肇も後を追いかけると、子供らは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。後に残ったのは、中型の秋田犬だった。

「可愛そうに、苛められてたの?」

 幸い、怪我はなかったようだ。由美が犬に手を差し出すと、うずくまってた体を起こし、ふんふんと匂いを嗅いでぺろりと舐めた。人懐こい犬だ。首輪をしているから、どこかで飼われているのだろう。

 犬はさらに鼻を鳴らすと、こんどは肇に飛びついて来た。

「うわっ」

 急なので驚いたが、犬の方には害意はないようだった。盛んに尻尾を振り鼻を鳴らしている。

「ワンちゃん、肇さんの手に持ってるのが欲しいのよ」

「ああ、これか」

 包みから残りの焼き鳥を出し、肉を串から取って足元に落とすと、あっという間に犬の腹に収まった。

「お前も腹ペコだったんだな」

 ペロリ、と口の周りを舐めると、犬は駅の出入り口を向いてきちんと座った。

「最近、駅前でよく見かけるんですよ」

 犬の頭をなでながら、由美が言った。しばらくして夕日が建物の陰に隠れると、犬は体を起こして歩き出した。

「お家へ帰るのね。私たちも帰りましょう」

 由美に言われて、肇も家路をたどった。犬も方向が一緒らしく、二人の前を歩いて行く。一度、肇の家の近くまで来たとき、一軒の空家の前で立ち止まり、中を覗き込んでいた。

「ここ、あなたのお家だったの?」

 由美が話しかけると悲しげに鼻を鳴らしたが、不意に通りの向こうに走って行った。半被と地下足袋といった植木職人風の小柄な男が、こちらを向いて立っていた。犬は男に飛びつき、盛んに顔を嘗め回す。飼い主だろうか。

「またこんなとこまで来てやがったか。帰るぞ」

 男はそう言うと、二人に向かって頭を下げた。

「うちの犬がご迷惑かけましたか」

「いえ、そんなことは。あなたの飼い犬ですか?」

 由美の返事に、男はにっこり笑って言った。

「ええ、今は。元は、そこの家で飼われてたんですがね。御主人が亡くなって、庭師をしてたあっしが引き取ったんです」

「そうなんですか」

 しんみりとする由美に、男は犬の頭をわしわしと撫でながら言った。

「御主人が生きてるころ、こいつは毎日駅まで送り迎えしてたんですよ。でも、亡くなったってことが分らないらしくて、今もこうして家から抜け出しちゃ駅へ行っちまって。困ったもんです」

 もう一度、二人に頭を下げると、犬に一声かけて歩き出した。

「さあ帰るぞ、ハチ公」

 一人と一匹の姿が夕闇に消えて行った。


(忠犬ハチ公か)

 その夜の通信で、了は肇の脳内で呟いた。

「そちらの時代では有名なんですか」

(渋谷の駅前に銅像が建ったし、何度か映画にもなった。そのうちの一本はハリウッドで作られた)

「え?」

 ちょっと理解できなかった。

(二十一世紀に入ってからで、舞台を米国西海岸に移したものだ)

 主演は名の通った米国人俳優だと聞いて、さらに肇は驚いた。

(八木・宇田アンテナに似ているな)

「そうですか?」

 犬と電探。肇には話が繋がらなかった。

(日本で開発され特許も取ったのに、開戦時まで忘れ去られていた八木・宇田アンテナ。日本軍が米英の施設を鹵獲して、電探に刻まれたYAGIという言葉に驚くことになった。忠犬ハチ公も戦後長らく忘れられていたが、米国人の手で映画になって話題となった)

 なるほど、と肇は頷いた。

「どうも、維新からこの方、日本は海外ばかり注目しすぎみたいですね」

(黒船来航のショックが、百年以上たってもトラウマとして残っていたわけだ)

 思えば、テレビジョンにしろ核物理学にしろ、了の時代から見た今の日本には、埋もれた才能やエピソードがいくつもあるということだった。それらを掘り起し、活かしていくことこそ、この歴史改変計画の根幹であった。

「了、あなたの百年後の視点からなら、違った日本が見えますか?」

 しばらく沈黙して、了は言った。

(驚くことばかりだ。読むと見るとでは大違いさ)


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


八木秀次

【実在】工学者。

レーダーやテレビに応用された八木・宇田アンテナの共同開発者。


宇田新太郎

【実在】工学者。

八木・宇田アンテナの共同開発者。

八木の名前が先だが、実際の研究は宇田が中心だったとされる。

富山県魚津市生まれで、同じ小学校の卒業生、川原田政太郎(工学)、盛永俊太郎(農学)と「魚津の三太郎博士」と呼ばれる。


次回 第五話 「記憶の檻」

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