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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第二部
37/76

第九話 六隻の空母

 東京が空襲されたことを暗号通信で受信した「わだつみ」では、怒りと悔しさが艦内を満たしていた。

「できるものなら、このまま大西洋へ向かって、ニューヨーク港に出入りする船を片っ端から沈めてやりたい」

 草薙艦長は相当鬱憤が溜まっているようだ。艦長室で副長を相手に将棋を指しているが、どうも指し手が荒い。アンダマン海にようやく到達した「わだつみ」だが、肝心の英国艦隊がマラッカ海峡からなかなか出てこないのも、原因の一つだろう。

「物理的には可能ですが、命令は守らないと」

 海野副長は、相変わらず常識人だった。それでも、「わだつみ」の無限の航続距離を考えればできないことではない。食料さえ持てば、だが。

「このままでは将棋の腕前が上がるだけだなぁ」

 そう呟いて艦長は駒を進めたが、副長がぴしりと言った。

「でもないですよ、はい王手」

「……え?」

 盤面を見て、顎髭をしごく艦長。

 ここまでの経路で、行きがけの駄賃として三回の海戦があった。バリクパパン沖海戦、ジャワ沖海戦、バリ島沖海戦。どれも英米蘭豪連合軍の残存艦艇で、落穂ひろいな戦闘だった。高価な酸素魚雷を使うには、旧式の軽巡や駆逐艦は割に合わない気もする。

 一方、陸軍中心のシンガポール攻略は、マラッカ海峡側からの空母インドミタブルによる嫌がらせのような空襲のおかげで遅れていたが、既に時間の問題だった。シンガポールという母港を失えば、セイロンや印度インドに拠点を移すしかない。そうなれば、嫌でもアンダマン海を通るしかなく、一網打尽が可能だった。


 同時期、石動了による原爆開発は次の段階を迎えていた。I端末と電動製図機から出力した一連の図面を持って、肇は了に指定された工場を訪ねた。最初は、日本では数少ない成形炸薬を製造している軍需工場だった。

 到着と同時に、肇は了に身体を貸した。

「ほう、こりゃ凄い量の炸薬ですな」

 成形炸薬とは、特定の方向に爆発が進む火薬だ。通常、装甲に穴を穿つための徹甲弾に使用される。

 禿げ頭の工場長は、老眼鏡をかけなおすと図面を見直した。六角錐の頂上を切り落としたような形で、二種類の違う成分の成形炸薬を三層に固めた物だ。その底面に信管が設置される。底面から頂部まで、五十センチはあった。底面は差し渡し四十センチほどある。

「もしかして、海軍さんが建造中だっていうでっかい戦艦の砲弾ですか? ははは」

 この時代でも戦艦大和はあった。まだ性能はおろか名前すら極秘ではあったが、呉の船渠で巨大な戦艦が艤装中であることは公然の秘密だった。

 了の世界より完成が四か月遅れなのは、設計を担当していた藤本喜久雄が早逝した後、引き継ぐはずだった平賀譲が海底軍艦の設計に移ったためだった。結局、引き継いだ牧野茂が奮闘した結果、了の知る大和より近代的な設計になってはいるようだ。

 新しいもの好きの藤本ではなく、保守的な平賀が革新的な海底軍艦を手掛けるというのは、歴史の皮肉というしかない。

 ともあれ、軍事機密に関わる部分である以上、了は工場長に微笑み返すことしかできなかった。

「大切な点は、この部分で燃焼面が完全に平面になることです」

 了は図面上で、下から見て二層と三層の間の平面を指さした。その下の一層目と二層目の境は平面ではなく、お椀の底のような曲面になっていた。

 炸薬の信管は一層目の底面の中央にある。炸薬の燃焼はそこから球状に広がるが、お椀のような形の二層目が燃焼速度の遅い炸薬になっており、深い中心部ほど燃焼に時間がかかるため、二層目と三層目の境目に達するときには燃焼面も平面となり、三層目はどの部分も均等に燃焼していくことになる。

「これで、衝撃波がまっすぐに頂部に伝わります」

 さらにいくつかの検討をしたのち、納期の話となった。

 成形炸薬は十六本を一組として試作品を作り、まとめて爆破試験をしてから、さらに四組が製造されるという契約だった。ただし、爆破試験が上手く行くまでは試作を繰り返す。

「金に糸目を付けねぇってのは最近少ないんでありがたいんだが、これだけ量があると炸薬の製造に時間がかかるな」

 成形炸薬は燃焼速度の違う二種類が必要で、出来るだけ均一な成分にし、高い加工精度で仕上げる事が求められていた。

「どのくらいですか?」

 工場長は瞑目し、禿げ上がった額を指でトントン叩いて考え込んだ。

「材料をそろえるのに半年、組み立てに一か月かな」

 契約を済ませると、了は肇にもう一つの成形炸薬工場を訪ねるように依頼した。そこで再び体を借り、似たような図面で契約を結んだ。違うのは、こちらの炸薬は五角錐だと言う事だ。

 五角錐と六角錐を組み合わせると、サッカーボールのような三十二面体になる。これらを同時に爆発させれば、中心部は均等な圧力で急激に圧縮される。これは、爆発の衝撃波を中心に集める仕組みであるため、「爆縮レンズ」と呼ばれる。原子爆弾のもっとも重要な部品だ。この秘密が漏れないため、発注先を二社に分けたのだった。

 幸いにして、こちらの工場も同じような納期となった。どうやら年内に最初の爆破試験が出来そうだ。

 アメリカのマンハッタン計画では、二発の原爆を作るために十八億ドルの予算を必要とした。これは大和級巨大戦艦三隻分の建造費に当たる。超大国アメリカだからこそ可能な計画だと言えるだろう。

 一方、日本のI計画は、はるかに少ない予算でここまで来た。すべては未来からの情報による。最適な方法を試行錯誤で模索しなければならなかったアメリカに対し、日本はゴールまで最短距離をひた走ることが出来るのだ。この差が、全てを変えるはずだ。


 三月末、シンガポールはようやく陥落した。空母インドミタブルを中心とした英米蘭豪連合軍の残存艦艇は、マラッカ海峡を北上し、セイロン島を目指す。

「ようやく来ましたね、艦長」

 海野副長の角を取り、艦長の草薙も機嫌よく答えた。

「おう。これで王手だな」

 副長はいがぐり頭をボリボリ掻いて言った。

「……二歩ですけど」

「え?」

 盤面を見て、顎髭をしごく艦長。

「ま、実戦にそんなルールはない。行こう」

 そう言うと草薙は立ち上がった。色々言いたいことはあったが、駒を箱にしまうと海野も後に従った。

 二人が発令所に着くと、すでに情報が活発に飛び交っていた。

「彩雲部隊、敵艦隊を補足中。現在、メダンの北百海里をさらに北上中」

 通信手の報告を海図で確認すると、ほとんどマラッカ海峡を抜けるところだった。

「聴音器に感あり、零時の方向。音紋はインドミタブル他三種類以上」

 真正面だ。自艦の位置から線を引くと、ほぼ同じ海域で交差する。

「奴さんたち、まさか待ち伏せされているとは思ってないだろう」

 意地悪く笑う草薙だが、海野地蔵のあだ名の通り、副長は悲しげに微笑んで言った。

「敵ながら気の毒にさえ思いますねぇ」

 艦長はニヤリと笑った。

「いかんな副長。敵に情けは不要だ。持てる全力で叩き潰すのが、武士の情けというもの」

 次に真顔で言った。

「少なくとも、俺は自分がやられる側でもそう思う」

 「わだつみ」が潜伏する海域は水深が百メートルそこそこ。北西に下がればもっと水深はあるのだが、そこから一気に海峡が広がり、アンダマン海に溶け込んでしまう。そのため、彩雲の索敵から漏れる可能性が高まるので、ギリギリまで前進して待ち構えているのだった。

 数時間後、通信手の報告が上がった。

「敵艦隊、マラッカ海峡を抜けました。ロークスマウェ北東、五十海里」

 目と鼻の先だった。

「聴音、どうだ?」

 艦長の問いに、聴音手が答える。

「方位変わらず。音紋、インドミタブル、駆逐艦二、軽巡一」

「よし、やるか。深度、マルサンマ……」

「待ってください!」

 艦長の指示に、聴音手が割り込んだ。

「感あり、六時の方向。音紋多数……イラストリアス級がいます!」

「後方から?」

 艦長は海野副長と顔を見合わせる。

 真後ろとなると、アンダマン海の西、セイロン島のある方角だ。イギリスの東洋艦隊が東岸のトリンコマリー軍港におり、インドミタブルはそこに合流するはずだった。

 潜水艦の聴音器は艦首にあるため、どうしても艦尾方向は感度が落ちる。海底軍艦も例外ではない。今のように機関を停止していても、艦そのものが邪魔になる。

「参ったな、挟み撃ちか」

 そう言いながら、艦長は顎鬚をしごいた。

「面白がってませんか?」

 海野が艦長の癖を見抜いて指摘する。

「こちらに気づいているとは思えないからな。現存艦隊主義を捨てたのは、インドミタブルを迎えるためだろう」

 現存艦隊主義とは「健全な艦隊が存在するだけで抑止力となる」という考え方だ。積極的に打って出ず、軍港などに引きこもることになる。海軍力の象徴であるプリンス・オブ・ウェールズを失ったとは言え、戦艦と空母を擁するセイロンの残存艦体はそれなりの戦力だ。日本がインド洋に出るとなれば、意識せざるを得ない。

「多分、日本の艦隊がインドミタブルを追撃しているな。空母を連れていれば南雲さんか」

 味方の索敵機は、当然ながら味方の艦隊の位置など知らせない。作戦行動中の艦隊は当然無線封止だ。海底艦隊のような別働隊にとっては、味方の動向を知るのが意外と面倒だった。

「聴音、インドミタブルの後方は探れるか?」

 艦長の問いに、聴音手が答える。

「無理です」

 やはりな。

 艦長はしばし沈思黙考する。インドミタブルの機関音が邪魔な上に、水深の浅いマラッカ海峡は音が伝わりにくい。

「よし、深度そのまま。機関始動、微速。方位マルヨンゴに移動」

 艦長の指示が復唱される。副長が問う。

「やり過ごすのですか?」

「そうだ。間違って味方に撃たれたくはないからな。誰が来ているかぐらい、確認しなければ」


 第一航空艦隊を指揮する南雲忠一中将は、真珠湾奇襲、ハワイ攻略戦の英雄だ。

 占領後は真珠湾を拠点とし、配下の空母を太平洋に展開して索敵機彩雲による米海軍の動きを探ってきた。その情報で、大西洋から回航された米空母は、全てパナマ運河の出口で殲滅できた。情報を駆使した潜水艦隊の戦果とされている。

 しかし、東京空襲を行った敵空母艦隊の補足には失敗してしまい、失地回復のためにも戦果が必要となった。とはいえ、太平洋には逃がした空母二隻しかいない。

 そこで、手持ちの空母の半数、赤城・翔鶴・瑞鶴を率いて、英国東洋艦隊の殲滅に向かうことになった。敵艦隊の主力は空母インドミタブルのみ。当初の戦力比は三対一だった。

 ところが、第一航空艦隊が到着する寸前にシンガポールは陥落し、英国艦隊は脱出してマラッカ海峡を北上し始めた。そして、その先のアンダマン海には別の英国艦隊が現れ、インドミタブルのいる艦隊と合流するらしい。そこには同形艦が二隻いて、空母は三隻となる。こちらと互角だ。

「間が悪いですな」

 源田実中佐が言った。叩き上げの航空参謀であり、艦載機による真珠湾奇襲の作戦立案者だった。元来、水雷戦が専門だった南雲にとっては貴重な知恵袋だ。

「うむ。だが、どうもこの戦い、我々だけが戦力ではないようだ」

「どういう意味ですか?」

 訝しむ源田に南雲は言った。

「太平洋の敵空母は、レキシントン級二隻を除いて全滅。こちらのマレー沖でもプリンス・オブ・ウェールズとレパルス。どれも鮮やかすぎないか?」

 源田は言った。

「潜水艦隊の僥倖だと聞いておりますが」

「ありえんよ。魚雷のことなら知り尽くしている」

 南雲は続けた。

「空母は全て、一撃で轟沈している。索敵部隊の目撃によれば、真っ二つにへし折れて沈んだそうだ。プリンス・オブ・ウェールズとレパルスは沈没まで時間がかかったが、どちらも艦尾に何発も命中している。まぐれでこんな芸当を連続で成しうるはずがない」

 海底艦隊の情報は連合艦隊司令本部までで、そこから下の実戦部隊には極秘となっていた。万が一、捕虜になった時のための対策だったが、それゆえ海底艦隊は南雲にとっては未知の存在だった。愉快とは言い難い。

「そういえば、彩雲の運用も奇妙と言えば言えます」

 源田も首を傾げた。

「パナマ運河の監視も、今インドミタブルに付きまとっているのも、まるでその海域にいる誰かのためにやっている感じです」

 それらを命じたのは山本だ。全て、海底艦隊に情報を与えるのが目的。

「山本長官には、我々の知らない決め手があるみたいだな」

 南雲はマラッカ海峡の彼方を見つめて、そう言った。


「しかし、こんなところに基地があるとは意外でしたね」

 海野が感心する。草薙もニヤリと笑った。

「まさしく秘密基地だな」

 合流した敵艦隊は、セイロン島のトリンコマリー軍港に戻ると思われたが、尾行してみると意外にもインド洋のど真ん中、モルディブ諸島の南端にあるアッドゥ環礁に向かった。

 絶海の孤島に秘密裏に作られた基地だ。「わだつみ」の尾行がなければ、おそらく発見されなかっただろう。しばらくの間、出入りする船の音紋をチェックしたところ、かなりの規模だと思われた。東へはオーストラリア、西へは中東方面へと船が行き来している。物資輸送の中継点でもあるらしい。

 一通り情報を収集すると、アンダマン海へ引き返し、追撃してくる日本艦隊の様子を伺った。

「うーむ、やっぱり南雲さんか」

 日本の空母三隻という聴音手の報告で、草薙は結論付けた。

「空母が同数と言う事は、下手をすると消耗戦になりかねませんね」

 海野副長が懸念する。

「そこは『わだつみ』が加勢するから大丈夫」

 草薙は楽観的だった。


 四月五日、南雲中将率いる第一航空艦隊はセイロン島のトリンコマリー軍港を空襲した。

 セイロン沖海戦の開始である。


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


南雲忠一なぐも ちゅういち

【実在】第一航空艦隊司令官。階級は中将。


源田実げんだ みのる

【実在】航空参謀。階級は中佐。


次回 第十話 「二人の中将」


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