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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第一部
27/76

第二十七話 高揚と激流

「命名。海底軍艦弐番艦、『くしなだ』」

 石動肇の声に列席者からは拍手が起こったが、同時にささやき声も漏れた。

「なんだ、光代ちゃんいないのか」

「そりゃ無理でしょう、平日の昼間ですから」

「学校なんて休ませて連れてくれば」

「それはちょっと」

 オヤジ世代での光代の人気の高さ、恐るべしである。

 急な設計変更が入ったため、弐番艦の建造日程はかなり押してしまった。そのため、壱番艦「わだつみ」のように目立たぬよう夜間に式を行う余裕がなく、昼間に挙行することになったのである。

 昭和十六年四月十日。横浜に桜はまだ残っていた。

 船渠に海水が注がれ始めると、式に集まった要人たちは三々五々引き上げていった。そんな中、肇は山本五十六に呼び止められた。

「この『くしなだ』なんだが、外見上も、あまり変わったところはないようだね」

 肇は答えた。

「はい、艦首の左右にある縦長の扉と、艦底部にある四つの瘤だけです」

 すでに水没している船渠の底の方を指さす。

「この種類の海底軍艦はこの『くしなだ』で終わり、三番艦以降は大きく艦形が変わることになるとも聞いたが」

「『わだつみ』級と呼ばれるのはこの艦までですね。原子炉の性能が上がったので、より小型で量産に向いたものになります」

 これには、山本も興味を持ったらしい。

「その新型原子炉だが、この艦には?」

「残念ながら、間に合いませんでした。将来的には、『わだつみ』も換装して性能向上を行いたいですが」

 その時、山本の背後から声が響いた。

「閣下、もう戻りませんと、午後から会議が」

 黒島亀人首席参謀だ。

「おう、今行く」

 黒島に向かって返事をし、向き直って肇に言った。

「すまんな、どうも最近こちらも落ち着かなくて。今度、じっくり聞かせてくれ」

 歩み去る山本を見送りながら、そんな余裕はもうないだろうと肇は思った。

 三日後の十三日、日本は独逸に倣ってソビエトと条約を結ぶ。日ソ中立条約だ。

 あと八か月足らずで、日米は開戦する。


 ハワイの春は、天国もかくやというほどの素晴らしい気候だ。南国の果物や海産物、マリンスポーツなど楽しみも多い。

 しかし、そのすべてに背を向けて、鬱憤をため込んでいる者がいた。

 アビー・ロックフェラー・セリザワ。芹沢の妻である。

「島中が休日だ言うのに、買い物にも付き合ってくれないって、一体どういうことなの?」

「仕事がある」

 この半年、いやというほど繰り返された会話だ。

 嘘は言っていない。芹沢のシーウルフ艦隊が正式にアメリカ海軍所属となってから、処理すべき書類の数が倍増したのだ。秘書のジョージ一人では到底追い付かず、本社から事務のスタッフをひとチーム呼び寄せて、なんとかこなしている有様だ。この調子では、ひとたび戦争がはじまったら撃った砲弾の数だけ書類が生れるのではないか。

「もう! あなたは私なんかより、あのポンコツ艦隊の方が大事なんでしょう!」

 反射的に「そうだ」と答えそうになって、芹沢は口をつぐんだ。

 実際、旧式艦は手がかかった。艦船の燃料の主力が重油になって久しく、ここ真珠湾基地では石炭が入手しにくくなっていた。メンテナンスもだった。特に、追加した電子装備の電力をまかなうために設置した発電機が問題だった。甲板に置くしかなかったので、塩の影響を受けやすい。

 ちなみに重心が上がってしまうため、対艦装備である砲塔も魚雷発射管も撤去するしかなかったため、ほとんど対潜水艦戦に特化した艦隊だと言える。例外は、レーダーと連動する対空砲だ。これもまたJM社の製品で、テスト中である。

 芹沢は妻に向かって言った。

「そんなことはない。この書類を片付けたら、出かけよう」

「この書類って、どれ?」

 つん、と指でつつくと、未処理の書類の山が執務机の上になだれ込んだ。

 溜息をつくと、芹沢は立ち上がった。机を回り込んで、妻を抱きすくめる。

「アビー、一時間くれないか」

 アビーは微笑んだ。

「ええ、いいわよ、ダーリン」

 妻が退出すると、芹沢はインターホンのボタンを押した。

「ジョージか。一時間たったら来てくれ」

 一時間後、ジョージが現れると、芹沢は告げた。

「今から今日一日、君はミハイル・ゴロエノビッチ・セリザワだ」

「え?」

「お前が私のサインをまねるのが上手いのは良く知っている。この書類にサインしておくように」

「え? あの」

「大丈夫だ。目を通しておくべきものはよけておいた」

「ボス、あのですね」

「休日出勤と残業の手当は倍つけておくから、よろしく」

 言うだけ言うと、芹沢は返事を待たずにすたすたと出てってしまった。

 ジョージは机の上を見た。サインだけでも夜になりそうだった。


 六月、独逸はソビエト連邦と交戦状態に突入した。

「外務省はてんやわんやです」

 定時連絡で肇は告げた。

(日独伊にソ連を加えた四カ国同盟を目論んでいたのに、梯子を外されたわけだからな)

 特に、松岡洋右外相の独断専行は目に余った。いきなり、自分が締結させた三カ国同盟を破棄しろだの、締結したばかりの日ソ中立条約を破棄してソビエトに宣戦布告せよなど、暴走としか言いようがない。

(来月二日に、御前会議がある。夏だから、第二種礼装の軍服を用意してくれ)

「え?」

(君も出ることになる)

「え? あの」

(ちなみに、御前会議はあと三回あるはずだ。最後の二回は第一種礼装も必要だな)

「了、あのですね」

(仕立て屋であつらえるといい。予算はI計画の経費で落ちるから、よろしく)

 それだけ告げると、了は返事も待たずに接続を切ってしまった。

 肇は呆然として天井を見上げた。あと十日しかないのに、仕立て屋の当てなんてないんだが。


 結局、肇は山本に泣きつくしかなかった。翌日の朝、まだ東京にいた連合艦隊司令長官の執務室に押し掛ける。

「ほう、潜水艦だけでなく第二種礼装もか。海底艦隊の装備は充実するな」

「からかわないで下さいよ。こっちは生きた心地もしません」

 十四年前に、いきなり宮城きゅうじょうに呼び出されたときのトラウマが蘇る。

「しかし、何を話すかは、君の頭の中の彼が考えてくれるんだろう?」

「それがさっぱりで。いざとなったら任せると」

 了の放任主義は、段々と度が進んできていた。

「まあ、最初は顔見世なのかも知らんな。我が国に海底艦隊ありと」

「正式に、この国の軍隊となるわけですね」

 今のところ、海底艦隊もI計画も、完全な民間の機関である。海底軍艦を建造可能な基礎科学技術の開発までは、高橋是清蔵相が作成した国家予算であった。しかし、いざ技術革新が始まると、それを取り入れた企業は業績が劇的に向上し、今日までの経済成長を支えてきた。その増えた利潤の一部を提供してもらう事で、その後の海底軍艦建造と運用が賄われている。

 しかし、このまま戦争に参加すれば、それは違法となってしまう。たとえば、「わだつみ」が敵艦を沈めれば、正規軍でない乗員は殺人罪に問われてしまう。了の構想では、次の大戦が終われば海底艦隊を世界に公表するとしている。そこに違法性があってはまずいわけだ。

 結局、山本は昵懇こんいにしている仕立て屋を紹介してくれた。早速、採寸などが行われ、肇の「馬子にも衣裳」計画が開始された。


 七月二日。東京市内の某所で、御前会議が行われた。肇はさすがに軍服で家を出るわけには行かないので、普通の背広を着て大きな風呂敷を抱えて行くことになった。控えの間で着替えることになる。

 第二種礼装は、白を基調にした夏向けの礼服だった。階級ごとに肩章の金線の太さや本数が異なるが、肇のものは大将の幅広い一本線だった。「馬子にも衣裳」計画の第一段階だ。

「おお、石動君」

 廊下に出た途端、声をかけられた。海軍大臣の及川古志郎だ。先日の「くしなだ」の進水式にも参列していた。

「似合ってるじゃないか」

 それは客観的には間違いではなかった。身の丈六尺の長身に、白い礼装は非常に映えた。軍人らしからぬ長めの頭髪が軍帽からこぼれる様も捨てがたい。

「恐れ入ります」

「もっとこう、背筋を伸ばすと良いぞ」

「ありがとうございます」

 とはいえ、肇はどうしてもこの及川が苦手だった。どちらかと言えば理系で、理詰めでものを考える肇に対して、及川はそうした合理性に欠くような発言が目立った。

 御前会議が始まった。肇は導かれるまま末席に座ったものの、紹介があるでもなし、どうにも居心地が悪い。仕方がないので、背筋を伸ばして卓上を見つめるしかなかった。こんな時に限って、了は接続してこない。こちらから呼べないのが、何とも腹立たしい。

 やがて陛下が入室され、一同は起立して出迎えた。陛下は肇に目配せし、肇は最敬礼で答えた。

 近衛文麿総理が御前会議の開始を告げようとしたとき、陸軍大臣の東条英機が手を挙げた。

「失礼ながら、この場に見知らぬ顔がおることを、まずご説明いただきたい」

 当然すぎる疑問だった。及川海軍大臣が話し出す。

「こちらにおわす石動閣下は、我が国の希望たる海底艦隊の総司令官であり……」

「及川閣下、よろしいでしょうか」

 肇は割り込んだ。このまま話されたら何を喋られるかわからない。

「自分に、自ら説明する機会をお与えください」

 白い礼装の下で大量に汗をかきながら、肇は立ち上がった。視界の隅で、陛下が頷くのが見て取れた。

「海底艦隊の石動肇であります。石動の頭文字、Iは、I資料、I計画、またはI機関という名前の方が馴染みがあるかもしれません」

 質問者の東条英機をはじめ、文部大臣、逓信大臣、商工大臣などが目を見開いた。聞いたことがあるのだろう。

「我々の目的は、日本の科学技術、生産技術を成長させ、盤石な国力を築くことでした。しかし、対外戦争の危険が高まるにつけ、国防に寄与しなければ国力は維持できないと考え、海底艦隊を創設するに至りました」

 礼装の内側は酷いことになっていたが、耐え忍ぶしかない。

「海底艦隊はその名の通り、陰に隠れる艦隊であります。その任務は、人知れず陰からこの国を守ることにあります。しかしながら、陸海軍と同じく陛下の統帥権の下にあることは変わりありません。以後、よろしくお願いします」

 一礼して、席に着く。首から上にあまり汗をかかないという体質に、今日ほど感謝したことはない。

 東条も他の参加者も納得したようには見えなかったが、陛下が大きく頷かれるのでそれ以上の疑義はなかった。会議はそのまま進められたが、内容は了から聞いていたものと大差なかった。満州や南方への進駐。

 ただし、肇は強調した。海外へ兵を送るときには、兵站、特に食料の供給が重要であると。これは問題なく採用された。国内、特に台湾での食糧生産は、I計画で大きく改善されていたからだ。

 こうして御前会議は終わった。

 あと三回もあるのかと思うと、肇は死にそうになった。


 その夏、満州と仏蘭西フランス印度支那(インドシナ)へ、日本は兵を送った。この時点で日米開戦は不可避のものとなっていた。


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


及川古志郎おいかわ こしろう

【実在】海軍大臣。


近衛文麿このえ ふみまろ

【実在】第38代内閣総理大臣。


東条英機とうじょう ひでき

【実在】陸軍大臣。

後に第39代内閣総理大臣となる。


次回 第二十八話 「激流と厳粛」


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