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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第一部
24/76

第二十四話 旅立と祖国

 石動光代は怒っていた。父親の肇が、誕生日をすっぽかしたせいだ。

 父親が留守の間に面倒を見てくれた千代子おばさんは大好きだが、光代の同級生のことは良く知らず、誕生会に招くなどの手配はできなかったのだ。満十歳の誕生会は、ささやかなものになってしまった。

 ちょうどそこへ肇が帰宅したものだから、光代の怒りが爆発。

「もう、お父さんのばか! 大嫌い!」

 顔中涙でぐしゃぐしゃにして、肇の胸を拳で叩く。いつもなら娘には弱い肇だったが、この時は違った。腰を落とし、娘と目線を合わせると、その肩に手を置いて言った。

「お父さんが悪かった。でも、お客さんが困っちゃうから、泣かないでおくれ」

「お客……さん?」

 開け放した玄関の外には、夕闇の中に数名の人影が居た。両親らしい男女と、三人の子供。そのうちの一番年長の男の子と目が合うと、光代は急に恥ずかしくなって父親の陰に隠れてしまった。


 少年は三つの名前を持っていた。一つは「丈夫な歯」を意味する部族内での呼び名。もう一つはそれを英語に翻訳した「ロバスト・ティース」という白人向けの名前。最後のが、自分と家族しか知らない真の名前、「ムラサメ・シュウ」だ。

 父親の祖国へ向かう旅は、驚異の連続だった。生れてはじめて車に乗り、夜通し走り続けて白人たちの街を抜け、生まれて初めて海を見た。その海に深夜、ボートで漕ぎだし、星空の洋上で家族でしか通じなかった父の母国語を話す男たちに出会い、鉄の魚の腹の中で一週間過ごした。そこから連れ出され、再び車に乗り、また大きな街を通ってここまで来た。

 違うのは、町にいるのは、みな自分と同じ肌の色で、部族のものと似通った顔立ちである点だった。白人はどこにも見当たらなかった。やはり、ここは父の祖国、日本なのだ。

 車を降り、連れて来られた家の中で、なぜか目の前で泣いている少女。初めて間近に見る、この国の同年代の子供だった。

 少女は泣き止み、真っ赤な顔で挨拶した。

「石動光代です」

 ぺこり、とお辞儀する。

 父が後ろから肩に手を置き、言った。

「お前も挨拶しなさい」

 母の顔を見上げると、頷いている。

 少年は少女に向かって名を告げた。自分の真の名前を。生れてはじめての事だった。

「村雨修です」


 帰りの航海の間、肇と草薙艦長は、村雨一家をどこにかくまうか話し合った。結局、普通の市井が一番良いだろうと言う事で、まずは石動の家に連れてくることになった。

 肇と光代、千代子に村雨家を加えて、その夜は宴となった。光代の誕生会と村雨家の歓迎を兼ねたものだ。千代子が用意した手料理だけでは足りないので、寿司などの店屋物が取られた。母親のエニも子供たちも、刺身や寿司など、魚を生で食べるのは生れてはじめてだった。

 肇は、エニの横顔が、亡き妻の由美によく似ていることに気づいた。「わだつみ」の艦内では、了が主に相手をしていたので、間近に見るのは初めてだった。肇の視線に気づいたのかエニは微笑んで会釈した。肇は何故かうろたえて、ぎくしゃくとおかしな会釈を返してしまった。

 光代は村雨家の子供たちとすぐに打ち解けた。特に、下の二人の妹とは、本当の姉妹のように一緒に遊んだ。だが長男の修とは、同い年でもあるせいか、若干照れがあるようだった。

 翌日、肇は村雨一家を近所に紹介した。「蒙古から帰国した学者一家」という触れ込みだった。これは、何の疑問もなく受け入れられた。そもそも、専門の学者でも無ければ、アリゾナと蒙古の違いすら分からないだろう。数日後、近所の空家に「村雨」の表札がかけられ、一家はそちらに移り住んだ。

 問題は子供たちの就学だった。戸籍などはすぐに手配されたが、学業の遅れはどうしても残る。どの子も日本語の日常会話は問題ないが、漢字など読み書きは十分ではなかった。

 そこで名乗り出たのが河合千代子だ。学校が終わった後、石動家に集まって読み書き計算などの勉強をするようになった。光代も、二人の妹たちアキとミドリの面倒をよく見た。

 そうして何週間か経った師走のころのこと、少し遅めの小春日和の日だった。

 書斎でいつものように仕事をしていると、縁側の方が賑やかになってきた。光代が学校から帰ってきて、村雨家の子供もやってきたらしい。障子を開けると、光代を挟んでアキとミドリと三人で並び、午後の陽ざしの中でおしゃべりをしていた。

 と、アキとミドリが肇には聞き取れない言葉を交わした。ナバホ語だろう。

 が、次の瞬間、肇は仰天した。光代が同じように聞き取れない言葉を発し、三人で笑い転げたのである。

「ちょ、ちょっと光代」

「なあに、お父さん」

「今の言葉、お前、わかったのか?」

 光代はキョトンとしている。

「アキちゃんとミドリちゃんが、お兄ちゃんのシュウちゃんがお母さんに叱られた話をしたの。だからお父さんが千代子さんに叱られた話をしたら、可笑しくて笑っちゃったの」

 最後の部分に関しては身に覚えのない肇だったが、問題はそこではない。

「ちょっと、出かけてくる」

 肇は家を飛び出すと、村雨家に走った。

 村雨恭二は、意外にも冷静に受け止めた。

「子供は最高の言語学者なんですよ」

 肇は食い下がった。

「いや……しかし、ヒトラーは何人もの言語学者を送り込み、ナバホ語を習わせようとしたそうですが、言語の余りの複雑さから失敗してると言う事ですよ」

 了による情報だ。それを察知して、米国は独逸向けにナバホ語のコードトーカーを使わず、対日本専用としたのだという。白人である独逸人が保留地に赴けば、さぞかし目立ったことだろう。村雨がすぐに溶け込んだのとは差が大きい。

 恭二は答えた。

「子供は言葉を覚える力に優れています。教えられなくても、自然に身に付くんです。そうでなければ、私たちは誰も言葉を操れるようにならなかったはずです」

 台所の方に手を振り、続けた。

「うちの家族でも、日本語を覚えるのは家内より子供らの方が早かったです。家内の両親は、とうとう覚えられませんでした」

 恭二の妻、エニがお茶を運んできました。なぜか、彼女がそばにいると肇の心臓は一割ほど活発になる。

「キヨジのナバホ語が、一番上達が遅かったわね」

 エニに言われて、恭二は苦笑した。

「まあ、そんなものですよ」

 ふと、肇は気づいた。

「じゃあ、もしあなたの代わりに日本人の子供を送り込んだら、すぐにナバホ語を覚えたんでしょうか?」

 恭二は頷いた。

「覚えたでしょうね。ただ、子供は忘れるのも早いので、向こうで大人になったら日本語を忘れているでしょう」

 そんなものなのか。

 村雨家を辞して帰宅すると、草薙が待っていた。

「艦長がこちらに来られるとは、珍しいですね」

 茶の間で向かい合う。千代子は子供たちに読み書きを教えているので、肇が茶を入れた。

「これはこれは、閣下自ら……」

「それはいいので」

 茶をすする。

「で、直接いらっしゃると言う事は、余程のことなんですか?」

 肇が水を向けると、草薙は答えた。

「はい。『わだつみ』が補足されました」

 今日、二つ目の衝撃だった。

「補足、というとつまり」

「ハワイ周辺で情報収集していたところ、複数の米軍艦艇に十数時間にわたり追跡されたのです」

 極めて静粛性の高い「わだつみ」が、追跡されるとは。

「詳しく聞かせてください」

 肇に促され、草薙は語りだした。


 村雨一家を日本へ連れ帰った後、「わだつみ」は当初の計画の通り、ハワイ近海に進出し、米軍艦艇の音紋収集と海底地形の測量を行う任務に就いた。これらは目前に迫った日米開戦のための準備である。

 大胆にも、真珠湾のすぐ外で出入りする艦艇を追尾する。そうして集めた音紋の相手を特定するため、何度か潜望鏡で相手の艦影を撮影する必要があった。撮影だけなので、潜望鏡を上げるのは一瞬である。すると、哨戒している艦の中に、妙な旧式艦がいることが分かった。

「チェスター級軽巡洋艦?」

 艦長草薙が訝しんだのも無理はない、艦齢三十年以上の老兵だ。それが目の前を、四本の煙突から石炭の黒い煙を吐きながら横切っていく。撮影した写真を現像して確認した。

 さらにその艦には、これもまた先の大戦の生き残りと思しき旧式駆逐艦が数隻、付き従っていた。

「まるで幽霊艦隊だな」

 草薙はつぶやいた。相手も「わだつみ」を海の幽霊、シーゴーストと呼んでいるので、お互いを幽霊呼ばわりしているわけだが、草薙には知る由もなかった。

「チェスター級、進路を変えました。こちらに向かってきます」

 聴音手の報告に、草薙は下令した。

「これ以上接近するのはまずいな。方位ヒトフタマル、深度ハチマル、速度両舷半速」

 南東に向かって距離を取るべく移動する。

 しばらくして再び報告が上がった。

「チェスター級、進路を変え増速してます」

「なに?」

 敵艦の最初の転進は、こちらの潜望鏡に気が付いた可能性がなくはない。白昼でもあり、目がよければ視認は可能だろう。しかし、二度目の転進は「わだつみ」のわずかな機関音を捉えたとしか考えられない。

「これが、石動閣下がおっしゃっていた米国の技術革新か」

 芹沢がI資料の一部を持ち出した結果、他の国でも技術が進み、特に音波探知機や電波探信儀の性能が上がることが懸念されていた。

 よかろう、相手が気づいてこその戦術だ。この機会に、あちらの手の内を明かして貰おうではないか。

「深度フタヨンマルまで潜れ。そのあと方位マルロクマルへ転進」


 芹沢の艦隊はハワイ近海で器材のテストをするだけの日々を送っていた。シーゴーストの気配は全くない。それも当然で、この時期は村雨恭二を回収するため「わだつみ」は西海岸にいたのである。日本からカリフォルニアの往復は、ハワイより遥かに北側の航路となる。

 だが、今月に入ってやっと、シーゴーストのかすかだが特徴的な音紋を捉えることに成功した。

「追尾しますか?」

 艦長の言葉に、芹沢は答えた。

「ロストしないギリギリでな。こちらが奴らに気づいていることを気づかせるのは、遅い方が良い」

 やがて、シーゴーストの行動にパターンが見えてきた。しばらく米国艦艇を追尾した後、接近して潜望鏡深度まで上がり、その後離脱している。これを繰り返しているようだ。

「音紋の収集だな。最後に潜望鏡で艦影を確認しているのだろう」

 シーゴーストの音紋は低く、何度もロストしかけては捉えなおすことが続いた。そして今日、シーゴーストは旗艦セーラムを追尾しだした。やがて間近に迫り、潜望鏡深度へ上がってきた。

「右舷、海面を監視!」

 艦長の指令が飛ぶ。すぐに甲板から声が上がった。

「潜望鏡、確認!」

 双眼鏡を持った監視員が指をさす。もう一人は望遠レンズを付けたカメラを構える。同時に、レーダーの画面にも小さなブリップが一瞬だけ閃いた。

「進路は?」

 芹沢の問いに、艦長は監視員を呼び寄せた。

「潜望鏡の航跡は右に流れてました」

 こちらに併走していたわけだ。距離は一マイルも離れていない。

「写真はどうだ?」

 芹沢は監視員に聞く。潜望鏡の写真が得られれば、シーゴーストの存在を証明できる。

「まだ現像中です」

 数分後、連絡があった。

「残念ながら、写ってません」

 一瞬だけ海面に出た潜望鏡は、さすがに揺れる船上から写真に撮るのは難しかったようだ。

「ソナー、奴はまだいるか?」

 芹沢の声に、ソナー員が答える。

「音紋は補足中」

 芹沢は艦長に向かって言った。

「奴を追う。今度はあからさまにな」

 艦長はにやりと笑うと発令した。


 それからの数時間、音がすべての両者の戦いは続いた。海底の地形をうまく使い、何度も「わだつみ」は芹沢艦隊をやり過ごした。しかし、こちらが動き出すと、じきに食いついてくる。

 警戒レベルが上がり、非番の左舷組も配置につき、御厨正人副長が発令上に入ってきた。福耳で微笑みを絶やさないため、乗員からは「大黒様」と呼ばれていた。

「奴ら、相当高性能の聴音器ソナーを持ってるぞ」

 草薙は御厨副長に告げた。

「確かに、これは厄介ですな」

 発令所の卓に広げられた海図に、こちらと相手の航跡が記載されている。今のところ、何度も敵艦隊に包囲されかけては、辛くも逃げおおせてはいる。

 しかし、包囲されかける頻度がだんだんと上がってきた。

「そろそろお開きとするか」

 草薙の言葉に副長が反応した。

「全速で振り切りますか?」

 相手は旧式艦だ。三十ノットを超す「わだつみ」の全速力には及ばない。

 しかし、草薙は首を振った。

「こちらの性能を知られるのは面白くない。あれを使おう」

「あれですか」

 副長が代わって命じた。

泡沫遮音膜マスカー、起動!」

 操作員が釦を押すと、「わだつみ」の胴体中央部をぐるりと取り巻く線上から、細かい空気の泡が噴出した。泡は艦の後ろ半分を膜状に多い、機関が発する音を吸収した。


「ロストです。敵艦の音紋、ロスト」

 芹沢は舌打ちした。

「ロストした時の状況は?」

「周波数など変化せず、その、ふわーっと消えました」

 ソナー員の返事に、芹沢は確認した。

「機関停止や増速して引き離されたのではなく?」

 速度が変われば、音紋の周波数も変わる。

「はい、単純に、音が溶けるように消えました」

 面白い。まるで忍者だな。

「セリザー閣下、いかがいたします?」

 艦長の問いに芹沢は答えた。

「追跡はここまでだ。通常任務に戻る」

 しかし、忍者は存在することがバレれば、本来の任務は全うできなくなるものなのだ。


「なるほど、泡沫遮音膜を使うところまで追い込まれましたか」

 肇はすっかり冷たくなった茶を飲みほした。

「効果は抜群なんですが、長時間使えないのが難点です」

 了の時代では「マスカー」と呼ばれた仕組みだった。使えるのはタンクに保存した圧縮空気が無くなるまでだが、使い切ってしまうと浮上できなくなる。空気を補充するには潜望鏡深度まで上がり、シュノーケルを使わなければならない。いずれにせよ、ここぞというときに使うべきもので、常用できるものではない。また、速度を上げ過ぎると泡の膜が薄くなってしまうため、使えるのは精々十ノットまでの低速に限られる。

「これからは、今まで見たいに傍若無人な音紋収集はできませんねぇ」

 肇の言葉に、草薙は答えた。

「まぁ、潜水艦乗りの本領発揮ですな」

 強がりではないことを祈る肇だった。


 その夜の定期連絡で、了は言った。

(艦隊を動かすとはな。芹沢の影響力は侮れない)

「しかし、泡沫遮音膜が役立ってくれて良かったですね」

 肇の言葉に、了は疑問を投げかけた。

(実戦ではどうだろう)

「まだ何か不安が?」

 しばらく沈黙したのち、了は言った。

(芹沢が開発したものが、水中聴音器ソナーだけのはずがない)

「他にも新兵器があると?」

(それが何か、全くの未知だ)

 再び沈黙したのち、了は告げた。

(芹沢に対しては、我々に先取点はない。むしろ彼の方が先に行っていると考えるべきだ)

 さらに了は続けた。

(もしもこの計画が失敗するとしたら、彼が原因であることは間違いはない)


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


村雨修むらさめ しゅう

村雨家の長男。光代と仲良くなる。


村雨アキ、ミドリ

村雨家の長女、次女。光代を姉のように慕う。


御厨正人

海底軍艦「わだつみ」の副長。

福耳と絶やさぬ微笑みで、あだ名は「大黒様」。


次回 第二十五話 「祖国と幻想」


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