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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第一部
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第二十二話 転進と献身

 肇が「わだつみ」に乗艦するときの最大の問題は、居室だった。

 自分としては一般の水兵のいる第三甲板の蚕棚寝台で十分なのだが、どうしても艦長の草薙が自室を譲ると言ってきかないのだ。その結果、艦長が隣の士官室を使い、その士官が第二甲板の下士官室に移り、下士官が一人第三甲板に移るという引っ越しの連鎖が起こる。

 本来は艦長室のはずの、艦内で最も広い個室に立ち、寝床の上に置かれた荷物をほどきながら、肇は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。せめてもの救いは、今回の試験航海が三日間と短期であることだろう。

 扉を叩く音。開くと、草薙艦長が着替えの入った籠を手に立っていた。

「どうですか、『わだつみ温泉』をご一緒に」

「ああ、いいですね」

 肇も準備をし、二人は艦尾へと向かった。

 「わだつみ温泉」は、原子炉の排熱を利用した大浴場だ。ラヂウム温泉にかけて、トリウム温泉とも呼ばれている。お湯自体は海水を蒸留して無尽蔵に得ているので、見た目だけでなく源泉かけ流しの温泉そのものだった。

 出港後すぐに左舷組と交替になったため、右舷組の先客が何人かいた。しかし、ここでは階級は関係ないとのことで、敬礼は無かった。草薙も部下たちへ気軽に声をかける。

 湯につかって落ち着くと、草薙がつぶやいた。

「いや、側面推進器のおかげで出港が楽になりました。これでもう、出入りのたびに神経をすり減らさずに済みます」

「出撃した時点で疲れ果ててちゃ、たまりませんからね」

 湯の中に手足を伸ばし、肇もくつろぐ。

「あとは高速時の性能と音ですねぇ」

 肇の言葉に艦長も同意した。こればかりは、実際に測定してみるしかない。

「それで草薙さん、例の新機能の方なんですが……」

 二人の話は延々と続き、肇はすっかり湯あたりしてしまった。


 第三曙丸は、外観こそ古ぼけた三十トンの小型漁船だったが、実際に漁をするわけではなかった。

 船長の秋津政義は夜明けとともに指定された海域に急いだが、網を下ろすわけでもなく、そこに留まっているだけだった。そんな様子が不審に思われたのか、沿岸警備の海防艦に目を点けられてしまった。

 ちなみに名称こそ海防艦だが、旧式化した軍艦なのでやたら大きい。特にこの艦は日露戦争で鹵獲したロシアの巡洋艦だった。石炭の黒煙を盛大に吐きながら、こちらにやって来る。

「どうした? 機関の故障か?」

 第三曙丸に舷側が接するばかりに寄せてきて、拡声器で話しかけてくる。

 秋津船長は声の限りに叫んだ。

「大丈夫です! 問題ありません!」

 逆効果だったようだ。海防艦は無理やり接舷してきた。遥か頭上の舷側から縄梯子が降ろされ、数名の臨検隊員が乗り込んできた。

「なんだこれは!?」

 船内に押し入った士官は目を剥いた。そこに設置されていたのは、漁船にあるまじき電子機器の山だった。

「貴様、何者だ!」

 隊員たちに取り巻かれて銃を突き付けられ、船長以下三人は両手を上げるしかなかった。問うまでもなく、スパイだと疑われている。

 やむを得ない。船長は告げた。

「胸ポケットに身分証がある。確認したまえ」

「なに!」

 士官は横柄な口調に激高しかけたが、気を取り直して船長の胸ポケットに手を入れた。取り出した身分証を見て、見る見るうちに青ざめる。

「失礼しました! 大佐殿!」

 直立不動で敬礼する上官を見て、銃を突き付けてた隊員たちも慌ててそれに倣う。

 秋津は身分証を受け取ると鷹揚に答礼し、士官に命じた。

「即刻、この海域から離脱するように。また、この船のことは記録に残さず、口外しないように」

 臨検隊が引上げ、海防艦が離れていくと、船長は船室の電子機器の電源を入れた。

水中聴音器ソナーを確認」

 部下の一人が答える。

「あのポンコツの機関音が煩くて、しばらく使い物になりません」

 仕方がない。新型磁気探知機のテストからやるべきか。

「『わだつみ』が来るまでに、いなくなってもらいたいものだな」

 改修の結果、「わだつみ」の音紋がどう変化したかを捉えるのが最重要任務なのだが。

 予定時刻はもうすぐだった。


 三日間の試験航海を終え、「わだつみ」は母港へ帰投した。その夜、倉庫に偽装した船渠に隣接する建物、海底艦隊司令本部にある会議室で、反省会が行われた。

 肇が発言する。

「課題だった低速時の運動性は劇的に向上しましたが、やはり問題は騒音ですね」

 技術士官の秋津政義が応じる。

「高速巡航中の騒音は二割増しとなりました」

 測定結果の資料をめくりながら続ける。

「付近にいた海防艦の出す騒音とも明確に区別できました」

 艦長の草薙が顔をしかめた。

「それはまずいな」

 秋津が頷いた。

「やはり、側面推進器に魚雷発射管のような扉を付けるしかないですね」

 秋津の提案に、肇は指摘した。

「艦首側は良いとして、問題は艦尾ですね。縦舵の幅に余裕がありませんから」

 秋津が答える。

「扉の厚みを水流に耐えうる限界まで薄くする方向で考えます」

 秋津は話題を変えた。

「それと新型磁気探知機ですが、『わだつみ』の場合、半径一海里以内が探知限界でした」

「意外に広いな」

 草薙が再び顔をしかめる。

「図体がでかいですからね」

 と、肇も苦い顔だ。磁気探知機は敵の潜水艦を探知するには役立つが、こちらが持つものはいずれ敵も持つ。

 秋津は一枚の図を取り出すと、黒板に貼った。

「対策は二つあります。このように、船渠を取り巻くように電磁コイルを配置し、艦全体が持っている磁場を中和する作業が一つ」

 了の歴史では、独逸の磁気感応機雷に悩まされた英国海軍が、第二次大戦中に発明する技術だ。

 もう一枚を貼る。

「さらに、艦内の各所に電磁石を配置して、局所的な磁場を中和します。これらの処置で、探知限界は半径数百メートルまで下がるはずです」

「ゼロにはならんか」

 草薙は不満げだった。秋津が答える。

「それは無理ですね。どうしても微弱な地磁気の乱れは生じますから」

 肇は草薙に言った。

「もうあれですね、敵艦の下を潜ってからかうのは禁止です」

 草薙は頷いたが、残念そうだった。


 アメリカ西海岸のサンディエゴは、メキシコとの国境に位置する海浜都市だ。カラリと晴れ渡った空の下、芹沢は秘書のジョージを伴って軍港へ向かった。

 港には大小さまざまな艦船が係留されている。芹沢に与えられた艦隊の艦艇は、その一角にあった。

「これはまた……年季が入ってますな」

 五隻の駆逐艦と一隻の軽巡洋艦が、芹沢の艦隊だった。どの艦も先の大戦を生き抜いた古強者で、本来ならスクラップにされるはずの艦齢だ。

「動けばいい」

 芹沢は気にしなかった。

「動くんですか?」

 ジョージは懐疑的だ。今時、煙突が四本とは。

 芹沢は旗艦となる軽巡セーラムに乗り込んだ。乗組員はさすがに若い。出迎えた艦長すら、この艦が進水した一九〇七年に生まれていたか怪しい。とはいえ、芹沢もそれほど年長でもないが。

「セリザー閣下、ようこそ我が艦へ」

 自分の名前がアメリカ風になるのにもすっかり慣れた。艦長の敬礼に答礼し、芹沢は問うた。

「装備の方は?」

「はい、この五か月の改装ですべて使用可能になっています。ただ、最終調整は洋上で行う必要がありますが」

 芹沢は頷いた。

「準備が整い次第、出航したい。いつごろ可能か?」

 艦長は微笑んだ。

「明日にでも。目的地は?」

「ハワイだ」

 自分がシーゴーストを送り出すとしたら、間違いなく米艦艇の音紋収集が目的だ。日本から最も近い米海軍の大拠点と言えば、ハワイの真珠湾。シーゴーストを狩るのなら、まずはそこを狙うべきだ。


 「わだつみ」の試験航海は三日間だったが、その後の対策会議で一泊し、肇は四日ぶりに自宅に戻った。もう日が暮れていた。

 玄関を開けると、中年の女性が出迎えた。

「お帰りなさい、肇さん」

「お世話になりました、千代子さん」

 河合千代子、山本五十六の愛人である。今年に入り、山本が三国同盟推進派に命を狙われると言われ始めてから、肇が出かけるときに、山本の代わりに娘の光代を預かってもらうようになったのだ。

「光代ちゃん、さっき寝ちゃいました」

 部屋を覗くと、あどけない寝顔があった。

「じゃあ、私はこれで」

「ありがとうございます」

 肇は玄関まで千代子を送った。車代を渡そうとすると、丁寧に固辞された。

「でも、山本閣下に申し訳ありません」

 それでも千代子は受け取らない。

「いいんですよ、兄さまのお気に入りの子なんだから、私にとっても子供みたいなものです」

 そう言って、千代子は帰って行った。毎回、この繰り返しだ。

 山本を兄と呼ぶのは、子を持てない立場という自覚があるのかもしれない。こればかりは、肇には分らない関係だ。

 とりあえず、着替えて横になる。そこへ、了からの定時連絡があった。

(肇、済まないが新聞を見てくれ)

 起き上がって茶の間に行き、ちゃぶ台に重なっている四日分の新聞を広げてみる。

「ついに始まりましたね」

 九月一日。肇が海底軍艦基地を訪れた日、独逸がポーランドに侵攻していた。三日には英仏が独逸に宣戦布告し、ここに第二次世界大戦が勃発した。八月二十三日に独ソ不可侵条約が結ばれ秒読み段階ではあったが、いざ始まると急転直下という感がある。

 日本はと言えば、不倶戴天と思われていた独ソが不可侵条約を結んだことで政治的混乱をきたしている。八月末に平沼内閣が「欧州情勢は複雑怪奇」と言って総辞職し、大戦不介入の方針を取る阿部内閣が発足した。しかし、英国とは天津事件、ソビエトとはノモンハン事件と問題を抱え、支那事変で険悪になった米国からは日米通商航海条約の破棄を通告されるなど、八方塞がりになりつつある。

(阿部内閣は年明けに潰れる)

 了の言葉に、肇は問うた。

「その次の内閣は?」

(米内光政海軍大将になる)

 前海軍大臣で、山本の盟友だ。

「素晴らしいじゃないですか」

 だが、了は否定的だった。

(米内内閣も来年の夏までだ。そのあと、近衛文麿が再登板する)

「あいつですか!」

 肇は鼻白んだ。二・ニ六事件で事態収拾すべく大命降下されながら逃げた男だ。ほとぼりが冷めた一年後、総理に就任すると支那事変の「事件不拡大」を唱えながら兵も予算もつぎ込むという出鱈目を行い、今日の窮状を作り出した張本人だ。

「こいつだけは許せません。潰せないんですか?」

(日米開戦には必要な男だ)

「そんな!」

 思わず叫んでしまい、はっと気づいて光代の様子を見に行く。幸い、起きなかったようだ。

(肇)

 了は静かに言った。

(海底艦隊は何のためか、何度も話した通りだ)

「原爆……核兵器のない世界ですよね」

 肇は力なく言った。

(そうだ。今、核兵器への最短距離にいるのはアメリカだ。それを潰すにはアメリカと戦うしかない)

「そうですけど……」

 二・二六事件のことが思い出される。高橋先生。由美。これからも、あのような防げるはずの悲劇を繰り返すことになるのか。

(日米開戦まであと二年。それですべての準備が整う。それまでの辛抱だ)

 光代の寝顔を見ながら、肇は反論を飲み下した。

 この子を不幸にしない。それこそが、肇のすべての望みだった。由美との約束だ。

 そのためにすべてを捧げると、誓ったはずだ。


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


秋津政義あきつ まさよし

海底艦隊の技術主任。漁船を改造した実験船、第三曙丸の船長も務める。

趣味は海釣り。


河合千代子かわい ちよこ

【実在】山本五十六の愛人。

本編では、留守がちな肇のために、娘の光代の面倒を見てくれている。


次回 第二十三話 「献身と旅立」


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