第二十一話 緊張と転進
(そうか、黒島亀人か)
脳内に響く了の声には、どことなく不満が感じられた。
「何か気に入らない点が?」
(個人的には、宇垣纒の方を評価している)
宇垣纒は、開戦の前に連合艦隊参謀長となる人物だという。現在は軍令部第部一長だが、異動すれば黒島首席参謀の上司に当たることになる。
肇は寝床で手足を大の字に伸ばした。隣では光代が寝息を立てている。蚊帳を二つ吊るのが面倒なので、夏になってからは布団を並べて寝ていた。
「その、宇垣さんにも接触すべきですか?」
(今はまだいい。参謀長になってからだ。今接触すると、山本から不興を買いかねない)
それでも、肇は気になった。
「黒島参謀に問題があるんですか?」
しばし、了は沈黙した。
(私の評価は公正とは言い難い。結果を知って評価するのは、後出しジャンケンと同じだ)
「でも、それこそが頼みの綱なんですよ」
肇は食い下がった。不安があるのなら知っておかなければ。
(黒島は対米戦争初期の作戦立案における功労者だ。しかし一旦負けが込むとパニックを来たし、崩れてしまった。その後の苦難の時に山本五十六を支えたのは宇垣だった。それまで散々、山本には冷遇されたのにも関わらず、だ)
人の関わりというのは分らない。
「俺だって……了、あなたが居なかったら、由美に出会えていたかどうか」
わが身に置き換えると、そう思わざるを得ない。
(私は、運命的な何かを信じざるを得ない)
意外なことを言う。
(これだけ科学技術を進歩させても、世界の趨勢に大きな変化はない。あたかも、運命としか言いようのない何者かが、些細な変化は飲み下してしまっているようだ)
言葉を続ける。
(私が介在しなくても、何らかの形で、君たちは出会っていたはずなのだ)
「それじゃ、この計画に意味はないのでは?」
敢えて、根本的な疑問をぶつけてみる。
(海底艦隊が牙を剥く、その時が歴史の転換点だ)
しばしの間をおいて、了は言った。
(その時初めて、私はこの時代の人たちを評価することが許される。今、それをやってはならない)
海底艦隊が牙を剥くとき、か。それでもし歴史が変わらなければ、どうしようもない。
隣で眠る光代の顔を見る。
この子が不幸になる未来など、来させてはならない。
芹沢の計画は、思わぬところでとん挫していた。海軍長官のクロード・スワンソンが、先月、急死したのだ。
ルーズベルト大統領が長官代行として指名したのはチャールズ・エジソン。かの発明王、トーマス・エジソンの息子だ。
「いかがいたしました、ボス?」
朝の執務室で、ニューヨークから秘書として同行してきているジョージが聞いてきた。芹沢は一枚の書類を手にしていた。眉間のしわがいつもより深い。
「新長官代行が、テスト艦隊の編成をキャンセルしてきた」
書類を卓上の既読と書かれた書類皿に放り込む。
「それはまた、なぜです?」
「名目は、アイオワ級戦艦の建造に予算を集中させるため、となっている」
手元のコーヒーを一口飲み、芹沢は顔をしかめた。
「熱いのを入れなおしましょう」
部屋の隅のコーヒーメーカーへ歩みながら、ジョージは言った。
「しかし、新兵器のテストは新造戦艦にも役立つはずです。単純に中止すれば良いというものではないでしょうに」
注ぎなおされたコーヒーを受け取り、芹沢は答えた。
「どうも、GEからのロビー活動が疑われるな」
ゼネラル・エレクトリックの起業者の一人はトーマス・エジソンであり、息子が無関係とは考えにくい。芹沢のJMは、そのGEのライバルだ。
芹沢はコーヒーを飲み終えると、立ち上がって上着を取った。
「出かける。車の用意を」
「どちらへですか?」
書類をいくつかブリーフケースに入れながら、芹沢は答えた。
「ワシントンだ」
ロビー活動は金脈と人脈だ。自分にはどちらも十分にある。
九月。肇は東海村の海底艦隊基地を訪れた。改装された「わだつみ」の試験航海に参加するためだ。
いつものように、工場の門では草薙が待っていた。工場の作業服を着た乗組員が、車を降りた肇の手から荷物を奪い取って走り去る。
「あー、またやられた」
「総司令に荷物運びなどさせられません」
「だから私は……」
いつもの繰り返しなので、切り上げることにした。
二人は敷地の奥、港のそばの倉庫風の建物に向かった。途中、訓練施設「すのまた」が収められている建屋の前を通りがかる。
「弐番艦の乗員の訓練は進んでいますかね」
「はい。今回の新装備は最初から搭載されるはずなので、すでにその訓練も盛り込まれています」
例の、低速時の操艦性能を上げるだけでなく、いくつかの新機能が今回盛り込まれた。それらの取り付けに関する検討にも、「すのまた」が役立った。
「その件で、こっちにしばらく缶詰になってましたっけ」
家を空けると光代の機嫌が悪くなるのが困る。もっとも、一晩たてばケロッとしているが。
草薙はにこやかに言った。
「いやぁ、あの時の会議は面白かったですね」
了の助言で、ブレーンストーミングというのを試したのだ。頭脳の嵐という名のごとく、全員で思いつく限りの案を出し、一切批判しない。批判されなければ一見すると馬鹿げた案も出しやすくなり、そのような中から名案が生れる。
頷くと、肇は言った。
「またいつかやりましょう。しかし、新機能追加の改修、こちらでできたのは助かりました」
大規模な改修になると、横浜船渠を使うしかない。しかし、そこは今、通常の船舶の修理などに使われていた。
「一応、水を抜いて乾船渠として使えますからね。船体が複殻構造なのも助かりました」
「わだつみ」の船体は内殻を外殻が覆っていて、その間は一メートル程の空間が開いている。通常は潜航浮上のために海水を出し入れするバラストタンクに使われるが、ここに様々な器材の追加が出来るのだ。
草薙が身分証明書を提示し、二人は倉庫にしか見えない建物へ入った。
船渠には漆黒の船体があった。
「こうしてみると、ほとんど外見は変わってませんね」
肇の言葉に、草薙は答えた。
「新設の推進器は喫水線の下ですからね」
二人は「わだつみ」に乗り込んだ。
「総司令、艦長、搭乗!」
甲板にいた下士官が叫ぶ。またもや肇は、ぎこちない答礼をする羽目になった。
さらに、司令塔の上に登ろうとして、草薙に止められる。
「閣下、今日は下です」
そうだった。この基地からは潜水しないと出航できなかった。そもそも、そのための新装備だ。
発令所に降りると、そこは出航準備で慌ただしかった。計器の数値を読み上げる声、各所の点検結果を報告する声。
やがて、草薙は甲板からの乗員の退避を命じた。
「水密扉確認。潜航を開始する」
「潜航開始、ようそろー」
バラストタンクのベント弁が開かれ、「わだつみ」は潜航を開始した。
「深度十で自動懸垂」
「深度十、自動懸垂ようそろー」
司令塔が船渠の海面から十メートル下がったところで、「わだつみ」は停止した。
草薙が肇に目配せする。肇は答えた。
「じゃあ、よろしくお願いします」
草薙は指示を出した。。
「右推進、三メートル」
「右三メートル、ようそろー」
舵手が復唱し、舵輪とは別に設置された左右のレバーを握った。それらを前に倒すと、やや大きな電動機の音が発令所の斜め下から聞こえた。艦首の下部を左右に貫通している管の中で、スクリューが回転しているのだ。同時に、艦尾の縦舵に開けられた穴の中でもスクリューが回っている。今回、新たに追加された側面推進器だ。
それらによって「わだつみ」は、停止したままゆっくりと右へ移動し始めた。やがてスクリューは止まり、若干逆回転したのち、三メートルの移動で止まった。船渠の壁までは一メートルもない。
「結構、音がしますね」
石動の言葉に、草薙も顔をしかめた。
「まぁ、作戦行動中は使わない方がよさそうです。出港・入港の時と、余程狭い場所をすり抜ける時だけですね」
続けて指示を出す。
「左推進、三メートル」
「左三メートル、ようそろー」
先ほどとは逆方向に移動し、船渠の中央に戻る。
「回頭、右三度」
「右三度、ようそろー」
今度は右のレバーを手前、左を前に倒す。艦首が左、艦尾が右に海水を押し出す。発令所の正面にある方位計がゆっくりと動き、値が三度増えて止まった。
やがて逆の指示が出て、方位計は元の値に戻った。
「上手くいきましたね」
肇の言葉に、草薙は満足げに頷くと発令した。
「開門。『わだつみ』、出港する」
船渠の水面下に設けられた扉が開き、「わだつみ」はその先の海へ続く短い海中トンネルを進みだした。
ワシントンでのロビー活動は一週間もかからなかった。芹沢が自ら行ったのは、海軍省の人間と二度ほど会食をしただけだった。あとは、しかるべき相手に金を掴ませれば事足りた。
帰りはチェサビークではなく、西海岸のサンディエゴ。そこでは芹沢の要求した艦隊が待っている。
車中で芹沢は忘れ物に気づいた。運転席のジョージに告げる。
「電話が使えるところがあったら降ろしてくれ」
さて、今度はアビーになんと言い訳すればいいだろう?
登場人物紹介
実在する人物には【実在】としています。
宇垣纒
【実在】軍令部第部一長、後に連合艦隊参謀長。
チャールズ・エジソン
【実在】海軍長官代行。
発明王、トーマス・エジソンの息子。政治家。
次回 第二十二話 「転進と献身」




