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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第一部
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第十八話 野望と希望

 石動光代は珍しく駄々をこねた。散々、父親の肇をてこずらせたが、ようやく一応納得してくれたようだ。それでも気持ちは収まらないらしく、不機嫌この上ない。

「二週間だけだから」

 肇の言葉を無視し、山本五十六の手を握り締め、そっぽをむく。その頬に秋の夕日が射す。

「このまんま、山本のおじちゃんちの子供になっちゃうもん」

「おやおや」

 肇はため息をついた。怒らせると長引くのは、母親の由美譲りかもしれない。

 山本はといえば、まんざらでもないのか笑っている。

「山本閣下、申し訳ありません」

 肇は深々と頭を下げた。

「問題ないよ。うちの子供らは四人兄弟だから、一人増えてもどうということはない」

 山本家の子供は二男二女で、皆、光代のことは末の妹のように可愛がってくれている。光代は、彼らの母親の礼子夫人にもよくなついていた。

「よろしくお願いします」

 何度も頭を下げ、肇は南青山の山本邸から迎えの車に乗り込んだ。夕空の下、向かうは三菱の横浜船渠。「わだつみ」が二週間の試験航海に出るのだ。

 秋の日没は早い。船渠に着いた時には、すっかり日は暮れていた。着替えなどの入った荷物を手に、船渠の上に張られた天幕の下に入ると、黒々とした船体が水面からその一部をあらわにしていた。潜水艦は吃水が深く、特に「わだつみ」はそのほとんどが水面下にある。

「石動閣下」

 背後から呼び止められ、肇は振り返り、答えた。

「閣下はご勘弁を。私は民間人ですから」

 「わだつみ」艦長の草薙哲也少将だった。三十代半ば、顎髭が特徴的だった。

「これだけのものを生み出しておいて、民間人では通りませんよ」

 にやり、と笑って草薙は肇の背中を叩いた。乗組員の一人が駆け寄り、肇の荷物を半ば強引に受け取ると、艦内に消える。

 潜水艦の艦長は、通常なら中佐クラスがその任に就く。しかし海底艦隊では艦長以下、全員階級が上へずれている。一番下の水兵も四等はおらず、二等水兵からである。極秘の存在である海底艦隊の将兵は、海軍の名簿にその名は無い。正確には死者として登録が抹消されており、そのため二階級特進となっていた。

 海底軍艦は、従来の潜水艦の常識を打ち破る存在だった。そのため、乗員は潜水艦乗りにこだわらず、了が提供した心理テストに基づいて選ばれた。艦内という閉鎖空間における長期間の共同生活への特性と、恐怖への耐性など、内容は多岐にわたった。

 最終的に百二十四名にまで絞り込まれた乗員は、昨年、練習艦の潜水艦に乗り込み訓練航海中、事故で全員死亡と言うことになった。実際には、別な場所に建造された「わだつみ」の実物大模型のある訓練基地へ送られ、今日までの一年間、訓練を行って来たのだった。

「楽しそうですね」

「もちろん。ようやく本物の彼女に会えたんですから」

 西洋では船を女性にたとえる。草薙が自分の指揮する艦を眺める目つきは、まさしく恋する男性のものだった。甲板へ渡る橋の上で、草薙は「わだつみ」の素晴らしさを延々と話し続けた。

「総司令、艦長、搭乗!」

 司令塔横の入り口の前で、士官の一人が号令をかけた。甲板で作業中の乗員が、一斉にこちらを向いて敬礼をした。思わず肇も、ぎくしゃくと答礼をする。

「あの、総司令って」

「あなた以外に誰が居ますか」

 草薙はにべもない。

「だから民間人ですって」

 呟きながら、肇は円柱状の昇降筒のハッチをくぐり、下へ降りようとして草薙に止められた。

「今日は上ですよ、閣下」

 草薙は、どうあっても閣下に仕立て上げるつもりらしかった。

 司令塔の頂上には操船指揮所がある。普通の艦艇では艦橋にあたるが、母港に出入りするとき以外は潜水し続けるこの艦では、大人が二人並んで立つのが精いっぱいの狭さだった。見た目も、司令塔の上部にあいた風呂桶サイズの穴でしかない。防水加工された有線式の通話装置以外、目立った設備もなかった。

 その通話装置のマイクを取ると、草薙は告げた。

「こちらは艦長である。本艦はこれより出航する。甲板の作業員は救命索をつなぎ、防護柵を撤去せよ」

 拡声器から声が響き、甲板上の動きが慌ただしくなった。皆、腰からの綱を引きずっている。その先端にはカラビナが付いており、甲板の中央に沿って張られた綱に通されていた。転落防止の救命索だ。彼らにより舷側に設置されていた防護柵が引き抜かれ、畳まれて格納されていく。一糸乱れぬ動きだった。まもなく、甲板上は何の突起物もないまっさらとなった。

「もやい綱ほどけ。舷側監視員以外は艦内配置へつけ」

 甲板中央の左右にあるハッチが、乗員を次々と飲み込んでいく。やがて、艦首寄りと艦尾寄りの二つを除き、全てのハッチが閉じられた。命綱をつけた監視員が四人、甲板の四方に立つ。

 草薙は通話装置を艦内向けの回線に切り替え、命令を下した。

「機関始動」

「機関始動、ようそろー」

 復唱が返ってくると、再び外部に切り替える。

「開門せよ」

 草薙の声が響くと、船渠の艦尾側の扉が、ゆっくりと開き始めた。真っ暗な海面に、遠くの街の明かりが揺らめいている。

 しばらくして艦内から報告が来た。

「炉心温度、六百度で安定」

 草薙は肇に向かって言った。

「いよいよです」

「よろしくお願いします」

 肇は頭を下げた。草薙がマイクに向かって発令する。

「出航する。両舷、微速反転」

 艦尾の左右にある巨大なスクリューが、ゆっくりと内向きに回転を始めた。巨艦はしずしずと出口に向かって後進していく。

「右舷艦首、接近」

 通話機から声が響いた。船渠の壁に近づきすぎたのだ。

「右舷、十分の一、減速」

 指示を伝える。以後、何度か左右の出力を調節し、漆黒の巨艦は夜の海上へ出た。吃水の深いこの艦のために、船渠の出口は浚渫して水深を増している。

「右舷停止、進路ヒトハチマルへ」

 左舷のスクリューに引かれ、ゆっくりと南へ回頭して艦体が海岸と平行になる。

「両舷停止。潜舵展開、潜航準備」

 甲板に残っていた乗員が艦内に戻り、ハッチが閉じられる。水面下の艦首の両舷から、引き込まれていた潜舵が展開しているはずだが、指揮所からは見えない。

「潜航開始、ベント開け。深度ヒトマル」

 両舷側からシューッという音がしてきた。バラストタンクの空気が抜かれ、「わだつみ」は潜航を開始した。

「さて、下へ行きますか」

 草薙に促され、肇は梯子を下りて行った。草薙は司令塔の横に下げられていた外板を引き上げ、身をかがめると操船指揮所の上にかぶせる。司令塔の頂部は何の凹凸もない滑らかな外見となった。その下で、草薙はハッチを閉じながら梯子を下る。やがて指揮所は海面に達し、海水が満たして行った。

 進水式の時と違い、発令所は様々な器材と乗員に満たされていた。潜航中を示す赤い照明に照らされた、いたるところにある計器、釦が並ぶ操作卓。発令所前部では、操舵手が大型飛行機の操縦桿のような舵を握っていた。

 艦長席で草薙が指示を出す。

「両舷微速。古東京川に沿い、外洋へ出る」

 氷河時代、東京湾は陸地で、古東京川と呼ばれる川が流れていた。水深が浅い湾内も、そこだけはこの巨艦が潜れるだけの深さがある。その先は外洋への出口である観音崎に続き、一気に水深が増して東京湾海底谷になだれ込んでいた。

 探針音で海底との距離を測りながら、「わだつみ」は古東京川に沿って潜航し、深度五百メートルを超える海底谷へ達した。流石にその底までは、この「わだつみ」でも潜れない。

「両舷半速、深度ヒトマルマル」

 かすかに聞こえる機関音がわずかに高まる。速度計が十五ノットを示したところで操舵手が操縦桿を前に倒すと、ぐっと艦首が沈み、「わだつみ」は海底谷の闇へと潜っていった。

「素晴らしい操艦です」

 肇の素直な感想だった。十五ノットとは今までの潜水艦の倍近い速度だが、全速の半分でしかない。巨体に関わらず、操艦性能も申し分なかった。

「ありがとうございます」

 艦長は答えた。

 やがて予定深度に達すると、艦は再び水平になった。艦長席の通話機を取り、草薙は艦内に放送した。

「現在、本艦は深度百メートルを潜航中。各員、漏水に注意して点検せよ」

 処女航海で恐ろしいのは、気づかれない欠陥による事故だ。潜水艦では、わずかな漏水も見逃せば致命的となりえる。

 やがて、各部所からの報告が寄せられてきた。バルブのゆるみによる漏水が何件かあったが、どれも十分に締めることで止まった。

「では、肝試しと行きますか」

 肇が頷くと、草薙は発令した。

「進路、機関そのまま、深度サンマルマル」

 再び艦首が沈みこむ。やがて、艦のあちこちから軋む音が聞こえてきた。高張力鋼の耐圧船殻が、増していく水圧に抗している音だ。

「この音だけは、いつまで経っても慣れませんなぁ」

 草薙の口元は微笑んではいたが、目は笑っていなかった。潜水艦の艦長を長年務めて来たが、圧潰への恐怖は消えない。

 やがて予定深度の三百メートルに達し、草薙は再び点検を命じた。問題なし。

 しばらくそのまま進むと、海底谷は開けて深く広い外洋へと達した。

「次は速力です。飛ばしますよ」

 肇に異論はなかった。草薙は通話機に向かって発令する。

「両舷全速」

 一瞬遅れて、身体がぐっと後ろに引かれる感触があった。肇は思わずよろめき、潜望鏡の円柱にもたれかかる形になった。船舶ではあり得ないほどの加速感だ。

 今更ながら、とんでもないものを作り上げてしまったと、肇は実感した。


 合衆国メリーランド州チェサビーク湾。ここにはアメリカ海軍研究所の施設があった。

 イヤホンを耳に当て、芹沢は目を閉じて聞こえてくる音に集中した。遠くから、悲しげな獣の遠吠えが聞こえてくる。

「これは……鯨ですか?」

 目を開くと、隣に座るソナー員は頷いて言った。

「次はこちらを」

 ソナー員がスイッチを切り替えると、別なテープが回りだした。今度は規則的に繰り返される音だった。蒸気機関車の走る音にも似ている。

「これが潜水艦です。我が軍のサーモン級」

 さらに切り替えると、三つめのテープが回る。

「こちらはもっと古いポーパス級」

「違いが分るのかね?」

「慣れですね」

 ソナー員は機械から吐き出されている幅広の紙テープを切り取った。さらに二枚に切り裂き、芹沢の前に並べる。そこには地震計のような波形が描かれていた。その何か所かを赤鉛筆で囲んで示す。

「このあたりで違いが分かります。最近では、個別の艦ごとの違いもわかってきました」

 芹沢は納得した。

 先日、新型ソナーの試験航海に出た駆逐艦が、大西洋から帰投してきた。そこで集めてきた音紋のサンプルが、何巻もの磁気テープに記録されてここにある。

「うちの技術部はいい仕事をしたようだ」

 ソナー員は笑顔で言った。

「もう、今までのソナーじゃやってられませんよ」

 そうだ。レーダーも通信機も、改良が進んでいる。JM社の製品がなければアメリカの軍事力が崩壊する。そこまで浸透していかなければならない。

 その上で、芹沢の野望は最終段階を迎えるはずだった。


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


草薙哲也くさなぎ てつや

階級は少将。海底軍艦「わだつみ」艦長。ベテランの潜水艦乗り。

顎髭が特徴。石動を崇拝している。


次回 第十九話 「希望と不安」


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