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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第一部
17/76

第十七話 技術と野望

 芹沢がニューヨークに居を構えてから六年が過ぎた。ロックフェラーセンターの一角を占める本社ビルからは、摩天楼が林立する夜景が一望できた。

 六年前に設立したジョン&ミハイルカンパニーは、そのあと何度も合併や買収を繰り返し、今やゼネラル・エレクトリックを凌ぐ大企業に急成長していた。ゼネラル・エレクトリックを買収しなかったのは、反トラスト法がうるさかったからに過ぎない。会社の略称であるJMは、今やアメリカ中の電化製品に刻印されている。

「まだお仕事ですの、ミハイル」

 妻のアビーが背後から抱きすくめてきた。昨年、二人は結婚した。祖父のジョン・ロックフェラーが死去する一か月前だった。

「今日はもう終りだ」

 答えると、芹沢はポケットから十セント硬貨を取り出した。

「あら。それもしかして、あの時の?」

「ああ。あの日、ジョンが手渡してくれたものだ」

 キャップト・バスト・ダイム。帽子を被った人物の胸像が描かれているため、そう呼ばれている硬貨だ。

「お爺様は、出会ったすべての人に、大人は十セント、子供には五セントの硬貨を与えていたの」

 くすり、とアビーは笑った。

「大富豪にも与えたことがあったわ。相手は大笑いしてたけど」

 ロックフェラーは一代で巨万の富を築き、ライバルを蹴落とし、晩年は慈善事業に財産を費やした。息をひきとった時、手元にはほとんど財産を残していなかった。大半は息子たちに生前贈与され、また慈善事業団体にも寄付されていた。

「私がジョンから受け取ったのは、この会社設立の際の資本金だけだった。その後、彼は経営にも口を出さず、私の自由にさせてくれた。これもまた、慈善事業の一環だったのだろう」

 資本金はそのまま銀行口座に納めてあり、会社の運営資金はそれを担保に融資を受けた。

「だから、この十セントだけが、私個人が彼からもらった物のすべてだ」

 アビーが言葉を絡めた。

「もっと素敵なものを貰ってるでしょう?」

 芹沢は答えた。

「もちろんさ、アビー」

 冷徹な事業家と慈善事業家。ロックフェラーは二つの顔を持っていた。人は金銭で物欲を満たすだけでは満足できず、常に他者から認められることを渇望する。慈善事業に入れ込んだ彼のように。ならば、最初から努力や成果が尊敬へとつながる仕組みがあればいい。富など、不完全な仕組みに過ぎない。

 窓から見える光と闇を見つめると、あの言葉が口を突いて出た。

「貧困も格差もない世界を」

 節子の願いは、今でもまだ芹沢の胸中で鳴り響いていた。

「今のは、誰の言葉?」

 妻の問いかけに、芹沢は目を閉じた。

「名もない女性さ。彼女の望みの全てだった」

「恋人だったの?」

 夫の前に回り込み、悪戯っぽく笑うと、人差し指を胸元に突きつける。

「彼女は、貧困の中で死んだ。もう十年になる」

「今でも愛している?」

 芹沢は目を開き、アビーを見つめた。

「彼女は、私を導く女神だ」

 妻を抱き寄せ、口づけする。

「今、愛しているのは君だよ」

 そう言いながらも、芹沢の眼は窓の外の深い闇を見据えていた。


 翌日、芹沢はワシントンD.C.の合衆国海軍省にいた。国内の電子機器トップメーカーであるJM社に、技術協力の依頼があったからだ。

 しかし、実際には芹沢が仕掛けたロビー活動の成果だった。不完全な仕組みであっても、富は力だ。引退した政治家に金を掴ませれば、この国では政治も軍も思い通りに動かせる。

「一昨年のラインラント進駐以降、まだ表立った動きはありませんが、ナチスによるドイツ国防軍支配は既に確立されています」

 照明を落とした室内で、スライドを見せながら情報将校が淡々と説明する。

「ナチスの冒険的外交政策は国防軍の重鎮によって抑制されてきましたが、今年初めにあったブロンベルグとフリッチュ両将軍の失脚によって状況は大きく変わっています」

 画面には二人の軍人の顔が映し出された。両者は女性問題や同性愛のスキャンダルをナチスにより捏造され、社会的に抹殺されたという。

「これにより、ナチスが領土的野心をむき出しにするのは時間の問題と言えるでしょう。すでにオーストリアへの軍事的圧力は始まっており、来月にはドイツ軍の進駐が計画されている模様です」

 画面はドイツを中心としたヨーロッパの地図に切り替わった。

「イギリスをはじめ各国との緊張も高まっており、まさに一触即発と言えます」

 スライドは終わり、部屋は明るくなった。

 海軍長官クロード・スワンソンが問う。

「我が国への影響は、どう考えられる?」

 情報将校が答えた。

「イギリスとの戦争となれば、先の大戦の例から見て、我が国からの商船がドイツ潜水艦による通商破壊に合うことは避けられません。ゆえに、わが海軍の対潜戦闘力の早急な強化が望まれます」

 芹沢が口を開いた。

「なるほど、そこでわが社にお声が掛かったわけですね」

 逆だった。今までの報告こそが、芹沢が情報部に作らせたものだ。

「弊社の音響機器の開発技術を転用すれば、潜水艦を探知するソナーなどの大幅な能力向上に貢献できるでしょう」

 特に潜水艦の発する音を捉える水中聴音器ソナーは、芹沢が実用化したトランジスタによって小型化と高性能化が見込める。その他、通信システムやレーダーなど、応用範囲は極めて広い。

 軍産複合体。軍事産業に食い込むことで、軍に対しての影響力を得る。

 芹沢の野望の第二段階である。


 翌月、芹沢はJM社に新たな部門を設立した。軍事部門である。電子機器メーカーである利点を活かし、軍事情報・通信関連の兵器開発に取り組む。役員会での社長の提案は、満場一致で採択された。

 研究開発チームが組まれ、まずはソナーの改良がテーマとなった。単に海中の音を拾うだけではなく、それをテーブに録音してライブラリ化し、ソナー員の教育に役立てた。また、テレビ受像機から発展したオシロスコープの開発も始まった。捉えた音を波形として表示し、視覚的に解析できるようにするのだ。

 半年後、改良ソナーのプロトタイプが完成し、駆逐艦に装備され性能評価が始まった。


 その頃、日本では「わだつみ」の艤装が完成し、試験航海が行われていた。


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


クロード・スワンソン

【実在】海軍長官


次回 第十八話 「野望と希望」


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