第十六話 人と技術
梯子で降り立った場所は、「わだつみ」の発令所だった。四方の壁はそのまま湾曲して天井につながっている。ここは独立した俵型の耐圧船殻で、左右に分かれた円筒状の船殻の前に置かれている。
途中まで下りた光代は、肇に抱き下ろしてもらうと、周りを見回して呟いた。
「何にもないのね」
発令所の中は壁も天井もむき出しで、本来なら設置されるはずの機器などは、電線と取り付けの金具やネジ穴があるだけだった。照明も、そこここにかけられた裸電球だ。作業中に物をぶつけて割らないように、鳥籠のような覆いがかけられてはいる。
「進水したばかりだからね。進水式は、家にたとえれば棟上げ式みたいなもので、内装はこれからさ」
「ふーん」
二人が立っている場所は艦長の席で、周囲よりも一段高くなっており、手すりに囲まれていた。そのため、長身な肇は頭が天井に届きそうだった。天井などに機器が設置されたら、頭をぶつけかねない。
山本五十六と平賀譲も降りてきた。艦尾側には一抱えほどの円柱が天井から床まで貫いている。光代が指さした。
「これは?」
「潜望鏡だよ。動くかな?」
肇は円柱に埋め込まれた釦を押した。円柱がするすると床に飲み込まれていき、その内側にあったやや細い円柱が上に流れ、一番下の覗き窓が大人の目の高さに来た。左右の畳まれたハンドルを広げると、肇は覗き窓に目を当てた。接眼鏡には、日本光学と刻印がある。
「お、見える見える」
「見せて見せて」
肇は光代の顔の高さまで潜望鏡の覗き窓を引き下げた。
「あ、見えた!」
双眼鏡のように、艦の周囲が見て取れた。
「閣下もいかがですか?」
肇は山本にも勧めた。
「おじちゃん、どうぞ」
光代が場所を譲ると、山本は愛想を崩す。
「ありがとう」
山本は空母など水上艦の艦長は経験したが、潜水艦に乗るのは初めてだった。潜望鏡の高さを調節して覗いてみると、ハンドルにあるレバーに気が付いた。上に押すと視野が拡大する。船渠の向こう側にいる作業員の顔まではっきりと見えた。
「ふむ、なかなか面白いな」
山本が離れると、肇はハンドルを畳んだ。さっきとは逆に、潜望鏡は床に沈み、覆いの円柱がせりあがって天井に接した。
「ほとんど使う機会はないはずですが、やはり潜水艦乗りにとっては、無いと落ち着かないようです」
肇の言葉に、そんなものかと山本はつぶやいた。
「こちらへ。魚雷発射室です。足元と頭上にご注意を」
平賀は発令所の後部右舷側にある水密扉へ一同をいざなった。直径一メートルほどのハッチで、同じ扉が反対側にもあるようだ。
「艦内の船殻は、どれも三層に分かれています。今いるのが第一甲板、その下に第二、第三とあります」
扉をくぐると、かなり広い部屋に出た。壁には「右舷第一魚雷発射室」と銘が書かれている。
「両舷に第一から第三まで魚雷発射室があります。合計、六門の発射管となります」
前後の奥行きは十メートル以上あるだろう。床にはまだ何も置かれていないが、低い天井にはレールが何本も左右方向に敷かれ、そこから魚雷を吊り下げる器具が下りている。その器具の長さが部屋いっぱい、十メートル近くあるのを見て、山本が言った。
「長魚雷か」
艦首側を振り返り、右舷よりにある魚雷発射管の内蓋の径を見た。
「しかも、六十一センチ径」
潜水艦が搭載する魚雷は五十三センチ径が主だ。端数が出るのは、米英のインチから換算しているため。六十一センチ径は巡洋艦クラス以上が搭載する。その分、破壊力は増すし、射程は最大で二十海里以上、四十キロにもなる。
肇は微笑んだ。
「さすがは山本閣下」
だが、山本は腕を組んで俯き考え込んだ。
「しかし、潜水艦で長射程の魚雷を放っても、命中は見込めないだろう。潜望鏡だって、精々数海里しか見えないはずだし」
「潜望鏡は使いません。おおよその方向があっていれば十分です。なにしろ、この艦に搭載する魚雷は自動追尾式ですから」
肇の言葉に、山本は目を上げた。
「自動追尾? そんなものが」
「既に完成しています。試験では九割以上命中です」
山本は絶句した。部屋を見回す。ここだけで十本は並ぶだろうから、合計で六十発以上の搭載量になるはずだ。この艦一隻で、連合艦隊を壊滅させられる。
「ねぇ、お父さん。あそこからも魚雷を打つの?」
光代が天井を指さして聞いた。天井には、艦尾に向かって斜め上に向けたハッチがあった。
肇が答える。
「ああ、あれは魚雷の搬入口だよ。甲板からあそこに魚雷を差し込んで、この部屋に並べるんだ」
「へぇ、そうなんだ。打つ方から入れるんじゃないんだ」
光代も腕組みをして、うんうんと頷いて見せた。そんな光代に微笑む平賀が、皆に声をかけた。
「よろしければこちらへ。居住区画です」
平賀の先導で再び水密扉をくぐると、両側に扉が並ぶ狭い通路に出た。
「ここは、艦長および士官クラスの個室となります」
日頃、潜水艦の居住性の悪さを聞いていたので、山本は少々驚いた。一番手前の扉を開くと、船殻に沿って壁は湾曲していたが、作り付けの寝床と文机のある洋間があった。艦長室なのだろう、軍艦にしては高級感があった。
扉を閉めて艦尾方向をみると、そちらに並ぶ扉はやや間隔が狭まっている。
「士官も個室を持つのか」
「下士官もです。この下の第二甲板です。水兵も第三甲板に、寝床に毛が生えた程度ですが、自分だけの居場所が与えられます」
平賀の説明に続けて、肇が説明した。
「先ほど話しましたように、この艦はひとたび出航すると何か月も浮上しません。それくらいないとやっていけません」
「乗組員は何名?」
山本の質問に肇が答える。
「艦長以下、士官は八名。下士官は十六名、水兵は九十六名。これが両舷の二組に分かれ、十二時間交代で勤務します」
合計百二十名か。二万トン級の軍艦にしては極めて少ない。大幅な自動化ができているのか。
通路を奥へ進み、三つめの水密扉をくぐる。そこは広々とした部屋で、さまざまな運動器具が設置されていた。
「欲求不満の解消には、体を動かすのが一番ですからね」
肇の言葉に山本は首を振りつつ言うしかなかった。
「いや、驚いたな。潜水艦に体育館とは」
「もっとも、作戦中に怪我人などが出れば、ここは手術もできる医務室になりますがね」
肇は、壁に沿って並ぶ棚に手を振った。ここには医薬品や治療器具が収納されるという。また運動器具の一部はそのまま手術台にもなる。
「この奥には大浴場があります。汗を流せるように」
光代の眼が輝いた。
「お風呂? 見たい!」
一同は奥の最後の水密扉を潜った。通路の手前の扉には「わだつみ温泉」という看板がかかっていた。光代が扉を開くとそこは脱衣所で、奥の開いた引き戸の向こうには大きな浴槽があった。当然だが、湯は張られていない。
「ねぇ、女湯は?」
肇は吹き出しそうになったが、こらえた。
「この船に乗るのは軍人さんだから、男ばかりなんだ」
「えー」
「なんだ、乗りたかったのか?」
「うん」
「それにはまず、大人にならないとな」
「ちぇーっ」
山本が聞いた。
「他にも娯楽施設が?」
「はい、小さいですが、左舷側に映写室と図書館があります。あと、大浴場の代わりに菜園があります」
「菜園?」
「長期の航海では新鮮な野菜が不足しますから、水耕栽培を行います。照明の電気は有り余ってますし」
肇が答えると、山本は言った。
「至れり尽くせりだな」
平賀が言った。
「この奥が原子炉区画で、その向こうが機関区です」
「しかし、妙な位置に風呂があるな」
山本の呟きにに肇が答えた。
「原子炉の排熱で湯を沸かすので」
肇の言葉に山本は頷いた。
「原子炉を見たいんだが」
山本の言葉に、肇は答えた。
「一応、最高機密なんですが。まぁ、お見せしましょう」
通路の奥に、下の甲板に降りる梯子段があった。肇に続いて光代が降り、山本、平賀の順で一層下の第二甲板まで降りる。梯子段のすぐ横に入り口があった。
「ここが原子炉制御室です」
「わあすごい、これ潜水服?」
部屋の奥に吊るされている、全身を覆う服を見て光代が言った。肇が説明する。
「あれは耐熱服です。この向こうの原子炉区画は、原子燃料を入れると五百度になるので、これを着て行かないと蒸し焼きになってしまいます」
服は石綿製で、水の流れる細い管の通った下着を着てから装着するという。水を循環させて冷却するわけだ。そのホースは肩口に装着する。
「今は平温で原子燃料も入ってませんから、そのままどうぞ」
肇は分厚い耐熱扉を開いた。奥にもう一つ扉がある。一同は両方をくぐって原子炉区画へ入った。
そこには金属製のタンクがいくつか、配管でつながれて置かれていた。さぞや複雑な機器が並んでいるのだろうと思っていたので、山本は拍子抜けした。
「このずんぐりした大きな容器が炉心、奥の縦長の装置は熱交換器、反対側の小さな奴が、キセノンタンクです。キセノンと言うのは原子炉内で発生するガスで、核反応を邪魔するので除去してここに溜めます。」
肇は説明した。
「炉心の中で核分裂反応を起こした燃料は、八百℃の高温になってあちらの熱交換器に行きます。そこで冷却剤を加熱し、この冷却剤が奥の隔壁を通って蒸気発生器で水蒸気を作ります。この水蒸気が蒸気タービンを回し、発電を行います。その電気で、艦尾のスクリューを回すわけです」
山本は質問した。
「タービンで直接スクリューを回さないわけは?」
通常の水上艦ではそうしている。
「良い質問です。理由は三つあります」
肇は微笑んだ。
「まず一つ目。タービンで直にスクリューを回すのでは、片方の原子炉が止まると片肺運転になってしまいます。電力なら、電線で結べば両方を回せます」
山本は艦尾に見えた巨大なスクリューを思い出した。なるほど、あれが片肺になれば、バランスが崩れてしまうだろう。
「二つ目、前進・後退の切り替えなど、スイッチ一つで機敏な操艦が可能になります」
巨艦の操艦が大変だということは、山本にも痛いほどわかる。
「三つ目、これが一番大きいんですが、静かだということ。タービンよりスクリューの方が回転数が少ないので、歯車で減速する必要があります。これがうるさいんですね」
山本は頷いた。納得がいったようだ。
「この原子炉の出力は?」
「一基当たり、発電量なら二万三千キロワット。町が一つ賄えます」
ほう、と山本はため息をついた。だがこれは、初号機炉で既に実現している実績である。
「軸馬力なら、両舷合わせて六万馬力になります。速力三十ノット」
肇はにこやかに笑った。
「一週間足らずで太平洋を横断できます」
後部の昇降ハッチから甲板に昇り、山本は数十メートル先にそびえる司令塔を見上げた。
一撃で一艦隊を屠る力を秘め、太平洋を数日で一跨ぎする。とてつもない海の魔神が、彼の足の下で生まれようとしている。
「参ったな。ますます海軍を辞められなくなった」
そう呟きながらも、山本の口元には笑みが浮かんでいた。
次回 第十七話 「技術と野望」




