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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第一部
10/76

第十話 租界の闇

「上海ですか」

 高橋是清蔵相の言葉に、肇はオウム返しとなった。

「いや、全く申し訳ない」

 そう言って頭を下げられて、ますます恐縮する肇だった。赤坂御所の向かいにある高橋邸の応接間からは、庭に咲く紫陽花がそぼ降る雨に映えた。昭和十年六月のことである。何度か訪ねたことはあったが、高橋翁の方から呼び出されたのは、初めてのことだった。

「本来なら私の部下を向かわせるべきなのだが、残念ながら経世済民けいせいさいみんを君以上に理解している者がおらんのでな」

 経世済民とは「経済」という言葉の元になった考えで、「世をおさめて民をすくう」という意味だった。政治も経済も国民のためにあるべき、という高橋翁の自論である。

「そんな……大蔵省の官僚といえば、帝大を首席クラスで卒業した英才ぞろいではありませんか」

 肇の抗弁に、財相は顎鬚をしごいて渋面となった。

「残念ながら、大学の教科に経世済民は無いようでのぅ。あるのは学問としての経済学だけじゃ」

「いやしかし……」

 なおも固辞しようとする肇に、蔵相はなんと両手を合わせて拝み倒した。

「この通りじゃ。君なら今、日本がどんな状況か分るじゃろう」

 ぐっと詰まる肇だった。そう、日本は今、他ならぬ高橋蔵相の積極財政政策により、世界恐慌からいち早く脱したところだった。既に物価も賃金も上昇し始め、いささか過熱気味となりつつある。

「確かに、物価が上昇し始めた以上、積極財政で消費を増やすことは控え、むしろ財政の引き締めが必要になります」

 肇の言葉に、高橋翁は我が意を得たりと頷いた。

「そうじゃ。不景気と好景気では政策の舵取りが変わる。学問として経済を学んだだけの者には、この点がどうしても分らんらしい」

 腕組みして言葉を続ける。

「要するに、今この時に国債を発行してまで円借款を行うべきかどうか、と言うことなんじゃよ」

 円借款を求めているのは、国民党による中華民国政府。ありていに言えば、それを牛耳る英国資本である。

 世界の大半の国と同様、中華民国全土は未だに世界恐慌の影響下にあった。庶民が貧困に喘いでいるからこそ、物が売れず、売り上げが落ち。貧困が蔓延する。これ以上ないと言える、悪循環である。英国資本は中華民国に多大な投資を行っており、それが回収できないまま経済破綻の危機に陥っていた。

 これを打破するには、まさに高橋翁が行ったような積極財政こそが必要。特に、鉄道などの経済基盤の整備に重きを置くべきであった。かつて、高橋蔵相によって日本が進んだ道である。その日本の影響下にある満州国など、ほとんどゼロから国の基盤を築いている真っ最中で、こちらも著しい経済発展を遂げていた。同じ清帝国から生まれた中華民国とは好対照と言えよう。

「この円借款で行われるという、英支鉄道の建設計画をはじめとした各施策、それらが支邦の発展と安定に、ひいては日本の国益に寄与するならば良し。そうならないなら、日本は関与すべきでない。と言うことですね」

 肇の言葉に、高橋翁は破顔して頷いた。

「儂も、日露戦争の軍資金を出してもらった手前、英国資本を無下にするわけにもいかんでな」

 肇が断ることは、既に不可能だった。

 その夜、定時連絡で了は言った。

(高橋翁のたっての頼みでは断れんな)

「この計画の資金の元手を、予算としてもらいましたからね」

 世界恐慌時の積極財政策の一つとして、科学技術振興助成金を国家予算として組み、これを管理運営する財団が作られた。名前は「東亜財団」とされた。I資料を開示した各社にはここから研究費が交付され、かわりに製品化されて得た利潤の一部を寄付してもらう。結果、経済発展に伴い、財団の基金は大きく膨らんだ。

 肇は一応、その理事長ということになっているが、運営そのものは他の理事に任せきりだった。そして会長は高橋翁にお願いしている。しかし、財団そのものも軍事機密の研究に関わるため、その内容は国家機密となっていた。

(確かに、支那の安定は必要だ。特に、日本軍部の対応を考えると)

 了の言葉に、肇は頷いた。

「やはり、そこですか」

 今年に入ってから、支那での反日活動が目立ってきている。年初には上海にて日本人水兵狙撃事件が起きており、その背後には中国共産党の関与が見えている。これが日本軍部の「中国許すまじ」の動きに火を注ぎ、物価高騰を防ぎたい高橋蔵相の緊縮政策とぶつかっていた。

「支那でも国内でも、軋轢が収まる方向に進めばいいですね」

 了が頷くのが感じられたが、返事は意外だった。

(君が抗日活動の標的になっては困る。護衛と案内が必要だな)


 上海は、日本の鹿児島とほぼ同じ緯度にあり、六月は雨の季節だった。しかし、晴れ間が覗くと南国の太陽が照り付け、肌を焼く。石動が船から降り立ったのは、まさにそうした時だった。

「石動肇さま、こちらです」

 サングラスを掛けた男がこちらに手を振った。歳の頃は三十代半ば、良く日焼けしている。了が手配したと言う案内役だろう。肇が歩み寄ると、男は名乗った。

「私のことは冴木とお呼びください」

 と言うことは、本名ではないわけだ。了とは脳味噌の中身を共有しているに近いのに、何やら隠し立てされているようで、肇は訝しんだ。

「怪訝に思われるのも当然です」

 波止場に停めてある車へといざないながら、冴木は語った。

「私はI機関という組織の物です。石動了さまが八年前に作られました」

 肇が了に見出された年、I計画が始まった年だ。了に体を明け渡して文部省に通うなどしている間のことなのだろう。

 次の定時連絡では、色々質問しなければ。

 肇が考え込んでいるうちに、車は上海市内へと走りだした。

 上海市は、阿片戦争の終結によって開港され、英仏の租界として発展した。後に、日本や米国も租界を開き、列強各国がせめぎ合う国際都市となっている。特に英仏の租界のある黄浦江沿岸地帯の外灘バンドは瀟洒な洋館が立ち並んでおり、「東洋のパリ」と呼ばれていた。

「こうして見ると、上海の経済は順調に見えるんですが」

 車窓からの眺めに肇が呟くと、冴木は答えた。

「あくまでも表面的なものです。一枚皮の下はこうですから」

 ハンドルを切り、路地へ入る。たった一区画隔てただけで、景色が一変した。

 華やかな近代都市のすぐ裏側には、バラックとも言えそうな粗末な建物が立ち並んでいた。行き交う人々の服装が簡素なのは、暑い季節なだけではなさそうだった。

「租界に住む外国人は裕福でも、現地の者にその富はしたたり落ちてこないのです」

 デフレーションという不況は、この貧富の差が激しくなる。物価が下がれば、同じ資金でより多くが買える。つまり、資金の価値が上がるわけだ。言い換えると、より少ない資金を使うだけで用が足りる。一方で、貧困層はそもそも資金がなく、同じものを売っても儲けが減り続ける。

 肇は呟いた。

「つい何年か前の日本もデフレでしたが、ここまでの差は出てませんでしたね」

 日本に高橋是清がいたことが、どれだけ幸運だったことか。

「しかし、英国資本も日本と同じ施策を取れたはずでしょうに」

 肇の言葉に、冴木の表情は曇った。

「始まりが阿片戦争でしたからね」

 英国の商人が清朝に取り入り輸出したのが、英領バルチスタン(了の時代のアフガニスタン)で産する阿片だった。これによって英国資本は肥え太り、支那の経済は痩せ細った。それに抵抗した清朝と交戦となったのが阿片戦争。これに勝利したことで、英国は莫大な賠償金と上海の租界、そして香港を手に入れ、清朝を倒した国民党の中華民国をも支配下に置いた。

 この時に作られた銀行がHSBC、香港上海銀行である。了の時代でも国際金融機関の一翼を担う巨大銀行だったと言う。

「つまり、英国資本は中華民国の国益になっていないと?」

 冴木は苦笑いした。

「何を国益と考えるか、ですね」

 日本のように、経世済民、自国の庶民を富ませると言うことならともかく、国民党による支配を確立すると言う意味なら、英国資本と癒着することが国益となる。

 冴木は続けた。

「現在の反日運動も、共産党だけでなく国民党政府の宣伝が大きく影響しています」

 その点が肇には納得できない所だった。

「そもそも、国民党の辛亥革命は、日本も支援していたのでは?」

 中華民国の初代大統領の孫文は、日本に亡命し、日本を拠点として活動を開始した。亡命時の屋敷を斡旋したのは、後に総理となる犬養毅であり、資金面でも日本の知識人などから多くの援助を受けていた。

「英国資本にしてみれば、日本には恨み骨髄ですからね」

 デフレの一番の原因は、阿片の売れ行きが激減したことにあるという。日本政府が、支配下に置いた満州や台湾での阿片売買を原則禁止し、免許制にしたのと、免許を与えたものに配布する阿片を国産化したことが大きかったらしい。後藤新平による「漸禁説」という政策だった。免許を追加交付しないことで、免許者が老齢で他界するとともに、阿片の需要は自然に消滅していった。

「……随分な言いがかりですね」

 英国資本の代表と会談する前に、肇の中では疑問点が沸きだしていた。

 だが、冴木は意外なことを語った。

「しかし、英国資本が無ければ、明治維新も起こりませんでしたから」

「……どういうことです?」

 呆然とする肇。冴木は続けた。

「維新の志士たちを経済的に支えたのは、英国資本です。先の香港上海銀行など、日本の銀行制度の手本にもなりましたし」

 そうなると、阿片の一件はさしずめ、飼い犬に手を噛まれたに等しいのだろう。


 その日は上海の市内を冴木と回り、夕方、再び外灘に戻ってきた。

「あれが、サッスーン・ハウスです」

 横長の建屋の正面側に特徴的な尖った三角屋根を持つ十階建ての建物が、夕日の中に照り輝いていた。

「十階はサッスーン財閥の頭首、ビクター・サッスーン卿の住居となってます」

 サッスーン財閥は、今回の会談相手である英国資本の代表だった。

「前から聞こうと思ってたのですが」

 肇は問うた。

「英国人のラストネームとしては、珍しい響きですね、サッスーンとは」

「彼はセファルディム、中東系のユダヤ人です」

 欧州へ渡ったアシュケナジムに対する、もう一つの大きなユダヤ勢力だと言う。サッスーンの一族は、中東からインドに移り住み、財力を基にイギリス社会に食い込んで行ったのだった。それに合わせて子供たちのファーストネームは英国風に変えたが、ラストネームは残したわけだ。

 そしてここ支邦では、サッスーン一族は租界の英国人とばかり交流し、国民党政府のごく一部の要人を除けば、支那人とは全く関わろうとしないという。

 冴木はサッスーン・ハウスの隣にあるもう一つの高層建築を指さした。

「こちらは中国銀行。中華民国の中央銀行で、日本の日銀に当たるものです」

 こちらは十数階建てで、中華的な縁の反り返った屋根が乗っていた。

「当初の設計では、あの屋根の上まで建物が伸び、紐育ニューヨークのマンハッタンのような三十五階建ての摩天楼となるはずでした」

 冴木の説明に、肇は疑問を口にした。

「設計変更は資金難ですか?」

 冴木は首を振った。

「アルバート・サッスーン卿の横槍です。自宅より背の高い建築は認めないと、倫敦ロンドンで訴訟を起こしたのです」

 肇はげんなりした。

「何だかもう、本人に会う気力が失せてきましたよ」

 その日は外灘にあるホテルに入り、冴木と別れて部屋に向かうと、ベッドに身体を投げ出した。ほどなく、了が定時連絡で接続してきた。

「色々聞きたいんですが」

 肇が切り出すと、了は答えた。

(I機関のことかね?)

「それもですが……何ですか、このサッスーンてのは」

 体を起こし、肇は頭を掻いた。

「まるで悪の権化にしか見えませんが」

 了が苦笑いしている感触があった。

(国益と言うものが、国によってここまで違うという好例だな)

 国民不在の国益だなんて、と肇は呟く。

「しかし、あの冴木と名乗った男、かなり詳しくこの国の内情を調べてますね」

(I機関の役割の一つだ。日本の周辺国や欧米の情勢の調査と分析。私の知る歴史では、日本はこれが徹底的に不足していた)

 了の返事に一応納得して横になると、疲れが一気に出たのか寝入ってしまった。

 朝、目覚めた肇はI機関について聞きそびれたことに気が付いた。

 そこへドアがノックされた。冴木が迎えに来たのだろう。

「まあいいか。また今夜聞こう」

 呑気にそう呟く肇だったが、それどころではない一日が彼を待っていた。

登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


冴木さえき

本名・生年月日不詳。

石動了が設立したI機関の工作員。

主に海外での諜報・工作活動を担当する。


アルバート・アブドゥッラー・サッスーン卿

【実在】中東系ユダヤ人(セファルディム)のサッスーン財閥の先々代頭首。

上海をはじめとした中国本土に莫大な資本を投下した。


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