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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第一部
1/76

第一話 昭和の曙(あけぼの)

 発令所に漂う空気は、機器の発する油の臭いの他に、そこに詰めている男たちの緊張で満たされていた。彼らの視線は無線機に向けられている。湾曲した船殻に沿った操作卓、そこに設置された金属の箱。

 と、かすかな電動機の音と共に、無線機の細い口から紙帯テープが吐き出された。長短の線が印字されている。モールス符号だ。通信士が読み上げる。

「敵艦隊、発見。東ヒトナナフタ度サンゴ分、南フタヒト度フタ分」

「遠いな……」

 海図を見ながら、発令所でただ一人の私服の男が呟いた。三十代半ば、背は六尺と高く、天井の低い艦内ではどうしても猫背になりがちだ。

「大丈夫です、閣下。すぐに捕まえます」

 隣に立つ艦長が自信ありげに言い放った。

「……だから閣下はご勘弁をと」

 男のそんな呟きは聞き流し、艦長は低いがよく響く声で指示を出した。

「通信ブイ回収、深度ヒトマルマル、両舷半速。うっかりして敵を追い越すなよ」

 各所からの復唱が、余裕の笑みとともに返ってくる。わずかに響いていた機関音が高まり、ぐっと体が艦尾方向に押される。艦船とは思えない加速力だった。

 私服の男は心の中で呟く。

 あれから十五年か。

 まさしく、めくるめくような年月だった。


石動(いするぎ)はじめ! 石動肇はおるか!」

 突然の罵声にも似た呼び声に、青年は飛び起きた。

「はい!」

 勢いに呑まれて、ほとんど反射的に居住まいを正すと、膝をついたまま下宿の部屋の襖を開けた。廊下に人影があった。まだ薄暗い早朝、一月という季節にも関わらず、赤ら顔で汗臭い制服姿の警官が仁王立ちしている。もっとも、身長は肇の方が高いので、立ち上がると彼の方が見下ろす感じだが、今度は下からねめつける威圧感に圧倒されてしまう。

 肇の脳裏に、瞬時にして様々な場面が去来する。何かやらかしたのだろうか? 昨夜の新年会で懇ろになった令嬢とか、年末のご婦人とか……思い当たることが多すぎる。

「すぐに来てもらう。支度せよ」

「あ、あの、どこへ?」

「来ればわかる!」

 警官が左腕を掴もうとするので、肇は反射的に半身を引いてかわした。勢い余って相手はたたらを踏む。

「貴様! なぜ避ける!?」

「……済みません」

「身支度して表へ出ろ」

 警官は踵を返すと出て行った。訳も分からず、肇は寝間着から普段着に着替え、表に出る。途端に身を切るような寒さが襲った。

 昭和二年の正月。

 本来ならば、家々の門柱に門松が飾られ、まだ日章旗がそこここに掲げられているはずの時期である。しかし、昨年の暮れに大正天皇が崩御され、来月に大喪の礼が行なわれようとしている今、新年の祝いも質素となるのは仕方なかった。

 ようやく昇りかけた朝日に照らされ、下町の道も軒を連ねた屋根も、うっすらと雪をかぶっていた。

 驚いたことに、その狭い路地に黒塗りの乗用車が停まっている。ボンネットのあのマークは確か、ベンツとかいう外車ではないか。

「貴様!」

 またもや警官が怒鳴る。

「背広くらい持っておらんのか!」

 連行されるのに背広とは。

「貧乏学生なので……」

 回れ右して、部屋に戻って詰襟に着替える。洗面所の鏡で寝癖の髪を直した。彫りの深い顔立ちと言えば良いが、目の下のは隈だろう。うっすら出ている髭をそる時間はなさそうだ。おまけに、下に着たワイシャツが皺だらけだった。昨夜、アイロンがけしなかったことが悔やまれるが、仕方がない。

 そもそも、本郷の学生寮にいたときは、身なりなど気遣う余裕はなかった。あのまま学問に専念していればよかったのだろうが……。

 外套を手に、詰襟の(ボタン)を留めながら表に出ると、警官が上から下まで舐めるように検分した挙句、顎で車を示して言った。

「乗れ!」

 後部座席のドアを開けると、奥には銀縁の眼鏡をかけ正装した初老の男性が座っていた。黒っぽい背広が喪服を連想させる。車内は暖房が効いているのに、男からは冷ややかな目が注がれた。

「……失礼します」

 その隣に乗り込むと、警官が後から乗り込んできた。暑苦しい警官と寒々しい喪服に挟まれて、居心地が悪いこと甚だしい。

「出せ」

 警官が運転手に命じると、車は滑らかに走り出した。さすがは独逸ドイツの高級車だが、それより行く先だ。

 昨年の夏にちょっとした事件があり、帝大の本郷学生寮に居づらくなって飛び出した先が、高円寺の下宿だった。その込み入った路地を抜け青梅街道に出ると、東京市へと向かっているのはすぐわかった。普段は都電で本郷の学舎に通う道だった。新宿で国鉄のガードをくぐり、靖国通り。やがて左手に市ヶ谷の陸軍……。

「ここではない」

 車外に向けた肇の視線に気づいたのか、警官が言った。

 車はなおも進み、九段下で右折。今度は、肇が警官の視線に気づいた。右手の、堀の向こうを凝視している。

「……あの、行く先ってまさか」

 左側の喪服が、初めて口を開いた。

「くれぐれも、陛下の御前では無礼なき用に」

 この国に、陛下と呼ばれるお方は一人しかいない。

 肇の動揺などとは無関係に、車は宮城(きゅうじょう)の大手門へ吸い込まれるように入って行った。


 寒い。

 通された部屋は無闇に広く、天井も高かった。本来なら宮廷晩餐会などで用いられる大広間なのだろう、見たこともない巨大なシャンデリアがいくつも下がっていた。だが、それらに灯は点されず、薄暗い中に一脚のみ置かれた肘掛椅子に、肇は座らされていた。もう一時間もたっただろうか、暖房もろくに効いていないようで深々と冷え込む。

 やがて奥の扉が開き、靴音も静かに数人が入ってきた。その中の一人は、先ほどの喪服に間違いない。他の黒服は、明らかに警護の者だろう。だが、中央の小柄な男性は。

 神職のように衣冠をまとい、大幣おおぬさを手にしたその顔立ちは。

 ガタン。椅子の立てた音に縮み上がりながらも、肇は立ち上がって直立不動となった。

「お座りなさい」

 落ち着いた物柔らかな声に従い、再び腰を下ろす。

「そなたが石動肇ですか」

「……はい」

 寒さにもかかわらず、緊張のあまり、汗が脇の下に吹き出す。

「気を静かに。これからそなたに神が下ります」

「神?」

 神職の顔にふっと笑みが宿り、周囲の男たちを見やると、顔を寄せてささやいた。

「そうした方が通りがよいのですよ。私にも訪れたように」

 神官に神が下りるならまだわかる。しかし、自分にとっては縁が無さ過ぎた。精々、実家にいたころに父に散々しごかれた道場。神と言えば、そこにあった神棚ぐらいなものだ。

 ふと、神職は背筋を伸ばし目を閉じた。

「参られたようです」

 大幣を何度か振り、両手で高く掲げた後、目を開けて命じる。

「椅子に体を預け、目を閉じなさい」

 命じられるまま、肇は目を閉じた。その瞬間、周囲は光に満ち溢れた。


 眩しい。ここはどこだ?

 周囲を見回す。真っ白な陶器のような壁と、見慣れぬ機器に囲まれた小部屋。さっきまでは大広間にいたはず。いや、それ以前に、さっき目を閉じたはずではないか。

「まずは、落ち着いて」

 声が響き、次にそれが自分の口から発せられたのに気づき、肇はさらに混乱した。

「今、私の意識があなたの脳に送り込まれています」

挿絵(By みてみん)

 肇の混乱は収まりそうになかったが、声は続けた。

「同時に、あなたの意識も私の脳内に送り込まれ、私の体の感覚を感じています。これは、周囲にある機械によって起こされた、科学的な現象です。大脳同士を直接結ぶ電話のようなものだと思ってください」

 そんな凄い機械が、いつのまに?

「あなたから見れば遠い未来です。ざっと百年以上の。この脳内電話は、空間だけでなく時間も越えて繋がっているのです」

 時間を越えた? 百年後? 眩暈がした。いや、本当に周囲の映像が揺れ動いている。

「気を静めてください。私も影響を受けてしまいますから」

 とりあえず、丹田を意識して深呼吸した。子供のころからの修練の賜物だ。こちらの気持ちが落ち着くと、揺れはすぐに納まった。しかし、疑問は消えない。

 なんでまた、自分が?

「大脳同士をつなぐためには、遺伝的な器質が近くなければなりません。そのため、私の直系の先祖を探しました。すなわち、私はあなたの百年後の子孫です」

 子孫。まだ嫁すらいないのに。

 だが、そんな疑問には答えず、声は続けた。

「あなたを探すために、またそちらの時代に影響力を持つために、こちらの時代の陛下にお力を貸していただきました」

 先ほど、自分にも訪れた、と言われたのはそのことか。

「私をご覧になりますか」

 右手が勝手に動いて、手鏡を取った。髪に白いものが混じった初老の男性の顔が映る。どことなく、故郷の亡き父親を思わせる顔立ちだった。

「初めまして、石動肇さん。私のことは了とお呼びください」

 石動……了?

「そうです。名前と役割が逆ですね。了が始め、肇が完了させる。それがこの計画です」

 計画とは?

「端的に言うと、歴史を変える計画です」

 石動了と名乗る初老の男は、淡々と話し始めた。

 この昭和の時代、やがて第二次世界大戦が起こり、日本は米国と戦争をした挙句、壊滅的な敗北を経験する。その戦争の中で米国は、後の世を決定的に変えてしまう、二つの発明をもたらす。一つは、原子の力を利用した、恐ろしい破壊力を持つ原子爆弾。もう一つは、電子計算機、電算機である。

 原子爆弾は日本に二つも投下され、その威力に全世界が震えることになる。その結果、この悪魔の兵器を自国に落とされることを恐れるあまり、戦勝国はこぞって原爆を作り、互いを威嚇しあうようになってしまった。

 その一方で電算機も進歩を遂げ、世界中の会社や銀行などの業務を動かすようになった。さらに、世界中の電算機は通信回線でつなぎ合わされ、会社や国家をまたいだ業務もこなすようになった。

 そして、原爆を管理する、軍の業務もそこに加わっていた。

 電算機の利点は、業務や計算の内容を符号で書き記した「プログラム」を入れ替えれば、同じ機械で様々な業務をこなせる点である。ところが、やがてこれを悪用する者が現れた。悪意のあるプログラムを作成し、通信回線越しによその電算機に仕込む。はじめは他愛のない悪戯だったが、しまいには重大な損害を与える者も現れた。さらに、そのプログラム自体を複製し、他の電算機へ自動的に送り込むプログラムが作られ、事態は一気に悪化した。こうしたプログラムは「ウィルス」と呼ばれた。

 ある日、世界中の電算機でウィルスが活動を始め、電算機の通信網が暴走を始めた。その結果、原爆を管理する仕組みも暴走を開始し、世界中の主要都市が爆撃された。

 東京も例外ではなく、地下にあるこの研究施設を兼ねた避難所の外は、焼けただれた廃墟が広がるばかりだという。

 世界は深刻な物不足となり、生き残った者達も混乱と暴動の中で殺しあう、まさに生き地獄と化してしまっている。

 ……だから、歴史を変えると?

「そうです」

 どうやって?

「原爆を作らせないようにします」

 それこそ、どうやって?

「アメリカより先に日本が作ります。そうしてアメリカとの戦いに勝ち、世界のどの国にも原爆を作らせない、持たせない国際的な仕組みを作ります」

 石動肇は目を閉じた。いや、これは石動了の目か?

 ……そんなことが可能なのか?

「出来なければ、同じ未来が待っています」

 では、具体的にどうすれば?

「あなたの体を時々貸してください。そして、こちらの用意した資料をこのようにしてお見せしますから、それを書き取ってしかるべき人たちに配布してください。ニ一世紀の科学技術を、昭和の初期に持ち込むのです」

 それだけで?

 石動了の頬が、くっと持ち上がった。

「知は力ですよ」


 椅子の上で目を閉じ、ぐったりとしていた青年、石動肇の体がピクリと痙攣した。ゆっくりと目を開け、立ち上がると、神職の前に跪いた。

「石動了であります、陛下」

 今、百年の時を越えた計画が、この時代で始まったのだ。


次回 第二話「国のいしずえ

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