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そわか  作者: 空雲雛太
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第三話『出現』

 その空間を言い表す言葉として『黒い』以上に適切なものは、夏樹の語彙にはなかった。

 前後に伸びる道も、左右を塞ぐ、山のように積み上げられた箱のようなものも、頭上に広がる空も。

 全てが黒く、なのにそれらは同化することなく、はっきりとした輪郭を伴っていて、区別するのに苦労しない。

 面と線のみで構成された、暖かみのない黒一色の景色が、どこまでも広がっていた。


「不幸中の幸いというか、壁……山? も道も規則的過ぎないのは、せめてもの救いだよな」


 目に見える範囲だけでも、脇道や箱の積み具合にばらつきがある。

 これがもっと徹底的に無機質で、歩けど歩けど景色が変わらないような場所だったなら、遠からず発狂していただろうと思うと、背筋に冷たいものが走る。

 嫌な想像に身を震わせた夏樹の耳に、鈴を転がしたような声が響く。


「…………エニ…………」


「……ん? ああ、ごめん。手ぇ握りっぱなしだったね」


 一瞬何を言われたのか分からなかったが、少女の声と視線が困惑の色を帯びていることに気づき、この空間に入る時少女の手を掴んでいたことを思い出した。

 女子と手を繋ぐなんて、小さい頃に檸檬と繋いで以来だなと、夏樹は思い起こした過去と意識した現在の両方に赤面して、手を放す。

 顔の赤らみを少女に見られないように、夏樹は顔と話題を逸らした。


「さて……それでどうやってここから出るかだけど……」


 言って、辺りを見回してみるが、やはり出口らしきものは見当たらない。これは長期戦になりそうだと判断した夏樹はひとまず、互いの持つ情報を交換するところから始めることにした。

 少女に向き直り、笑顔とサムズアップした手で友好の意を示しながら、夏樹は口を開く。


「自己紹介がまだだったよね。僕は六連星夏樹。中学生以上高校生未満の十五歳です! どーぞよろしくっ!」


「…………? …………。…………っ!?」


 夏樹の自己紹介を聞いた少女は、少しの間ぽけーっとしてから、辺りをきょろきょろと見回した後、なぜか顔を真っ赤にして目を見開き、そのまま夏樹を、非難するような上目遣いで睨んできた。

 不可解な少女の反応に、夏樹は少なからず戸惑った。何か少女の機嫌を損ねるようなセリフが、先ほどの自己紹介にあっただろうか?

 結局原因が分からず、夏樹は降参するように両手を上げた。


「えっと、ごめん。僕の故郷というか、こっち側? だと、普通の自己紹介だったんだけど……僕、何か変なこと言ったかな?」


「……………………」


「いやあの、ホントに悪気はなかったんだよ。だからそんなに警戒しないでもらえると嬉しいんだけど……」


「……………………」


 少女は元来人が好いようで、夏樹が言葉を重ねるごとに、吊り上げられた眉が少しずつ下がっていき、困ったような八の字になっていく。

 夏樹の自己紹介の何がまずかったのかは分からないが、だからといって無視するのも気が引けるようだ。

 そんな葛藤が表情の前面に全面に現れた時、申し訳なさそうな声で少女がおずおずと夏樹に声をかけてきた。


「……リウミユレエミレメン……」


「……………………ゑ?」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 もしかしたら今のは、彼女の名前だったのだろうか……だとしたらずいぶん個性的な名前だな、などとさえ考えた。

 そんなわけあるかと、冷静になって少女の言葉を反芻しようにも、耳に覚えが無さすぎて記憶の網にかからない。

 必死に事態の把握に努めようとする夏樹に追い撃ちをかけるかの如く、少女は再び口を開いた。


「ヘンミメレニイリヒペネ、ユヘミニテユレメネイニヘム……」


「……………………………………………………ゑ?」


 やっぱり何を言っているのか分からなかった――それでも、今何が起きているのかだけは、はっきりと理解した。

 理解はしたが、だからといってその事実を受け入れられるかどうかはまた別の問題であり、夏樹がまさにそんな葛藤を心中で繰り広げている……その最中に。

 ついに、何故か慌てた様子の少女が、止めとばかりに決定的なセリフを口にした。


「エニ……! ユヘミテヒュンヒレイエメ、リワミユリレヘイイニミミヘイレムミ、ミンプメレニイテネミリレチレニリイヘイレム! ヘンミメレニイリヒペネユレメネイニテ、ヘレメユヘミニミンリウミンネネイユレヘテ……!」


「ガッデェェェェェェム!!」


 思わず自らの心境を大音声で叫んで少女を怯えさせてしまったが、あいにくと夏樹のほうにも、少女を気遣えるほどの精神的な余裕が無い――ついでに言えば、フォローのセリフだって用を成さないだろう。

 何しろ、どうやら互いに、言葉が通じていないらしいのだから。


「いやいやいや! え!? 嘘でしょ!? 翻訳魔法は? 意訳システムは!? こういうのって普通、何故か通じちゃうのがお約束じゃないの!?」


 思わず全力で突っ込む夏樹の剣幕に怯え、少女は少し後ずさる。

 無理もない――夏樹だって、目の前で誰かが自分の知らない言葉でいきなり叫び出したりしたら、怖いに決まっている。

 少女の場合はしかも、それが見知らぬ土地の中にいきなり放り込まれた挙げ句なのだ。


「何なんだよ、もう……召喚した人はこの子に何か恨みでもあるの? 文字が読めないのはよくあるパターンだけど、言葉さえ通じない異世界召喚とか聞いたことないよ……」


 いや、夏樹が知らないだけで、探せばあるのかもしれないが。

 そんなことより問題なのは、正体不明の異空間内という力を合わせて解決するべき困難を前に、意志疎通の手段が無い今現在だ。

 少女が今まで全く喋らなかったのも、夏樹の第一声からこの事実を悟っていたからなのだろう。

 道理で警戒心を解いてくれないはずである――相手が何を言っているのか分からないのだから、信用など出来るわけがない。

 少女の不信が自分の不徳によるものではないことが分かって少し救われた気分の夏樹だが、そんな状況下にある少女の心中を思えば、安心してばかりもいられない。

 どうにかしてコミュニケーションを図れないものかと、夏樹は黒塗りの空を仰ぐ。

 ……そこから何かが降ってきたのを認めた時、夏樹は反射的に少女を突き飛ばしていた。


「きゃっ――!?」


 突然のことに驚愕する少女の短い悲鳴は、先ほどまで夏樹たちがいた場所に落ちてきた何かが着地する轟音に掻き消される。

 先ほどまで少女と夏樹のいた辺りに落ちてきたそれは、緩慢な動きで振り返り、二人に向き直る。


「……何これ、冗談でしょ……!? そりゃこんなSF(少し不思議)空間で何も出ないと思うほど楽観的なことはないけどさ……!」


 二メートルはあろうかという巨大なそれは、自身の背丈と同じくらい長い筋骨隆々の片腕を引きずり、反面骨と皮しかないようなもう片方の腕の手を握ったり開いたりしている。

 アンバランスな上半身を獣のような両足が支えており、頭蓋骨そのままみたいな頭に空いた(うろ)のような両目の穴を除けば真っ黒の全身からは、親しみも好意も感じられない。


「いやいやいや……え? ひょっとしなくても、これと戦う流れなの? いやいや無理無理、絶対死ぬって!!」


 何せ体格差だけでも尋常じゃない。

 巨大なほうの腕での攻撃を食らってしまえば、確実に意識が、あるいは人の形が保てない。

 なのに夏樹の現在の装備といえば最低限の洋服のみで、靴下すら履いていない。


「……つまり僕は、Tシャツとズボンだけでこの場を切り抜けなきゃならないわけだけど……ズボンであいつの足を括って、シャツを口に詰め込んだら窒息させられるかな……?」


 目の前の化け物に対処するための案を脳内でブレインストーミングするが、何しろ手札が一枚も無いので、戦力差をひっくり返す作戦どころか苦し紛れの奇策さえ立てられない。

 一か八か、自らのズボン捌きに賭けるしかないかと腹を括る寸前で、夏樹は切り札となり得るジョーカーの存在を思い出す。


「――って、そうだよ! こっちには異世界から招かれてる子がいるんじゃん!」


 現代社会から魔法社会に呼ばれるのが異世界召喚の本来の形ではあるが、逆に言えば、少女は魔法社会から現代社会に呼ばれているのだ。

 科学知識を駆使して魔法社会で大活躍するパターンの作品だって少なくないのだから、魔法技術を駆使して現代社会で大躍進するストーリーがあってもいいはずだ……こんな異空間を、現代社会の枠組みに加えていいのかは分からないが。

 ともあれ夏樹は、そんな期待を込めて、少女に視線を移した。

 呪われているんじゃないだろうかというくらい絶望的な状況下の女の子に頼ってその背中に隠れるというのは、男の子的には恥ずかしさとみっともなさで死にたくなるような解決策だが、死なないためには他に方法がない……そう、思ったのだが。


「…………! ………………っ!」


 顔面を蒼白にして小刻みに震える少女を見て、この空間に入る時の恐慌状態を思い出す。

 そもそも夏樹の大声にノックアウトされてしまうくらい気の弱い少女に、あんな化け物と戦ってほしいなんて、言えるわけがなかった。

 化け物が低く吠え、巨大な腕をゆっくりと振り上げる。

 ――少女の瞳が、恐怖に歪み、悲しみが零れ落ちる。


「……っ! 夏樹ィィィィ、ファイッ!!」


 助けなければと思ったときには、すでに体が動いていた。

 少女の手を取った夏樹は、化け物に背を向けて一目散に駆け出した……つもりだったのだが、その場を動かない少女に引っ張られて転びかける。


「おぉ……っ!? えーっとあの、君! どうかしたの!? 早いとこ逃げないと、僕たちデッドオアダイなんだけど……!」


「…………! …………っ!!」


 握った少女の手を引いて逃走を促すが、やはり少女は化け物を見つめたまま動かない。

 有名なモンスターであるメドゥーサの、見た者を石化させる能力は本来魔法のような力ではなく、『メドゥーサの姿を見た者は恐怖で体が石のようになる』という、危機的な状況における生物の条件反射のことだったらしいという話を、夏樹は思い出す。

 動く様子のない少女を見て、蛇に睨まれた蛙という慣用句はこういうときに使うんだなと、夏樹は場違いなことを考えた。

 化け物の体は大きく、振り上げられた片腕も夏樹の胴回りよりも太く、夏樹の身長よりも長い。

 道幅もさほど広くないので、横っ飛びで避けることも出来ない。

 為す術の無い夏樹と少女を、あの腕は容易く粉砕するだろう――。

 振り下ろされるそれを見る夏樹の思考は、既に停止していて……だから、次の瞬間に何が起こったのかも、すぐには分からなかった。


「――――ァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」


 最初に分かったことは、化け物が叫んでいることと、何かが光ったこと。

 次いで自分がまだ生きていることを理解し、今の光が化け物をどうにかしたのではと推測し、あの光は少女の力なのではと思い至る。

 少女自身は元々普通の女の子だったとしても、召喚された時に何らかの能力が付与された可能性はある――そう考えた夏樹は、閃光が走った瞬間に閉じていたらしい目を開けて、少女をに向けた。

 光の出どころは、やはり少女だった。

 正確には少女の手に握られている武器――それが光源だったらしい。


「……えっと……君、その武器は……?」


 答えは返ってこないと分かっていても、思わず呟きが漏れる。

 少女が、唐突に手元に現れた武器に注いでいた、驚愕と恐怖の色を湛えた視線を、ゆっくりと夏樹に向ける。

 言葉が通じなくても、その視線が夏樹に『これは何ですか?』と訊ねているのが感じ取れた。


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