仇夜
そして、ニュクスはそれを果たした。
その時は深夜だった。深い暗闇が辺りを支配していたが、彼女の敵では無い。
彼女は暗闇の中を走る。闇夜はニュクスの味方なのだ。慣れ親しんだ存在である夜に守られた彼女は別宅からの脱出を果たす。
脱出した彼女が向かったのは、夫の許では無かった。
目の前に現れた女性にエリテュイアは身体を強張らせた。彼女の周囲には誰も居ない為、助けは呼べなかった。
そして、それは起きた。
上がったのは、悲鳴。か細く上げられたその声を聞いたのはアイアコスだった。
アイアコスは声のした方へと向かった。そして、見たのだ。
「姉上・・・」
姉が女性に踏み付けられていた。その女性をアイアコスは知っている。細い脚は曇りの無い白さを纏っている。戦いなど、知らない脚。
アイアコスの中で常識が崩れていく。母親という者は守るのではないか。自分が腹を痛めて生んだ我が子を。慈しむ存在である筈だった。それがどうして・・・そんな眼差しを向けるのか。
「・・・姉上」
弟の呼び掛けにエリテュイアは顔を上げた。そして、口が動く。それをアイアコスは理解出来なかった。
硬直するアイアコスにやがてニュクスは気付いてしまうだろう。ただ、その事がエリテュイアには怖かった。逃げて欲しかった。それだけだったが、願いは届かない。ニュクスは憎い子供を見つけてしまった。
ニュクスは娘から離れ、アイアコスに近付く。その表情は虚ろだった。
「お前が、産まれなければ・・・私は、私は・・・」
虚ろな眼に怒りが灯る。ニュクスは夫と自分以外の妻との間の息子に手を伸ばす。手が向かうのは、首。
アイアコスは動けなかった。
「ふふふ・・・」
薄れ行く意識の中で、二つの声を聞いた。
ニュクスは屋敷に戻った。しかし、アトラスとの関係は夫婦では無い。
彼女はただ、そこに居るだけだった。美しい像の様に。