四夜
ニュクスは身体の違和感に気付いた。違和感の正体にも。彼女は急いで医者を呼んだ。結果は彼女の予想通りのものだった。
「これで、男児を産めれば・・・」
彼女は解放されるのだ。この重く苦しい指名から。ニュクス自身が心から望む物が手に入る。
「・・・男よ。男が産まれなければならないの」
ニュクスの願いはただ一つ。
「自由になるの」
だから、産まれるのは男でなければならないのだ。前の夫とは離縁させられた、今の夫との関係も良好とは言えない、そんな女が持つささやかな願いは自由。それを願うのはいけない事だろうか。
そして、彼女に遅れはしたがアイギーナにも子供が出来た事が分かった。二人の運命はどうなるのか・・・それを知っていたらニュクスは何をしたのだろう。
彼女の望むものは手に入らない。
産声を聞いたニュクスは一安心した。産声を上げずに死ぬ赤子を見た事があるのだ。ニュクスはその時の騒ぎは覚えている。死んだ赤子が父の息子、つまりは彼女の弟になる子供だったから、更に強く。
そして、産婆が赤子を母に見せる。ニュクスは眉を寄せた。
「・・・女の子?」
その声は落胆だった。だが、周囲は気付かない。彼女の中で育ちに育った絶望の芽は花開こうとしている。
ニュクスは赤子を侍女に渡す。
「ニュクス様?」
「・・・休む」
疲れた身体は休息を求める。本当は考えなければならない事が出来たのだが、今のニュクスは出産の疲労と落胆による脱力感で頭がそれを拒否した。
目を瞑れば、眠りは直ぐにやって来る。夢を見る事も無く。
夢など見たくも無かったが。
浮上する意識。残念に思いながら、ニュクスは目を開けた。
温かな日差しが入り込む部屋には誰も居なかった。赤子は乳母や侍女が世話をしているだろう。彼女が何かをする必要は無いのだ。
だからなのか。ニュクスが赤子を抱く事は一度も無かった。
彼女は娘・エリテュイアを愛する事は生涯無かったのだ。
男でなければ意味など無かった。ニュクスは落胆する。それは、一族も同じ。男児を産めなかったニュクスにエレボスからの使者は言った。二度と帰るなと。
元々帰る気は無かった彼女だが、自身を育んだ場所に拒絶されるのは辛かった。人前で涙を流す事は決して無かったが悲しかった。
そんな彼女の苦しみに気付く者は居ない。ニュクス自身はそう思っていた。それで、良かったのだ。
彼女自身が決めた事である。歯を食い縛り、俯かない。何があっても。
だからだろうか・・・誰も彼女の心に気付かない。気付けないから、誰も傷付かないと思うのだ。
そして、アイギーナが男児を産んだ。ニュクスが望んだ赤子を。
誰もがアイギーナを誉めた。ニュクスと比べて・・・その事はニュクスを何よりも苦しめた。
ニュクスは憎しみを育てる。誰に向けた物かは分からない。だが、ただ・・・憎かったのだ。
ただ、それだけである。
ニュクスは自分に娘を見つめた。鮮やかな赤い髪が自身とそっくりだ。その事に気付いた彼女は不快感を得た。
自分だけで良いのだ。この美しい赤を持つのは。
そう思った彼女はエリテュイアに手を伸ばす。